2000/06/26

 「失われた宇宙の旅2001」(アーサー・C・クラーク/伊藤典夫 訳/ハヤカワ文庫)

 来年が2001年だからその記念に上梓されたと思ったら、原書は1971年に出版されていて、日本では長い間未訳だった由。
 書店で本書を見つけたとき、解説に「クラークによるメイキング・オブ・2001年宇宙の旅」とあって、映画「2001年宇宙の旅」の原作になったクラークの短編「前哨」も収録されていたので、即買ってしばらくツン読状態だった。

 読んでみるともちろんメイキングもあるのだが、それ以上に、映画製作にあたってキューブリックとクラークが書き、実際には映画化されなかった当初のシノプシスが映画の進行どおりに並んでいる。
 これはもう一つの「2001年宇宙の旅」である。

 映画に登場したコンピュータHAL9000のHALはIBMのアルファベットをひとつずらした単語と噂されて久しいが、クラークは本書できっぱりと否定している(Heuristically purogrammed Algoristhmic computer 発見的プログラミングをされたアルゴリズム的コンピューターの略)。

 映画が公開された際、ラストの難解さが話題になった(あくまでも後年知ったことだが)。「あれは予算がなくなったせいだ」と推測する評論家がいたが、まったくそのとおりであることも述べられている。

 映画「2001年宇宙の旅」を劇場でちゃんと観たのは20代のころの何回めかのリバイバルロードショーだった。その前にもTVで何度か観ていて感じていたことだが、新宿プラザの70㎜スクリーンの迫力ある映像を目のあたりにして、これはストーリーがどうのというより、映像そのものを体験する映画なのだと確信した。
 〈人類の夜明け〉では精巧な類人猿のぬいぐるみ演技がみものだし、空に投げ上げた骨が宇宙船に変わってからは、未来の宇宙旅行の実際をつぶさに観察すればいい。あるいはディスカバリー号における突然のHALの反乱シーンの息づまるサスペンスにハラハラドキドキしたり。

 ストーリーに意味を求めたいなら、小説版「2001年宇宙の旅」を読めばいい。主人公・ボーマン船長がスターゲートを飛び越えるシーンを映画では光の洪水といった感じで描写し、かなりの迫力ではあったけれど、小説では宇宙、地球、人間の進化を短い間に体験させるというほとんど映像化不可能な非常に壮大な空間を描き出し、その果てにボーマンが神になったことを告げていた。描写力において、やはり映画は小説にはかなわないのかと思ったものである。

 本書にはたぶん予算的な問題で見送られたであろうシークエンス(ボーマンがスターゲイトを通り抜け、高度に発達した異星人の惑星に到着する)のシノプシスが収録されている。
 理解できない単語が並び、描かれている世界が今ひとつ頭の中で絵にできないもどかしさがあって、これが映像ならばという思いが何度もよぎった。

 久しぶりに「2001年宇宙の旅」の映画と小説を堪能したくなった。

     ◇

2000/11/29

 『未来映画術「2001年宇宙の旅」』(ピアーズ・ビゾニー/浜野保樹・門馬淳子 訳/晶文社)

 アーサー・C・クラーク版の〈メイキング・オブ・「2001年宇宙の旅」〉というべき「失われた宇宙の旅2001」を読んでから、もう一度小説と映画をあたろうと(郷里からちゃんと文庫本を持ってきたし、部屋のどこかにはコピーしたビデオテープがあるはずだ)思っていたにもかかわらず、まったく行動していない。
 あれから数ヶ月過ぎて、図書館で本書を発見した。当時のデザイン、設計図、未使用カット、絵コンテ、イラストのほかにポスターや写真などが掲載されている大判の本書は前から読みたかったものだ。

 秘密主義、完璧主義のキューブリックのこと、その製作過程は多くの謎に包まれていたという。そんな状況のもと数々の関係者に取材して製作の現場に迫ろうとしたのが『未来映画術「2001年宇宙の旅」』である。
 著者が1968年に公開された「2001年宇宙の旅」を観たのが9歳のときだった。感想を訊ねる両親に対して、この難解な映画について「理解する必要なんてない。ただ見ていればいいんだ」と答えたのは何とも頼もしい。僕も同じ意見なのだが、9歳でそう感じたというのだからすごい。

 長く語り継がれる優れたSF映画を撮りたいというキューブリックは(まさしくそのとおりになったわけだが)、クラークと徹底的にミーティングを重ねた。 月面に存在していた謎の物体を発見し、何者かに送る信号装置を作動させた人間を描いたクラークの短編「前哨」を原案に映画用のいくつものシノプシスを書いた。それをキューブリックは、映像化し、クラークは小説化した。だから映画のクレジットタイトル(シナリオはキューブリックが先で、クラークが後に続く。小説本では逆にクラーク、キューブリックの順になる(と書かれているのだけど、文庫本にはキューブリックの表記はない。少なくとも僕が持っている本には)。

 キューブリックは製作にあたり、さまざまなSF映画のフィルムを取り寄せた。日本映画も、とあるから本多・円谷作品も観ているのだろう。
 本書を読んで初めて知ったのだが、特殊撮影に関してもキューブリックがしっかり指揮をとっていて、有名なダグラス・トランブルはスタッフの一員でしかない。特撮スタッフの一部は「サンダーバード」の(アンダーソン夫妻の)プロダクションから引き抜いているという。最初美術を手塚治虫に依頼した件もでてくるかと思ったがそれはなし。
 「2001年宇宙の旅」のメイキングというと、どうしてもミニチュアを使った特殊撮影の裏側を知りたいという気持ちが先立つ。しかし、俳優を使った部分でもカメラアングル等に神経を使って宇宙のシーンを撮影していたことがわかる。スクリーン上では当たり前過ぎてうっかり見過ごしてしまうカットである。

 オープニングに登場する類猿人の造型は今みても〈リアルという点〉においてまったくもって素晴らしい出来である。にもかかわららず同時期公開の「猿の惑星」にアカデミー賞最優秀メイクアップ賞が贈られたことに対してキューブリックをはじめとしたスタッフが憤慨したのはよくわかる(結局「2001年宇宙の旅」は最優秀視覚効果賞しかとれなかった)。
 公開時、あの<スターゲート>の光の乱舞シーンが麻薬でトリップした若者たちに歓迎されたというのもいかにも時代を感じさせる出来事だ。

 来年はいよいよ2001年。それを記念して「2001年宇宙の旅」がリバイバルロードショーされるのだろうか?
 絶対観に行くけれど、その前にビデオを借りよう。もう我慢できない。

     ◇

2001/04/21

 「2001年宇宙の旅 新世紀特別版」(ル・テアトル銀座)  

 昨年、アーサー・C・クラークの〈メイキング・オブ2001年宇宙の旅〉ともいうべき「失われた宇宙の旅2001」(ハヤカワ文庫) を読んでから時期が時期だけに「2001年宇宙の旅」がマイブームになっていた。もちろん映画はこれまでにTVやビデオで観ているし、83年の何度目かのリバイバルの際は新宿プラザのスクリーンで感動を新たにしたものだ。  

 21世紀をむかえるにあたって、この映画を避けて通れないだろう。関連書籍をあたりビデオをレンタルしたりしていたが、やはり「2001年宇宙の旅」は大スクリーンで鑑賞したい。  
 話題性もあることだから、2001年には どこかでリバイバル上映されるだろうと思っていたら、案の定春に公開というニュース!それもかつてシネラマで有名だったテアトル東京の跡地にできた劇場での公開と聞いて胸躍らせた。  
 記事にはシネラマでの上映を検討中とあったので喜び勇んで出かけたらサイズは従来と変わらず、後でポスターを確認すると新世紀特別版 デジタル・リミックス・サウンド、スコープ・サイズ〔70mm再現比率〕とある。
 ちなみに劇場内にはディスカバリー号の1/100サイズのミニチュアや公開当時のポスターが展示されていた。ポスターの表記はスタンリー・カブリック。当時カブリックと呼ばれていたことはずいぶん前にキューブリック特集本の和田誠の文章〈カブリックの頃〉を読んで知っていたが、いざその証拠を示されると笑ってしまう。  
 この特集本「イメージフォーラム増刊 :KUBRICK:」(88年)の別のコーナーではやがて来る2001年に行われる架空の「2001年宇宙の旅」公開の模様が書かれており、初公開以来のシネラマで上映とある。そのイメージが頭のどこかにインプットされていたのだろう。シネラマでなかったのは残念だったが映像は驚くほど鮮明でわかりきったことなのに改めてキューブリックの色使いに惚れ惚れしてしまった。  

 この映画の日本での初公開は1968年。僕が小学3年の時である。当時、SF映画の傑作として有名だった(というか僕自身が知っていた)のは「猿の惑星」「ミクロの決死圏」で、どういうわけか「2001年宇宙の旅」の存在を知ったのはずいぶん後になってからのことだった。
 「恐竜グワンジ」「恐竜100万年」の特撮に「まるで本物だ!」と驚愕した僕が、もし当時この映画を劇場の大スクリーンで観ていたらいったいどんな影響を受けていたか計り知れない。内容は別にしてその映像が人々にショックを与えたことは83年のリバイバル時も、そして21世紀の今も十分理解できる。

 ボーマン船長がコンピュータ・HALの知能機能を切断するくだりは「ハンニバル」の〈最期の晩餐〉シーンとイメージが重なった。
 ボーマン船長がチップを抜き取るごとにHALの知能が退化していき、しまいに歌をうたいだす。小説の「ハンニバル」でもレクター博士に前頭葉を削られるたびにクレンドラーは狂っていき、しまいに大声で歌いだす……。

     ◇

2001/05/02

 「2001年宇宙の旅」(アーサー・C・クラーク/伊藤典夫 訳/ハヤカワ文庫)  

 昨年再読しようと郷里から持ってきていたにもかかわらず、なかなか機会がなかった。劇場で映画を観てやっと本棚から取り出した。  

 83年のリバイバルを観た後、1年後くらい経って原作を買ったのだから約17年ぶりの読書になるのだが、記憶というものがこれほど当てにならないものなのか、これまで以上に痛感した。  
 昨年6月にクラークの「失われた宇宙の旅2001」を読んだ際、僕は次のように感想を記した。
     ▽
 主人公・ボーマン船長がスターゲートを飛び越えるシーンを映画では光の洪水といった感じで描写し、かなりの迫力ではあったけれど、小説では宇宙、地球、人間の進化を短い間に体験させるというほとんど映像化不可能な非常に壮大な空間を描き出し、その果てにボーマンが神になったことを告げていた。描写力において、やはり映画は小説にはかなわないのかと思ったものである。
     △
 問題はスターゲートを飛び越える場面である。
 今回一番楽しみにしていたのもこの部分で、いつ〈宇宙、地球、人間の進化を短い間に体験させる〉くだりがでてくるか胸ときめかせていた。
 が、ないのである。スターゲートを飛び越える描写はもちろん詳細で思い描く映像は映画の比ではないのだが、宇宙や地球、人間の進化に触れる文章なんてない。何度も読み返してみたが、それっぽい文章も見当たらない。
 そんなバカな! 17年前確かに同じ感想を日記に綴ったはずだと昔のノートをとりだしてみたら〈雄大で奥深く神秘的〉と書いてあるだけで進化のシの字もない。じゃあ、オレが思い続けてきたイメージはなんだったのか。まったく狐に化かされた気分だ。
 コンピューター・HALによる反乱のサスペンスは映画の方が上とあり、これは今回も同印象。

 21世紀を迎えた今、「2001年」の映画と小説に触れてみて一番感じるのは、インターネットの隆盛をまったく予測できなかったのだなということ。60年代にインターネットの概念があったのかどうかを確かめてみたい気もする。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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