まだ、3月、4月のシネマ観て歩き(なんてシリーズにした覚えはないのだが)を書いていないし、何より「64-ロクヨン- 前編」についても語りたいのだが、とりあえず。

     ◇

2016/05/14

 「アイアムアヒーロー」(TOHOシネマズ日本橋)

 面白かった。VFXもなかなかのもの。ハリウッドと比較しても見劣りしなかった(何度も顔をそむけたが)。鑑賞後の充足感もあり、もし誰かと一緒だったらああだこうだとおしゃべりに花を咲かせたことだろう。
 しかし、こうも思った。この映画、「ドーン・オブ・ザ・デッド」の単なる焼き直しではないか? あの設定及び展開の中で妄想癖のある主人公(大泉洋)の精神的成長を描くところ(笑いを取り入れているところ)と有村架純演じる女子高生のキャラクターがオリジナルか。長髪でいつもと違うキャラを演じている岡田義徳がいい。

  「ドーン・オブ・ザ・デッド」は「ゾンビ」のリメイクだった。「アイアムアヒーロー」はマンガ(原作・花沢健吾)の映画化である。映画化にあたってマンガ世界をそのまま映像化したのか、あるいは映画独自の設定、展開なのか。原作を知らないので何とも言えない。
 エンディングクレジットを見ると、映画の成功には韓国スタッフの協力が大きいと思われる。
 

 【参考】

2004/06/05

  「ドーン・オブ・ザ・デッド」(日比谷映画)  

 10代の頃、「悪魔のいけにえ」(「悪魔のはらわた」も含まれるか)から一気にブームになったスプラッター映画に夢中になったことがある。何に惹かれたのかというと、今だからいえるのだが、要はエログロ見たさ、に他ならない。  
 端的に言うと若い女性が敵に襲われるシーン。たとえば敵がゾンビだったら、ゾンビの群れに囲まれた清純な女性が、毒牙にかかる。衣服がはだけ、肌が露出し…どんな風に蹂躙されるのか(いたぶられるのか)、興味津々だった。  
 しかし実際の映画にそんなシーンはほとんどなかった。首が飛んだり、はらわたがむしられたり、気持ち悪いショットばかり。グロはあるがエロは皆無(考えれば当たり前なのだが)。  
 本来の見どころである恐怖も、「13日の金曜日」以降は突然画面に敵が現れるといったその場限りの脅かし(ショッカー効果?)ばかり。そんなこんなでスプラッター映画に何の関心もなくなって、今日にいたる。  
 前評判が高かった、ジョージ・A・ロメロ監督、「ゾンビ」を観に行ったのもそんなスケベ心だったと思う。  
 当時すでにカルト作品になっていた「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を観ていない(知らない)僕は、ゾンビの発生(その要因とか、過程)からじっくり描かれるものだと思っていたら、何と冒頭のナレーションでゾンビの発生の原因を説明され、すでに街にあふれている群れに警察隊が総攻撃をするという展開にのけぞった。おいおい、それはないだろうとスクリーンに毒ついた。その後の、限定空間における人間とゾンビ集団の攻防は面白かったのだが。  
 ロメロ監督のゾンビシリーズの隠れた意図に気づくのは続編の「死霊のえじき」だった。    
 邦題がバラバラだから仕方ないのだが、「ゾンビ」「死霊のえじき」のそれぞれの原題は「Dawn of the Dead」、「Day of the Dead」。「Night of the Livingdead」の続編、ちゃんと時系列になっているのである。  
 で、「死霊のえじき」だが、これが〈人間はいかに愚かなリーダーに導かれるとバカをみるか〉という指導者論とみることができた。そこから「ゾンビ」が実はゾンビにあふれた極限状態に中にある主人公たちの脱出行を描きながら、消費文化に対する批評になっていたのかと気づいた。舞台になったショッピングモールはその象徴なのか、と。   
 その「ゾンビ」がリメイクされた。今回は原題どおり「ドーン・オブ・ザ・デッド」。ホラー映画には食指がわかないが、「悪魔のいけにえ」のリメイク「テキサス・チェーンソー」を観たからには「ドーン…」にも足を運ばなければならないだろう。  

 前半が楽しめた。特に冒頭のパニック描写にはリメイクの意味があったと思う。  
 一家庭だけかと思われた惨劇が、ヒロインが家を飛び出すことによって住宅地一帯、町全体、いたるところに広がっている実態を知らしめるシークエンスがいい。これが前作には欠如していたのだ。  
 断片的なTV中継の映像(ビデオ画像)挿入が効果的。ゾンビの群れを取材中のカメラ(主観)の目の前に突然ゾンビが現れるとプッツンと映像が消えてしまう。カメラマンが犠牲になったわけ。  
 ヒロインたちが逃げ込んだショッピングモールでもこのTV中継は続くのだが、ある日、砂嵐状態になってしまう。その怖さ。  
 ワシントン州のある町に住む看護婦(サラー・ポーリー)は、隣家の少女に夫を殺され、動転しているうちに今度はその夫が生き返り凶暴化するという事態に見舞われる。すんでのところで屋外に逃げ出すと、信じられない光景を目の当たりにする。住民たちが夫と同じように凶暴化し暴れまわっているのだ。  
 マイカーで町の惨劇から逃れた彼女は4人の男女に遭遇。近くのショッピングモールに避難し、共同生活を始める。  
 TVニュースによると、この悪夢は細菌兵器の影響によるものらしい。ウィルスの感染者が人を襲う。噛まれたら最後、その人も数時間後には凶暴化してしまうのだ。感染者の息の根を止めるのは脳を破壊するしかない。またたくまに増殖していく感染者たち。 
 外界と遮断されたショッピングモールは生活するには不自由ない。しかし、やがて感染者が跋扈する陸を離れて、海洋に旅立つことを決意する。海に囲まれた小さな島ならば感染者はいないだろうとの判断だった。  
 彼らは脱出に備えて、着々と準備を始めるのだが……  

 ヒロインと合流するのは、黒人警官、黒人とロシア人の若い夫婦、白人男性。黒人警官はいかにも頑強そう。若夫婦の男はちょっとわけありって感じ、おまけに女房は出産間近の妊婦なのだ。白人男性の存在はヒロインとのロマンスを期待させる。  
 理想的なメンバー(ちなみに「テキサス・チェンソー」も5人の男女だった)が、密閉されたショッピングモール内で迫り来る〈ゾンビ〉と死闘を繰り広げるのか! 彼らがモール内のエレベーターに乗って最上階に向かう最中、かなり興奮していた。  
 ところが、エレベーターの扉が開いて、銃をかまえた男3人が登場してきて一気に萎えた。  
 男たちはビル警備員の生存者なのだが、5人に向かって帰れと言うのである。普通、こういう状況下だったら、仲間は多いほど有利なのではないか? まずほっとするだろうに。別に旧作に登場した常識の通じない暴走族ではないのだから。  
 いや、疑問は最初からあった。この映画の〈ゾンビ〉は走るのである。とても機敏なのだ。画的には面白いけれど、こんな奴らを相手にしたら普通の人間に勝ち目なんてないじゃないか。  
 まあ性格の違う登場人物が増えることは、ドラマ展開が面白くなる要素ではあるのだが(その後も外部からの受け入れもあって生存者の数はさらに増える)、いざ脱出を計画しだしてからの行動がどうにもこうにも納得できない。もう自分から破滅にむかっているとしか思えないのだ。  
 犬の登場に驚いた。〈ゾンビ〉は人間だけを餌とみだし、その他の動物には無関心なのだという。もしそうなら町中にもっと野良犬、野良猫がいてもいいじゃないか。まあ、それはいい。その犬がクライマックスの重要な伏線になる働きをするのだが、犬のために娘が突飛な行動をとったことが理解できない。家族全員失った娘が人一倍かわいがっていたからという理由なのだろうが、説明不足。  
 脱出用にトラックを改造する。なぜ2台なのか。2台に分乗するほど人数はいないだろう。1台が問題起こしたらどうなるの? これまたそうしなければならない理由を設定すべきだろう。  
 結局その先が読めてしまう展開なのである。  
 脱出時の屋外の〈ゾンビ〉の数がただごとではない。地面がみえないくらいウジャウジャいる。とてもじゃないが脱出できそうもない。  
 島に逃げたって、たぶんそこに〈ゾンビ〉はいるよ。誰だって予想できること。だからこそ、クルーザーが動きだすところ(あるいは島の前に停泊したところ)で終われば、彼らの行き先は果たして楽園かそれとも地獄かと、想像できるのに、到着後を描いてしまう。映像処理はいいのに、これは蛇足以外何ものでもない。だいたいその島が無人島かそうでないかなんてわかりそうなもんだし。    
 ショッピングモールと道を挟んだ反対側の銃砲店ビルにも一人生存者がいて、お互い屋上で双眼鏡片手にコミュニケートをはかる様が秀逸だったのだが。  

 鑑賞後、一緒に観た友人が妊婦の赤ん坊を主軸にした独自の展開を披露してくれた。 映画では妊婦が〈感染〉して、出産の前に死んでしまうにもかかわらず、赤ん坊はちゃんと生まれてくる。感染者として不気味な容貌で。この発想を逆転させて ウィルスに対して免疫を持った赤ん坊にしたらどうかというのである。これを研究して血清を作り……というストーリー。この方がぜったい面白い。

     *

 旧作「ゾンビ」のときはまったく意識もしなかったのだが、「ドーン・オブ・ザ・デッド」って小室孝太郎の「ワースト」に設定がよく似ている。
 地球上に同時期に降り注いだ雨に濡れた人間は一度死に、凶悪な異形(ワーストマン)に変身する。彼らの毒牙にかかった者も同様の過程をたどる。わずかな生存者たちが一箇所に集まり協力しあい、ワーストマンの攻撃から身を護り、生活していく姿を描いたマンガだ。
 ワーストマンは徐々に進化していき、空を飛ぶもの、海を泳ぐものと体形もかわっていく。陸のものは外見上あまり変わらないのだが、そのぶん頭脳が発達していく。第2部でワーストマンを捕らえ、研究するエピソードがあるが、何と続編の「死霊のえじき」でも同じようにゾンビを研究する科学者が登場するのだった。




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Author:kei
新井啓介
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まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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