皆さんは「京のぶぶづけ」をご存知でしょうか?
 「京のぶぶづけ」とは京都のお茶漬けのことで、「ぶぶづけをいかがですか?」と言われることは「帰ってください」という意味だそうです。

 ある本に書かれていたことですが、五木寛之がこの「京のぶぶづけ」の風習をおくゆかしい高級な文化と持ち上げているそうです。
 五木寛之との対談か何かのゲストに(京都の)一流料亭の女将をゲストに呼ぼうとしたところ「そんな器ではない」と丁寧にきっぱりと断れたそうです。
 だったら仕方ないと諦めてそのままにしていたら、半年後、女将が気分を害していると人づてに聞きました。

 実は京都の慣習として、依頼に対して最初に断るのはマナーなのだそうです。再度の依頼も断ります。で、三度めでやっと了解するといいます。
 五木寛之は、こうしたやりとりに驚きつつも「京のぶぶづけ」に結びつけて肯定するわけなんですが、このエッセイを読んだ某大学教授が反論します。
 言葉を信じない文化の頂点が高級なわけがないと、「野蛮な文化じゃないか!」と否定するのです。

 私もこの教授の意見に大賛成です。
 思ったことを言って相手を傷つける、不愉快にさせることはよくあります(あるいはその逆も)。かといって、言葉の裏読みばかりするなんてエネルギーの無駄使い、愚の骨頂だと思います。
 これはプライベートでも仕事でもいえることで、こういうことに関しては、自分は外国人になってしまい、「イエス、ノーをはっきりしてもらいたい」と言いたくなります。

 皆さんはどうお考えでしょうか?

     ◇

 【参考】

2000/09/22

 「私の嫌いな10の言葉」(中島義道/新潮社)

 羽田図書館の新刊コーナーにあった。著者は現在電気通信大学教授(専門はドイツ哲学)。プロフィールを見るとこれまでに何冊もの著書を上梓しているが僕はまったく知らない人。タイトルに惹かれて借りてきた。
 これがもし「私の好きな10の言葉」だったら絶対見向きもしないだろう。〈嫌いな10の言葉〉に日頃僕自身が使ってしまうものもあって不安半分、でももしかしたらこの著者と相通じるものがあるかもしれないと思った。
 著者が毛嫌いする〈親身になって相手のことを考え忠告する言葉〉を章タイトルにして世の中に跋扈している偽善的考え、無意味な行為を豊富な例をあげながら糾弾していく。
 著者が嫌いな言葉としてあげ、章タイトルになっているのは次のとおり。

 相手の気持ちを考えろよ!
 ひとりで生きているんじゃないからな!
 おまえのためを思っていっているんだぞ!
 もっと素直になれよ!
 一度頭を下げれば済むことじゃないか!
 誤れよ!
 弁解するな!
 胸に手をあててよく考えてみろ!
 みんなが厭な気分になるじゃないか!
 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

 単なる皮肉、受けを狙ったへそ曲がり論、人と違ったことを言って優越感に浸るものだったら、自分の〈読み〉がはずれたというだけで、本をまた図書館に返却するだけだが、思ったとおり最初からぐっと僕の心はをつかまれてしまった。

 中野翠のコラムを例にあげ、彼女の卓抜なユーモアを賞賛する。
 笑う哲学者・土屋賢二の〈笑い〉がちっともおかしくないという指摘もわが意を得たりの心境。(僕も週刊文春連載の土屋氏のコラムを開始当時読んで、どこがおもしろいのかわからなかった。)

 著者は言葉の裏読みを極端に嫌う。
 五木寛之のエッセイにでてくるエピソードで「京のぶぶづけ」を無条件にもちあげているそうだ。 
 五木寛之との対談か何かのゲストに一流料亭の女将をゲストに呼ぼうとしたところそんな器ではないと丁寧にきっぱりと断られた。だったら仕方ないと諦めてそのままにしていたら半年後、女将が気分を害していると人づてに聞いた。実は京都の慣習として、依頼に対して最初に断るのはマナーなのだと。再度の依頼も断る。そして三度目でやっと了解するという。
 有名な「ぶぶづけ(お茶漬け)をいかがですか?」は「帰ってください」という意味で、五木寛之はそんな慣習を肯定するのに対して、言葉を信じない文化の頂点が高級なわけはない、と「野蛮な文化じゃないか」と著者はいきまくのである。
 僕もまったくそのとおりだと思う。思ったことを言って相手を傷つけることはよくある。かといって言葉の裏読みばかりするなんてエネルギーを無駄に消費するだけ。イエス、ノーをはっきりしてもらいたい。

 もうひとつ著者自身が経験したエピソードで特に共鳴したものがある。
 奥さんとのことで、ある日自宅に友人たちを招待して大いに盛り上った。友人たちが帰った後、なぜか奥さんがブスっとしている。理由を訊くと「どうしてあんなことを言うの?」と非難される。会話の中で友人に対して奥さんがさる有名な哲学者を知らないと著者の言った言葉にカチンときたらしい。「知らないから知らないと言ったっだけだ。別に知らないことをバカにしたわけではない」と説明しても奥さんの機嫌は直らない。
 僕もこれと同じような喧嘩を何度もカミサンと繰り返している。こちらの何気ない言葉に過敏に反応する。いや、反応するならするでいい。その場で指摘すればいいのに、そういうことは何も言わず、一週間くらいダンマリを決め込む。そんな毎日に耐え切れなくなって、「何を怒っているんだよ?」と訊くと「わからないの?」と驚く。こちらの鈍感さを憂う。
 こちらの発した言葉に対して傷ついたのならそのときにそう言ってくれればいい。こちらはそんな気持ちなんて持っていないのだから。ところが傷ついたことをわかったこととして相手は黙り込むから始末に悪い。著者はそこを嘆くのだ。
 その他、かずかずのエピソードが紹介され、そのたび怒り心頭、ときには行動で示すこともあって、「よくもそこまで」と感心したりあきれたり。
 もちろん書いていることの100%を支持するわけではないけれど、読んでいて痛快な気分になれる。




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新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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