昨日、日ごろの疲れが一気にでたのだろうか、朝から熱っぽく身体中が痛くなり動けなくなった。
 夜には昔の同僚と会う約束をしていて、楽しみにしていた。なんとか夕方までに直したくて、予定を変更して部屋でじっとしていたのだが、全然効かなかった。
 今日も具合が悪い。朝の仕事は休んだ。
 明日も、両方休む。この状態なら医者にも行くつもり。

          * * *

2000/07/20

 「オール・アバウト・マイ・マザー」(テアトル池袋)

 映画公開時、いくらおすぎがTVCMでその素晴らしさを絶叫しようと特に心動かせられることはなかった。しかし、メディアは大絶賛だし、ロングランは続いているし、ヒロインの夫が何やら得体の知れない人らしいってんで、急に興味がわいてきた。
 もうひとつの理由として、スペイン映画ということもあるかもしれない。
 思えば中学時代までは洋画の範疇に日本以外の国すべての映画が入っていたはずで、ヨーロッパ映画も興味の対象だった。それがいつの頃から洋画といえばハリウッド一辺倒になってしまい、その言葉(米語)、カメラワーク、語り方にすっかり慣れきってしまった。アメリカ映画はもちろん大好きだし、とてもおもしろいけれど、ある部分嫌気がさしていることもまた事実である。
 痛快無比なエンタテインメント映画もいいけれど、もっと違った映画の魅力も感じてみたい、と思う今日このごろなのである。

 巻頭、ヒロインとその息子がTV放映の「イブの総て」を観る。そのオリジナルタイトルが「All about eve」。本作のタイトルはその引用なのだ、と初めて気づいた。
 かつてヒロインが女優として「欲望という名の電車」の舞台に立ったことがあり、ストーリーの要となる有名な老女優とのエピソードの中でも何度も「欲望の…」の舞台模様がでてくる。何か映画のモチーフになっているのだろうか。マーロン・ブランドの主演映画あるいは杉村春子の代表作というくらいしか「欲望の…」を知らない僕には舞台のテーマと映画のテーマがどうリンクしているのかわからない。
 とはいえ、映画そのものは役者たちが発する英語以外の言葉というのが新鮮で、映像も色使い、テンポ等、堪能できた。
 息子を事故で失った母親のその後の生き方に〈女の強さ〉、あるいは彼女のおかま友だちの〈忍耐強さ、ふてぶてしさ〉を感じながら、笑い、ほろりとし、ラストでは修道女の忘れ形見となった赤ちゃんを抱えたヒロインの姿に希望を見出し、すがすがしい気分にさせてくれる。

 ただ、どうにもふに落ちないのがヒロインのかつての夫(死んだ息子の父親)の生き方だ。後半、ひどく意味深に登場してくるが、こいついったい何考えているんだ!と罵声を浴びせたくなる心境だった。姿形は女性だけれど、しっかり修道女と寝て、エイズを感染させ、妊娠させ、それが原因がどうか、友人の金を盗んでトンズラをきめこむ。修道女がどうしてそういう男に惹かれたのか、身体を許したのか、というところも全然描かれていないからなおさらだ。
 というわけで僕自身はおもしろくはあったけれど、世間が大絶賛するほどすごい映画には思えなかった。

     ◇

2000/08/02

 「グラディエーター」(丸の内ピカデリー1)

 スペクタクル史劇に特に関心があるわけではない。のだが、次に「ハンニバル」が控えているリドリー・スコット監督なら見逃せない。

 冒頭のゲルマニアの戦いのド迫力で一気に引き込まれた。
 剣と剣との戦いがこれほど重厚にそしてリアルに描かれた映画を久しく観ていないような気がする。
 これは日本の時代劇にもいえることだけれど、刀(剣)を使った戦いの演出は非常にむずかしいと思う。相手を斬ったさい、衣服が切れ、ざっくり裂けた肌に血がにじむといった描写がなかなかできない。だから斬りあいのシーンが嘘っぽくなる。
 TV時代劇などは着物は破れないし、血もでないし、あくまでも役者の演技だけで〈斬られた〉ことを表現していた。観る方もそれが当然といった傾向があって、僕はどうにも納得できなかった(別に残酷な描写にしろというのではない)。
 それが最近公開される時代劇ではうまく刀の重厚さ、怖さというものを描いていてうれしく思っていたのだが、同じことがこの映画にも言える。特に接近戦はわざとコマを抜いたような特殊処理が施されていて迫力たっぷりだった。

 噂どおり主演ラッセル・クロウの勇者ぶりに惚れ惚れする。「L.Aコンフィデンシャル」にも出演しているが印象が全く違う。
 父親の皇帝アウレリウスを暗殺し後を継いだコモドゥスの策略で妻子を惨殺され奴隷の身におとしてしまう将軍マキシマスがグラディエーター(剣闘士)として再起し、ついに復讐を果たすまでを見事に演じていた。
 剣闘士としての戦いの日々の中でマキシマスは次第に実力を発揮し、まわりの仲間からリーダーとして一目置かれる存在になっていく。それを的確に表現したのが彼らのチームがローマのコロシアムで行った最初の戦いだ。歴史の1シーンの再現の形で公開されるこの戦いに、やられ役として参加しながらもマキシマスの指示どおり攻防し、見事なチームワークで敵チームを打ち破るシーンは興奮と感動を呼ぶ。

 敵役コモドゥスのホアキン・フェニックスも印象深い。父の愛に飢え、将軍マキシマスへの嫉妬と羨望に狂った英雄願望の強い粘着質のシスコン男という設定がありきたりの悪役とは一線を画している。だからこそラッセル・クロウのヒーローぶりが引き立つ。ホアキン・フェニックスがどことなく北村一輝にみえてしかたなかった。
 クライマックスは再び自由を得たマキシマスがかつての軍隊を率いてコモドゥス軍と大合戦と繰り広げるのかとわくわくしていたのだが、予想は裏切られ、マキシマスとコモドゥスの一騎打ちという展開。予算的に無理があったのだろうか。
 復讐を果たし、妻子のもとに旅立ったマキシマスが故郷の麦畑で最愛のふたりに再会するシーンに不覚にも涙があふれてしまった。

 昨今のCG技術の発達はSF、アクション映画以外に時代劇(コスチュームプレイ)にもかなり影響を与えていくのだろうということがこの映画を観ていてよくわかる。
 昔ならアメリカ映画の十八番であった巨額な予算、膨大な土地に建てられた大掛かりなセット、大量のエキストラを使ってのモブシーン、今はCG合成で遜色ない映像作りが可能になった。古代ローマの街並みの俯瞰シーン、コロシアムの外観、圧倒的な観客等、違和感なく再現されている。

 数年前TVで篠田正浩監督の「写楽」を観たときのこと。ある建物をクレーンで下から上へ移動撮影していて、その建物のむこうに江戸の町が広がったときの感激といったらなかった。
 何もCGは未来都市やメカニックを描くだけのものではない。過去の時代、それも明治、大正、昭和といった近過去の街並を再現するのにもっとも有効な技術といえるのではないだろうか。

 CGを多用しているからというわけではないだろうが、「グラディエーター」の世界観が「スター・ウォーズ」シリーズとダブってしょうがなかった。台詞の中に「帝国」、「共和制」、「連邦制」という単語が出てきたり、主要舞台が森や砂漠、辺鄙な街並、そこに奴隷商人が登場して、コロシアムでの殺人ショーが繰り広げられたりと、「スターウォーズ」から宇宙、宇宙人、最新メカを削除するとまさしくこんな世界ではないかと思えるような物語だった。




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プロフィール

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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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