1999/10/06

 「双生児 ~GEMINI~」 (スバル座)

 映画サービスデーなので、今月は映画のはしごをしようと有給休暇をとった。
 まず夫婦でシャンテシネに「リトル・ヴォイス」を観に行った。が、昼食をとっている間に初回が満席になってしまった。立見で観る元気もなく(なんせ徹夜なもんで)、ほかの二人で観られる作品を探したが、適当なものがなく、仕方なく一人で「双生児」をスバル座で観た。

 予告編で強烈な映像を見せられていたし、また塚本晋也監督のことだから一筋縄でいかない映画だろうと予想はしていたが、最初から役者たちの眉毛なしの異様なメークに度肝をぬかれ、絵の具を飛び散らせたような貧民窟のセットに唖然とした。
 癖のある映像、語り口である。わざと意識したカメラのブレ。観客を不安に落とし入れる音楽。観客を限定するのは当然で、会場は割と閑散としていた。平常時ならいざ知らす、徹夜明けの身体に塚本映画は毒だった。突然襲ってくる眠気と戦いながらなんとかストーリーを追うのがやっとだった。もしかしたら途中で寝ていたのかもしれない。
 本木雅弘の善と悪の双子の演技は絶品。いつしかふたりの意識(外見も含めて)が交替してしまいどっちがどっちだかわからなくなるところがこの映画のテーマなのだろう。
 最初は気持ち悪かったりょうが終り頃には美しく見えるのだから不思議。

     ◇

1999/10/26

 「秘密」(キネカ大森)

 原作を読み終わってから、映画化するなら、ラストのドンデン返し(思い悩んだ末、これからは父と娘の関係になるという夫の決断に従い、巧妙なトリックで娘の意識がもどったかにふるまい、実は妻の意識のまま嫁にいく。その事実を結婚式当日に知った夫は立場上確かめることもできなく、花婿を前に娘と妻を同時に失ったことの深い悲しみで鳴咽してしまうという非常に残酷なエピローグ)はない方がいいのではないか、と書いた。妻と娘の意識が交互しながら、やがて妻の意識がなくなっていく、その二度目の別れをメインに、変則的な夫婦であったこと、それでも愛し合っていること、さまざまな思いがオーバーラップし、互いをいとおしみながらラストを迎えてもいいのではないかと。

 やはりこのエピローグははずさなかった。ここが原作の核たるものという一般的認識なのだろうか。
 ただ、映画化にあたって若干の修正がされている。原作では妻が最後まで嘘をつきとおして嫁に行くのに、映画では最後の娘からの挨拶のところで夫婦しか知らない儀式(?)をついやってしまい、ばれてしまう展開になる。とりあえずお互いの意志の疎通がなされ、これである程度心が休まるから不思議だ。(しかしこれをやると、娘の意識がもどり始めた頃の母と娘の手紙、ビデオレターのやりとり等の妻が夫に仕掛けたトリックに全く意味がなくなってしまうのですけどね。)
 若返った妻に対しての嫉妬心からストーカーもどきの行為を繰り返す夫の様を原作ではリアルに描いて不安を覚えたが、映画ではコミカルタッチにして観客の笑いを誘った。ここらへんの処理もうまいと思う。
 難を言えば(と言うかここが肝心なのだが)、中盤のバス転落事故を起こした運転手の息子と父娘たちたちとのエピソードはあまりにもはしょり過ぎで、嘘っぽい。だからエピローグのふたりの結婚があまりにも唐突な感じがしてしまうのだ。

 最後に流れるクレジットタイトルのバックに主人公家族のスナップ写真が写し出され、娘の徐々に成長していく姿も見られた。これを劇中でうまく活用できなかったのか残念でならない。
 つまり、この映画に抜けているのは夫婦あるいは親子が夫婦であり親子である関係を築いた歴史(時間)なのだ。
 原作では娘が小学4年生の頃から大学生になるまでの話なので、夫のお見合いの話だとか、夫婦生活(セックス)の問題だとか、妻に対する嫉妬、それゆえのストーカー行為等が切実に迫ってくる。それは二人の長い生活が続いていたからだと思う。
 映画は主演のヒロスエにあわせて高校3年生から大学生までのほんの短い期間しか描かず、歴史の積み重ね(子育て等)が感じらない。だから、娘(妻)とのセックスにとまどう夫の気持ちも画面からは伝わってこない。顔を隠してやろうとか、口でしてあげるとかの問題ではなく、娘を子どもとしてしか受け入れられない、18年間の歴史があるはずなのに。

 いろいろ文句を言いつつも、ファンでなくてもラストのヒロスエの表情がたまらなく素敵だった。それだけでこの映画を認めてしまおうと思える作品である。「Wの悲劇」のラストの薬師丸ひろ子を彷彿させる。何とも切ない気持ちが後を引き、竹内まりあの主題歌が余韻を倍加させる。

     ◇

1999/10/30

 「皆月」(テアトル新宿)

 確かにこの映画を観る動機は吉本多香美のヌードであり、ファックシーンであった。だが、それはあくまでも表向きの下心であり、本当のところ主人公・奥田英二演ずるダメ中年男にどれだけ感情移入できるかというのがポイントだった。

 この映画の脚本を担当した荒井晴彦には自身が監督した「身も心も」という作品がある。団塊の世代(全共闘世代)の男女4人の青春時代をひきづった愛憎物語で、だらしない男たちと性根のすわった女たちの対比が面白かった。いくつになっても出会った頃の気分そのままに友だちとつきあい、その精神と実際の年齢とのギャップに悩む姿は一世代下の僕にも十分共鳴できた。
「おれたち、もうすぐ50になるんだよな」と言う奥田の言葉の50を40に置き換えれば、当時それはそのまま僕自身のモノローグとなって、観終わった後、主題歌の「セクシー」(下田逸郎)のメロディとともに映画の切ない感触が胸のあたりをチクチクさせたのだった。
 「身も心も」でマザコン男を好演した奥田英二は本作では妻に逃げられたパソコンおたく男としてダメさぶりを発揮する。ソープ嬢役の吉本は体当たりでファックやレイプ、放尿シーン等に挑んでおり、ここまでやるのかと驚愕した。

 にもかかわらず僕の目をうばったのは逃げた妻の弟、奥田にとって義弟役のやくざを演じた北村一輝だった。まるでこの映画は彼のため作られた感じさえする。彼と姉の別れのシーンにオッサンとソープ嬢の純愛もかすんでしまった。
 実際、二人の純愛に共鳴することができなかった。お互いにひかれた理由を台詞では説明しているのだが、実感がわかないのである。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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