その3から続く

 「ゴジラ」のラストでこんなことを考えたのだ。
 芹沢博士(平田昭彦)が、もし、恵美子(河内桃子)とつきあっていたとしたら、恋仲であったとしたら、それでも自分を犠牲にしてオキシジェンデストロイヤ―を使用したのだろうか?
 恵美子は芹沢博士の許嫁だった。たぶん父親の山根博士(志村喬)が決めたことなのだろう。しかし、年頃になった恵美子の前に南海サルページの社員、海の男・尾形(宝田明)が現れた。恵美子は心変わりして尾形とつきあいだす。

 そんな状況下で謎の巨大生物騒動が起こるのだ。
 恵美子と尾形に対する芹沢博士の屈折した感情が描かれているシーンがある。
 映画の前半、大戸島の大災害の調査に赴く一団に恵美子と尾形がいて、芹沢博士が港にふたりを見送りにやってくるのである。
 芹沢博士が研究室を出て人前に現れることは珍しいと言う恵美子に対して、尾形は今生の別れになるからではないかと答える。
 大戸島近辺では船舶の謎の事故が続いている。調査隊の船も同じような事故に巻き込まれないとは限らない。
 このとき、芹沢博士はふたりの死を願っていたのではないか。恵美子が自分を捨て生涯の伴侶として尾形を選んだ罰として。

 思えば、芹沢博士は二度恵美子に裏切られるのだ。
 尾形とつきあいだした恵美子への想い。それが恵美子だけにオキシジェントロイヤーの存在を教えることにつながる。芹沢博士にしてみれば、オキシジェントロイヤーの存在を恵美子と自分の、ふたりだけの秘密にすることが尾形に対する優越感になったのではないか。
 しかしそれすらも叶わなかった。ゴジラの東京襲撃後、恵美子はその秘密を尾形にしゃべり、ゴジラ撃退のためにオキシジェントロイヤーを使用するよう説得しにくるのである。
 芹沢博士の心中を考えると胸が苦しくなる。
 
 映画のラストはゴジラの断末魔が描かれるわけだが、僕自身は芹沢博士に感情移入しておりその死にしみじみしてしまったのだった。
 ゴジラとともに命を絶ったのも、オキシジェントロイヤーが原水爆にかわる兵器になるから、その製造方法を唯一知る自分の存在をこの世から抹殺するというよりも、恋に破れた故の自殺だったのではないかと勘ぐってしまう。まったく個人的な思いだが。
 本多監督には武者小路実篤の「友情」を映画化してほしかったな。

 この項続く


 【参考】

 ミニチュアと着ぐるみによる特撮ではないと、ゴジラではないとの主張をときどき目に、耳にするが、うしおそうじが書いた「夢は大空を駆けめぐる ~恩師・円谷英二伝」を読めば、考えが変わると思う。

     ▽
2002/02/08

 「夢は大空を駆けめぐる ~恩師・円谷英二伝」(うしおそうじ/角川書店)  

 子どもの頃夢中で観ていたTVの特撮(ヒーローもの)番組には3つのブランドがあった。
 御大円谷英二が監修する「ウルトラ(マン)シリーズ」、「快獣ブースカ」の円谷プロダクション。「マグマ大使」のピープロダクション、「悪魔くん」「仮面の忍者赤影」「ジャイアントロボ」の東映。  
 3つのブランドの中でも東映は他のプロとちょっと違ったテイストだった。怪奇、恐怖ドラマに長けていたという印象が強い。「悪魔くん」の水妖怪のエピソードなんてコタツにもぐりこんでみていたんだもの。その系列で「河童の三平」があり「仮面ライダー」に続く。初期の「仮面ライダー」は怪奇色が濃く、そこに興味を抱いたにもかかわらず、主役のケガによる降板、交替によって路線変更し、明朗なアクションヒーローものとして大ブームを呼ぶのである。  

 特撮をメインにしたヒーローものといったらピープロが円谷プロの好敵手だった。1966年には「ウルトラマン」より一歩先んじて「マグマ大使」を放映、円谷プロとともに怪獣ブームを盛り上げた。
 ブームが下火になった71年には円谷プロの「帰ってきたウルトラマン」とともに「宇宙猿人ゴリ」(途中で「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」、「スペクトルマン」と改題)に着手して第二期特撮ブームの先陣を切っている。もちろん「帰ってきたウルトラマン」より先に放映は始まった。  
 ただし、ピープロの特撮技術は円谷プロに比べて稚拙だった。子どもの目にもはっきりその差が感じられた。  
 「マグマ大使」ではミサイルの発射とかマグマの飛行シーンにアニメーションを多用していてずるいと思った。ひどかったのは「宇宙猿人ゴリ」である。その特撮は見るからに貧弱だった。まるで自宅ガレージにセットを組んで撮影したようないかにもな家内制手工業的な作りで、これだったら自分でも作れると思ったものだ(で、6年の時実際に8mm映画で挑戦して……失敗した)。  

 円谷がメジャーレーベルだとしたら、ピープロはマイナーといった感じだろうか。こんなピープロが時々あっといわせる特撮を見せてくれる。「マグマ大使」のアニメーションの導入もある意味大胆といえることなのだが、「宇宙猿人ゴリ」ではストップモーションで撮影された怪獣のエピソードがある。また実物大の怪獣を作ってトレーラーに乗せ撮影のため全国縦断したりする。けっこう実験精神にあふれる会社なのである。  
 ピープロの代表が本書の著者うしおそうじ(鷺巣富雄)である。書店で見つけた時はサブタイトルにびっくりした。うしおそうじが円谷英二の弟子であったとは! 
 あわてて本をつかんでレジに並びそうになったものの考え直した。すでに円谷英二研究家・鈴木和幸による「特撮の神様と呼ばれた男」がでている。いくら弟子が書いたものでも二番煎じの感はぬぐえない。少し様子をみてからでもいいのではないか。  

 1月の忙殺から解放され、久しぶりに会社の帰り羽田図書館に寄ると、本書があった。  
 円谷英二の評伝執筆については遺族からの依頼だとあとがきにある。「特撮の神様と呼ばれた男」と内容が重複することを懸念した結果なのか、円谷英二の出生から映画界入り、カメラマンとしての活躍、「ハワイ・マレー沖海戦」の特殊技術を担当するまでを、映画の誕生、普及と併せて描いている。  
 著者が同じ職場(東宝)で働いていて円谷英二を真近に見ていたのがこの時期までだから、ということもあるのかもしれない。「ゴジラ」製作の前後、その後の東宝特撮黄金時代についてはあまたの書籍があふれていることも要因なのか。  
 その結果による本書の体裁は、円谷英二の評伝の形を借りた日本映画発達史といった趣きが強くなって、資料的にも大変貴重なものになった。 興味深い話が次から次へ出てくる。  

 たとえば「ミーハー」という言葉の語源。当時大人気の蜜豆と林長二郎(後の長谷川一夫)から言われるようになったのだとか。  
 真珠湾攻撃で敵に多大な戦果をあげたのは、極秘に著者も制作に携わった爆撃の教材映画のたまものだという。  
 その特撮の出来が賞賛された有名な「ハワイ・マレー沖海戦」。さぞ海軍の協力が得られたのだろうと思っていた。ところがこれがまったくの逆。突然ハワイ真珠湾攻撃の歴史的大事件を正確に再現したいと要請をしているにもかかわらず海軍省は資料の提供を拒否。「カツドウヤは信用できないから」がその理由。
「そんなに信用できないものになぜ製作を任せるんだ」と怒る山本嘉次郎監督の気持ちはよくわかる。  
 この「ハワイ・マレー沖海戦」製作に関する苦労話は本書の中でも特に読み応えがある。  

 円谷英二の仕事ぶりを見ていた著者だからこそ書ける次の文章に瞠目した。

 円谷英二くらい「特撮」「アニメーション」の融合に熱心で、しかもその仕事に挑戦した技術プロデューサーはいない。

 円谷英二が今も生きていたとしたらCGに対してどのような態度をとるか、これで明らかになった。  

 漫画家でもある著者の描く挿絵のタッチが暖かい。
 二番煎じではないか、なんて一瞬でも考えた自分を恥じている。
     △




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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