2000/03/15

 「藤子・F・不二雄のまんが技法」(藤子・F・不二雄/小学館文庫)

 最近、マンガを描き始めた娘のために購入したようなもので、買ったその日に電車の中でざっと読んでしまった。
 藤子不二雄のまんが入門書は以前購入したことがある。創刊したばかりの「少年チャンピオン」に「まんが道」といっしょに見開きで連載されていたものをまとめたもので、当時はまだ二人で一人だったから名義はあくまでも〈藤子不二雄〉。しかし、今から思えば藤子Aの著作だった。

 子どもの頃からトキワ荘に関する書籍を収集している。藤子不二雄のまんが以外の本も手に入るものはほとんど購入しているが、その手の本、たとえば「二人で漫画ばかり描いてきた」「トキワ荘日記」はみな藤子Aの手になるものであり、藤子Fの文章というものにあまり触れたことがない。(「二人で漫画…」では各章の冒頭に短くFの文章が掲載されているが)
 そんなわけで、新聞広告でこの新刊の発売を知った時、ハウツーものというよりエッセイのたぐいととらえ、欲しくなった次第。
 文中、ほかのトキワ荘仲間については触れているのに、まったく藤子Aについての記述がなかったのが淋しかった。

     ◇

2000/03/19

 「夢分析」(新宮一成/岩波文庫)

 もの心がついてからかなり奇抜な夢を見るようになった。印象的な夢で目が覚めてからも憶えているものは必ず日記につけているが、それがどのような深層心理からみたのかはこれまで調べたことはなかった。
 夢判断や夢の分析についての書籍は硬軟さまざまな本が出ていると思う。どういうわけかこれまであまり関心がなかった。たまたま羽田図書館の新刊コーナーでそのものずばりのタイトルである本書を見つけた。その時はほかに借りたいものがあったので、そのままにしておいて、いざ借りる際になった見当たらない。結局、川口市民図書館の岩波新書コーナーの棚にあったのでやっと借りてきた。

 空飛ぶ夢が人が初めて言葉をしゃべった時の記憶にもとづくというのはなんとなく理解できた。親が「高い高い」と赤ちゃんを持ち上げる。人はその行為を空を飛ぶことに結びつけるのだ、と言われれば、そうかもしれないと思う。
 虫にたかられる夢が妊娠を意味しているってこともまあいい。
 しかし、夢に出てくる数字がある事柄を示しているというのはどう考えて納得いかない。
 2が女性、3が男性器(ファルス)、4が結婚、5が自分という子どもの誕生を意味するという。これだけでも信じられないのに、6がまだ結婚してい ないことを意味している理由がすごい。10から4を引くと6、ゆえに6はまだ結婚していないことなんだ、と。根拠はどこにあるのか? 「本当かよ!」と思わず叫んでしまった。
 このへんのことは専門書をあたってみなければいけないのかもしれない。

 洪水は類型夢の1つで尿排泄象徴を表してという。排泄といえば、そのものずばりの夢を何度も見ている。小便がしたくて、トイレに駆け込むが、便器まわりが極端に汚れていて、なかなか用をたせないという状況。父親もよく見る夢だと言っていた。もしきれいな便器だったら、そのまま用をたして、オネショしてしまうことになるのだろうか。
 類型夢には3種類あって、裸で困る夢、近親者の死ぬ夢、試験の夢だという。ふと気づくと町中を裸で歩いていて、人目を気にしたりする夢も何度も見ている。
 いつ頃だったか、忘れたが、一度父親が死んだ夢をみたことがあって、やたらに悲しかったのを憶えている。泣くことしかできなかった。
 これもかなり前のことだが、僕自身が同じアパートに住む顔見知りの人を殺した夢をみたことがある。殺した後、何くわぬ顔で生活している自分にショックを受けた。

 試験の夢はいまだに、というか学生時代より今の方がよく見る。それもほとんどシチュエーションが同じものだ。
 僕は高校生。その日、ある教科(だいたいは大嫌いな数学)の試験があって、すごい寝坊してしまう。早く行かなければとあせりながら、いつも休んでいる教科だし、今さら行っても仕方ない、なら、もう休もう、と簡単にあきらめてしまうのだ。
 高校時代、僕は一度も休んだことがない(本当は3年生の時に一度だけ、どうしても行きたくない理由があって、ずる休みしているが、記録されていない。通知票の上では皆勤賞なのである)。どうもこの夢は大学時代の思い出が変な形で紛れ込んでいるのである。あせりながら、ずるしてしまう気持ちというのが実にイヤ~なもので見るたびに落ち込む夢である。

 本書にはサンプル用にさまざまな夢の内容がでてきて、中にはその夢を見た人が自分で内容の分析をしたりしている。僕自身の夢の夢が分析された場合、どんな結果がでるのだろうか。それを思うとけっこう怖いものがある。

     ◇

2000/03/27

 「日本語練習帳」(大野晋/岩波新書)

 昨年ベストセラーになった時、興味はあったけれど購入することも、図書館から借りることもしなかった。
 日本語の大御所ともいうべき著者が岩波新書で何を書いているのか、という興味よりもあまりのベストセラーに気がひけたのだろう。
 今年になって、そろそろ読もうかなと思っていたら自宅への帰り道によく立ち寄る古書店にあった。買ったままずっとツン読状態になっていたものだ。

 タイトルどおり本当に練習帳だった。
 この前読んだ「知の編集術」と同じ作り。(たぶん「知の編集術」の方がスタイルを踏襲したのだろう) 〝思う〟と〝考える〟の違い、〝最良〟と〝最善〟等の使い分けを説明した後、問題があって、正解を選択する趣向。常日頃何とはなしに使用している言葉が題材になっているので、なかなか興味深い。
 日本語の「主語-述語」の関係に〝は〟と〝が〟あって、その違いを例文を引用して丁寧に解説している。
 ハはそこでいったん切ってハの上を孤立させ、下に別の要素を抱え込む。ガは直上のと下にくる名詞とをくっつけてひとかたまりの概念にする。
 
 僕は昨日「日本語練習帳」を買った。

 の、僕は「買った」に対応するが、

 僕が昨日買った「日本語練習帳」は興味深い。

 は、僕と「日本語練習帳」をくっつけるというわけだ。

 確かにそのとおりだけれど、同じガでもハと同じような使い方があるではないか、と疑問に思いながら、読み進むとガを使ったもうひとつの文の紹介がある。それが現象文と呼ばれるもので、江戸時代以降に生じたもので、現象を写生する文と説明される。

「日本語練習帳」は僕が買った。

 がそれにあたる。

 著者が文章を書く時に心がけていることに触れていて、それが「二つの心得」の章にある。
 「のである、のだを消せ」「がを使うな」がそれで文章をつなぐ接続詞として〝が〟は大変便利なもので、僕もついつい使ってしまう。これについてはどんな文章読本でも指摘している。  
 驚いたのは〝のである〟〝のだ〟を使うなという指摘。これについては全く意識したことがなく、僕自身はあくまでも感覚的に用いてきた。恥ずかしい限りだ(恥ずかしい限りである、と書いて、訂正した)
 著者はかつて自分の文章で一切の〝のである〟〝のだ〟を削除したらすっきりした文章になったと書いている。今後肝に銘じておかなければ。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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