すいません、後で感想を追記するつもりでUPした各項、なかなか書けません。帰宅すると何もしたくなくなってしまうんです。
 というわけで……。

 原作に対してまったく別のアプローチで映像化しながら、ラストの味わいは原作同様というのは三池監督「愛と誠」にも言えますね。「愛と誠」もミュージカル仕立てでした。なぜ今「愛と誠」なのかと疑問を感じ劇場に足を運ばなかったことを大いに後悔しています。

          * * *

 『下妻物語』で中年男にティーンエイジの心を蘇らせてくれた中島哲也監督。次作が『嫌われ松子の一生』だと知ったのはいつのことか。主演が中谷美紀。もうそれだけで観る価値あり、と判断して、原作「嫌われ松子の一生」(山田宗樹/幻冬舎)の存在、内容なんてまったく眼中になかった。
 劇場で予告編が流れるようになり、目にするのは前作同様の人工加工バリバリのカラフルハイテンション映像。しかも今度はミュージカル仕立てだ。この時点でもどんなストーリーなのか、まったくわからない。女性の転落人生を描くとはいっても、少しばかり毛色の変わったコメディの一種との認識だった。原作自体がそういうものだと。タイトルからして人を食っているではないか。
 映画を観る前に本が手に入った。読み出して驚いた。何とシリアスな展開。悲劇なのだ。

 物語は東京・北千住のアパートで中年女性の他殺死体が発見されたことを伝える01年7月のベタ記事で始まる。共同生活のルールを一切無視、部屋はゴミだらけ、突然ひとりごとを叫んだりする、ちょっと危ないデブ女の名は川尻松子。享年五十三。住人から〈嫌われ松子〉と呼ばれていた由。
 こうして時代が遡り、本人を語り部にした波乱万丈な半生が綴られていく。
 前途有望な中学教師として、社会人の一員となった彼女がなぜ突然故郷(福岡・大野島)から失踪したのか。どんな経緯で風俗嬢に転身したのか。ヒモを殺した背景に何があったのか。服役後、美容師として再出発したのにもかかわらず、また躓いた、覚醒剤に手をだした原因とは。晩年の自堕落な生活、精神障害……。
 悲惨な転落人生を描きながら、団塊世代の一女性の愛と性、夢と希望、その葛藤と挫折を浮き彫りにする。
 小説「嫌われ松子の一生」が斬新なのは、本人の語りと並行して、もう一つ別の視点で松子の人生を振り返る点にある。松子の甥・笙の眼である。
 父親の依頼で、それまで存在すら知らされていなかった伯母の部屋の整理をすることになった大学生の笙。最初は恋人に促されて嫌々ながら、やがて自らの意志で伯母の知人、関係者を訪ね歩き、才能はあるのに男を見る目がなく、一途になって愛情を注ぐも結局裏切られる、愚かで不器用な女性の悲惨な人生に共鳴することで光を当てていく役割を担う。
 笙と松子の語りが交互に並び、主観と客観、アップがあるかと思えばロング、といったように、互いに関連しあう構成が見事だ。
 松子の、最後に信じた男に捨てられた後の、何の希望も持てず、無為に年末年始を過ごすくだりが胸を刺した。心理描写はまったくなく、松子の行動の一つひとつを淡々と記すだけ。TA音の連打が孤独感を引き立たせる。
 ラストになって松子の死の真相が明かされる。堕ちるところまで堕ちた松子が昔の友人の誘いで、どうにか生きる希望を見出したとたんの、ほとんど理不尽としかいいようのない死。
 松子が息絶えるくだりで涙がにじんだ。不幸を嘆いてのことではない。父への愛、若くてして逝った妹への贖罪、さまざまな思いが胸を突き刺すからである。続く笙の語りによるエピローグでは、ある種清々しい気持ちになれる。明日への希望、その小さな輝きを見出せた。

 小説を映画化する場合、先に小説を読んでいると、活字のイメージに囚われてしまって、映画を楽しめないことが多い。巷では評価が高いのに実際に接すると〈まあ悪くはない〉程度なのだ。映像にする必要性、映像化ゆえの独創性が感じられない。
 要は原作に対するアプローチの仕方が問題なのである。
 『下妻物語』は原作と映画が実に幸せな関係にあったが、『嫌われ松子の一生』はどうだろうか? 先に原作を読んだことで少々不安を抱いての鑑賞だった。
 まったくの杞憂だった。 
 自身で脚本も書く中島監督は原作の持つテーマ、核となる部分をうまくすくいあげ、独自に映像化できる稀有な才能の持ち主だったのだ。二作続けば確信できる。今回も原作へのアプローチの巧さを見せつけてくれた。
 悲劇を喜劇と捉え、ミュージカル仕立てにしながら、原作のエッセンスはそのまま。全然ずれていない。ストーリーをなぞっただけのダイジェストにも、登場人物を借りただけの独りよがりの映画にもなっていない。ラスト、胸にこみ上げてくる感情はまさに小説の読了時と同じものなのである。
 映画化にあたってのオリジナルアイディアが功を奏している。
 まず、笙(瑛太)をミュージシャンになる夢に破れ怠惰な毎日を送るフリーターに設定したこと。
 冒頭で何度も繰り返される2時間ドラマのクライマックスシーン。映画内ドラマのヒロイン(片平なぎさ!)が犯人にむかって吐く台詞「あなたの人生、このままでいいの?」がそのまま笙の現状に対する鬱屈、焦燥に火をつける。
 2時間ドラマのカリカチュアで笑わせながら、しっかりとテーマを打ち出す作劇。『下妻物語』同様つかみの巧さに舌を巻く。
 あるいは病弱な妹(市川実日子)ばかりに父親(柄本明)の愛情が注がれていると嫉妬した松子が自分への注意を惹きたくて、幼少時に発案した変な顔。いつも仏頂面の父親を笑わせようと考えだしたこの変な顔が成人してからも要所々で飛び出してきて、意味を持たせる。
 キャスティングも光る。
 出番は少ないが柄本明の父親が秀逸。奔放な生き方をする姉に反発する弟(笙の父親)役の香川照之も印象的だ。郷里を捨てた松子が最初に愛しとことん尽くす作家志望の男に宮藤官九郎。その悲哀に満ちた表情にしびれた。
 ガレッジセールのゴリ、カンニング竹山、劇団ひとり。旬の若手芸人たちを起用した意表つく配役。特にゴリの、原作のキャラクターを大幅に改変、デフォルメした役がぴたりはまった。
 ストーリーはほぼ原作どおり。長編小説をそのまま2時間弱にまとめるなんて本来ならできないはずだが、ここでミュージカルシーンが二重の意味で効いてくる。
 原作の重要なエピソード、松子が風俗嬢として持ち前のセンスと頑張りで店のナンバーワンに登りつめ、やがて時代の流れ、世代交代で去ってゆくまで。ヒモを殺して刑務所に服役、過酷な毎日の中で一発奮起して美容師の資格を取得するまで。
 映画はその過程をオリジナルナンバーに乗せて、華麗にテンポ良く、一気に見せる。時間の短縮はもちろん、実際のドラマだったら観ていて辛くなる内容が思わず身体を動かしてしまう爽快感あふれるシーンに様変りしてしまうのだ。この発想のユニークさ!
 松子の人生の再現は、晩年熱狂的なファンになった光GENJIの某メンバーに送った膨大な長さのファンレターが根拠になっている。自分の半生を詳細に綴ったもので、このエピソードに思わず膝を打った。原作の半分を占める松子の語りには何のエクスキューズもなかったのだから。原作に対する些細な不満をも解消してしまう。
 映画化にあたって、中島監督は原作者の絶大な信頼を得ているに違いない。これまた確信できた。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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