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2000/05/07

 「ナミアミダブツ」(立川談志/カッパブックス)

 落語もできる作家・立川談四楼の小説が面白くて、すっかりファンになってしまった。本業の落語も聴いてみたいと昨年、下北沢で定期的に開催している独演会に行ってみたら、これもまた巧い。すっかり魅了されてしまった。
 立川談四楼は小説のほかに1冊エッセイ集をだしていて、それだけまだ読んでいない。
 図書館に探しにいったら、師匠である立川談志の軽めのエッセイがあったので借りてきた。

 立川談志はここのところいろいろな全集を出していて、その中にこれまで発表した文章を網羅した(と思える)全集がある。ホントはそちらの方に興味あるのだが、どれも分厚く、おいそれと手がだせない。
 日頃、TV等で披露するおしゃべり同様暴論と毒舌の数々であるが、その趣旨には首肯するものばかり。

 自身のファンである身障者について述べた「こんな話もタブーなのかネ」、車椅子の身障者が酔っぱらってクダをまいたら誰か注意できる奴はいるか、要は身障者だって普通に扱えということ。なるほど。
 ジャイアンツべったりのプロ野球について述べた「野球はやっぱりジャイアンツ」、それが日本のプロ野球じゃないか、文句あっか!と、たぶんにホメ殺しの体。そこから話が広がって勝利投手、敗戦投手があるんだったら、勝利捕手、敗戦捕手があったっていい。勝利打者、敗戦打者、勝利野手、敗戦野手という制度があるべきではないか、と。なるほど、なるほど。
 巷に氾濫している携帯電話。用もなく携帯電話でしゃべりまくる人たちを「言葉による空間恐怖症」じゃないかと喝破する。で、これだけ携帯が広まったのならいっそ携帯電話OKのコーナーを作っちゃえ、と携帯寄席なんぞを提案する。客が携帯をとるなら、高座の落語家だって、一席中に携帯とるぞ、ときたもんだ。 全くもってそのとおり。

 著者同様、癌の闘病から復帰した赤塚不二夫を相手に、好き勝手な対談、放談ぶりがうれしい。  
 立川談四楼の長編小説「ファイティング寿限無」に登場する著者がモデルの橘家龍太楼は癌で死んでしまうが、ホンモノはまだまだ健在だ。

     ◇

2000/05/10

 『古本屋「シネブック」漫歩』(中山信如/ワイズ出版)

 映画も好きだが映画について書かれた本〈シネブック〉を読むのも楽しみの1つである。
 本書については何の情報もなく、たまたま図書館の映画コーナーにあって面白そうだったので借りてきた。
 著者についても何も知らない。プロフィール欄に荒川区三河島にある映画関係専門書店「稲垣書店」経営者と紹介されている。古本屋のオヤジにしてコラムニスト。こういう生活に憧れているんですよ、僕は。マジで古本屋のガンコおやじになりたいと思っている。

 タイトルが示すとおり映画本の紹介がメインで、遊びの部分(著者のぼやき)も楽しい。全体に興味深いものばかりなのだが、惜しむらくは1章1題材という線を貫いて欲しかった気がする。
 世の中に流通している関係書類が多いという理由からだろうが、小津映画の関連本の紹介が続き過ぎてうんざりした。僕自身が小津映画にあまり関心がないためだが、それにしても限度というものがあるだう。竹中労についても同様。それだけ著者の思い入れがあるということだろうが、続くにしても3回くらいがちょうどいい。
 小林信彦なんて映画に関する本を何冊もだしているというのに、全く紹介されていない。(文章には何度か登場してくるから著者がわざと外しているとは考えにくい)

 文句ばかり書いても仕方ない。興味深いことばかりで、どんどんページをめくった。小林久三の映画界を舞台にした初期のミステリが面白そうだ。あと殿山泰司、田中小実昌の本もこれからあたっていきたい。
 今度時間があったら「稲垣書店」をのぞいてみよう。

     ◇

2000/05/17

 「引退 嫌われ者の美学」(上岡龍太郎・弟子吉次郎/青春出版社)

 漫画トリオ時代を知らないこともないが、はっきりと上岡龍太郎の存在を意識したのは日本テレビの深夜に放送されていた「パペポテレビ」であり「EXテレビ」だった。
 時には屁理屈と思われる論理で相手に有無を言わせない、あるいは世相を斬る話術にやみつきになった。
 全国区の人気になってから始まったフジテレビの日曜お昼「上岡龍太郎にだまされるな」はいつも楽しみにしていたものだ。
 そんな彼が公約どおりつい最近引退してしまった。一度くらい独演会を聴いてみたかった。独演会で脚本・演出等を担当していた弟子吉次郎が上岡の人となり、その生い立ちと思想ともいうべきものを途中途中にギャグを挿入し、時に揶揄し、おちょくりながらまじめに書いている。

 迷ったら楽の方を選ぶというのが上岡龍太郎の昔からの流儀だとある。楽な道を選ぶことは大きなメリットがあって、岐路に立ったとき、この方法なら後悔しないというのだ。結果的にうなくいかないことがあっても「だって楽な方を選んだのだから仕方ない」ですんでしまう、自分で決めたから他人のせいにできない。あとくされのない決定方法なのだと。一理あると思う。
 教育方法で自分の子どもに対して一切幼児言葉を使用しなかったとある。これは共感。うちも同じ考えで子どもに接してきた。「ママ、パパ」は今では当たり前になってしまって、それほどでもなくなったが、我慢ならないのは「ジイジ、バアバ」といつまでも呼ばせて、喜んでいる世の祖父母たちだ。
 子どもには当然ママ、パパとは呼ばせなかった。ブーブ、ワンワンなんてもってのほか。しかし、その影響が今ごろになって僕自身にでてきた。小学生の高学年になった娘に幼児言葉を使いたくてたまらない。幼児言葉に対する飢えだろうか。「何考えているの?」と娘にバカにされる今日この頃である。

 上岡龍太郎の父親がまたすごい人なのだ。四国の片田舎で小学校を卒業してから畑仕事に従事してきたこの人はある日神の啓示(?)を受け、「勉強がしたい」と叫び、一念発起して、京都大学法学部に入学。学費を稼ぐのに苦労しながら司法試験に合格、弁護士になってしまうのである。弁護士になってからも社会の底辺に生きる人のために弁護をする。だからちっとも儲からない。
 この父の教えがまた一風変わっていた。「若いときに苦労するな、苦労は歳をとってからイヤというほどできる」「貧乏は一生の敵」と自分の体験をふまえて言っていることだから重みがある。上岡の「迷ったら楽の方を選ぶ」ポリシーも父親の影響が大きい。

 本書にはいろいろと示唆に富む教えが綴られているが、ついに40歳をむかえてしまった僕には「勉強したいときが就学年齢だ」というのがすごく大きく感じられる。勉強したいことがあって、まじめに大学に通いたいなどとも考えている。ふた昔前にそう考えていたら人生もずいぶん変わっていただろう。これまでの自分の人生を後悔しているわけではないけれど。




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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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