もうすぐリオ・オリンピックが始まる。
 そんなニュースをTVで見ていて、ああ、そうか、と思った。ロンドン・オリンピックからもう4年経ったのか、今日(27日)が開会式だったのか、と。

 4年前は最悪な年だった。
 こんなことを書くと、元かみサンや娘に「自分が蒔いた種じゃない! 卑怯だ」と言われるのは必須なのだが、大鳥居駅や品川駅のホームで「ここで飛び込めばすべての苦痛から解放されるのか」と何度思ったことか。もちろん、恐怖の方が先にあって、そんなことはできなかったのだけれど。

 半年間は仕事にならなかった。新しい職場(業務)に異動したばかりなので、覚えなければならないことがたくさんあった。当然、覚えられなかった。
 その報いは1年後にやってきた。まあ、いろいろあって、2ヶ月会社を休んだ。この間、考えた。会社をやめるべきか。しかし、マンションのローン、娘の教育費捻出……やめられるわけがない。
 金のために、金だけのために会社にいたようなものだ。
 もし、家族間のゴタゴタがなければ、今も会社で働いていたと思う。働いていれば、離婚はしていなかっただろう。別居していることに変わりないけれど。定年退職するまではそのままの状態が続くはずだった。

 しかし、やめてよかった。やめることで、どれだけ精神的に楽になったか。これが大きい。結果論でしかないことは十分わかっているけれど。

 とにかく毎日が楽しい。
 こんな日が来るなんて、4年前は考えられなかった。

     ◇

 ●鬱病・自殺 2008/05/27

 昨日の川田亜子アナウンサーの自殺に衝撃を受けた。別にTBS時代からのファンだとか、彼女が出演する番組の熱心な視聴者というのではない。鬱による自殺が他人事とは思えなかったのだ。
 少し前にネットニュースが川田アナの精神状態がおかしいと伝えていた。自身のブログで、マスコミで働くプロなら書かないような仕事に対する心情吐露をしているという。記憶で書くが、〈仕事に行きたくないか〉とか〈うまくしゃべれない〉とか、確かにまずい内容だと思う。その結果、ブログを休止する措置がとられた、が、すぐに復帰してお詫びの書き込みをした……感情が揺れ動いていることが手に取るようにわかる。しかし、だからこそ、直後の自殺が信じられなかった。
 本当に鬱の症状が重ければ、文章なんて書けるはずがない、と自分の経験から言えるからだ。
 HPを始めるまで、僕は日記を書いていた。その間、何度か中断している。原因は鬱病だ。はじめは気分がすぐれない、調子が悪いなんてことを書いているのだが、何てくだらないことを書いているのだろうとだんだんと自己嫌悪に陥ってくる。そのうち文章が綴れなくなる。頭に何も浮かばないのだ。
 過去のさまざまなことが頭の中をめぐり、自分の才能のなさ、存在のくだらなさに落ち込んでしまう。眠れなくなる。昼間は頭に重石を乗せられたような感覚。
 人と会うことが嫌になる。会って話しをすることで、その人(友人)との差が歴然として、余計落ち込んでしまうからだ。実際、思うようにしゃべれない。
「元気だせよ」「らしくもない」「俺だって同じだよ、でも頑張るんだよ」言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。落ち込む。
 気分を変えようと散髪に行く。自分のイメージと違う髪型。家に帰って鏡を見て、切らなければよかったとうじうじ悩む。眠れなくなる。アルコールを飲めば、眠れるかもしれない。缶ビールを買ってきて飲む。当時ほとんど酒が飲めなかった。案の定飲めない。オレはビールも飲めないのか。また落ち込む。明らかに体調がおかしい。病院(内科)に行って症状を訴えても「どこも異常はありません」。
 部屋から出ることが億劫になってくる。やがて、自分には生きている価値がないと思いはじめてきて、自殺の文字が頭をかすめる……。
 それから考えれば、彼女はブログを書こうという意思がある。外部(他人)と接触を持とうという気持ちがある。ということは、まだ鬱は軽い、とにかく精神科に行って、睡眠薬を処方してもらえれば良くなる。自分もそうだったのだから、と軽く考えていた。
 ところがあっけなく彼女は自殺してしまった。そこまで症状は重くなっていたのか。
 悲しい。何も死ぬことはないと思う。
 ただ、僕自身の最悪の状態を思い起こせば、彼女の追いつめられた心情は十分すぎるほどよくわかる。あの状態で大勢の客の前でしゃべる司会業や秒のタイムで進行していくTVの仕事なんて地獄の沙汰だ。目にするもの、耳にするもの、すべてが彼女の神経をすり減らしていく。考えただけで息苦しくなってきた。
 まわりの関係者は何をしていたのか。いや、それはどうしようもないのだ。たぶん、彼女がそれほどの状態になっているなんて外見からでは想像できないだろうから。ちょっとおかしいなあ、元気ないなあ、くらいでそれほど気にしていない。躁鬱を知らなければ当然のことだ。
 ご冥福を祈るしかない。


 ●鬱・父への電話 2008/05/28

 鬱病の末に自殺、というニュースはたまに耳にするが、本当にそうなのだろうか。あくまでも自分の経験からの漠然とした思いなのだが。
 確かに重度の鬱になると毎日のように「死」のことばかり考えるようになる。しかし、それは受動としての死なのだ。寝る前に「ああ、このまま、寝ている間に心臓が止まってしまえばいいのに」なんて思う。交差点を渡っているときには「信号無視した車が突っ込んできて轢かれてしまえばどんなに楽か」なんて。思うだけ。自分で行動を起こそうなんて考えない。飛び込み、飛び降り、クスリ。いくつかの自殺の方法が頭をよぎるが、どれも怖い。絶対にできない。少なくとも僕はそうだった。
 一度だけ、ほとんど発作的に台所の包丁を持ち出して、左手首を切り裂こうとしたときがある。刃を手首にあてたまましばらく硬直していた。それ以上何もできない。包丁をその場に置くと、すぐに郷里の父親に電話した。いつもの暢気そうな声が聞こえると、今何をしていたか、なぜできなかったか、自分の不甲斐なさを泣き叫んでいた。
 父は少しもあわてずこう言った。
「あのなあ、けーすけ。自殺をしようと思っている人間は、今、できなくても、いつかまたするんだ」
 息子が助けを求めているのに、その言葉はないだろう! 頭にきて電話を切った。少しは心配して、話を聞こう、そのためにこれから、あるいは明日アパートに行くから、バカな真似なんかするんじゃない、なんて言ってくれるのを心のどこかで期待していたのかもしれない。とたんに自分の行為(包丁を持ち出したこと、父親に電話したこと)がすごく愚かに見えた。恥ずかしくなった。
 10年ほど前のことだ。早朝、会社の屋上から若い社員が飛び降りて自殺した。当時総務部にいた僕に上司から指示がでた。午後、亡くなった社員の家族が遺体を引き取りに上京してくる(確か大阪以西だった)。社員の遺体は病院に安置されているので、病院で家族と落ち合って面倒みるように。
 自殺した社員の上司(部長)と一緒にタクシーで病院に向かった。部長によると、前日に当の社員から電話があったそうだ。相談したいことがあると。部長は仕事で忙しく、明日、会社で話を聞くからと言うと納得して電話を切ったという。自殺するまで追い込まれている風には感じなかった、翌日までなぜ待っていてくれなかったのか。沈痛な面持ちで部長は語る。そんなもんだろうなあ。僕は心の中でつぶやく。
 霊安室の外で待っていると、家族がやってきた。両親と妹さんの3人。挨拶をしたあと、3人が霊安室に入っていた。中から聞こえてくる叫び声や嗚咽に、その場にいるのがいたたまれない。耳をふさぎたくなった。
 落ち着いてからお父さんが話してくれた。昨夜電話があったと。いろいろ悩みを抱えていたことはわかったが、どうすることもできない。ただ慰めるしかない。近いうちにアパートに行くから、そのときじっくり話し合おう。こんなことになるのなら、すぐに息子のところへ飛んでいけばよかった……。
 もし、お父さんがその日のうちにアパートへ行っていたら、あるいは上司がその日に相談に乗っていたら、彼は自殺を思いとどめたのだろうか?
 会社の屋上に出て、飛び降りるまで、何を考えていたのだろう。躊躇はなかったのか。上司は翌日(つまりその日)話を聞くと言っているのだ。なぜあと数時間を待てなかったのか。
 死にたいという気持ちから死のうと決意する瞬間はどこで決まるのだろうか? 僕が包丁を持ち出したのはその瞬間だったのか。しかし、その後恐れをなした。父親の対応も効いている。あの情けない言葉で「死なねぇぞ」とはっきり思ったのだ。
 あの日もいろいろなことを考えた。
 人の心はわからない。ただ自分だったらはっきりしている。鬱に苦しみ「死にたい」という思いにとりつかれても、心の、たぶん自分でも意識していないところで始終「生きろ」のメッセージが発信されているのではないか。
 簡単に言えば、自殺する勇気がないということ。負の勇気というべきか。
 負の勇気の欠如。無くて結構、僕は大いに感謝している。




関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
僕はどのように切通理作本を読んできたのか?
NEW Topics
「千里眼」「忠臣蔵コレクション4 列伝篇 上下」「のり平のパーッといきましょう」 ~ある日の夕景工房から
58
「朝霧」「墓地を見おろす家」「催眠」「蟲」「ファミリー」 ~ある日の夕景工房から
「論戦」『黒澤明 「一生一作」全三十作品』「鯛は頭から腐る」「読むJ-POP 1945-1999 私的全史」 ~ある日の夕景工房から
「死国」「黒い家」「天使の囀り」「バースディ」 ~ある日の夕景工房から
「世紀末、どくぜつテレビ」「江戸はネットワーク」「清張ミステリと昭和三十年代」 ~ある日の夕景工房から
「ジャーナリストの作法」「たかがテレビ されどテレビ」「藝人という生き方、そして死に方」 ~ある日の夕景工房から
「恋」「秘密」「ラザマタズの悲劇」 ~ある日の夕景工房から
「兄弟」「芸人失格」 ~ある日の夕景工房から
「少年H 上下」「ジュラシック・パーク」「塗仏の宴 宴の支度」「塗仏の宴 宴の始末」 ~ある日の夕景工房から
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top