H・G・ウェルズの『宇宙戦争』といったらSF小説の古典として、誰でもタイトルくらいは知っているだろう。
 ただし、どんな内容なのかと問われたら返答に窮するかもしれない。地球外知的生命体の地球侵略を描いた元祖的存在。火星人が地球を侵略してきて最後に撃退される話。まあそれくらいの認識だと思う。僕自身がそうだった。
 スピルバーグ監督がトム・クルーズと再び組んで『宇宙戦争』を映画化する。そんなニュースを耳にして、何を今さらという気がした。たぶん必要なのは『宇宙戦争』のタイトルと〈原作 H・G・ウェルズ〉のクレジットだけ。一九九〇年の『宇宙戦争』とでもいうべき『インデペンデンス・デイ』で大ヒットを飛ばしたエメリッヒ監督の『GODZILLA』と同じ方法論。
 しかしそれはある意味原作を冒涜していることになるのではないか。なぜ最初からオリジナルで勝負しないんだ! アメリカ映画の企画の貧困を嘆きながらハタと気づいた。実際のところ『宇宙戦争』とはどんな物語なのだろうか?
 というわけで公開前に原作(斉藤伯好・訳/ハヤカワ文庫)をあたってみた。
 イメージしていたものとずいぶん違った。火星人と人類の戦争を真正面から描いていないのだ。
 主人公はロンドン近郊の町に住む知識人。小説はこの男の手記という形で、火星人の地球侵略の発端から未遂に終わるまでを綴っていく。男はその渦中に巻き込まれた一市民、一目撃者の立場でしかない。火星人による無差別殺戮(巨大戦闘マシンから発射される高熱ビームは人間を一瞬のうちに焼き殺す)の模様、軍隊の反撃にびくともしない圧倒的強さ、にもかかわらずひょんなところから敗退してしまうまでの描写は、男の逃避行中における目撃や伝聞、あるいはそれに基づく推察なのである。 
 あくまでも男の目をとおして語られた物語ということなのだが、作者はそれだけでは侵略の全体像(街の破壊活動)が万全ではないと考えたのか、男の弟の体験談も火星人撤退後に聞いた話として、挿入する。
 悪夢のような出来事の後に書かれた手記であること、つまり最初から男が助かることがわかっているので、その分サスペンスの要素は弱く、全体を通して緊迫感が今ひとつ足りない。
 活劇の興奮は英国軍が誇る攻撃艦が巨大戦闘マシンに反撃するくだり以外ほとんどなかった。ラストもあまりにもあっけない。
 これは、十九世紀の小説だからというわけではなく、作者の狙いが、人類vs火星人の戦いそのものよりも、緊急時における人間性の変化こそにあったからではないかと思えてならない。
 逃避行中に出会う兵士や牧師補、特にある家の地下に閉じ込められてから繰り広げられる牧師補と男の丁々発止のくだりが実はこの小説の芯だったのではないかと。

 『宇宙戦争』は小説よりSF映画の傑作として人々の記憶に残っているかもしれない。一九五三年に公開されたジョージ・パルの作品として有名な映画である(監督バイロン・ハスキン)。
 映画は舞台をアメリカ西海岸、巨大戦闘マシンを空飛ぶ円盤状のフォルムに変更したほかは、前半ほぼ原作に沿った展開だ。3本足で闊歩する巨大戦闘マシンを円盤にしたのは当時の特撮技術を考えれば当然の処置だろう。
プロデューサーのジョージ・パルやハスキン監督が非凡なのは、原作のプロットを活かしながら、スリルとサスペンスに富んだスペクタクル映画に仕立てたことだ。
 主人公を科学者に設定することで、米軍の対火星人攻撃に関与させる。これで後半は米軍とマシンの迫力ある戦いが描けるわけだ。ヒロインとのラブロマンスもあり、原作にある愛妻との再会シーンを、もっと劇的な構成で観客の高揚感を煽る。だからこそ、あっけない火星人の敗退もカタルシスになりえるのだ。
 公開時は原作以上の面白さを持つ映画化作品として喧伝されたのではないだろうか。
 ただし今の目からすると、オーソドックスなSF映画という印象が強い。かつて一世を風靡した(東宝の)SF特撮、怪獣映画はみなこのパターンだった。主人公は必ず科学者とかジャーナリストといった類の職業で、事件に巻き込まれた彼(および仲間たち)はやがて自衛隊の対敵作戦の中心的人物として最後まで戦いを見守るというような。
 浴びるようにその手の映画を観て育ち、いい大人になった今でも現実世界のいたる場所でふと怪獣が出現する姿を追い求めてしまう僕にとって、スピルバーグ版『宇宙戦争』は画期的な作品だった。
 トム・クルーズ扮する離婚歴のあるごく普通の男・レイが、最初の巨大戦闘マシン出現に遭遇し、辛くも難を逃れるシークエンスに目を瞠った。
 異星人の設定やマシンの出現の仕方に二十一世紀の現代らしい意匠をこらしてはいるが、ストーリーは旧作以上に原作に忠実である。なにしろレイは天文学・生物学の権威でもなければ、TVリポーターでもない。政府に異星人の生態分析を依頼されることも、取材の過程で敵の弱点を知り、軍に協力することもない。彼にできるのは〈今そこにある危機〉から脱出すること、別れた妻から預かった息子(ジャスティン・チャットウィン)と娘(ダコタ・ファニング)を戦闘マシンの襲撃から守り抜くこと――カメラはこの親子の逃避行を追うだけなのだ。
 なるほど! 今この時代に『宇宙戦争』が再映画化された意図を理解した僕は歓喜し、興奮した。
 これはスピルバーグ監督による怪獣映画なのである。それも、かつてゴジラやガイラに襲われる悪夢に何度もうなされた経験のある少年が大人になってから夢想した究極の怪獣映画。巨大生物の襲撃に巻き込まれた一市民がただ逃げ惑うだけのスリルとサスペンス。その恐怖を最新のCG技術を駆使したリアル映像で観客に同時体験させるパニック(サバイバル)スリラーといえばわかりやすいか。
 巨大物体の撮影に関して、アメリカ映画は人間の視点を基調にしたリアルなタッチが多いのだが、この映画はそれを一歩進めて、最初から最後まで主人公レイの視点でしか描かない。徹底して原作の一人称描写を遵守し、そこが斬新なのである。
 その結果、全編にわたって繰り広げられるのは主人公たちの逃亡劇のみ。侵略の全貌が見えてこない。情報網も遮断されているから、異星人の正体や目的、全世界の様子なんて、伝聞と憶測の域を出ない。さらに、通常ならこの手の映画のクライマックスになるであろう米軍と異星人の総力戦もその一部を目撃させるだけ。だが、それこそ本当のパニック模様ではないか。原点『激突』への回帰という意味もあるかもしれない。
 スピルバーグが『GODZILLA』を撮っていたらどんな映画になったのだろうか? 『ロストワールド ジュラシック・パーク』のクライマックスはスピルバーグなりのゴジラだとは思っているが、もう一度本格的に取組んでもらえないものか。一つ案がある。『原始怪獣現わる』のリメイク。ブラッドベリの「霧笛」を換骨奪胎した映画化に挑戦してほしいのだ。




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スピルバーグの「宇宙戦争」(2005)

■これまでのあらすじ(160910) 病気入院中に「ミクロの決死圏」が見たくなり、退院後探し回るが見つからず かわりにハードオフの棚にズラリと並ぶ¥280の「宇宙戦争」(2005)中古DVDが。 思い入れのある原作小説、しかし公開時の評価は微妙……というので未見だったが この値段ならたとえクソ映画でも後悔しないだろうとオマケで購入……さて、お味の方は? ■原作小説 H.G...
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Author:kei
新井啓介
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まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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