(1998年)11月20日は、昨年公開されて大ヒットした「タイタニック」のビデオが発売される日です。映画は日本でNO1の興行収入を記録しましたが、ビデオもこれまでの最高記録を塗り替えるのは間違いないでしょう。

 今日は1912年実際に起きタイタニック号の沈没事故を危機管理の観点から考えてみましょう。
 当時世界最大だったタイタニック号には約2,200人が乗っており、事故によって約1,500人が死亡しました。

 この海難事故はその後多くの教訓を残しました。
 まず、救命ボートですが、当時船の救命ボートは乗船客数ではなく、船の総トン数で決められていました。それによればタイタニック号は962人分の救命ボートを積んでいればよかったんですね。実際には1,718人分のボートを積んでいたわけですが、それでも乗船者の半分しか乗せることができませんでした。
 事故後は規則が改正されて、乗っているすべての人に十分な救命ボートの積載が義務づけられました。

 もう一つは無線配信です。
 当時船の無線通信士は24時間勤務ではなく、深夜仮眠をとってもいいことになっていました。沈没の危機に直面したタイタニック号の通信士は必死に遭難信号を打ち続けましたが、わずか16㎞しか離れていないところにいたカリフォルニア号の通信士はその直前に無線のスイッチを切って寝てしまっていたのです。このときカリフォルニア号が受信して救助に向かっていたならば、ほとんどの乗客は助かっただろうと言われています。
 実際に遭難信号を受信したのは現場から92㎞も離れたカルパチア号で、到着するまでに3時間以上もかかり、救助できたのは700人そこそこだったのです。
 以後、客船の無線通信は24時間体制になったということです。

 そのほかにもタイタニック号の見張員が双眼鏡の引継ぎをしなかったために、氷山の発見が遅れたとか、引退まじかの最後の航海だった船長が大西洋横断スピード記録をだす誘惑にかられて氷山の多い北寄りのコースを選んだとか、いろいろと問題が多かったわけですね。
 こうして事故の原因を挙げていくと非常に腹が立ってきます。なぜならこの海難事故はどう考えても人災でしょう。
 当時船は沈没しないものとでも考えられていたのでしょうか?




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新井啓介
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まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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