小学生時代、低学年時の将来の夢は宇宙飛行士になることだった。アポロ11号の月着陸なんて夢中になってTV中継を凝視していたものだ。ケロッグのおまけがアポロロケット関連で、友だちと競い合って集めた。
 次に将来の夢が漫画家になった。「マンガの描き方」類の本を買ってきて、ケント紙、ペン軸、ペン先、墨汁、筆、筆洗、絵の具、すべて買い揃えて、机の上に並べて悦に入っていた。完成したマンガは一つもなかったけれど(ノートに鉛筆描きしたものはいくつかある)。
 6年生になると将来の夢が映画監督に代わった。
 5年のころからクラスの親友と映画制作グループを組織した。その名もKアマダクション! Kは僕の名前からアマダクションはプロダクションとアマチュアを掛け合わせている。
 まずアニメ映画を作ろうとした。しかし、目指したのが、セル画を使った本格的なもので、あえなく挫折した。続いて怪獣映画。これも怪獣のぬいぐるみ作りに失敗して諦めた。
 6年になって、とにかくカメラをまわそうと、映画をつくろうと、記録映画を2本つくった。自分たちの住む町、太田を紹介する映画で、「私たちの太田 緑をたずねて」と「私たちの太田 栄ゆく太田」の2本である。
 そしてお正月に放送された「タイム・トラベラー」に触発されて、「明日を知る少年」に着手する。

 ここらへんのことは、友人のAの作文に詳しい。学校新聞に掲載されたのである。これが「明日を知らない少年たち」のモチーフとなる。
 アニメ制作のくだりでビニールカバーが出てくるので少々解説したい。

 僕たちは本格的なアニメ映画を考えていて、本当はセルを購入したかったのだ。ところが、群馬の片田舎にセルなんてものは売っていなくて、代用としてビニールカバーを思いついたというわけだ。安靖堂はカメラ店で8㎜フィルムの購入や現像でお世話になった。

     ▽
   Kアマのこと
                 有吉威
     A
 ぼくは小学生の時からKアマに入っている。Kアマというのは、ぼく達が作った映画製作グループのことだ。アマだから趣味でやっているのだ。Kとイニシャルがつくのは、一口でいうと新井啓介君が監督だからである。

     B
 啓介君はいつも家でマンガをかいていた。それを学校に持ってきて人に見せては、
「どう、おもしろいかい?」
 などと聞いていた。
 彼はマンガのかき方をマンガ本で見たり、かき方の本を買って読んだりして覚えたようだ。しかし彼のマンガは納得のいかない、おもしろくないギャグマンガもあった。だが、中には本職のマンガ家も思いつかないようなやつも、一つ二つはあったのだ。彼はマンガだけでなくふつうの絵もうまくユネスコ展などに出品していつも賞品をせしめていた。
 そんな啓介君がとっぴに
「映画作ろう。」
 などといい出したのである。Kアマは最初に彼が、この「マンガ映画作ろう」といったのがきっかけになったのだ。啓介君は巴君の『鉄腕アトム』の本を借りた。その終りの方に〈鉄腕アトムの出来るまで〉というのがあって、それを読んで映画を作る気になったのらしい。
 さっそく人を集め、お金を集め使うものを買い込んだ。ペンキ、ビニールカバー、筆、つや消し剤やシンナーなどだ。まず安靖堂の人に、
「ビニールカバーの透明なやつを細かく切って、それに絵をかいてそれを一つ一つ動かしてカメラにおさめる方法はどうですか。」
 と聞いてみた。そしたら、
「ビニールカバーは光の反射がありますし、一つ一つ写すには駒どりカメラが必要です。」
 という答えだった。
 ぼく達はビニールカバーのつやを消すのには、どうしたらいいか考えた結果、つや消し剤を使うことにした。しかし、つや消し剤は濃くてうまくのびないので、シンナーでうすめて使ってみた。けれどつや消し剤の鼻をつくにおいの上に、シンナーのあのにおいが加わったので大変なにおいになってしまい、みんな頭が痛くなって逃げだした。こんなことを続けているうちに休みが終わった。それでみんなマンガ映画のことを忘れてしまった。
 その次の休業期間のとき、今度は怪獣映画を作ろうとした。このときからメンバーがまたふえた。この話にでてくる怪獣は口から泡をふくというもので、この泡にかかると何でも溶けてしまうということにした。
 まず胴体を作るには針金を使う。啓介君の家は電気屋なので、アンテナを張る時に使う針金を使おうと思ったが、おじさんが出かけていたので細いのを使ったが、これは何重にしても弱かった。次は怪獣の皮だが、お金を出し合って安い布を買う予定だったが足りなかった。泡をふく装置は売っているものを使おうということにした。しかし、どこにもそんなものは売っていなかった。この怪獣映画も中途半端に終ってしまった。

     C
 卒業した春休みに啓介君が「今までに映画を撮ったことがないから太田市についてでも写そうか。」
 といったので、みんな賛成した。そしてできたのが[私たちの太田]で、一回が〈緑をたずねて〉、二回めが〈栄ゆく太田〉である。〈緑をたずねて〉は水道山付近を撮り、バックミュージックは木枯し紋次郎主題曲の「だれかが風の中で」である。〈栄ゆく太田〉は市民会館、市役所、太田駅などで、駅の中で新婚の人に「ばんざい」をやっているところなども撮った。
 中学生になってからの夏休みのことだ。元Kアマに入っていて、今は東京にいる布村君の家へ行った。その時撮った記録映画が[東京一日の旅]である。貿易センタービルからの景色や、皇居などを写した。サウンド・オブ・ミュージック、小さな恋のメロディー、ムーンリヴァー、流れ者のテーマなどの映画音楽を使った。二巻、約六分の映画である。
 これらの映画は完全のものではない。タイトル撮影に失敗して、〈緑をたずねて〉ではENDタイトルの“おわり”の「お」の点をかかずに撮影したりした。また、[東京一日の旅]では日付を間違えたりして大変だった。

     D
 これからは[私たちの太田]の続編や、ストーリーのあるものを写していきたいと思っている。
 ぼくは映画づくりをやってきて、友達とのつきあいが深まった。このような趣味を通じて出来た友はいつまでも失わないように心がけたいと思っている。啓介君達とつきあっていて、みんなでものを作りあげた喜びは何ともいえない。またそれを味わえるのは苦労したためである。ぼくはそんな喜びというものを少しでも得ることができて、ほんとうによかったと思っている。(47・10)




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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