2001/05/02

 「バトル・ロワイアル 特別篇」(新宿オスカー)

 「バトル・ロワイアル」が公開され大ヒットしていた今年はじめ、とあるファーストフード店でコーヒーを飲みながら読書にいそしんでいた時のこと。隣の女性たちの会話が聞こえてきた。話からすると二人は出版社に勤める編集者らしい。  
 耳をそばだてたのは「バトル・ロワイアル」の話題になった時だ。話を要約するとこうなる。映画「バトル・ロワイアル」が国会議員の上映中止要請等何かと話題になって多くの中学生が関心を抱いたものの映画は観られない。かっといって活字嫌いの彼らのこと、小説を読むのはおっくうだ。で、彼らはマンガ化された「バトル・ロワイアル」にとびついた。だから「バトル・ロワイアル」のコミックスが売れているのだそうだ。  
 この話を友人にすると、「バトル・ロワイアル」の小説を読み、映画も鑑賞し、マンガも目をとおしている高校生になる娘の3つの作品に対する印象を教えてくれた。なんでもマンガの描写が一番残虐度が高いらしい。  
 となると、せっかくR-15に指定して中学生以下には見せないようにした処置はなんだったのだろうと思う。映画「バトル・ロワイアル」を教育上好ましくないと声高に糾弾する側にとって小説やマンガの存在は許せるのだろうか。  

 小説「バトル・ロワイアル」は某ホラー大賞の最終選考まで残ったものの内容がきわめて反社会的と審査員の反感を買い落選した経緯がある。  
 この小説が映画化されると某映画BBSで話題になりだした時は、007シリーズが今なぜ?くらいの認識しかなかった(あちらはカジノロワイアルか)。書籍の情報にはわりと敏感のつもりでいた僕としては小説の存在を全く知らなかったのは恥ずかしい限りだが、深作欣二監督によって映画化されると知り、まずは映画化作品に内容に触れよう、本を読むのはとりあえず後回しにした。  
 そうこうするうちにあの騒ぎである。映画がどんなにひどい内容であっても権力で上映中止にするような真似はよくないと思っている(それは小説でもマンガでも同じこと)。だからあの騒動が何だったのか。映画を純粋に観て自分なりの判断を下したいという思いが強くなった。が、いざ、ふたを開けたら大ヒット。そうするとイマイチ劇場に足を運ぶ気持ちがにぶった。そのうちにと思っていたらロードショーが終了。で、特別篇こそ真っ先に観ようと思いつつ、またズルズルとのびてしまい(人殺しがメインの映画って敬遠しがちなのだ)、会社帰りに寄れる丸の内東映での公開は終わり、新宿まで行かなければならなくなった。
 考えてみれば、この映画は銀座より新宿の場末の映画館で観たほうが似合っている。     

 国会議員が大騒ぎするほど殺人ゲームにインパクトはない。  
 テーマは中年男と少女の心の交流と断絶をまぶした逆説的友情論である。  
 近未来、多発する少年犯罪に業を煮やした政府は〈バトル・ロワイアル法〉通称〈BR法〉を制定した。全国の中学校の中から選別されたクラスの生徒たちを一定期間ある地区に閉じ込め、サバイバルゲーム(殺し合い)をさせ、最後に生き残った一人だけが脱出できるというもので、体のいい少年減らしの法律である。世の大人たちは傍若無人と化した少年少女は生きる資格なしと判断したのだ。  

 深作監督の演出は軽快だ。映画世界の状況を簡潔に説明した後、たたきこむように一気にサバイバルゲームに突入していく。さまざまシチュエーションでの殺し合いの描写。ある者は問答無用に相手に牙をむく、ある者は共存の道を模索する、ある者(カップル)はあっさり死を選ぶ。デフォルメはされているものの、行為自体は学校内(あるいは会社)における人間関係を象徴しているように思えた。  
 仲良く灯台に立てこもる女子生徒たちのところへ負傷した主役の男子生徒(藤原竜也)がかつぎこまれ、彼に殺意を抱く一人の女生徒の行為に起因してあっというまに仲たがいが始まりやがて銃の乱射で全員が死亡してしまうエピソードが特に印象深い。  
 女子生徒といえば、登場する女生徒たちの制服が理解できなかた。スカートからはみ出したスリップ(?)が目障りだし、たまにスカートがめくれて見え隠れするパンツなんて中世のそれ。別にそんなところを期待したわけではないが、思うにこの映画はわざと性(セックス)の問題を切り離しているのですな。  
 自分の生命が風前の灯火となった状況なら、なおかつクラスに意中の人がいるのなら(カップルだったらなおのこと)、「死ぬ前に一度やりたい!」と思わないか。あっけなく心中してしまうカップルを見ながら(男子生徒は金八先生の息子・幸作くんでした)おいおい、お前らホントにそれでいいのか!とつっこみたくなった。大きな声で言えないけれど、どうせ死ぬのならと女生徒を襲う奴等も出てくるだろう。  
 もちろん中盤にクラスで一番大人びた女生徒(柴咲コウ)がその問題を請け負うわけだが、あくまであっさりに、だ。  
 そういう意味で映画の殺人ゲームはゲームでしかない。リアリティなんてないわけだから騒ぐことなんてないのである。  
 先生(ビートたけし)の不気味な存在感がいい。役を自分に近づけるたけしらしい相変わらずの演技が他を圧する。一言も台詞を発せず、ひたすら殺人鬼に徹する安藤政信も魅力。もう一人の転校生・山本太郎ともどもいくら留年しているといっても中学生に見えないが。  

 少々クサいところもあるがそれなりに人物に感情移入し、ゲームのエンディングに仕組まれた罠にはまり、逃亡した彼らはどうなるのかとスクリーンにくぎ付けになった。が、大きくスクリーンに映し出された「走れ」の字幕でずっこけた。一気に脱力。おいおいこれは長渕剛の「ウォータームーン」か?  
 その後に続く先生とヒロイン(前田亜季)のラスト、その際たけしがつぶやく台詞がなかったら怒り心頭だったろう。

 追記  
 回想シーンで描かれたバスケットのシーソーゲームに胸熱くした。クラスメートが一致団結して応援するところは僕自身中学3年時に全く同じ経験をしていることから、あの時の感動が蘇った。

     ◇ 

2001/05/06

 「ダブルス」(テアトル新宿)

 「JOKER 厄病神」以来3年ぶりのショーケン主演の映画。
 一昨年の大河ドラマ「元禄繚乱」の綱吉役はショーケンらしさを発揮した久々の快演で、長年のファンとして溜飲を下げる思いだった。  
 90年代のショーケンは髪を短くして日曜劇場「課長さんの厄年」「冠婚葬祭部長」等のホームドラマで新たな魅力を発揮したが、以後ほとんど同じヘアスタイル。それがテンプターズ以来のショーケンファンである僕には不満だった。出演するドラマも「どうしてショーケンが?」と思ってしまうものも少なくなかった。

 70年代「約束」「太陽にほえろ」から始まったショーケンの役者人生は、そのまま髪の長さの変遷ともいえる。
 「太陽にほえろ」の頃肩まであった長髪は次の「傷だらけの天使」では少しすっきりとなり、BIGIのファッションとともに当時の若者の人気を決定的にした。僕も夢中になった一人である。
 「前略おふくろ様」ではあっと驚くスポーツ刈りを披露した。
 「前略おふくろ様」の収録が終わって髪を伸ばしはじめ、ごく自然に耳が隠れる程度になって「祭ばやしが聞こえる」に主演する。実をいうとこの時のショーケンが一番好きなのだ。
 「傷だらけの天使」のファッションには憧れるだけで手はでなかったが、「祭ばやしが聞こえる」で見せた普通の青年(競輪選手)役は高校生だった僕にはとても身近に思えた。劇中で無造作に着ていたトレーナーが気になってデパート巡りしたのが思い出される。
 その後ちょんまげ結ったりアフロになったり髭を伸ばしたりと自由自在。そんな中にあって85年のライブビデオ「アンドレ・マルロー・ライブ」のショーケンも長くもなく短くもなくという感じで僕の中でベストスリーに入る。

 「JOKER 厄病神」では往年のショーケンらしさを見せつけてくれたが、映画自体は共演の渡辺篤郎をフィーチャーしたストーリーだった。
 「ダブルス」も若手の人気俳優(鈴木一真)との共演だが、スチールのショーケンに目を見張った。ちょっと長めの髪のオールバック。まるで「傷だらけの天使」の小暮修が中年になったような容貌でとにかくかっこいい!(そういえば傑作「居酒屋ゆうれい」のショーケンは「前略おふくろ様」のさぶちゃんのその後の姿だった)

 eメールで知り合ったコンピュータおたくの青年と元鍵師の中年男がある会社の金庫から大金を盗み出し、何とか成功したもののエレベーターに閉じ込められてしまう。ふたりは一度も会ったことがなく、お互いの素性も知らない。はじめは反発しあうふたりだが語り合ううちにある種の連帯感を深めていく……。

 エレベーター内における密室劇、二転三転するストーリー展開。邦画では珍しい意欲作(脚本・米村正二、我妻正義 監督・井坂聡)でショーケン主演という以外にもかなりの期待があったが、まあまあの出来。エレベーター内の男たちドラマと同時に深夜バーで男を待つふたりの女性が描かれるが容易に結びつきが想像できるし、結果何のひねりもなくまったくそのとおりの展開だった。
 とはいうもののこの映画の面白さはショーケンと鈴木一真のぶつかりあいだ。ラストにみせるショーケンの笑顔を見るだけでもファンとしては劇場に足を運んだ甲斐があった。

 川原亜矢子には何も感じなかったが、平愛梨の愛くるしさに輝いていた頃の宮沢りえを見た。けっこう胸キュン。オレもついにロリコンになったか。

     ◇ 

2001/05/19

 「トラフィック」(丸の内ピカデリー1)  

 本年度のアカデミー賞4部門(監督、脚色、助演男優、編集)受賞作品。  
 アカデミー賞云々に関係なく予告編を観るたびに興味をそそられる映画だった。
 週刊文春の映画評では評者全員が3つ星を進呈していた。こんなことはほとんどない。映画への期待は高まるばかりだったが、内容に関して大きな勘違いをしていたみたい。麻薬流通組織と取り締まる政府組織がラストでアクションが炸裂するハリウッドお得意のストーリーだと思っていたのだのだ。
 だってさあ、予告編はそういう作りになっていたし、チラシのコピーは〈闘わなければ、呑み込まれる〉なんだもの。

 映画は3つの麻薬に関するドラマが同時進行する。
 メキシコ警察の刑事(ベネチオ・デル・トロ)が仲間とともにアメリカとメキシコを結ぶ麻薬コネクションを摘発しようとして逆に利用される様。
 麻薬撲滅作戦を開始した麻薬対策本部長(マイケル・ダグラス)が一人娘の麻薬汚染に右往左往する様。
 麻薬捜査官(ドン・チードル)に亭主(デニス・クエイド)を逮捕され、初めて彼が麻薬王であることを知った妻(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は動揺するものの、家族を守るため亭主を救うべく、捜査官たちが逮捕し公判の証言者となる麻薬の売人を抹殺しようと動き回る様。
 監督のスティーブン・ソダーバーグはこの3つのドラマをまったくタッチを代えて描いた。赤く荒涼として乾いた映像でベネチオ・デル・トロのやるせない表情を追い、青く冷たい手持ちカメラのブレた映像では父娘の断絶と再生を記録、そして麻薬捜査官と組織の追いかけっこ、その過程はアメリカ映画の王道を行く見慣れた映像で構築する。
 この3つのエピソードがラストになって微妙に重なり合うところが巧い。

 5月に入って一気に仕事が忙しくなり、この映画も前売券を買ったもののなかなか観に行く機会がなく、このままでは券を無駄にしてしまうとばかり仕事帰りに疲れた身体で観たものだから前半は何度も意識が途切れてしまう始末。だから巨大麻薬コネクションの流通機構が今いち理解できなかった。
 理解できたとしても観終わって全米の興奮を肌で感じることはできなかったと思う。

 自分の理解力を棚に上げて書くのも気が引けるが、麻薬と宗教(キリスト教)の問題に踏み込んだ映画って日本人には理解できないのではないか。
 中学3年の時「エクソシスト」を観てそれほどの怖さを感じなかった。ある評論を読んだら、真のキリスト教徒でないと映画で描かれた恐怖は実感できないとあった。それは「スリーパーズ」を観た時にも感じた。
 同じように日本では麻薬が一部浸透しているものの、一般社会を混乱させるほどのものではない。だから各エピソードで描かれた内容が、家族(夫婦、父娘)、友情といった普遍的な問題として捉えることはできるものの、それ以上にこちらに迫ってはこなかった。
 とはいうものの、ラスト、組織の汚職を暴く条件に要求した照明設備が整ったグラウンドが完成し、少年たちが嬉々として野球する姿を観客席で眺めるベニチオ・デル・トロの表情は一見の価値はある。




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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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