「22年目の告白 ~私が殺人犯です~」はとても面白かったが、ぜったいありえない話だと書いた。それよりもっとありえないのが「フェース/オフ」だ。ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタ。全然違う体型ですからねぇ、いくら顔をすげ替えてもすぐわかるってもんだ。

     ◇

1998/03/03

 「フェース/オフ」(丸の内ルーブル)

 最初この映画のプロット(顔の交換で善と悪が入れ替わる)を知ったとき、役者冥利につきるストーリーだと思った。
 主役と敵役が演じられるのである。二人の役者が同じ役をやるわけだから、お互いの演技力が評価される危険もあるが(だからこそ役者冥利なのだ)。

 もとは遠い未来を舞台にしたものだったという。ジョン・ウー監督がメガホンをとるにあたって、現代の話に変えた。
 その違和感が顔の移植手術とハイテク技術で管理された刑務所に残ったきらいがある。
 この映画を楽しめるかどうかは顔の移植をすんなり受け入れられるかどうかで決まると思う。未来だったらありえるかもしれないと軽く流してしまうこの部分に対して、現代の話になるといろいろと批判したくなる。(ヘアスタイル、体格の問題等。ジョン・トラボルタ扮するFBI捜査官が任務のため、ニコラス・ケイジの悪人に変身する際、そこらへんの問題は台詞でクリアされているが、その逆はどうも納得いかない。)
 とはいうものの、その後の展開はグーの音もでない。まいった。展開もアクションも文句ない。見せ場が何度でてくることか。緊張の連続である。
 テレビ朝日の某アナウンサーが涙がでてきたというスローモーションの殺戮シーンは「オーバー・ザ・レインボー」の歌声とあいまっておとぎ話のような夢の空間を作り出した。涙はでないがうっとりはした。
 「レザボアドックス」のクライマックスをいただいた二重三重(四重、いや五重か)のピストルによる対峙に快哉。敵の(というか真の主人公にとっては味方の)元愛人の犠牲によって、このピンチを脱出するが、死に際の愛人の言葉がせつない。
「子どもの面倒をみて。悪の道に走らせないで」
 小さい子どもがからんでくるとどうも涙腺がゆるくなる。
 次々とアクションが展開され息つく暇がない。モーターボートのチェイスシーンは「スピード2」をはるかに超えていた。
 ちんぴら風情が似合うトラボルタがなぜ善人役なの?という疑問が映画を観れば氷解する。彼こそ悪人なのだ。
 観終わって言いしれぬ感情が全身を包んだ。アクション映画特有のカタルシスだけでない何かだ。



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新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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