承前
 
 あさめし前プロジェクト及び、座長の佐久間孝さんの活動を、僕が批評(活字)の立場から応援することになり、まず同人誌「まぐま」でインディーズ映画を特集した。題して「インディーズ・ムービー名鑑」。佐久間さんとの共同編集である。

 佐久間さんは、自身の団体の上映会のほかに「作家の全貌」シリーズと銘打って、一人の自主映画作家を取り上げる上映会を始めた。
 この「作家の全貌」シリーズで知り合ったのが、飯野歩監督、松田彰監督で、きらめく才能に快哉を叫んだものだ。もし、僕が昔同様に作品を撮っていたら軽い嫉妬を覚えたと思う。「まぐま」のインディーズ映画特集第二弾はこの二人を取り上げた。

 この「作家の全貌」シリーズで下倉功さんと知り合った(と思う)。下倉さんは前述の二人とは違って、普段はサラリーマン、休日に映像作家に変貌するという二足のわらじ的な活動をしていた。
 とはいえ、作品はプロフェッショナルで、ミュージッククリップ「今は偽りの季節」は、下倉さんに編集をお願いした次第。

     ◇

2005/03/27

 「クリスマス・イブ」/「シルク」 ~下倉功個展“ご挨拶”~(SCUM2000)

 個展と銘打たれているが映画の上映会である。普段はサラリーマン、休日は自主映画の監督と2つの顔を持つ下倉監督が新作「シルク」を完成させた。すでに一度リトルシアターでお披露目は済んでいるのだが、この新作と併せ過去の8㎜作品を上映して映像作家〈下倉功〉を知ってもらおうという趣旨で企画された。
 その昔、ロマンポルノから撤退したにっかつがプログラムピクチャー的な一般映画に方向転換した。名づけて〈シネ・ロッポニカ〉。神代辰巳、藤田敏八、村川透、実相時昭雄等、気鋭の中堅監督たちを起用した新作を上映しはじめた。残念ながら〈シネ・ロッポニカ〉は集客の起爆剤とならず、あっというまに中止に追い込まれた。その後にっかつは会社更生法の適用を受けることになり、ゲームメーカーのナムコの支援のもと、日活として復活するのだ。
 それはともかく、〈シネ・ロッポニカ〉の1作品である藤田監督の「リボルバー」が上映された際、新宿の日活館で、あるコンクールに入賞した自主映画が併映されたらしい。下倉監督の「クリスマス・イブ」が4日間上映されたと聞いて、がぜん興味がわいた。

 「クリスマス・イブ」

 下倉監督、大学時代の8㎜フィルム作品。
 大学生を主人公にした等身大の青春恋愛ドラマだ。
 親友の彼氏を好きになってしまって苦しむヒロインがある日学食でスカした男子学生に声をかけられる。イメージにぴったりだから卒業記念の映画に出演してくれないか。その映画は男女の三角関係を描くストーリーで、おまけに自分の役は、親友の彼に想いを寄せる女の子。まるで自分みたいだととまどいながらもOKするが、スタッフ・キャストの顔合わせに行って驚いた。相手役のヒロインはまさにその親友、そしてカメラマンとして紹介されたのは意中の彼だったのだ。複雑な気持ちのまま映画制作はスタート。現実と映画世界を交錯しながら彼らがむかえるラストとは?
 まず冒頭のタイトル処理に驚いた。夜景をバックにしたタイトルが透過光でピンクに光る。劇中では何度かワイプ処理が施されている。8mmフィルムでよくぞまあ!
 ひょんなきっかけで一晩飲み明かすことになった主役ふたりの、飲み屋からでてきた早朝の会話のあまりに説明台詞っぽいところ、男の部屋に立ち寄って結ばれるシーンのカメラワーク、気恥ずかしくて仕方なかった。僕自身が撮った大学時代の作品を思い出すのだ。同じようなカットや同じ言い回しなどいくつも散見できた。
 キスシーン、ベッドシーン。これは学生監督としてどうしても撮りたいものだろう。タバコを吸うしぐさも意識して撮る。あれやこれや、大学時代の撮影に望む自分の心情が思い出され、そのたびに頬が赤くなるような、全身こそばゆくなるような、そんな感覚になって下を向きたくなる。が、それ以上に映画が進行するにつれてどんどん引き込まれていった。

 劇中に引用されていたロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープ主演の「恋におちて」。これには強烈な思い出がある。
 結婚を前提に始めた同棲が破局を迎え彼女が部屋を出て行くその日、彼女が観たいというので会社近くの東劇でふたりで観た。恋が破れた日に「恋におちて」なんて何たる皮肉。上映前の予告編が面白そうで、隣の彼女は「これ観たいねえ」なんて僕に声をかける。他人がみたら仲のいいカップルに見えただろう。ホント女心はわからない。映画の内容なんて忘れてしまったが、あの日の光景だけはしっかり脳裏に刻まれている。

 閑話休題。
 学生映画「クリスマス・イブ」はシナリオもカメラワークも堂々としている佳作だった。伏線が効いている。主人公のズボンのポケットから吸殻を見つけて、翌日(?)大学のホールにたたずむ親友の前へやってきた恋人が頬を叩くシーン、実は映画撮影の一場面だったというオチにはすっかり騙された。しかし周りにいるスタッフは叩かれた親友の演技を誉めているけど、あれは叩く恋人の緊迫感あふれる演技を賞賛すべきものではないか?
 クライマックスのちょっと臭い台詞もこちらの胸に響いてきた。〈登場人物の感情がこちらに届くか否か〉が一般でも自主でも僕の映画を判断するよりどころになっている。それからするとこの映画はすごい。全編、監督の主張に彩られている。まさしく自主映画。
 帰郷するヒロインを追って駅に走る主人公のシーンへの回想を挿入させる、その絶妙なバランスに酔った。

 「シルク」(4時間バージョン)

 普通、メジャー映画だって4時間の上映時間だと観るのを躊躇してしまう。敬愛する監督作品なら別だけど、それでもかまえてしまうかもしれない。今は3時間を超す映画もいくつもあるが、特撮やアクションをメインにもってきて、観客を飽きさせない配慮はされている。
 それを自主映画、それも人間ドラマで4時間である。プロの役者を起用しているとはいえ、あまりにも無謀すぎる。昨年のお披露目上映会では賛否両論で、それは当たり前のことなのだが、その否定的意見がすごい罵倒の仕方なのである。確かに素人映画を4時間も見せられたらたまらない(ちなみに僕の中ではアマチュア映画と素人映画は別ものである、念のため)。実際はどんなものだろうか? 「クリスマス・イブ」で監督の資質、技量を判断して「シルク」に挑戦しよう。ダメだったら「鉄人28号」か「あずみ2」をチェックすればいい。そう考えていたら「クリスマス・イブ」が期待以上の出来で(考えてみれば当たり前のこと、一般の劇場で上映されているんだから)、そのまま会場に居残ることにした。

 4時間を1時間ごとに分割して、途中3回休憩が入る構成。
 人生に挫折したキャリアウーマン(山浦りえ)と彼女に憧れる新人社員(峰野勝成)、癌に冒され余命いくばくもないゲイ(西川方啓)が主人公。
 不倫相手と別れた山浦が淋しさの埋め合わせに峰野と一夜を過ごし、峰野は勝手に彼女と恋人気分になっているところに西川と出会う。いろいろあって、二人は西川が若い頃普通に結婚して一児をもうけていることを知る。今はもう妻子と別れて一人暮らしの西川は死ぬ前に一度息子に会いたいと熱望し、西川の病気を知らないまま二人が協力して妻子の居場所を探し出し、一緒に訪ねるという話。

 とまあ、映画の主要ストーリーはこういうことになるが、生真面目な監督は登場人物すべてにドラマを作り見せ場を用意する。この兆候は「クリスマス・イブ」にも散見できるのだが、とにかく各人物に問題を抱えさせ、その問題をどう克服するかまできっちり描くから2時間の映画が4時間になってしまうのだ。
 主役の3人のほか、山浦の不倫相手の男、その妻、その妻に思いを寄せる旧友。この旧友は何と山浦の兄でもある。
 3部まではゲイが息子と再会するまでの話を中心に「幸福の黄色いハンカチ」テイストを入れ、ロードムービー風に描き、その最中に山浦がなぜ仕事一筋の女性になったか、その根本的原因は父との不和ということもクローズアップされていく。
 4部はゲイが死んだ後日談で、山浦と父の和解がテーマになる。同時に幼い頃父に捨てられ母一人、子一人で育った峰野にも母親の虐待にあっていた事実が判明して、屈折した末の母への愛情を切々と訴える名シーンもある。

 けっして4時間が退屈したわけではない。構成、描写はしっかりしているから、的確な役者の演技とあいまって二転三転するストーリーに引き込まれた。肉体的には疲れはしたけれど。キャラクター造形でもヒロインにセブンスター(BOX)を吸わせるところなんて男には負けたくないという内面の強い意思を感じさせてくれる(やはり女性のタバコはセーラム系だろう。偶然だとしても意味がある)。
 ただしTVで放送される4回の連続ドラマあるいは二夜連続のスペシャルドラマならまだしも、映画という媒体からするとやはり4時間は長すぎると思う。
 映画は省略の芸術である。主要なテーマは何か。テーマを訴えるためにストーリーをどう構築するか。どのエピソードを強調し、削除するか。削除することによって残されたエピソードが引き立つこともある。小説でいうところの行間を読ませる行為か。
 あれもこれも描きたいという気持ちはわかるし、名演技を見せてくれる役者たちのことを考えれば、そう簡単にカットできるはずもないけれど、映画は監督のもの、不特定多数の観客を相手にするならば、やはりそこは決断が必要ではないか。

 幸いこの4時間版はあくまでも関係者用だという。一般用ともいうべきバージョンを編集するなら、主要3人の物語にすべきだろう。不倫相手の男性やその妻の物語が必要かどうか。
 そう考えた場合、おのずと4部は独立した作品になるだろう。明らかにテイストが違うのだから。「その後のシルク」(by アworker氏)「もうひとつのシルク」なんていかが。
 残る3時間のドラマ、ラストはやはりゲイと息子の再会だと思う。息子の別れ際の言葉にはぐっときた。そのラストにむけ、どうエピソードを削っていくか。たとえばの話、息子に会いに行くゲイの服がどうのこうのなんていらないのでは? 西川の服にそれほどのケバさ、異様さは感じられなかった。そうしたエピソードをとりあえずカットしてみるとか。
 一般公開用の「シルク」に期待する。

     ◇


 【おまけ】

 「お散歩」 インディーズらしい切り口 メジャーに匹敵する完成度

 壮大なスケール、破天荒な世界観で観客を圧倒させた自主映画「夢の祭」の松田監督の新作が完成した。当初10分程度の短編ということで取り組んだものの出来上がってみたら48分の中編に様変わりしてしまったという。しかし、10分のものが15分や20分になるのならわかるけれど約5倍になるとはどういうことだろう。不思議な気持ちで試写会に向かった。    
 ある真夏日の早朝から主人公の男女(鍋山晋一、村田牧子)が近所を散歩する、ただそれだけのストーリー。その合間にふたりが単独でインタビューに答える形で出会いから定期的に散歩する現在の関係に至るまでの過程を説明していく。
ドラマの中にインタビューを挿入するのは「恋人たちの予感」「ストーリー・オブ・ラブ」の影響だろうか。冒頭から始まる散歩はまさしくスケッチといった按配。ふたりの会話はまるで素のそれであり、まったく演出や演技を感じない。まるでドキュメント風。そんな中にあってこのインタビューが後半に効果を上げてくる。  
 インタビューで浮かび上がってくるのは同じ事象について男女の考え、印象の違いである。三島由紀夫「潮騒」のラストが脳裏によぎり、「お散歩」は松田監督の男女論、恋愛論なのかと、このまま映画が淡々としたお散歩風景とインタビューだけに始終してもいいかなと思いなおしていた。
 中盤でちょっとした衝撃が生まれる。女を探しに男が自転車で駆けずり回るのだ。すぐに見つかってなーんだってことになるのだが、これでこの映画はもしかして〈なことからふたりが喧嘩しはじめて、その内容にニヤニヤしながら若い頃の苦い経験を思い出していセックス〉そのものをテーマにしているのかと考えた。これまでの淡々さは前戯で、ふたりのすれ違いが挿入、突然のサスペンスは射精……  
 とはいえ、上映時間はまだまだ残っている。どうやってこの映画に決着をつけるのか? 固唾を飲んで見守っていると(もう松田監督の手の内はまっているのね)、ほんの些細た。女の論理、感情、男の反応。いやはや、まったくこういう展開にもっていくわけか。
 男の場合、一度でも恋愛したことがあるのなら、女のこういう態度、表情に振り回されたことがあるだろう。男女の普遍的な関係。
 特筆すべきなのは、この一連の流れが冒頭の散歩風景同様にまったく作為的なものを感じないこと。だからこそ余計にこのクライマックスがこちらの胸に響いてくる。
 ふたりの役者の素晴らしさをまずあげたい。
 男(鍋山晋一)はつぶやきシローをかっこよくした感じ。インタビューに答えていくうちに、単細胞なのだけど、その気持ち、わかる! という風に徐々に共感していく。恋の成就を応援したくなる。
 女(村田牧子)はELTの女性ヴォーカル的なマスク。男に比べてもっと冷静的で客観的にものをとらえる。散歩時の帽子姿がかわいい。
 カメラワークも自己主張している。撮影は「ハズしちまった日。」の監督・飯野歩。映像自体、銀残しといわれる手法みたいなやさしいタッチでこれまた効果をあげていた。全編にわたる手持ちカメラによる揺れも心地よい。
 平成の姫田真佐久、仙元誠三。堤幸彦監督の名パートナー唐沢悟の向うをはるカメラマンでもあるのだな、飯野監督。
山下敦弘監督「リアリズムの宿」がインディーズ映画の一つの方向性としてあるのではと思っていたが、さすが松田監督、その線でも見事な傑作をものにしてしまった。


 「ガソリンゼロ」 下妻物語に勝るとも劣らない青春映画の傑作!

 驚愕の疾走映像と息つかせない展開で観客を圧倒した「ハズしちまった日。」。衝撃的な映画で数々のインディーズムービーコンクールを総なめにした飯野歩監督の待ちに待った新作の上映会が佐倉で開催された。
 予告編は朝めし前プロジェクト主催の〈作家の全貌〉シリーズで何度も流れていた。にもかかわらず完成の情報がなかなか伝わってこない。撮影は終了しているのに、編集で暗礁に乗り上げているなんてことも伝えられていた。前作が単なるフロックでない、映像作家としての真価を問われる2作めなのだから相当のプレッシャーを感じていたのだろう。
 完成を危ぶむ声もなくはなかったが僕自身はまったく心配していなかった。予告編は構図やタッチが完璧だったし、編集中にカメラマンとして参加した「お散歩」(松田彰監督)ではずばぬけた飯野イズムあふれるカメラワークを披露していたのだから。
 とにかく飯野監督が新作で何を〈魅〉せてくれるか。「ハズしちまった日。」の疾走感覚の単なる焼き直しでは意味がない。期待はそこにあった。
 主演は「ハズしちまった日。」でちんけなスリを好演した山崎吉範。一人前の社会人になれず仕事や生きがいについてあれこれ思い悩むフリーター、等身大の青年役だ。時間があれば道路脇の空地で愛車の原付バイクを駆って半径数メートルの円を描くようにクルクルまわるのを日課としている。何を考えているのか? 何に悩んでいるのか? 何も考えていないのか? 奥に見える「この先行き止まり」の看板が彼の心情を代弁しているかのようだ。クルクルした後はガソリンスタンドに立ち寄って100円ぼっきりの給油をしてもらう。嫌な顔せず接客してくれる女店員の笑顔だけに癒される毎日なのだ。
 彼のバイト先であるDPE店に決死のまなじりで訪れた女子高生がもう一人の主人公。演ずるは水野由加里。三原順子と加藤夏希を足したようなマスク。思いつめた鋭い目つきがこちらの心を射抜く。誰かに対する怒りだろうか、憤怒のエネルギーを内に秘め仁王立ちするポーズが決まっていた。
 彼女が店内の品物を万引きして脱兎のごとく逃げ出し、青年があわてて追いかけてゆくことから話が転がっていく。
 閉塞した現状から脱出したいフリーターと女子高生。年齢も生活環境も違うふたりのヘンな出会いと奇妙なふれあい。特に腹を割って話したわけではない、本当にお互いの気持ちを理解しあえたのかどうかもあやしい。しかしこのほんのちょっとした交流が互いに影響しあって、それぞれの力、それぞれの方法で心にうずまいていた靄を吹っ切り、明日への活力を得るという青春映画。
 ミレニアムセンター佐倉の大スクリーンで観るシネスコサイズの「ガソリンゼロ」は映像的にもストーリー的にも堂々としたものだった。インディーズ映画の枠を超越していた。このままどこかのシネコンにかけても遜色ない。
 何より画で見せる語り口に感心した。余計な説明台詞がない。あくまでも目で見えるもの、映像の積み重ねで主人公たちの心情を描写するから、観客として彼らの行動がごく自然に感じられる。シナリオと演出と演技が見事にシンクロしていた。一箇所だけ、ちょっとそれベタすぎないかと思ったところがあったが、それもクライマックスに通じる伏線で大いに納得した。
 テーマに直結したタイトル、その意味付け。なるほどと感心していると、タイトルを成り立たせている原付バイクをフル活用して主人公の感情の高まりを観客に投げかけてくる。その高揚感と爽快感。まさしくこれは映画の醍醐味ではないか。
 今年(2004年)の日本映画ベストワン(だと僕が考えている)「下妻物語」に勝るとも劣らない青春映画の傑作が誕生した。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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