切通さんとの出会いは宝島社(当時はJICC出版)のムック(?)だった。「別冊宝島 怪獣学・入門」。やがて単行本になる「怪獣使いと少年」の一部となる論考が掲載されていた。
 単行本は真っ先に買った。「帰ってきたウルトラマン」の異色作、問題作のサブタイトルである「怪獣使いと少年」を書名にしたわけだが、うまいタイトルだと思ったものだ。怪獣使い(シナリオライター)と少年(当時の著者)という意味になるなあ、と。
 以後、本が出るたびに買い求めた。
 ある日、切通さんからメールをいただいた。HP「夕景工房」に掲載している読書レビューを読んだのだろうか。内容は、「山田洋次の世界」の出版を記念してジュンク堂でトークショーを開催するので聴きに来てというものだった。もちろん、聴きに行った。打ち上げにも参加して初めて話をさせてもらった。
 腰の低い人。それが切通さんの印象だ。

 その後、何度か切通さんのトークには足を運んでいる。

 小中和哉監督と知遇を得てから、年に数回仲間と呑み会を開いている。映画を観る会も何度か実施している。小中さんと切通さんが知り合いであることを知ったのは昨年、監督協会の有志で開催したあるイベントだった。切通さんが自主的に手伝っていたのである。

 ブックカフェ二十世紀で開催する特撮イベント。第一弾は小中監督がホストの「特撮夜話」で、これはシリーズ化したいと、小中監督に了承を得た。続いて、お願いしたのは切通さんをホストにしたトークイベントだった。
 昨年、切通さんは「少年宇宙人 ~平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち~」を上梓した。本の中で、切通さんは町田政則さんや二家本さんにインタビューしている。この3人による原田昌樹監督の思い出話トークがやりたいと思っていたのだ。

 ということで、来る8月5日(金)、特撮イベントを開催する。

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     ◇
 
2000/04/11

 「地球はウルトラマンの星」 (切通理作/ソニー・マガジンズ)

 本書が出版されることを知ったのは昨年の2月、新宿ロフトプラスワンの会場だった。
 平成ウルトラマンのスタッフ・キャスト、関係者をゲストに呼んで、繰り広げられたトークショーの席で本人自ら、「ウルトラマンティガ」と「ウルトマンダイナ」の研究書を夏頃発売すると語っていた。
 最近、よほど興味のある(あるいは資料的価値のある)特撮本以外は購入しないことにしているのだけれど、これは聞いたとたん「買いだ!」と思ったものだ。
 「ウルトラマンティガ」を特集した「COMIC BOX」が非常によくできていたし(たぶん著者を中心に執筆、編集されたのだと思う)、何より「怪獣使いと少年」を書いた気鋭の評論家が平成ウルトラマンシリーズをどう分析するか、その切り口は大いに期待できた。
 ところが発売予定の8月、9月になっても店頭に並ぶ気配がない。本についての何の情報も入ってこないし、実際発売されるのかどうかもわからない。
 当初版元予定だったフュージョンプロダクトが何かともめている最中だったので、そのあおりを受けて発売そのものがウヤムヤになってしまうのか、心配したものだ。
(関係ないけど、ずいぶん前に本多猪四郎の評伝を書くと言っていたがどうなったのだろう)

 この3月末にやっと発売になったわけで、なるほどこのボリューム、内容の濃さならばなかなか完成しなかったはずである。
 本書はティガ、ダイナはもちろんガイアも含めた平成ウルトラマンシリーズ3部作の研究書になっていて、主要スタッフ36人へのインタビューで構成されている。(版元もソニー・マガジンズに変更になっていた。)
 グループの共同体制のよる作業ではなく、基本的には一人で各スタッフにインタビューをし、それを単に対談という形で活字化するのでなく、著者自身で咀嚼して原稿化するというまことに気の遠くなるような手順を踏む、本当に労作と言える一冊だ。
 表表紙から裏表紙まで神経が行き届いていてうれしくなる。この感動は初めて第一期ウルトラシリーズを取り上げたファンタスティックコレクションを手にした時によく似ている。
 こういう本を待ち望んでいたのだ。

 通常より小さい活字、おまけに2段組で450弱のページ数という圧倒的なボリュームながら、興味深い話が次々にでてくるから、読むのに苦労しなかった。

 冒頭の著者自身の「総論 ウルトラマン復活の道程」は僕自身の作品に対する気持ちの代弁とも言えるもので、何度か目頭が熱くなった。
 インターネットを閲覧するようになって、わかったことは、(予想していたとはいえ)視聴者(ファン)側にはウルトラマンに対してさまざま見方、感じ方、意見があるということだった。世代の差というのも大いに関係しているのかもしれない。僕がそれほどと思えないエピソードが絶賛されたり、逆に面白いと感じたものがあまり評価されていなかったりと、まさに十人十色。
 ファンがそうなのだから、かつてのファンから製作側に転じたスタッフにしてもウルトラマンへのこだわりが各人それぞれなのは当然と言えるかもしれない。
 だからこそ、バラエティあふれるエピソードで成り立つシリーズができるのだろう。ウルトラマンシリーズの魅力の1つだ。

 いいとか悪いとかの問題ではなく、誰が自分の感性に近いか(ということは、自分にとって誰が面白い作品を作ってくれるか)ということを確かめるのに最適な本という側面もある。
 個人的には作品自体に非常に共感を覚えた監督の川崎郷太、北浦嗣巳、脚本家の長谷川圭一、太田愛、特技監督の満留浩昌の言葉に注目した。
 特にウルトラに関するインタビューはこれが最後になるだろう川崎監督のへのインタビューが貴重だった。過去のウルトラに対しての造詣の深さにかかわらず、マニアックに走るのでなく、ある部分冷めた目を持っているので、内容的にも、映像的にも非常に印象深い作品を撮っている。本人がウルトラは卒業と宣言しているので、今後のシリーズでの活躍がないのは残念。
 が、映画ファン、映像ファンの僕としては川崎監督のウルトラ以外での今後の活躍を信じている。ぜひとも川崎監督にはティガ、ダイナの傑作、異色エピソードを名刺代わりに、映画界、オリジナルビデオの世界に進出し、作品を発表してもらいたいものだ。(ティガ、終了後には引く手あまたになるのではないかと思っていたのであるが……)
 川崎監督とは別の意味で印象深いエピソードを撮った原田監督の演出理論は非常にわかりやすく、うなづくことしきりだった。
 最近ホラー映画がブームになっているが、「女優霊」「リング」「死国」と画面に霊を浮遊させ(と勝手に僕が表現している)、観ている者をゾっとさせる映像テクニックは脚本家・小中千昭の発案だというのを初めて知った。この小中氏のインタビューでは、「ガイア」のナレーション排除について言及していなかったのがちょっと残念だった。
 もちろん他の作家が担当したエピソードの何編かはナレーションを使用しているが、小中氏自身の作品には一切使用されていない。ウルトラ(マン)シリーズはナレーションそのものも一つの魅力(売り)だった。そのナレーションを排除して、映像で物語を語る姿勢というのもシリーズ構成を担当した小中氏の挑戦だったのではないかと僕は思っているのだが。
 平成ウルトラマン立ち上げの立役者・笈川プロデューサーの話にでてくる現場スタッフとの軋轢は作品は人がつくるものだという認識を新たにする。スポンサー、局と現場サイドをつなぐ作業も並大抵のものではなかっただろう。
 フィルムにこだわったMBSの局プロデューサー丸谷嘉彦の存在も忘れてはいけない。
 第一期から活躍している実相寺昭雄、佐川和夫、上原正三の三氏の登場もうれしい限り。

 36人の関係者を大枠でティガ、ダイナ、ガイアの3つに区分し、順を追うことでティガ~ガイアにつながるスタッフ証言による「メイキング・オブ・ウルトラマン」になっている。途中に主演(出演)者たちへのインタビューを挟んで適度なインターミッションをとる構成も素晴らしく、夢中でページをめくらせる秘策かもしれない。


2001/09/27

 「ある朝、セカイは死んでいた」(切通理作/文藝春秋)  

 第1期ウルトラシリーズの代表的なシナリオライター4人についての評論集「怪獣使いと少年」でデビューした著者はその後〈特撮モノ〉あるいはいわゆる〈サブカルチャー〉だけでなく、さまざまな社会問題、事象について書くオールマイティな実力を発揮し、社会派の文筆家としての地位を確立した感がある。
 権威をもった証明なのだろうか、彼を批判する文章を目にする機会が何度かあった。小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」に例のデフォルメされた似顔絵で登場した時は笑ってしまった。
 今メディアで活躍する評論家、学者たちいわゆる文化人、識者たちを批評する書籍(書名は忘れてしまった)を書店で見かけ、ページをめくったら、著者が取り上げられていた。
 高島俊男「お言葉ですが…5 キライなことば勢揃い」では〈のたまう〉の使用方法が間違っているとして、著者の文章の一部が挙げられていた。

 5歳下だから同世代といえるかどうかわからない(弟と同い年)けれど、僕は著者に自分の感覚と相通じるものを感じて、彼の言論活動を応援している。
 「怪獣使いと少年」を読んで共鳴したこともあるが、評論集の第1弾「お前がセカイを殺したいなら」を読んでますますファンになった。同じような考えをしていると確信したのだ。ただ切通氏と自分の違いもわかった。その時の感想にこう書いている。
「違うのは、僕がまがりなりにもスポーツに親しみ〈おたく〉にならなかったこと。イジメられっ子にもならなかったこと」
 その思いは本書の〈柳美里論〉の『命』をめぐる対話ではっきりした。著者は柳美里を肯定するが、僕は(「命」しか読んでいないから心もとないけれど)ほとんど全否定だ。中学、高校生時代に生じたトラウマが柳と共通するものが多いのだと思う。

 国旗掲揚、君が代斉唱問題で揺れた所沢高校に取材した(第1章 ある朝、学校で)では事件の本質、詳細がわかったし、富田由悠季を語る(第3章 ある朝、戦場で)では得意のインタビューを自分なりにまとめ、読ませる技を発揮している。小林よしのり批判も納得。

 考えさせられたのはラストを飾る書き下ろしの「ある朝、セカイは死んでいた」である。
 90年代に立て続けに起きた少年犯罪を羅列していくのだが、一つひとつの事件を振り返りながら暗い気持ちになった。

 そうした痛ましい事件があったからこそ、あまりにも人の生命をないがしろにする少年が生まれたことを後悔し、次の世代に生命の大切さを伝えるためにも21世紀のウルトラマン(コスモス)および特捜チームは怪獣を退治するのでなく、保護する内容になったのかと思わないではいられない。
 もちろん前作「ウルトラマンガイア」のラストで怪獣も地球の生物として認識し、人類と怪獣の協力でガイアとアグルを蘇らせたことにも大きく影響されているのだろう。しかし同時に、少年時代僕たちにカタルシスを与えてくれたウルトラマンと怪獣の戦いが今では空想特撮の世界の話と悠長にかまえていられなくなっってしまったのか(もちろんあの頃だって「破壊者ウルトラマン」と大江健三郎に批判された。同じ考えの大人も多かったと思う)。
 名著「怪獣使いと少年」「地球はウルトラマンの星」の著者に聴いてみたいものだ。


2003/02/03

 「特撮黙示録 1995-2001」(切通理作/太田出版)  

 80年代、特撮は〈冬の時代〉だった。70年代前半のブームがまるで嘘みたいな静けさだった。80年にウルトラマン、84年にゴジラが、その後仮面ライダーが復活したものの、喜んだのはかつての子どもたち、熱狂的な特撮ファンだけ、大ブームを呼ぶほどの拡がりはなかった。  
 平成の時代になってゴジラがシリーズ化され孤島奮闘することになる。当初僕はゴジラの新作が観られるだけでうれしくロードショーが待ち遠しかったものだが、途中ですっかり嫌気がさした。特撮技術もドラマ作りにも何の発展性も感じられなくなってしまったのだ。  
 ただ人気があるというだけで過去の怪獣がリニューアルされる、ゴジラが出現して名所を破壊して敵怪獣とバトルを繰り広げれば満足だろうと言わんばかりの展開。空疎な人物造型。それでも特撮の火を消してはいけないとばかり、なにより東宝は特撮のメッカ、いつかは大満足できるゴジラ映画にめぐりあえるのではないかと劇場に足を運んだのだけれど……。  

 そんな特撮界が一つのターニングポイントをむかえた。95年に特撮ファンはもちろん一部の映画ファンをも歓喜させた「ガメラ 大怪獣空中決戦」が公開されたのだ。大人の観客をも視野に入れた濃厚なストーリー展開と新鮮なビジュアルショック。何より僕は観終わった後、子ども時代と同じ感動につつまれた!
 続いてTVではウルトラマンの新シリーズ「ウルトラマンティガ」が始まった。それまでのM78星雲出身の宇宙人というウルトラマンの設定を変え、新たなスタートを切ったわけだが、回を追うごとに斬新なエピソードが目白押しで人気を博した。以後、「ダイナ」「ガイア」と3年間〈人間ウルトラマン〉のドラマは僕を夢中にさせてくれた。
 TVシリーズは映画化もされた。70年代のそれはTVの再編集、あるいはTVのエピソードをそのまま(16mmから35mmのフィルムにブローアップ)上映したものばかりだった。劇場用オリジナル映画を観たいというのは昔からの夢だったが、TVと連動しているとはいえ毎年公開されるなんて夢にも思っていなかった。  
 ウルトラマンの成功に刺激されたのか、オリジナルビデオで「ウルトラセブン」がリリースされた。これはTVの完全な続編。従来のウルトラマンの流れを汲む「ウルトラマンネオス」もビデオ用として映像化された。これは「ティガ」の前からTVシリーズ用に企画されていたものだ。   
 円谷プロのウルトラマンが復活するなら東映には「仮面ライダー」があるとばかりに新しいライダーが誕生した。題して「仮面ライダークウガ」。仮面ライダーに思い入れのない僕は冷ややかに状況を見守っていたのだが、これが驚くほど密度の高いドラマなのであった。劇中に「仮面ライダー」の名称は一切でてこない。警察機構の描写がかなり細やか。平成ウルトラマン以上に高年齢層の視聴者を意識したドラマ作り。そこには東映伝統のアクション重視の稚拙な(と僕自身は感じていた)演出というものがなかった。続く「アギト」では連続ミステリドラマの要素を導入して、「クウガ」以上に惹きつけられた。  
 ガメラ、ウルトラマン、仮面ライダーが過去を断ち切り、新しい装いで快進撃を続ける中、孤島奮闘していたはずのゴジラシリーズが特撮的、ドラマ的に一歩も二歩も遅れをとった印象を受けた。思えばゴジラだけが過去(第1作)の呪縛から解き放たれていないのだった。  
 平成シリーズを「ゴジラの死」で終了させた東宝はハリウッド映画「GODZILLA」の意外な不人気を糧に予定より早く新たなゴジラ映画に着手する。その第1弾「ゴジラ2000ミレニアム」は噴飯的な内容だったが、「ゴジラ×メガギラス」の後、真打金子監督がついにメガフォンをとることになる。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃」はモスラやキングギドラの設定に疑問があるが映画自体はやっと僕が観たいと思っていた内容になっていて溜飲を下げた。  

 特撮は90年代になって、やっと春をむかえた。特撮ファンの一人としてとても喜ばしいことではあるが、一抹の不安が残る。  
 映画ではゴジラ、ガメラ、モスラ、TVではウルトラマン、仮面ライダーと、いってみれば60年代、70年代の怪獣、特撮ブーム時の人気怪獣、ヒーローが復活したにすぎない一面があるからだ。  
 そんな状況下、オリジナルの特撮ドラマが1時間ものとして登場した。「鉄甲機ミカヅキ」である。巨大ロボット、戦隊シリーズその他特撮ものの面白い要素をごちゃ混ぜにした感があるこの作品は新しいキャラクターで勝負したという点において今後の特撮に意味をもたらすと僕は考えている。    
 90年代中盤特撮界は冬眠から目覚めて次のステップに入ったいえるだろう。この時期の作品群をまとめて評論する本がでないものかと思っていたら、やはり切通理作氏がやってくれた。
 いくつかの書店を探し回りやっと見つけた本書は前著「地球はウルトラマンの星」と同様の分厚さ。血が逆流した。

 平成で生まれ変わったガメラ、ウルトラマン、仮面ライダー、それぞれの作品群、ミカヅキ、「GMK」を時系列的に物語の紹介と作品を分析する第1章、続く第2章は各スタッフのロングインタビュー。  
 ガメラ3部作の論考が個人的には一番読み甲斐があった。中で著者が他の評論家、識者の考えで「そんな考えもあるのか」と驚いているところがあるが、僕自身著者の考えに驚くこともあった。たとえば「ガメラ2」で自衛隊員が決戦を前にいろいろ協力してくれた一般人との別れのシーンで「こんど一杯飲みましょう、奢らせてください」と言う。これを今生の別れの前のやりとりと解釈しているのだが、僕は文字どおりの台詞と受けとった。どちらも死ぬことなど意識していない。だからこそこの台詞は意味を持つと思っているのだが。  
 金子監督のインタビューを読んで、平成ガメラも「GMK」も楽しめたことがよくわかる。怪獣映画についての認識がほとんど同じなのだ。幼少時代に怪獣映画を観て刷り込まれた項目が実によく似ている。そんな金子監督だから、ゴジラを撮る際には新しい設定の過去に束縛されないゴジラを期待していたところもあったのだが。  
 「仮面ライダークウガ」はあまりに長く食傷気味だった。  
 「クウガ」のラスト、敵怪人もクウガも最後に人間体になって戦っているのは、僕自身はやはり変身がとけたというより、監督の心象風景だと思っている。クウガが最後の戦いに向かうところでは雨が雪に変わっていく、そんな自然描写が胸を打った。
 「アギト」、「龍騎」、「555」とメインライターを務める(「クウガ」も担当)という信じられない活躍をしている井上敏樹のインタビューにはぶっとんだ。この方、いつもこんな感じなのだろうか。シナリオライター伊上勝の息子だと初めて知った。
 著者との会話の中に「シャンゼリオン」や「戦隊シリーズ」の話がよくでてくるのだが、こちらはチンプンカンプンだった。
 世紀末の特撮ということで、過去の怪獣、ヒーローの復活でよかったのかもしれない。しかし、21世紀はぜったい怪獣もヒーローも新しいものを期待したい。だって「龍騎」は別に仮面ライダーを名乗る必要はなかった。怪獣保護の話を「ウルトラマン」でやる必要性もないだろう。オリジナルのヒーローを作ればいいではないか。
 〈「ウルトラマン」や「仮面ライダー」はもはやジャンルである〉と喝破した人がいるが、それってさびしい。
 21世紀の子どもたちには21世紀の怪獣、ヒーローを!


2004/11/25

 「山田洋次の〈世界〉」(切通理作/ちくま新書)

 「宮崎駿の〈世界〉」(サントリー学芸賞受賞)に続く映画監督シリーズ第2弾。宮崎駿については巷間騒がれるほどの興味がないので「宮崎駿の〈世界〉」は読んでいなかったのだが、山田洋次を取り上げると知って興味がわいた。
 興味のひとつはこれまでの評論活動で知る切通氏と山田監督作品が僕の中で結びつかなかったことが挙げられる。サブカルチャーに造詣が深く、これまで独自の視点、切り口でこちらが読みたいと思わせる何冊もの特撮本を上梓してきた著者のことだから、アニメーションの巨匠宮崎駿を語ることは十分予想がついた。しかし、そんな世界とは対極にあるはずの山田洋次の世界の何について語るのか?
 たとえば劇場に足を運ぶほどの熱狂的なファンではなかったにしろ、僕は「男はつらいよ」シリーズが好きだし(TV放映があれば必ず観るし、ビデオも借りる)、ところが周りには「男がつらいよ」を語れる友人がいないのである。特撮を通して知り合った友人はいるのに、寅さんの話となるとまるで話が通じない。特撮にも寅さんの世界にも通じる同世代の評論家(といっても氏は僕より5歳下なので同世代といえるかどうか)の山田洋次本なのだから興味がわかないわけがないではないか。

 僕にとって山田監督の本質というのは「家族」であり「故郷」なのである。映画に一貫していた冷徹な眼差しが子ども心に怖かった。勝手な言い分だが、この部分を言及しているかどうかを知りたかった。
 これまで山田映画を語る際の常套句が使われていないところが信用できる。著者自身が書いている〈ヒューマニズムへの無前提な礼賛〉がでてくるともうそれだけで距離を置きたくなる。これは一部の識者たちが手塚治虫を語る時と同じスタンスだ。そういえば山田洋次も手塚治虫も共産党の応援メッセージでよくその名を拝見したものだ。もう一つ挙げている〈特定な思想を持つ著者(山田監督)の文化運動的側面〉が当てはまるか。

 この手の評論で何が大事かといえば、読者が山田洋次監督の映画を観たくなるかどうかであろう。リアルタイムに観られなかった「男はつらいよ」以前の作品をすぐにでもあたりたくなった。ストーリー紹介がとてもうまいのである。

 吉村英夫の山田洋次論は読まなくていいことがわかったのはありがたい。性と暴力に蝕まれた日本映画、その対極にあるのが山田映画、だから山田映画が素晴らしいという理屈は1970年代に成り立つ論理ではなかったか。十代だったから信じられた論理といおうか。
 久しく疑問だった山田映画の常連俳優について、本書でその名(神戸浩)と実際に知的障害者であることを知った。
 山田監督の〈お話を盛り上げるために人を死なすことに懐疑的〉な姿勢とある。では「学校」の田中邦衛はどうなのだろうか。試写会でいい年齢の大人たちを感涙させ、中野翠を白けさせたあのシークエンスである。僕はといえば、TV放映された際、大泣きしながらその作劇に懐疑的だった。
 「たそがれ清兵衛」は「家族」「故郷」と同様な視点、姿勢に貫かれていて、久しぶりに堪能できた映画だった。
 この映画のクライマックスである余吾善右衛門と清兵衛の対決シーンで論争があったということも本書で知った。果たしてあれは余吾の自殺だったのか否かということなのだが、そんな論争が起こること自体が僕には不思議に思えてならなかった。屋内での剣の対決。そこに至るまでの二人の感情の揺れ、余吾が剣を抜いた時の目の動きがすべてを語っているではないか。
 つまり、清兵衛の実力を知っている余吾は実際に戦ったらどうなるか十分理解していた。だから話し合いで解決しようとして、恥をしのんで逃がしてくれと懇願した。ところがその過程で清兵衛の太刀が竹光であることを知った余吾の心境に異変が起こった。
 ひとつは怒りである。自分を討ちに来たというのに竹光をさしているとは何たるザマか。お前それでも武士か。オレをバカにしているのか。
 もう一つは「勝てるかもしれない」という焦りである。相手が竹光ならこの勝負何とかなる。そう思った瞬間から余吾に余裕がなくなった。最初は室内での刀の戦いということで間合いもちゃんと計っていたのが、後先考えずに刀を抜いたものだから肝心なところで梁にささって小刀の清兵衛にやられてしまう。
 武士の気構え、自尊心等々を一瞬のうちに垣間見せてくれるからこそ、名シーンになったと思っていたのだが、どうして自殺云々なんてことが考えられるのだろうか。

 著者の場合、作品と自分の関わりあいを述べる文章がいい。「地球はウルトラマンの星」では〈まえがき〉にかなり心くるものがあった。
 本書では〈あとがき〉で映画「同胞」を語っていて、あの時代の、あの匂いを感じることができた。


2015/04/26

  「本多猪四郎 無冠の巨匠」(切通理作/洋泉社)




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kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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