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2001/10/13

 「カルテット」(シャンゼリゼ)  

 宮崎駿監督のアニメや北野武監督作品の音楽で有名な久石譲が初メガフォンをとると聞いた時は、「ああまたか」といった思いで何の関心もわかなかった。  
 素人監督はいい加減にしてくれ!という思いが強かった。  
 サザンの桑田や小田和正、元米米クラブの石井竜也とミュージシャンがいとも簡単に映画を監督してしまうのが何とも不思議。まあ、本業で大いに稼いでいる(つまり集客しやすい)からスポンサーもつくのだろうが、資金調達がままならず企画が頓挫してしまう監督が多い中にあって、この差はあまりにもひどすぎるではないか。異業種の人が監督に進出するのはどうかと思っている。
「映画に興味があるのならプロデューサーになってくれよ」
 声を大にして叫びたい。  

 ところが内容が弦楽四重奏の演奏家たちを主人公にした音楽映画だと知って態度が変わった。  
 スポーツを扱う映画同様、役者が楽器を扱うのも演出上むずかしい。楽器を演奏するシーンでよくある手法はロングでは役者が演奏する真似、手元のアップはプロを使う、というもの。たとえばピアノを弾く場合、ピアノに隠れて指の動きはわからないから役者の演技次第でそれっぽく見えるからいいものの、見ている方としては、「あ、これ弾く真似だ」「これはプロの手だ」という意識が働いてしまい、ストーリーに集中できないことがままある。  
 音と指の動きのシンクロなど無視して、たとえばトランペットなどデタラメに吹くなんてこともあるが、これは問題外。演出家のセンスを疑ってしまう。(この前観た「真夜中まで」は指と音がしっかりシンクロしていて気持ちよかった。)  

 そこで弦楽四重奏だ。バイオリン2本、ビオラ、チェロ。楽器の中でも簡単に弾きこなせるシロモノではない。映像的に嘘をつくのは難しい楽器だから、(音は別にして)役者の楽器の演奏が様になっていなければ観客の心を打つはずがない。奏でる音楽も観客を納得させなければならない。  
 すぐれた作曲家であり、現在の日本映画で代表的な作品の音楽を担当している久石譲の監督作に期待するのは、そういうところだった。音楽以外の題材だったら見向きもしなかっただろう。  

 音大時代弦楽四重奏でアンサンブルコンクールの優勝を狙い、果たせなかった4人の若者が社会に出て挫折。都内の某有名交響楽団のオーディションの会場で再会し、恩師の勧め、ライバルへの意地もあってもう一度コンクールに挑戦する4人のメンバー間の葛藤、愛と友情を描く青春〈音楽〉ドラマである。  

 開巻演奏中にハプニングが続発、演奏不能の事態におちいった4人(袴田吉彦、桜井幸子、大森南朋、久木田薫)の硬直状態から、場面は現在に飛んでそれぞれの今の生活を映し出す。  
 地方の交響楽団のコンサートマスターでそれなりに活躍していたものの突然降ってわいた楽団の合併問題のごたごたに嫌気がさす袴田、ポップス演歌歌手のバックで歌手の色目を嫌悪しながらバイオリンを弾く桜井、音楽スクールのビオラ講師として生徒に人気があるものの、リストラのためクビになってしまった大森、大邸宅に住み生活の心配のない久木田はチェロばかり弾く毎日だがなかなか芽がでない。  
 4人の性格、現状、そして再会するまでをテンポよく見せてくれる久石監督の手腕はなかなかのものだ。各人の性格描写も鮮やか。  
 名バイオリニストを父親に持ち英才教育で将来を嘱望されているが、天才にありがちな身勝手でエキセントリックな袴田、袴田ほどのテクニックはないもののバイオリンを生活の糧にしたい自立心旺盛な桜井(実はふたりは意中の仲)、才能はなく人柄だけの大森、のんびり構えていると見えながら内心自分の将来を不安視している久木田という塩梅。  

 4人はコンクールの練習と生活費稼ぎのため、恩師(三浦友和、肩の力を抜いた好演)の紹介で地方演奏会のツアーにでかける。ここから音楽家でありながら音楽(楽器)の常識よりストーリーとしての〈絵〉を優先させる映像、演出が散見され、ちょっと白々しくなるのが残念だ。  
 幼稚園児たちを対象にした演奏会の、演奏を無視して会場内をはしゃぎまわる子どもたち。大人たちは注意もせずただ黙っているだけ。  
 屋外の花火真っ最中での演奏会。これは花火に夢中になっている子どもたちが途中で演奏される「となりのトトロ」のテーマを耳にしてふと音楽に耳を傾けるという心憎い演出なのだが、花火の最中での演奏会なんて考えられない。普通は花火が始まるまでの余興だろうに。  
 海岸で練習に励む4人。この風景は詩情豊か。しかし、弦楽器を海岸に持っていったらどうなるか。非常識以外の何ものでもない。
 
 死んだ父を許していない袴田と父の偉大さ、優しさを聞かせるかつて父の音楽仲間だった老人(藤村俊ニ)との会話では、袴田の怒りが最高潮に達した時に突然雷が轟く。よくあるパターンだ。激しい雨に濡れながら、宿に帰る袴田の手にはバイオリンの入ったケース。途中で彼を心配する桜井が待っている。ふたりはびしょ濡れになりながら抱き合うのだが、まるで雨に濡れるバイオリンケースを気づかうそぶりがない。
 また、いくらすごいテクニックを持っていたとしても20代の若さではコンサートマスターになれない、とは一緒に観たかみサンの意見。    

 ドラマ部分にはいろいろ不満はあるが、演奏シーン、音に関しては嘘っぽさは感じない。弦楽四重奏の音色に堪能した。

     ◇

2001/10/20

 「約束」(シブヤ・シネマ・ソサエティ)  

 ミニシアターのシブヤ・シネマ・ソサエティでは9月15日よりモーニングショーで「岸恵子と5人の男たち」と銘打った特集を開催している。その最後のプログラムがショーケンの実質的映画デビュー作「約束」だったので初日に足を運んだ。  

 「約束」は確か高校生の時に一度TVで観たことがある。  
 テンプターズ解散後、タイガース、スパイダースのメンバーとロックバンド・PYGを結成したもののブレイクせず、歌手を廃業して映画業界で働こうとしたショーケンは最初この作品の助監督でもつとめられればという思いで斎藤耕一監督のもとを訪ねたらしい。ところが予定していた男優が出演できなくなって、急遽ショーケンにお鉢がまわってきた、ということを以前何かで読んだことがある。本当かどうかは知らない。  
 ショーケンは、大女優相手に瑞々しい(ほとんど感性だけの)演技で挑み、70年代の青春の一断片を表現したこの映画で評論家の絶賛を浴び、役者としてその後NHK「明智探偵事務所」を経て「太陽にほえろ」のマコロニ刑事役で人気が爆発したのだった。深キョン相手のシブいお父さん役もいいけど、若かりし頃のショーケン姿をスクリーンで拝みたかったのだ。  

 模範囚の女(岸恵子)が母親の墓参りのため特別に外出を許可され、監視員(南美江)とともに、日本海沿いを北上する列車に乗っている。途中から乗り込んできた青年(ショーケン)が偶然女の向かい合わせの席についた。青年は人なつこく女に話しかけるが、女は無視する(この時のショーケンの受けの演技が絶品で語り草になっている)。  
 やがて青年の人柄がわかり心開きやさしく相手する女。が、青年の彼女への思いは駅を降りてからも消えない。監視員を宿に残して一人墓参りする女に同行した青年の言葉は女囚に久しぶりに女としての感情を蘇らせていく。海岸沿いの冬ざれた公園でしばし時間を共有するふたり。  
 女は刑務所の塀の中にもどる際、別れを惜しむ青年に伝えた。「3年後の出所する日、あの公園でまた会いましょう」。喜び勇んで近くの洋服店に飛び込んだ青年は冬を暖かく過ごせるよう彼女への差し入れを物色する。そこに二人の刑事(三國連太郎他)がやってきて青年を強盗容疑で逮捕してしまうのだ。刑事に連行されながら惨めな抵抗をする青年の絶叫が街にこだましてストップモーション。  
 そして。3年後出所した女があの公園で来るはずもない相手を待ち続けるのだった。  

 当時斎藤耕一監督は映像派と呼ばれていて僕の好きな監督の一人だった(そんなに作品を観たことはないのだけれど)。今回のチラシには「男と女」「白い恋人たち」で名高いフランスの映画監督クロード・ルルーシュになぞられて紹介されているが、ドキュメンタリータッチの詩情豊かな映像、印象的な音楽(宮川泰)、即興性の高い演出は確かにクロード・ルルーシュの作品を彷彿させてくれる。  
 ショーケンの黒いロングコートに幅広の襟、ネクタイの極太の結び目なんてまさに70年代ファッション! まだ役者っぽくないところ(特に目元)の初々しさがたまらない。  
 岸恵子のエレガントな美しさは十代の頃には気づかなかった。ミニスカートから伸びた足も魅力的だ。  
 墓参りの翌日、ショーケンにせがまれもう一度会う約束をした岸が安宿で髪をとかすシーンがある。こんなところも若い頃は何も感じなかったのだ。男の一途な気持ちを受け入れ、女囚から女へ徐々に変身していくシーンにぞくぞくきた。役では30代半ば、実際はいくつだったのだろう。ちょっと中山美穂に似ていた。
 三國連太郎はショーケンを追う刑事と内縁の夫(?)を殺した岸恵子に判決を下す裁判官役の二役を好演。  

 女が刑務所にもどる前に塀門前で営業するラーメンの屋台でショーケンが二人にラーメンをおごる。そのラーメンが実にうまそうだったので、映画の後、さっそくラーメン屋にかけこんだのだった。  

 ショーケンと岸恵子はその後「雨のアムステルダム」でふたたび共演。数年前のTVドラマ「外科医柊又三郎」ではショーケンの死んだ奥さん役として遺影で特別出演していた。

     ◇

2001/10/20

 「GO」(丸の内東映)  

 「約束」のあと、有楽町でカミサンと待ち合わせて一緒に「GO」を観る。久々の映画のはしごである。
 いつものようにガード下のディスカウントチケット屋で前売券を買おうとして「GO!」を手にとりそうになってしまった。「GO」の前売券はなく、その代わり丸の内東映の招待券(1,000円)があった。買ってから気づいたのだが、この招待券、注意書きに「土日祝日および初日はご遠慮ください」とある。  
 今日は土曜日、おまけに初日だと知ってあわてて劇場に電話した。もしダメだと言われたら、以前僕が会社で映像に携わっていた際、あるビデオ映画の共同制作でお世話になった東映ビデオの某氏(プロデューサー)の名前をだして「彼からもらった、今日しか夫婦でみることができない!」と泣きを入れようとしたらあっさりと「大丈夫ですよ」の返事。さすが大東映! 肝っ玉がでかい(以前松竹の劇場招待券が日曜日に使用できなかったことがあったことを思い出した、だから松竹は……)。  
 映画が始まって驚いた。名前を借りようとした某氏がプロデューサーでクレジットされていたのだ。名前を出さなくてよかった、と背筋に冷汗がタラリ。  

 金城一紀の第123回直木賞受賞作の映画化である。直木賞受賞作に興味がなく小説は読んでいない。ところが予告編で主演が窪塚洋介、共演に山崎務、大竹しのぶだと知り、映像からもエネルギーが感じられたので、「カルテット」に続く夫婦での鑑賞とあいなった。ちなみにうちのかみサンは「わざわざ劇場まで行って邦画を見たくない」派。2本続けて一緒に邦画を観るなんてことは珍しい。  

 在日朝鮮人ニ世である若者の〈日本〉人との恋愛模様を綴りながら、人種差別、在日朝鮮(韓国)人のアイデンティティ、国籍、祖国への意識等々、一筋縄ではいかない問題を浮き彫りにしていく。  

 語り口は軽快だ。  
 開巻早々、日本の高校に通いバスケット部に所属する主人公(窪塚洋介)が試合真っ最中に敵味方から差別を受けて、怒りを爆発させて大暴れするエピソードが描かれる。「これは僕の恋愛に関する物語だ」とモノローグがあって、時制が過去に飛ぶ。これが何回となく繰り返されて主人公の現在までの状況が説明されるわけだが、この構成(脚本:宮藤官九郎)がいい 。  
 主人公が地下鉄の線路に降り立ち、入ってくる電車を待ち受け、ある距離に縮まるや、一目散に電車と同じ方向に走り出す。電車に轢かれず走り抜けられるかどうか、〈スーパー・グレート・チキン・レース〉というゲームだ。ゲームに挑戦して見事成功する主人公と見守る友だち二人が駅から逃げ出し、警官と追いかけっこを繰り広げるタイトルバックに興奮した。音楽、映像、挿入されるクレジットが一体となった疾走感がたまらない。コマ抜きは僕の好みではないのだが(最近この手のチャラチャラした映像が多い、プロモ-ションビデオで流行しているのだろうか)、その他の何気ないシーンのカッティングが絶妙。  
 登場人物も一癖二癖あるような人たちばかりで、観ていて飽きなかった。息子を暴力で抑えてしまう元プロボクサーの父親(山崎努)、過保護なのか放任主義なのかよくわからない母親(大竹しのぶ)。両親と主人公のやりとりは漫才みたいだ。朝鮮学校時代の友だちの、日本語禁止の学校内で日本語を喋った時の先生に言い訳するエピソードも大笑いした。  

 言われてみれば当然なのだが、在日の朝鮮(韓国)人には朝鮮籍と韓国籍があることを知って驚いた。ということは朝鮮学校というのは皆北朝鮮を母国とする学生が通うところなのか? 韓国を母国とする人たちが通う学校は何と呼ぶのか? チマチョゴリの制服は朝鮮学校だけなのか? 学校内では本当に日本語を喋ってはいけないのか? 彼らは情報社会の日本に住んでいるにもかかわらず皆金日成、金正日親子を偉大なる指導者と崇め奉っているのか?だったらなぜ母国に帰らない?  
 閑話休題。  

 主人公の置かれている状況を笑わせながら説明しながら徐々に〈恋愛に関する〉話になっていく。あるパーティで知り合った女子高生(「バトルロワイアル」で容赦なくクラスメートを殺していくコワーイ女子中学生に扮した柴咲コウ!)との恋愛の中で自分の国籍問題、差別問題がクローズアップされてくるのだ。  
 初めてふたりが結ばれようとする夜、主人公は自分が在日韓国人であることを告白する。主人公にとってそれはどうでもいいこと、なんでもないことだった。しかし彼女は違った。親に反発して生きているくせにこういう時だけ父親の意見を受け入れ、身体をこわばらせるのだ。無言でその場を去る主人公。  
 彼女を非難することはたやすい。しかし少なからず似たような感覚でいる日本人は多いはずだ。僕だって〈朝鮮人〉という言葉を聴くと無意識に反応してしまうところがある。  
 黒柳徹子の「となりのトットちゃん」に道行く人に対して「チョウセンジン」と言って罵倒する朝鮮人の幼い男の子の話がでてくる。男の子は「チョウセンジン」という言葉を人を馬鹿にする時に使うものと信じているのである。哀しい現実は昔も今も根幹は変わっていないのだろう。  
 ちょっと前のことになるが、地元の某ハンバーガー店で本を読んでいた時のこと。騒がしい韓国人のカップルを罵倒する初老のオヤジがいた。うるさいおしゃべりについて注意するのはいいが、その時の言いぐさが、まさに聞くに耐えない言葉だったのだ。オヤジは彼らをとんでもない差別用語を口にして「ここから出て行け」と怒鳴った。僕はその言いぐさに腹が立って、後で注意したのだけれど、オヤジは「すいません」と言いながら少しも反省していなかった。  
 やっかいな問題を抱えている〈在日〉という立場に嫌気がさして「あんたらの問題はあんたらの世代で終わらせろ、オレたちには関係ない」という主人公の父親への叫びに共感できる。  
 ちょっと甘すぎるラストは気になるが、まあ、いいか。  

 窪塚洋介のファッションがキマっていた。だぶっとした紺のトレーナーがかっこよく。「オレも着てみようかな」とかみサンに言ったら「窪塚洋介だから似合うのよ」だと。  
 舞台挨拶のある回は満杯だったのであろう場内は初日にしては空席が目立った。「面白いけど窪塚洋介ファンしか観ない映画ね」相変わらずカミサンの評価は厳しい。
 帰りの電車の中で〈在日〉という言葉が朝鮮人や韓国人にしか使われないことについて話し合った。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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