2年前、ギャレス・エドワーズ監督の「GODZILLA ゴジラ」に夢中になり、劇場で3回観た。同様に「シン・ゴジラ」も3回観ている。エドワーズ監督版との違いは、あと2回は劇場で押さえたいと思っていること。サントラCDの購入を考えていること。DVDが出たら手元に置きたいと願っていること。この3点である。

 僕はどうしてこれほどこの映画に惚れてしまったのか。

 まずは、この映画が54年版「ゴジラ」の呪縛から解き放たれたことに快哉を叫びたい。
 思えば、84年版「ゴジラ」が第1作の「ゴジラ」(1954年)の続編として制作されたことから間違いが始まってしまったのだ。

 ゴジラは体長50mの、ジュラ紀に生息した海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物だった。
 海底深くの洞窟で生活していたところ、アメリカの度重なる水爆実験で生活環境を破壊され、海上に出現するようになった。
 水爆実験(放射能)の影響で白熱光を口から吐いたり背ビレを光らせたりするものの、ゴジラはゴジラという生き物だったのである。

 ところが84年版「ゴジラ」に登場するゴジラ(以降、平成ゴジラ)は、第1作「ゴジラ」のゴジラと同種の生物なのに、体長が80mになっていた。また、放射能を吸収することでエネルギーを得るという生物になっていた。
 「ゴジラvsキングギドラ」において、ゴジラはゴジラザウルスという恐竜が核(放射能)の影響で変異した生物にされてしまった。
 同時に人智を超えた、無敵の神のごとくのような存在になってしまった。
 僕はこの設定に始終違和感を覚えていた。
 もちろん、かつての人気怪獣と新しいランドマークタワーを舞台にバトルを繰り広げるだけの展開にもうんざりしていた。ミニチュア、着ぐるみもろだしの特撮は完全に過去のものになっていた。

 平成ゴジラシリーズが終結し、新たに始まったミレニアムシリーズも、それぞれの作品に関連性はないものの、1954年に日本がゴジラに襲撃されたという事実は共通項としてあった。
 違和感は、この第1作と世界が続いていることなのだ。
 なぜ、東宝は、新時代の新たな、オリジナルのゴジラを創造しないのか?
 それが僕の素朴な疑問だった。
 ウルトラマンも仮面ライダーもガメラも、新しい設定、概念のもと新作が制作されて人気を呼んでいる。ゴジラだけが立ち遅れていると思えてならなかった。

 以下、これまでのレビューに書いていることを挙げてみる。

     ▽
 しかし、それでも新しいものに挑戦するのであれば、せめて過去の伝統や栄光をかなぐり捨てるくらいの勇気を持ってほしい。
 いい加減54年版「ゴジラ」の呪縛から逃れたらどうだ。いくら映画世界をリセットしても原点にいつも「ゴジラ」があっては何かとやりにくかろう。
 伊福部昭の音楽からも開放したい。僕だってどんなにゴジラに伊福部音楽が合致しているかは理解している。しかし今回、お台場に上陸する際に流れた伊福部音楽があまりにぴったりくるから、それまで説得力をもって聞こえていた大島ミチルのそれが貧弱なものなってしまった。
(略)
まったく新しい解釈、設定で現代日本を襲う巨大怪獣ゴジラの恐怖を映画の中の登場人物ととも、特にその巨大さに驚愕したいと切に願う。
「ゴジラ2000ミレニアム」
     △

     ▽
 特生自衛隊の設定を生かし、ゴジラと自衛隊の攻防を真正面にすえ、そこに人間ドラマを盛り込むハードでリアリティあふれる(そしてそれは54年のゴジラとは解き放たれた)展開の映画を観たい。手塚監督にぜひ挑戦してもらいたいものだ。
「ゴジラ×メカゴジラ」
     △

     ▽
「『×メカゴジラ』を観て、オレが今ゴジラ映画に何を求めているかよくわかったんだ」
「と言うと?」
「初めてこの世にゴジラが出現したってことで、その出現から撃退されるまでの物語。要は自衛隊とゴジラの攻防だね。『×メガゴジラ』のオープニングの戦いをもっとハードにしたものといえる」
「面白そうだ」
「ガメラにしろ、ウルトラマンや仮面ライダーにしろ、全く新しい概念で復活して、成功しているよね。ゴジラだけなんだしつこいくらい第一作にこだわっているのは。やはり昔にこだわると何から何まで引きづられるだろう。音楽は伊福部昭じゃなけきゃダメ。ミニチュアと吊りが特撮の基本だとか。でもそうだったら昔の作品を繰り返観ればいいじゃない……この話すると長くなるからやめよう。オレがのぞむゴジラの映画だけど。太平洋でゴジラの生息が認識される。政府は半信半疑。近くの島を壊滅させることで、政府はゴジラ迎撃を決定する。まず海上自衛隊による対ゴジラ作戦。海中と海上での戦い。次に航空自衛隊の空からの攻撃。最初は報道規制が敷かれているんだけど、そのうち、マスコミ各社に気づかれ、スクープを狙うTV局が出てきたりして、ゴジラの姿が公になっていく。でも全身なんてなかなか撮れなくて、小出しに小出しに。ゴジラはどんどん日本に近づきその頃にはもう日本全体が大騒ぎになって、その進行状況からどこに上陸するか、上陸したらどのくらいの被害をだすのか、雑誌やTVで特集されたり。クライマックスは東京に上陸したゴジラと自衛隊の総力戦……。その中で自衛隊員たちの活躍を描くの。群像劇になるのかな。パイロット、艦隊乗組員、戦車隊、さまざま立場の自衛隊員が初めて敵との戦いの中で何を感じ、どう行動して、何を得るのか」
「ゴジラ×メカゴジラ」 2回めの鑑賞
     △

 ヴィジュアルについても言及している。

     ▽
 平成ゴジラシリーズが次第に尻すぼみになり、映像・ストーリーともに袋小路状態になって、一旦幕を閉じたのは何年前だったか。
 東宝が版権をアメリカに与えた時、もう二度と日本製のゴジラ映画は製作されないんじゃないか、いや作れないんじゃないかと思った。ハリウッドの巨額な制作費、リアルなSFXで描かれたゴジラを見てしまったら、東宝のミニチュア、ぬいぐるみによる特撮なんて色褪せて見えてしまう。映画、TVで円谷特撮の洗礼を受けている僕ら世代はいいにしても、若い世代は受付けないだろう。
(「ゴジラ2000ミレニアム」)
     △

     ▽
 エメリッヒ監督版「GODZILLA」のすごいところは、ゴジラの巨大さをきちんとスクリーンで見せてくれたことだ。ゴジラという名称に問題があるなら怪獣に置き換えてもいい。セントラルパークの子ゴジラと人間の追いかけっこはもろ「ジュラシック・パーク」のパクリ。あれさえなければ、つまり全編を巨大生物と人間たちの戦いで展開させてくれたら、僕の「GODZILLA」の評価はもっと高かった。ゴジラの冠がなければ十分面白い怪獣映画だと、さんざ吹聴していたのだから。

 ハリウッド映画の特撮(SFX、VFX)映画の伝統として巨大生物(物体)をちゃんと巨大に描くというのがある。「未知との遭遇」「スターウォーズ」あたりから始まったように思う。残念ながら日本映画に欠けている要素だった。平成シリーズではゴジラの巨大さを実感したことがなかった。それがエメリッヒ監督版でもギャレス・エドワーズ監督版でも巨大さは半端なかった。
     △

 これらをすべて実現してくれたのが「シン・ゴジラ」なのである。

 この項続く


 【参考】

今年公開されたハリウッド映画「GODZILLA」を全否定する人たちよ、そんなに日本のゴジラ映画は面白かったですか? 
 その1
 その2
 その3
 その4









関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
ちょっとひとやすみ
NEW Topics
告知ページ
無題 ~「白いカラス」
1分間スピーチ #16 サマータイム導入問題
BC20世紀 賄い料理その2
「花戦さ」&「22年目の告白 ~私が殺人犯です~」
「美しい星」
1分間スピーチ #15 倉木麻衣と宇多田ヒカル
紙ふうせんシークレットライブ 2017 その4
ちょっとひとやすみ その4
紙ふうせんシークレットライブ 2017 その3
Comment
No title
では、なぜゴジラにこだわる。
ゴジラで無くともいいのでは?
シン・カブラ でも。
名無しの権兵衛 さん
書き込みありがとうございます。

この件についてもこれから言及します。
ゴジラでなくてもいいんですよ。私自身ゴジラにこだわっていませんから。ゴジラに代わる新怪獣を創造すべきだとも思っています。でも、無理でしょう。
ウルトラマンや仮面ライダー、ゴジラに代わるべきものを、と、これまで何度か書いています。
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top