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2001/07/07

 「ロマンスX」(シネ・リーブル池袋)  

 フランスのカトリーヌ・ブレイヤという女流監督が描くエロティックな女性映画。  
 早朝ニュース番組の芸能コーナーでこの映画の特別試写会に招待された飯島愛の「縛りは日本の文化」という言葉が紹介されているところをたまたま見ていた。ヒロインが紐で縛られたりするシーンがあるのだとか。海外のソフトSMがどういうものかちょっと興味がわいた。  

 〈愛と性のバランスに悩み、傷つけながらも自分らしく生きる女性の物語〉とのことだが、そんなたいそうな内容ではないよ。  
 まずヒロイン(キャロリーヌ・デュセイ)と夫(サガモア・ステヴナン)の関係が異常だ。今流行りのセックスレス夫婦(というか同棲中のカップル)なのだが、夫君からセックスを拒否されたヒロインは夫君を愛しながらもその欲望を外に求める。深夜一人でパブに出かけ当然のようにナンパされ、2回目でことに及ぶのだ。相手の男性がキスを求めると「唇は愛する人のため」だなんてぬかす。それって娼婦の言葉だろうが! そんなこと考えるのなら最初から他の男性とセックスなんてするなよ。  
 相変わらず夫君はセックスを拒否し、ヒロインは何とかその気にさせようとフェラチオをする。「こういう行為は他人には絶対にしないの」。でもセックスはするんだよね。  
 部屋にもどる途中、階段で見知らぬ男に「××フランであそこを舐めさせろ」と言われ、何の抵抗もなく身体を許してしまう。男が欲情し、アナルセックスを強要、いやがる彼女を強引に犯すと金も払わず去ってしまう。落ち込んだ彼女が家に帰るとすでに夫君はベットに横になっている。驚いたのは彼女がそのままベットにもぐりこんでしまうところ。汚された身体をシャワーで洗えってーの! 夫君も妻が何されたか気づけって。  

 だいたいこの夫君、これまで女性とのつきあいは一週間もてばいい方で、ヒロインと3ヶ月続いたのは奇跡に近いのだとか。それってどこかに問題あるんじゃない? にもかかわらずヒロインはそんな夫君を愛していると。ヒロインを引きつける夫君の魅力が映画を観る限りでは全然わかりませーん。そんな奴とは早いとこ別れちまって違う男を見つけた方がいいと思うよ。
 
 唖然としてしまったのはこの夫君の「子どもがほしい」の台詞。セックスはいやだ、でも子どもは欲しいって、単なるわがまま。それにこの夫君、どうみても子ども好きには見えない。そんな彼からどうして「子どもがほしい」なんて台詞がでてくるのか?  
 でもなぜかヒロインは妊娠し、臨月を迎える頃になってようやく夫君のバカさ加減がわかる。で、出産当日、夫君が泥酔して起きないことをいいことにキッチンのガス栓を全開にして病院にむかう。新しい生命が誕生すると同時に自宅は大爆発を起こし夫君は死亡。そして小さな我が子を抱いて夫の葬儀に出席するヒロインがこれから強く生きていくことを暗示させるエンディング。子どもがいなけりゃ女は強く生きられないのか。  

 ヒロインが浮気する相手に自分が勤務する小学校の校長がいる。「ハンサムでもなく、金もない私が関係を持った女性は1万人」が常套句で自分の女性体験を自慢するのだが、そう言いながらもヒロインを緊縛する技術は実に稚拙。ああじゃない、こうじゃないと道具を選び出し、恐々とヒロインを縛ってゆく。団鬼六が見たら怒るよ、たぶん。ただこの素人のおっさんによる美女を素材にした緊縛シーンはその稚拙ゆえに妙に生々しくちょっとくるものがある。  

 オーディションで選ばれたというキャロリーヌ・デュセイはヘアと性器を丸出し(といっても性器はボカシが入るけど)でヒロイン役に果敢に挑戦している。  
 彼女が妊娠の検査をするシーンのこと。主治医のあとに何人ものインターンに膣の中に手を入れられところがある。普通、診察台は腰のあたりからカーテンで仕切られているものだが、この映画ではそんな設備はなくヒロインはインターンたちに丸見え。フランスの婦人科ってこういうものなのか。映画用に設定を変えているのか。  
 僕はこの診察シーンやラストの衝撃的な出産シーンに女流監督の視線を感じたのだが、後はどうというものでもない。この映画のどこが〈愛と性のバランスに悩み、傷つけながらも自分らしく生きる女性の物語〉なのか。
 
 フランス映画、女流監督なんてキーワードに騙されてはいけません。セックス依存症女が異常性格男の魅力にとりつかれた一風変わったポルノ映画として観たほうがかなり笑えるのに……。

     ◇

2001/07/10

 「ドクター・ドリトル2」(東京厚生年金会館 試写会)  

 動物たちと会話ができるドリトル先生の物語は子どもの頃大いに親しんだ。そんなドリトル先生がエディ・マーフィー主演で映画化された際(前作)、ファミリー映画としてTVのバラエティ「動物奇想天外!」を毎週夢中で見ていた娘を誘って行ってもいいかなと思っていたが、結局ウヤムヤのうち終わってしまった。
 
 今夏公開される続編は前作より面白いらしい。しかし娘は中学生になりこの手の映画を卒業してしまった。僕自身最近のエディー・マーフィーの映画には興味なく金を払ってまで映画館まで足を運ぶつもりもない。  
 そこに試写会の話。  
 開場から20分後くらいに入場したのだが、これがすごい混みよう。親子連れが目立った。

 「ベイブ」の大ヒットで「ドクター・ドリトル」は企画されたのだろう。本物の動物を多数登場させ、一部アニマトロニクス(ロボット)と併用、動物たちがしゃべる時の口の動き(CG)等々、ほとんど同じ作り。主役のドリトル先生に黒人のエディ・マフィーをもってきたところが斬新といえようか。まあ、本のドリトル先生に親しんだ世代にはこのキャストは驚きだが、〈動物とおしゃべりができる人物〉というキャラクターのみが原作からの借用で、あとはすべてオリジナルなのだから目くじらたてることもあるまい。  

 ある企業の開発で森が絶滅されることを恐れる動物たちがドクター・ドリトルに助けを求めてきた。森を乱開発から救うには森に住む絶滅種の熊(メス)をつがいにし、子を産ませ指定地区にしてしまうこと。しかし相手に選ばれたオスの熊はサーカス団に飼われていて全く野性味がなく、メス熊は興味を示さない。ドクター・ドリトルによるオス熊野生化大特訓が始まるのだ。  

 どうしても「ベイブ」と比較してしまうが、全編をとおしてそれほど大笑いできなかったのは残念。一番笑えたのが動物たちがヒット映画の名台詞を言うところというのも寂しい。誰も気がついていなかったみたいだけど。  
 ドクター・ドリトルの奥さんが美しい。彼女は弁護士であるのだが、家庭と法廷での髪型が違うのは何か意味があるのだろうか。   
 ?なのは森にオス熊がいないという話だったのに、途中で野生のオス熊が登場してきてサーカス熊とライバル関係になるところ。だったら最初からこのカップルをつがいにすればいいではないか。動物たちがちゃんと英語をしゃべる特撮も「ベイブ」の頃は新鮮だったが、今ではもう当たり前って感じがする。やはり小さい子どもと一緒に観るべき映画だ。  

 映画は年頃の娘を持つドリトルが携帯電話や彼氏にしか興味を示さない娘の行動にカリカリする父親としての側面も描いている。個人的にはそちらの話の方が身につまされる思いがした。ホント、父親なんて相手してくれないんだから。

     ◇

2001/07/14

 「メトロポリス」(新宿ジョイシネマ3)  

 やっと新宿で観ることができた。  
 数年前から、いかに期待している映画でも前売券を事前に買うことがなくなった。前売券、株主優待券等を金券屋で購入する。今回1,250円のジョイシネマ招待券があり即購入。いかに安く、できるだけ多くの映画を観るかが問題なのである。  

 手塚治虫の初期傑作をアニメーション化したこの作品について、まず「幻魔大戦」のりんたろう(監督)と大友克洋(脚本)が再びコンビを組んだことに注目した。「幻魔大戦」では原作の石森章太郎のキャラクター(絵)を使わず、大友克洋のオリジナルだったが、今回は手塚マンガ初期のタッチそのままに手塚キャラクターが登場するという。  
 ヒゲオヤジ、ケンイチ、ロック、アセチレンランプ等々、ある世代から上には感涙ものの絵柄だと思うが、宮崎アニメ全盛時代の今、手塚治虫を知らない若い世代には何のアピールもないのではないか。  

 次に注目したのはヒゲオヤジやケンイチと行動するロボット刑事のキャラクター。手塚治虫自身が失敗作と認めている「アラバスター」の主人公が扮しているのだ。「アラバスター」は週刊少年チャンピオンに「ザ・クレーター」終了後に連載されたマンガ。実験に失敗し身体が半透明になった男が世間に復讐するため暗躍する物語で、主人公といえども敵役なのがショックだった。そんな彼がこの映画ではヒゲオヤジたちとともに指名手配の犯人を見つけ出す刑事役。過去のトラウマから開放された。  

 セル画のアニメーションとCGとの合成によるメトロポリスの街並みはかなりの迫力だ。メトロポリスの世界観も十分表現されていた。キャラクターにあわせてか、ある種レトロ感があって妙に暖かいところがいい。手塚マンガの特徴でもあったモブシーンも動きのある絵と声でうれしくなる。
 
 本多俊之のジャズ風音楽も映像にフィットしていた。メトロポリスの崩壊をレイ・チャールズの「I Can't Loving You」をバックに描くシーンは「フェース/オフ」の「オーバー・ザ・レインボー」の歌声にのせて繰り広げられた銃撃シーンの引用、スペクタクル版だろうか。できるなら最後まで効果音なしで描ききって欲しかった。もっと映像と音楽に酔いしれていられたのに、と残念に思う。  
 映像の素晴らしさに比べドラマの方は大分貧弱だった。人間関係の描写が希薄なのでロックがなぜロボットを目の仇にするのか、ティマとケンイチはなぜ惹かれあうのか、映画を観る限りではよくわからなかった。  

 エンディングロールを見ていたらパブリシティのところで大学時代のサークルの先輩の名を発見!  
 「ガメラ 大怪獣空中決戦」の試写会以来お会いすることもありませんが、頑張っていらっしゃるのをクレジットで拝見できてはうれしい限りです。試写会招待状をどんどん送ってくれるというあの話はもう忘れてしまったんでしょうね、鈴木智恵子様。

     ◇

2001/07/28

 「ダンス・オブ・ダスト」(テアトル池袋)  

 最近、洋画、邦画ともに松竹・東急系か独立系しか観ていない(別に意識しているわけではない)。当然本編上映前の予告編も毎回同じものばかりを見せられることになるのだが、「ダンス・オブ・ダスト」は何度も予告編を見て興味がわいてきたのだから何が幸いするかわからない。たぶん文字情報だけではこの映画を観ようなどとは思わなかっただろう。まあ、テアトル池袋の劇場招待券をもらったということもあるにはあるけれど。  

 製作直後から一切の上映を禁じられ、封印されてしまった作品だという。それが1998年になって各映画祭に出品され数々の賞に輝き日本でも公開の運びとなった。  
 イラン映画のことは何も知らない。監督のアボルファズル・ジャリリについても何の予備知識もない。  

 この映画に字幕はない。映画の中には台詞があることはあるが監督の意向でつけられなかった。あくまでも映像と音で感じて欲しいとのこと。  
 イランの貧しい村を舞台に煉瓦造りに励む少年と季節労働者の娘の心の触れ合いと別れを描いた内容なのだが、映画を見るだけではストーリーはほとんど理解できなかった。にもかかわらずこの映画、少しも退屈しなかった。映像にくぎづけになってしまうのだ。  
 なぜか?

 村の人たちの暮らしぶりが大変もの珍しい。たとえば村の主要生産品である煉瓦造りの工程ひとつとってみても、これまで見たこともない光景が繰り広げられる。  
 粘土みたいな煉瓦の素を木型によそってきれいに整える。そこから少し移動した場所で木型を逆さにして中の煉瓦の形になった粘土を取り出す。みるみる煉瓦の粘土は山積みとなっていく。この作業が何人もの労働者によって黙々と繰り返される(その中に少年もいる)。数日後すっかり乾燥した煉瓦粘土は窯に運ばれ素焼きされる。(煉瓦を焼く際に使用する新聞紙に日本のものも混じっていて驚いた。)
 作業場には労働者の赤ん坊も連れて来られて適当にほっぽかされていたり、休憩時間にみなコップに入った液体(水なのかジュースなのか、少年も飲んでいるからアルコールではないことは確か)を赤ん坊と一緒にすすったり。そんな光景を見ているだけでも飽きがこない。

 苛酷な自然の中で暮らす村人たちの姿が強烈だった。  
 主人公の、おばさん顔の少年が実に良く働く。煉瓦造りのほかに井戸の水汲み、縫い物、起きている間は何かしらの仕事をしている。たぶん小学校なんて通ってないのだろう。この村に学校自体がないのかもしれない。
 少女はあまりに大人びたマスクで身体とのアンバランスさに少々違和感を抱いた。  
 村人たちは皆寡黙。後でチラシを読むとこの村は様々な地方から季節労働者がやってきて、いろいろな言葉(ペルシャ語、アラビア語、トルコ語、クルド語)が入り交じっていると書かれてあった(そういえば訛った英語をしゃべる人も出てきたっけ)。互いに言葉が通じないから寡黙なのか。苛酷な自然のもと、日々の生活に追われ疲れきっているからしゃべる気力がないのか。  
 酒場(みたいなところ)で男たちが酒を飲みながら饒舌に語り合うシーンもあるが、字幕がないから内容はまったくわからない。  

 音楽が一切使われていない。少年の鋭い眼差しとシャープな映像(撮影・アタ・ハヤティ)が印象的な映画である。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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