2000/04/01

 「知的生産の技術」(梅棹忠夫/岩波書店)

 一時、文章の書き方、メモ等の情報整理に関するハウツー本を何冊も読んだことがある。
 その時、必ずと言っていいほど話の中に出てくるのが梅棹忠夫の「知的生産の技術」だった。本書の初版が上梓されたのが1969年。当時としては画期的な書物だったのだろう。

 昨年、古書店の岩波新書コーナーに100円で販売されていたので、とりあえず購入しておいた。
 はじめの方はカードの作り方、分類の仕方についてのノウハウが書かれてあり、これはあまり興味がなかった。6.の読書以降が個人的にはおもしろいし、ためになる。

 読んでいて、気になったことがある。漢字がやけに少ないのだ。
 たとえば、まえがきの冒頭の文章に

 この本ができあがるまでのいきさつを、かんたんにしるしておきたい。

 とある。僕の感覚だと

 この本ができあがるまでのいきさつを簡単に記しておきたい。

 と書くところだ、人によっては〈出来上がるまで〉とするかもしれない。
 いくつかの「文章の書き方」を読んではっきりしたのは漢字を使えばいいというものではない、ということだった。読みやすさ、見ための印象を考慮すると、ひらがなを有効活用すべきだ、と多くの本に書かれている。だから接続詞のたぐい、あきらかに当て字と思われる漢字は使用しない、ということは心がけてきた。

 それにしても、本書はあまりにもひらがなばかりで、どこで区切っていいかわからない場合がままあり、かえって読みづらい。そんなことを思いながら読み進むうち、ある法則に思い当たった。
 漢字かなまじり文の廃止。単語としての漢字のみの使用。ということだ。

 そういえば週刊文春に「お言葉ですが…」を連載している高島俊男が最近出した本でなるべくかな文字を使用することを心がけたと書いていたが、本書みたいな体裁なのですな。

 この漢字、ひらがなの使用については、7.ペンからタイプライターの章に詳しく著者自身の見解が述べられている。
 この章は別の意味でも感慨深いものがあった。時代の隔世を感じたのだ。
 パソコン、ワープロが一般的になった現在、著者が述べていることはほとんど意味のない理論になってしまった。
 かつて日本の国字改良運動というものがあって、新字論、ローマ字論、カナモジ論など、真面目に議論されていたかと思うと別世界の出来事のように思ってしまう。
 文章を書く一連の工程(カードを使って、分類し、文書に起こすという作業)も、今ではワープロ(ソフト)でできてしまうのである。

     ◇

2000/04/17

 「日本のフォーク&ロック 志はどこへ」(田川律/シンコー・ミュージック)

 1970年前半はフォーク全盛時代といっていいだろう。
 小学6年の時、クラスの女の子の何人かが今まで聴いたことのないようなメロディを口ずさんでいた。それがよしだたくろう(吉田拓郎)の「結婚しようよ」だった。
 それから一気にフォークブームが押し寄せ、中学時代は友だちがバンドを組んで活動していた関係もあってまわりはフォークにあふれていた気がする。
 吉田拓郎と井上陽水をトップにそれこそ百花繚乱という感じで個人、デュオ、グループ等さまざまなフォークシンガーが登場し、歌を旗印に何やら新しい文化を構築する勢いだった。僕より一回り上の世代、いわゆる団塊の世代が活躍する最初だったと思うが、僕はそんな世代を憧れをもって眺めていたものだ。

 そんなフォーク(およびロック)の黎明期から現在までの軌跡を音楽詳論家・田川律自身の体験をもとにつづったのが本書である。
 この本の存在は前々から知っていたが、実物にお目にかかったことがなかった。ある日、いつも利用している古書店をのぞくと文庫があったので買っておいたのだ。

 これまでも、この手のフォークの歴史について書かれた本はいくつか目をとおしていて、本書が特に目新しいといえるものでもない。が、ずっとひっかかるものがあった。
 この本で興味深いのは副題の〈志はどこへ〉の部分である。
 60年代に登場したフォークは既成の音楽(歌謡曲)にはない〈何か〉があった。自分たちで作った歌にはいわゆるプロの作家からの提供された〈いかにも作られた世界〉の楽曲にはない自己主張があった。メッセージ色の有無に関係なく、彼らの歌にはきらめくものが感じられた。
 しかし、フォークがニューミュージックとなり、音楽業界の主流となってからというもの、フォークの底辺に流れていた精神性というものも変格してしまったのが悲しい。

 同様に期待と憧れのまなざしで見つめていた団塊の世代にも失望する時がくる。
 80年代後期、20代、30代とこれまでの文化を変えるような勢いを示した彼らも中年になると(40代をむかえ)その上の世代と何ら変わらない趣向を示してきたのだ。
 たとえば「やはり演歌はいい」なんて今まで否定していたド演歌を歌い出す。反体制を標榜してきたのが、管理職になったとたん体制側に与してしまう。これはあくまでも例にすぎないが、まあその他にもいろいろあって、僕には裏切りとしか思えなかった。
 もちろん、フォーク歌手(今ではもう死語だろうけど)の中にも、70年代当時と同じ情熱、気構えを感じさせ、同じ音楽性を維持している歌手もいることは確かである。彼らの活躍を祈らないではいられない。
 もう団塊の世代は50代に突入した。今後、60代、70代になろうとも僕(たち)の生き方の指針となる目標であってほしい。

     ◇

2000/05/01

 「朝日新聞の正義」(小林よしのり・井沢元彦/小学館文庫)

 子どもの頃、うちではサンケイ新聞(産経という漢字を使用する前)をとっていた。
 当時、サンケイはTV欄が別紙扱いになっていて、手塚治虫の「青いトリトン」(アニメ「海のトリトン」の原作)の連載が楽しみだった。雑誌でいうとほんの1ページだけの掲載なのだが、これが一番の楽しみで毎朝新聞を開いていたものだ。
 連載マンガはその後フジテレビの特撮時代劇の原作「怪傑ライオン丸」、「風雲ライオン丸」と続き、現代モノの「鉄人タイガーセブン」のところで僕の記憶は途切れている。

 中学生になると第1面のコラム「サンケイ抄」を読むようになった。
 日本が中国と国交を回復した後、サンケイだけが台湾との関係を継続していため中国に特派員を常駐できない事件が起こった。他の新聞が中国べったりの体制の中、サンケイだけが独自の道を歩んでいた。
 どうやらサンケイは右寄りだというのがわかってきたのが、だから嫌いになったわけではない。「サンケイ抄」に書かれていることはいつも納得にいくものだったからだ。

 当時、他の新聞に対してどうという思いはなかったが、朝日だけは権威主義で好きになれなかった。
 いわゆるサンケイファンだったわけで、それがまずかったと今でも思っていない。サンケイを離れたのはフジテレビの力が強大になって、あたかもTV局のパブリシティメディアになり下がった感があったからである。
 大学生になり、東京での一人暮らしを始めると、主に就職活動のために朝日新聞を購読するようになった。週刊文春を毎週読むようになって、バランスをとる意味もあったかもしれない。
 以後、ほとんど朝日をとっている。読売はアンチ巨人として、何より社長が大嫌いなので絶対とらない。毎日は問題外。東京新聞は一時興味をもったのだが、どうも紙面が面白くない。長年の習慣で朝日新聞に慣れてしまったようだ。

 といっても、今では朝日新聞を全面的に信用しているかというとそうではない。
 映画「ガメラ2 レギオン襲来」が公開された時、自衛隊の活躍が描かれたからだろう、政治面のコラムで「ガメラがアメリカだとするとこの映画の意図するものがわかる」とかなんとか批判していた。この時は新聞社に抗議をしようかと初めて思ったほど怒り心頭だったが、この記事を書いた記者は映画を娯楽として楽しめないかわいそうな人なのだと何とか自分を納得させたのだった。
 社会主義に理想など求めはしない。かといって選挙権を得てから一度も自民党に投票したこともない。けっして右寄り思想ではないと思っている僕だけれど、本書で語っている二人の意見はほとんど肯定してしまう。
 ある種の雑誌、あるいは左系の学者、文筆家の文章を読むと、右翼的な存在の権化といった存在でかなりの批判を浴びている二人の対談だから、ホントはもっと反発する部分もあるかと思ったのだけれど。

 実際問題として、自虐史観派と自由史観派のそれぞれの主張を聞くとどうしても自由史観派の方に分があるような気がする。ダメなものはダメというのは、もちろんそれも論理の一つともいえるが、心の余裕のなさともとれる。
 従軍慰安婦を示す資料はない、と主張する櫻井良子の講演会が反対派に中止されたこと、柳美里のサイン会が右翼に中止されたことは、根本的なところは同じことである。
 しかし、櫻井に関しては口をふさぎ、柳のときだけ非難する記事を掲載するというのはどう考えたっておかしい。

 本書にはそんななるほどと思えることがいろいろとでてくる。
 本当なら右と左、それぞれの本を真面目に何冊も読んで、判断しなければいけないことなのだろうが、とりあえずこれまで僕が読んだその手の本から言うとそういうことになる。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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