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2000/08/02

 「性同一性障害 -性転換の朝」(吉永みち子/集英社新書)

 映画「ボーイズ・ドント・クライ」を観たからというわけでもないけれど川口中央図書館に行ったらまるで読めとばかりにおいてあったので借りてきた。
 妊娠中の女性が情緒不安定な場合、生れてくる子ども(男の子)がおかまになる確立が高い、と聞いたことがある。
 性同一性障害も胎児期の性決定メカニズムの狂いが原因とのことだが、どうしてそうなるのかはよくわかっていないらしい。
 「ボーイズ・ドント・クライ」の感想でTG、TSなんて言葉を使ったけれど、本質的な部分で何もわかっていない。
 TV(トランスヴェスタイト)は服装倒錯者、異性装嗜者を指す。TG(トランスジェンダー)は社会的に異性として扱われたい、だが性器まで変換しようとする意識は希薄という人たちを総称していう。それに対して心身ともに異性になりたいというのがTS(トランスセクシャル)だ。
 この世界も何かと奥が深い。

 性同一性障害という言葉が一般化したのは埼玉医大総合医科特別チームの性転換手術が認可されたことが大々的に報道されてからだと思う。それまで性転換手術は海外で行うのが常識だった。
 モロッコといえば名画「外人部隊」の舞台になったところとして有名だが、僕にとっては長い間性転換手術する国という認識だった。カルーセル麻紀の性転換手術はそれくらい小学生にはインパクトがあったのだ。
 なぜ日本で性転換手術がタブー視されていたのかも説明されている。
 昭和39年の〈ブルーボーイ事件〉が原因だという。3人のゲイボーイの睾丸の全摘出手術を執刀した町医者が優生保護法違反で検挙された事件だ。
 とにかく性同一性障害に苦しむ人たちに光明が射したことは確かなことであり、めでたいことではあるが、本書で取材されている数人の性同一性障害の男女が歩んできた足跡にはとてつもない苦労がしのばれる。
 誰もがカミングアウトしてショーパブで働けるわけではない。普通の人が普通の場所で静かに暮らしたいと考えるという方が当たり前なのだ。

 しかしいつも思うのだが、人はなぜこの手の人たちを白眼視するのだろう?
 子どもころ、手塚治虫「リボンの騎士」のアニメやコミックに夢中になった。ヒロイン・サファイアが自由に男になったり女になったりするのが楽しかった。手塚マンガにはこうした男装・女装のキャラクターが登場するものが多く、手塚マンガの特にそういう部分に興味を持っていた僕はたぶんに刷り込みもあるのだろう、〈おかま〉や〈おなべ〉あるいは性転換した人に対する偏見というものはない。
 大学1年のGWに彼女に会いに仙台に行ったときのことだ。上野駅で特急列車に乗ると、おかまの3人組が同じ席になって、意気投合した僕はまわりの冷たい視線は何のその、仙台まで大騒ぎしたものだった。リーダー(?)の名前は〈フジコ〉といって、「東京にもどったらお店に遊びに来てね」と仙台で別れてそのままになってしまったけれど、彼らともっと話しをしたかった。僕にはその気がないので、相手が〈性の相手〉として接してくれば頑なに拒む。が、いわゆる〈友だち〉としてだったらとことんつきあってもいいと思う。

 だから本書でも触れられている、映画「ボーイズ・ドント・クライ」の題材になったブランドン・ティーナ事件には暗澹たる気持ちにさせられる。
 実際の事件は映画以上に悲惨である。カミングアウトして自分の選択を堂々と主張、自信をもって男性として生きると宣言したティーナだったが、男友だちの怒りをかってしまった。男友だちはだまされていた悔しさ、性を変えるという行為への憎しみによってティーナを輪姦し殺害してしまった。 
 そんなに男どおしの友情って崇高なものなのか? 女から男に(あるい男から女に)なる行為はそんなに憎むべきことなのか。
 本書でも再三指摘されている〈第3の性〉というのをまじめに検討してもいいのではないだろうか。


2000/08/04

 「消えた劇場アートシアター新宿文化」(葛井欣士郎/創隆社)

 将来映画監督になりたくて、邦画に特に興味を持っていた中学~高校にかけてATG映画には特別な思い入れがあった。
 僕の住んでいた群馬県太田市は1シーズン遅れて上映する2番館、3番館といった映画館しかなく、ATG映画は絶対に公開されなかった。あくまでも情報は「キネマ旬報」で知るしかなく、実際に観ることができなかったから思い入れは一種のあこがれに近いものになっていた。
 「夏の妹」(大島渚監督)、「心中天網島」(篠田正浩監督)、「初恋地獄編」「午前中の時間割り」(羽仁進監督)「無常」「曼荼羅」(実相寺昭雄監督)といった<1,000万円映画>と呼ばれる作品群は僕にとって幻の映画だったといってもいい。
 そんなATG、正式には株式会社日本アート・シアター・ギルドが設立され、東京における上映館「新宿文化」の支配人として赴任してから、プログラムの編成あるいは映画や芝居のプロデューサーとして活躍した葛井欣士郎が退社するまでの記録(1961年~1974年)が本書である。
 奥付けを見ると上梓されたのは10年以上前のことであるが、ある種の懐かしさ、またATGとはいったい何だったのかということをおさらいするのもいいかと図書館から借りてきた。

 60年代から1974年までというのが今から思うと時代を象徴している。
 歌(この場合フォークソングだが)の世界でも74年で一つの区切りがついて、75年以降は〈ニューミュージック〉としてポピュラー化、歌謡曲化していった。ATG映画も70年代後期はそれまでも芸術志向からエンタテインメントへ切り替わっていく。配給に東宝が強くかかわってきたこともあって、ATG映画は隣町の足利の映画館で観ることが可能になった。
 それにしても60年代から70年代にかけては魅力的な時代だったと思う。アングラ、サイケデリック全盛の中で、「新宿文化」およびその地下の「蠍座」はまさしく当時の文化の尖鋭として、映画、芝居、コンサートとその機能を十分果たしたといえるだろう。


2000/08/11

 「日本は頭から腐る 佐高信の政経外科Ⅱ」(佐高信/毎日新聞社)

 相変わらず佐高信は吠えまくっている。
 盗聴法案廃止にむけて、日頃反目している人たち(菅直人等)とも共闘していたのは頭が下がる。 しかし、破防法否決後のオウム真理教の暗躍について何も語っていないのはどうしてか。まさか破防法さえ撤回されれば後はどうなってもいいというつもりではないだろう。相手は人殺し集団、うそつき集団なのだ。何らかの意見を聞きたいものだ。

 「司馬遼太郎と藤沢周平」を読んだ司馬ファンからの反論についての意見がいくつか掲載されている。司馬文学の功罪ではなく、罪だけをあげつらえばファンから怒りの手紙が届くのは当然だし、それにいちいち反応していても仕方ないと思うのだが。

 小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」はまず攻撃対象の評論家たちを極端にデフォルメした似顔絵で登場させることで先制パンチをくらわせる。マンガの力を効果的に利用したやりかたであるが、佐高信も自身でつけたキャッチフレーズで似た効果を狙う。
 小沢フリチンスキー、鳩山マザコンブラザーズ、小渕はオブツ(汚物)等々、似顔絵ほどではないにしても、かなりのインパクトだ。
 同じことを繰り返しその執拗さにうんざりしたり、よくぞ言った!と溜飲を下げたりと読んでいながら僕の反応もころころ変わる。

 6月全国一斉に開催される株主総会の愚、その指導で有名な某弁護士を攻撃する文章は毎年総会に携わっている者としてはまったくそのとおりだと思うし頭が痛い。




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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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