2000/02/21

 「柔らかな頬」(桐野夏生/講談社)

 この作品が直木賞を受賞した理由が読了した今わかった気がする。
 ずいぶん前になるが、原尞の「私が殺した少女」が直木賞候補になった時、その選考会の席上で反対派の委員から主人公があまりにも頭がよすぎるとの意見がでたそうだ。
 ミステリの醍醐味は主人公の謎解きにあって、事件が解決するまでを描くことである。当然、後半は解決に向けて要領よく進行していく。それはパズルであって、小説ではない、よく言われる〝人間が描けていない〟なんて考える人たちにはミステリは受賞に値せず(文学ではない)と主張しているようなものだろう。この時は賛成派の田辺聖子が「探偵とはそういうものなのです」と反論して無事原尞の受賞が決定したということだが、そんなアンチミステリの選考委員にすれば「柔らかな頬」は文句なしの受賞作品と言えるかもしれない。
 なぜならこの作品、事件の発生、経過は描かれるけれど結局最後まで解決は見られない、自分の不倫行為の代償で最愛の娘を失踪させてしまったヒロインが、重い十字架を背負いながら娘を捜し歩く心の葛藤、魂の彷徨こそが主題だからである。

 「私を殺した少女」直木賞受賞の内輪話を知った時は反対派委員の了見の狭さにあきれてしまった僕だが、最近、現代を象徴する問題(児童虐待)を扱った「永遠の仔」を読んで、そのストーリーに圧倒されながらも(圧倒されたからこそ)クライマックスですべたが明らかなになってしまう、あまりの段取りのよさには少々疑問を感じてしまった。この時、やっと直木賞云々は別にしてあの反対派委員の気持ちが理解できた思いだった。
 髙村薫が「自分はミステリを書いているつもりはない」と発言して物議をかもしたのは、こういうことが要因なのかもしれない。

 社会派(というのはもう死語だろうか、つまり現実問題を扱ったミステリ)の場合、扱う事件、内容がより現実に迫ったリアルなものになるほど、ラスト(に向って)の予定調和的事件の解決が逆に作品世界を空疎なものしかねないとも思う。現実を切り取った深く重いストーリー(展開)と謎解き的要素をどううまく結びつけるか、その兼ね合いについてはいろいろ検討されるべき問題なのかもしれないし、「柔らかな頬」はその試金石となるべき作品と言えるだろう。

 もちろん「柔らかな頬」はミステリであるから事件の推理はある。途中からヒロインと一緒に捜査に同行する胃がんで余命いくばくもない元刑事およびヒロインの夢という形で3つの真相らしきものが提示される。が、ヒロインの推理は物語中で否定され、元刑事の夢(推理)もあくまでも憶測の域を出ない。息を引き取る間際にみた夢がどうやら真実らしいのだが、そこでぷっつりと途切れてしまう。

 犯人もわからず、娘も発見されず、読む者にカタルシスを与えないまま終了するこのミステリの斬新さは最終章が失踪した娘の視点で事件当日の模様が描かれていることだ。犯人に手をかけられるまでの娘の心情が語られるのだが、最後の一文で心が解き放たれる気持ちになるのだ(の言い回しは誤解を与えるかもしれない。ある決着をつけてくれると言うべきか)。
 桐野夏生が直木賞を受賞してから「ニュースステーション」にゲスト主演した際、久米宏はこの最後の一文を読み上げたのだった。僕はそれを聞いてあわててチャンネルを換えたが、今、思うと正解だった。

 釈然としないことがいくつかあった。
 不倫の是非をここでは問うつもりはないが、自分の家族および相手の家族がいる別荘で、それも互いの伴侶が別室で就寝している最中にセックスをしようとするヒロインたちの心情がまず理解できない。そこまで相手に惚れこんでいるなら、僕だったら、まず離婚して、身辺整理してから一緒になりますよ。
 あるいは少女が失踪した事件そのものが迷宮入りになるようには思えない。事件は北海道・支笏湖湖畔の人里離れた別荘地で起きた。関係者は当事者であるヒロインの家族、不倫相手の家族、隣棟の一家族、別荘地のオーナー夫婦と使用人、駐在とごく少数であり、部外者の侵入は考えられないという。事故でないなら、当然この中の誰かが犯人であり、警察はそこにしぼって捜査することは当たり前だろうし、そうなれば事件も何かしらの解決をみるのではないか。

 元刑事とヒロインの出会いも納得しがたい。
 事件の真相を元刑事の夢で語るというのも、フェアでない気がする。インスピレーションだけならわかるが、詳細に語られると、何を根拠に?と問いたくなる。
 と、僕には小説の設定自体がとても不完全に思えてしかたない。

     ◇

2000/03/02

  「ファイティング寿限無」 (立川談四楼/新潮社)

 クライマックスからラストにかけて何度か感極まって目頭を熱くした。最近僕自身の涙腺がゆるくなっているということもあるが、実際のところ読む者を熱くさせる小説であることは間違いない。

 立川談四楼は新作を発表するたびに前作を包括する形で小説世界の奥行きを広げ、物語を語るという点においても落語家の余技とは思えないほど巧くなっているのがわかる。落語もできる小説家というキャッチフレーズは伊達じゃない(小説も書ける落語家でないところがミソ)。
 デビュー作はあくまでも実体験をもとにした私小説、2作目は自身の心情を主人公たちに投影させたフィクション。ともに落語を聴くような語り口に魅力があった。

 本作も落語を題材にしているが、これまでの作品とは一味もふた味も違う。何より初の長編なのである。
 まずそのキャラクターに注目した。主人公の橘家小龍はタイトルからも想像がつくとおりプロボクサーと落語家の二足のわらじをはく二つ目というのだから驚く。当初は「落語以外の特技を身につけろ」との師匠の教えに従い、売名手段であったはずのプロボクサーという肩書きが、彼が持つ天性の素質、あるいは日頃の努力の賜物なのか、デビュー戦の勝利をきっかけに日本チャンピオン、東洋チャンピオンと、とんとん拍子にタイトルを奪取して人気者になっていく。その展開がスリリングだ。

 前2作からのイメージから、プロボクサーと落語家の間で右往左往する主人公のちょっとほろ苦い人情喜劇を予想したこちらの期待はあっさり裏切られた。
 ボクシングの試合経過、主人公の心理や葛藤、勝者と敗者の心の交流の描写はこれまでの語り口ではなく、本格的なスポーツ小説のそれなのだ。

 物語は全くのフィクションではあるが、モデルを詮索する楽しみはある。小龍が敬愛する師匠・橘家龍太楼は立川談志、橘家一門でマスコミ人気NO1の龍之輔は立川志の輔、総領弟子の龍次は本人・談四楼といったところか。ただすべてのキャラクターが作者の分身とも言えるかもしれない。
 群馬県太田市出身の僕としては、弟子の中に太田出身者の呑龍という若者が登場するのがうれしい。(太田には"子育て呑龍"で有名な大光院がある。)
 小龍が世界チャンピオンを狙うところから、物語は急展開していく。実際には信じられないオチがあって、「そんなバカな!」とあきれながらも、作者の落語に対する熱い思いがひしひしと伝わってくる。

 こんな面白い小説がなぜ話題にならないのか、不思議でたまらない。

     ◇

2000/03/07

 「もっとも危険なゲーム」 (ギャビン・ライアル/菊池光 訳/ハヤカワ文庫)

 最近海外ミステリ読む機会が少なく、何かないかと羽田図書館の文庫本のコーナーをのぞいたら、本書があったのでタイトルにひかれて借りてきた。
「深夜プラス1」の作者の代表作とあるが、内容なんてどうでもよかった。僕としては村川透・松田優作コンビによるアクション映画の傑作「最も危険な遊戯」のタイトルはこの小説に由来しているのかと合点がいった次第で、本書を手にしたのは単にタイトルの魅力だけでしかない。

 本作も「深夜プラス1」同様イギリスの元工作員が主人公。現在はフィンランドで水陸両用飛行機のパイロットをしている主人公が自分の意志とは裏腹に事件に巻き込まれるというストーリー。
 主人公のまわりで不穏な事件が起きていく様子を簡潔な文体で描く前半は、それなりにわくわくさせる展開だった。が、後半になってから、まあ、個人的な理由(疲れからか、読んでいるとついウトウトとなってしまう)から、単に文字を追いかけているような状態で、ふと気づいてあわてて前のページを繰り返し読むといった感じ。何回も続くといい加減イヤになってくるが、一度読み始めた本はよほどのことがない限り読了するポリシーの手前、投げ出すわけにはいかない。

 というわけで、後半はストーリーを把握するだけで精一杯。次の本を早く読みたいこともあり、深夜、眠気のため、途中気を失いながら も一気に読了した。
 眠気を吹き飛ばすような面白さが感じられなかったことも事実だし、読んでいてでてくる台詞が誰が言っているのか混乱することもたびたびだった。やはり真剣に読んでいない証拠だろう。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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