ずっと定期掲載シリーズの更新をしていない。忘れているわけではないのだが、手がまわらないのだ。
 というわけで、久しぶりに。
 
     ◇

 この映画化に関しては原作を読んだ時点でまったく期待していなかった。
 理由の第一は膨大な情報量を詰め込んだ原作を2時間にまとめあげるのが至難の技であること。
 第二に監督の森田芳光には『39刑法三十九条』というミステリの佳作があるが、続く『黒い家』では原作ファンを納得させるだけの映画にすることができなかったこと。
 第三に〈ピース〉に中居正広を配役したこと。別に俳優として中居正広を否定しているわけではない。彼のキャラクターを生かすなら、物語の重要な人物、共犯者の栗橋浩美の方が似つかわしい。原作どおりのキャラクターならば、とてもやりがいのある役だと思う。
 ところが、いざ公開が近づいてきたら、こちらの思い込みを打ち砕く、斬新なサイコミステリに仕上がっていることを願う自分がいた。
 連続女性殺人事件の被害者の祖父・有馬義男に山崎努、浩美の幼なじみでやはり物語の要となる人物・高井和明におよそイメージとかけ離れた藤井隆をキャスティングしたところに森田監督の余裕を感じたのだ。

 若い女性たちを誘拐しては監禁、いたぶり殺す連続女性殺人事件がメディアを騒がしている。犯人は最新のデジタル技術を駆使して、インターネットや携帯電話で情報を撹乱させ楽しむのだ。
 行方不明となって十ヶ月の孫娘の安否を心配する有馬義男は犯人から直接電話を受け、何かと翻弄させられるが、TV局に2度にわたってかけられた電話の話しぶりから単独犯ではなく、二人による犯行だろうと推理する。
 ルポライターの前畑滋子はかつて取材をした〈教師一家殺人事件〉唯一の生存者の青年が、連続殺人事件の犠牲者(腕と遺品)の第一発見者であったことから、この劇場型犯罪についてのルポを担当することになる。

 事件の犯人はあっけなく判明する。
 犯人が予告した携帯電話による殺人の実況中継がまさに始まろうとする、ちょうどその時、山中の道路から一台の乗用車が事故で崖下の湖に転落。引き上げられた乗用車のトランクには明らかに殺されたと思われる男性の遺体が発見される。滋子の夫だった。いくつかの遺留品から警察は運転手および助手席の二人の男(栗橋浩美・高井和明)を連続女性殺人事件の犯人と断定。事件は解決したかに見えた。
 ところが、高井和明は犯人ではないと主張する男がメディアに登場する。浩美と和明の中学時代の同級生、そして事件のシナリオを考え、浩美を使って実行していた網川浩一である。沈着冷静、頭脳明晰、不敵な微笑。浩美が事件に関係していることを察知した和明を、浩美とともに葬ってしまった後の大胆な行動。この〈ピース〉と呼ばれる男の狙いは何か。
 一方夫を殺された滋子は悲しみのどん底に陥る。また取材する側から取材される側にまわり、苦悩の日々を過ごす。
 果たしてピースの犯罪が白日のもとにさらされる時がくるのか?

 映画は原作どおり事件を最初被害者側、続いて加害者側から描く。原作の詳細な人間関係、その機微まで焦点をあてられないから、多少わかりづらいところはある。が、劇場型犯罪の報道に巻き込まれるメディアや一般視聴者の混乱ぶり、インターネットによる盛り上がり方が、森田監督得意の映像テクニックによりそれなりに面白く観られる。
 一番評価できるのは、やはり物語の要となる、連続殺人事件のルポルタージュで人気を呼ぶ前畑滋子(木村佳乃)の夫を殺人事件の犠牲者の一人にしたことだ。これで悲しみ苦しみ傷ついた彼女が事件の真犯人を追求する姿に感情移入できるし、だからこそ天才犯罪者ピースとのクライマックスにおける対決が引き立つというものだ。

 インテリ妻と職人夫の学歴の差、仕事によるすれ違い等の葛藤は、原作では夫の親を巻き込んで、よりリアルに描かれるが、映画は畑違いの仕事に邁進する妻を暖かく見守る夫というように理想的な夫婦として見せる。それはそれでいい。しかし、原作では町工場を経営する夫の設定を畳職人にしたのは何故なのか。扮する寺脇康文はまるでそれっぽく見えなかったのが痛い。普通のサラリーマンでもよかったのではないか。

 いやあれは畳の見積もりを犯人から依頼され、事件に巻き込まれるきっかけになるために必要だった、なんて理由にならない。殺されるきっかけなんてどういう風にでも作れるはずだ。
 浩美(津田寛治)も原作にある過去のトラウマに苦しむ姿なんてまったくないから、ただの精神のいかれた野郎にしかみえないし、なぜ和明が自分を利用するだけの幼なじみに肩入れするのかも映像上の説明ではあまりに希薄だ(友人曰く「浩美と和明ってホモ関係なの?」)。ピースを主役にするなら、二人はもっとオリジナルな人物造詣にしてもよかった。

 まあ原作を読んでいる者としていろいろ不満はあるが、それなりに二つのドラマの交錯は見られるものだった(友人も納得していた)。中居正広もかなり健闘していたと思う。
 だが、クライマックス以降で一気に脱力した。「太陽にほえろ!」の松田優作じゃないが、「なんだ、コリャー?!」だ、まったく。

 原作では、ピースの存在に胡散臭さを感じはじめた滋子が、彼が真犯人である決定的な証拠をつかむため、大きな賭けにでるところが山場となる。ミステリの原書を蒐集している知り合いに「何でもいいから1冊貸してほしい」と依頼した滋子はそれを持って、TVのワイドショーでピースと討論にのぞむ。
 番組の中で、滋子は「今回の連続女性殺人事件は日本で出版されていない海外ミステリで描かれた事件をただ単になぞっているだけにすぎない」と自説を言い放つ。するとそれまで沈着冷静だったピースは模倣犯と言われたことに対して、自分の犯罪の完璧性、オリジナリティを否定されたことで、一瞬かっとなって、思わず「模倣ではない、すべて自分が考えたことだ」と口をすべらせてしまうのだ。

 映画も討論中に滋子が模倣云々を口にするところは同じだが、ピースはあくまでも冷静だ。滋子の嘘を簡単に見破り、それを見越した上で自らの犯罪を告白。そしてその場で自爆してしまうのである。
 自爆のショットはCG処理で、分断された首が空中に舞い上がるとニヤリと笑って二度めの爆破。原作と違った展開が悪いわけではない。しかしこの自爆シーンに必然性がない。だいたいCGが稚拙で、映像的にまったくリアリティがない。それになぜピースが爆弾を持っているのかという設定自体もおかしなものになってしまう。事前に爆弾に精通しているところを挿入するなりして、ちゃんと伏線をはらなければストーリーが破綻したものになってしまう。自決するならするで、もっと別の方法があるだろう。これじゃまるでコメディだよ。

 映画は原作にはない謎を冒頭で提示する。有馬の孫娘が帰宅しようとするところで、携帯電話で呼び出した相手は誰なのか。「私は殺されてもいい。でもこれだけはおじいちゃんに言わないで」と孫娘がピースに懇願したこととは何なのか。
 ピースが自爆した後、まだ映画は続くのだから観客は誰だってその謎の答えを期待しているというものだ。

 ピースの死後、彼から送られた手紙に書かれている指示によって有馬は公園に隠しているある物を探し出す。それがピースの赤ちゃんだというのだから唖然、呆然。
「自分の血が流れている子を育ててほしい。人は血ではなく環境によって良くも悪くも育つことを証明してほしい」とピースは有馬に子どもの未来を託すのだ。
 黒澤明の『羅生門』でですら、とってつけたようなヒューマニズムだと批判されたラストと同じものを突然もってきたのはいったいどういう理由からなのか。
 赤ん坊を抱いて、空を仰ぎ見る山崎努の顔が「なぜオレはこんな映画に出演したのだろうか」と自問しているように思えてならなかった。

 孫娘が行方不明になって〈十ヵ月後〉に一連の事件が起きる。ということは、赤ん坊は孫娘とピースの間にできた子どもだというのか? あるいは誘拐された時孫娘が妊娠していたとか。そんなこと共犯者の浩美は知っていたのか? これまた何の脈略もない唐突なエピソード。これが冒頭の謎の答えだとするとあまりに情けない。
 百歩ゆずって自爆も赤ん坊もいいとしよう。なぜそれに繋がる物語を前半に用意しないのか。それがミステリのイロハではないか。

 大長編「模倣犯」を映画化するとなると、ある種のいさぎよさが必要だ。あれもこれも取り入れようとしたらぜったい失敗する。物語の核となるべきものを抜き出したら、それを映画用に改変あるいはオリジナルとして創造する。
 愛を知らずに育った者と違った価値観ながら互いを尊重しあう夫婦間の愛情を対比させながら、天才犯罪者の完全犯罪、それをアッと驚く気転で崩す女流ルポライターといったプロットだったら、最後まで息もつかない展開になったかもしれない。
 森田監督が「模倣犯」を読んで「これはぜったい自分で映画化する」と取り組んだにもかかわらず、原作のどこに反応して、何を映画で描きたかったのか、何を訴えたかったのか、僕にはわからない。そりゃ、もちろんラストの明日への希望なのだろうが、だからといってあんなラストで本当にいいのだろうか。スタッフも皆納得しているのだろうか?

     ◇

 すいません、記事が重複しておりました。「OUT」を削除し「模倣犯」に差し替えます。
 ほんと、バカ。
 お詫び申し上げます。
 (10月20日)




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Author:kei
新井啓介
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まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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