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 前項の続きではなく、7日に観た「デヴィット・リンチ:アートライフ」について。
 16時30分の回だったのだが、案の定、睡魔との闘いだった。
 リンチ監督の思想がどうのこうのなんていい。
 まあ、母親の絵に関する教育(?)やリンチ青年の絵を見た父親の助言等印象的ではあったが。それよりリンチの創作過程に職人フェチの心がうずく。
 で、感想なのだが、リンチ監督の気質からというと、まったくお手上げだった「インランド・エンパイア」こそ一番〈らしい〉映画なのかもしれない。

     ◇

2002/03/08

 「マルホランド・ドライブ」(シネ・ラ・セット)  

 週刊文春の映画評の中で一番信頼している品田雄吉のこの映画に対する短評が「ぐいぐい引き込まれる。が、いつの間にか訳がわからなくなる。面白く見てしまうが、こういう収束でいいのだろうか」。
 面白いけれどわけがわからないなんてことがあるのだろうか? 途端に興味津々となっていたところ、友人から観に行かないかと誘われた。  

 特にデビット・リンチ監督のファンというわけではない。  
 大ヒットした「エレファントマン」は世間のヒューマニズム云々という評価に反発した。「ツイン・ピークス」ブームにはわざと無関心を装っていたところがある。「ストレイト・ストーリー」がリンチ作品であることすら知らなかった。ただし「ブルーベルベット」はビデオで観ている。妖しい官能的な世界って心惹かれるのだ。「マルホランド・ドライブ」はミステリに官能性を付加したところがミソだろうか。  

 「ツイン・ピークス」同様、もとはTVシリーズの企画だった「マルホランド・ドライブ」はリンチの思い入れむなしく結局日の目を見ず、フランス資本を導入して映画として完成された。だから映画に登場する女優たちのファッションセンスが「フレンチ」なのか。  

 オープニング、フィフティーズの音楽に乗って、何重にも合成されたダンスを踊る男女のタイトルバックから一風変わっていた。まるで不思議世界へ誘う儀式のようだ。  
 深夜のマルホランド・ドライブを走る1台の乗用車。後部座席には黒髪の妖艶な女性(ローラ・エレナ・ハリング)。突然車が止まり、運転手が振り向きざま女性に銃を突きつける。と、猛スピードで曲がりくねった道を疾走してきた車が激突! 大破した車の中から頭に怪我を負い、意識の朦朧とした女性が出てきたかと思うと、フラフラしながらに眼下に見える街へ降りていく。  
 翌朝、野宿した女性が目を覚ます。ちょうど目の前のアパートから老婦人が出かけるところだった。老婦人の目を盗んで部屋に忍び込む女性。  

 スリリングな導入部である。女が何者で、なぜ車に乗っていたのか、どうして命を狙われたのか? 部屋に忍び込んだ理由は? いくつもの謎が提示され、もう映画の進行にくぎづけになってしまう。  

 もう一人女性が登場する。ブロンドのショートカットで快活そうなベティ(ナオミ・ワッツ)がオンタリオから老婦人のアパートにやってくる。老婦人はハリウッドの有名な女優であり、ベティの叔母。女優志望のベティは叔母が留守にしている間部屋を借り、セッティングしてくれたオーディションを受けるため希望に胸膨らませてハリウッドにやってきたのだった。  
 当然部屋の中で謎の女性と鉢合わせする。名前を訊かれた女性は壁に貼られた古い映画のポスターを見て「リタ」と名乗る。が、すぐに事故により記憶喪失になっていることを告げる。手にしているバックには大金と鍵が入っていた。いったい自分は誰なのか。不安で泣き崩れる「リタ」。ベティは「リタ」を部屋に住まわせ、彼女の素性を一緒に調べようと申し出る。  
 「リタ」の怪我が深夜のマルホランド・ドライブでの事故が原因であることを警察に電話して確認した二人がレストランでコーヒーを飲んでいる時のことだ。ウェイトレスの名札「ダイアン」に「リタ」は反応する。思いだしたフルネームを電話帖で調べてみると街に一人しかいない。このダイアンが「リタ」かもしれない! 誰もいないと言われたダイアンの家に忍び込むふたり。寝室で二人が見たのはベッドに横たわる朽ち果てた女性の死体だった……。  

 映画にはそのほか、若者がレストランの裏庭で何かが潜んでいる、夢で見たと主張し実際に襲われたり、シーナ&ロケットの鮎川誠似の新進映画監督やマヌケな殺し屋のエピソードが挿入される。  
 映画監督は次作の主演女優をある組織の圧力で勝手に変えられ、怒り狂って自宅に帰ると奥さんが浮気の真っ最中、間男と喧嘩になって逆にやっつけられてしまって逃げ出すはめに。組織に呼び出され、オーデションでは「カミーラ」という名の女優を選出しろ、と1枚の写真を手渡される。それがベティなのだ。
 殺し屋は一人を殺せばいい仕事をヘマをして目撃者2人も殺さなければならいないドタバタを繰り広げる。

 死体を見つけ、動揺する「リタ」、なぐさめるベティ。
 同情が〈愛〉に変わり、二人は結ばれるのだが、豊満な肉体の「リタ」と華奢なベティの、大小の乳房が揺れるレズシーンに欲情。  
 敵の目から「リタ」をカモフラージュするため、ベティ同様のブロンドのボブ風ヘアのかつらをつけた「リタ」に目を見張った。肩にかかる黒髪のリタは、確かに美人なのだろうが、どのパーツも大きすぎて僕の好みではない。ところがブロンドのショートヘアになった「リタ」のキュートなことといったらない。胸キュン! 一目惚れとはこのことだろう。  

 変身したままベッドに横になった「リタ」が、深夜うなされて目をさます。心配そうに見守るベティを連れ、とある劇場に連れて行く。そこは深夜にもかかわらず大道芸みたいな公演を開催していた。女性歌手が登場して哀しいラブソングを熱唱すると客のまばらな席の片隅でふたりは涙を流している。この時の「リタ」の表情がたまらない。ここは映画の中で屈指の名シーンだ。  
 歌が終わると二人は奇妙な箱を見つける。急いで部屋に戻り、「リタ」はバックから鍵をとりだした。ベティの方を振るかえると、いない。鍵を差し込んで箱を開けた瞬間「リタ」も消えた……。  

 その後映画は解決編になる。とはいえ、デビット・リンチのことだから一筋縄でいくわけがない。  
 二人が消えたとたん、時制がさかのぼり、死体で発見されたダイアンの話になる。なぜダイアンが死んだのかをダイアンの立場から描くのである。

 【これから映画を観ようとする方は、以下を読まないでください】  

 ダイアンは内気な、ちょっとみすぼらしい女優志望のレスビアン。相手は「リタ」である。ここではカミーラと呼ばれている女優。ダイアンとカミーラは相思相愛の仲だったはずなのに、最近カミーラの様子がおかしい。誰かいい人ができたらしい。ふたりの関係を解消したいと言われた。カミーラは映画の主役にも抜擢された。ダイアンは不安にさいなまれる。  
 ある日、ダイアンはカミーラにパーティーへ誘われた。会場までカミーラが手配した車で来てくれと。ダイアンを乗せた車はマルホランド・ドライブを走る。まるで映画の冒頭の「リタ」と同じシチュエーション。車が突然停車する。殺されるのではないかとびくつくダイアン。山道からカミーラがやって来た。「ここから歩いた方が近道なの」。  
 連れて行かれたところは豪邸で、すでにパーティーは始まっていた。あの映画監督が二人を出迎えた。カミーラはダイアンに見せつけるように監督と熱いくちづけをかわす。嫉妬。
 
 カミーラと監督を囲んで和やかにパーティーは進む。監督の母親は何とアパートの管理人である。監督がカミーラとの関係でみんなに発表しいたことがあると言う。愕然とするダイアン。カミーラが結婚してしまう!
 例のレストランで男と密談するダイアン。男はあのマヌケな殺し屋である。ダイアンは男に〈仕事〉を依頼する。「報酬はこれ」とバックを開くと中に札束が見える。叔母が死んで遺産が手に入ったのだとか。まるで「リタ」のバックと同じ。男は〈仕事〉が終わったら、これを見えるところに置いておくと鍵を差し出す。「リタ」のバックに入っていた鍵である。席にやってきたウェイトレスを見上げると、名札にベティと書かれてあった。レジにはレストランの裏庭に何かが潜んでいると主張していたあの若者がいて、ダイアンの方を見ている。
 
 数日後、部屋に帰るとテーブルの上に鍵が置かれていた。泣き崩れるダイアン。  
 すべてを清算したはずなのに、日増しに罪悪感、絶望感がダイアンの心を締めつけていく。生活は荒れに荒れた。ヤクにも手をだしたのかもしれない。幻影に正常心を失ったダイアンはとっさにベット横の引出しからピストルを取り出すと、こめかみに向けて引き金を引いた……  

 観終わって、ひとつ気になることがあった。ベティとダイアンは同一人物なのか否か。似ているのだが、まるで印象が違うのである。もし同一人物ならなんとなくではあるが、意味はわかる。わかるけれど、謎が謎のままだし、新たな謎が提出されたりといろいろひっかかってくる。わけがわからないのもうなづけるのだ。  
 さっそく友人に聞くと、やはりベティとダイアンは同一人物だとのこと。
「リタとベティの話はすべてダイアンの夢なの。自殺したダイアンがこうあってほしいと願った夢」  
 この言葉で頭の中の霧が一気に晴れた。そう、そう、ダイアンの夢とするなら、ほとんどすべての疑問が解消される!  

 ダイアンは田舎から女優なることに憧れてハリウッドにでてきた単なる田舎娘。本当は女優の叔母なんていない。田舎の叔母が死んだことで遺産を手に入れて、それをハリウッド行きの資金にあてたにすぎない。女優の才能なんてなく、いつもオーディションに落ちてばかり。自分の容姿に劣等感を持っていたかもしれない。
 
 数あるオーディションで知り合ったのが魅力的なカミーラだ。いつしか二人は愛し合うようになる。都会人のカミーラにすれば、田舎娘のうぶなところが気に入ったにすぎず、ほんの気まぐれだったのかもしれない。だいたいカミーラはバイセクシャルなのだ。女優への切符を手に入れた。才能あふれる新進の監督との結婚も決まった。ダイアンは邪魔な存在でしかない。  
 うぶなダイアンは心の底からカミーラを愛していた。彼女の容貌、才能、すべてが憧れだった。彼女に捨てられたら生きていけない。だから映画監督との結婚が決まった時、彼女を殺してしまおうと決心した。そこで町のチンピラを雇い、叔母の遺産の残りを報酬にした。  
 その過程の中でダイアンが目にしたもの、印象的だったものが、夢の中に登場し、あるものは理想化され、あるものは歪曲され、ダイアンにとって都合のいい物語が形成されたのである。  

 有名な女優を叔母にもつ「ベティ」という自分。才能が豊かで性格も明るい、優しい心を持った女性。カミーラに対する優位性。カミーラには自分がそうされて勘違いしたようなシチュエーションを与えてやる。車に乗せられ途中でピストルをつきつけられる。でも殺さない。傷ついたカミーラを助けるのが「ベティ」の務め、贖罪なのだ。  
 カミーラを自分から奪った憎き映画監督には罰を与えねばなるまい。女に裏切られればいい。そして「ベティ」の方に振り向かせたい。オーディションでその演技力が絶賛された「ベティ」を彼の映画の主役に抜擢させたい。
 なにより「ベティ」はカミーラと同化したいのだ。それも「ベティ」がカミーラになるのではなく、カミーラを「ベティ」みたいな女性に変身させる。カミーラが変身してうっとりしているところを眺めたい。
 ダイアンが自殺する直前の夢なのか、死んだ後の魂の夢なのか、それはわからない。しかし夢と仮定すると、映画にでてくるつじつまの合わないエピソードがぴたりと合致するのである。
「もしかすると、ダイアンとカミーラはそれほど深い仲ではなかったの。あくまでもダイアンの一方通行の想いということも考えられる」  
 確かに。  

 「シックスセンス」はラストで驚愕の事実(って、すぐにわかったけど)が判明して、もう一度始めから観たくなる。この映画はそれ以上に始めから確認したくなる。観るたびに新しい発見がありそうな気がする。いやそんなことはどうでもいい。金髪のローラ・エレナ・ハリングを見られるだけで幸せなのだ。彼女がアップのポストカードを思わず買っちゃったもんね。  
 次はいつ観に行こうかな。


2007/08/19

 「インランド・エンパイア」(チネチッタ川崎)

 デヴィット・リンチ監督の前作「マルホランド・ドライブ」は巷間言われるような難解な映画では決してなかった。ある一つのキーさえ押さえれば、全体像がくっきり浮かびあがり、合点のいかない点がすべて納得できる仕組みになっていたのだ。
 なんて偉そうなことはいえないな。友人の、的を射たサゼスチョンのおかげだったのだから。理解できなかったとしても映画として十分面白かった。

 リンチ監督の新作が公開されることを知ったときは胸が躍った。なにしろまたハリウッドを舞台にした謎が謎を呼ぶ迷宮ドラマだというのだ。
 受けてたとうじゃないかリンチくん。バラバラに崩されたパズルをきちんと元の場所に戻しながら、すべてを解明して、優越感に浸りたい。気分はシャーロック・ホームズか金田一耕助ってな感じ。裕木奈江が出演することも楽しみの一つだった。

 玉砕だった。まったくのお手上げ。

 町の実力者を夫に持つ女優(ローラ・ダーン)が引っ越しの挨拶にきた怪しい老女の予言どおり新作映画のヒロインのオーディションに合格する。撮影スタジオの片隅で相手役の俳優(ジャスティン・セロウ)とともに監督(ジェレミー・アイアンズ)と打ち合わせしていると、意外な事実が告げられた。この映画の脚本はかつて映画化されたのだが、主演二人が急死に追い込まれて撮影が中止されてしまったのだと……。

 ミステリアスに始まった映画は、その後さまざまなエピソードが入り乱れ錯綜していく。映画内映画、かつて撮影されたフィルムの一部(?)、女優の、あるいはほかの誰かが垣間見た幻想、ピーターラビットよろしくウサギの着ぐるみ(仮面)をつけた男女三人のワンシチュエーションコメディらしき前衛劇……。
 豪華な邸宅で執事や召使いを使い、何不自由ない生活を送っていると思われた女優がいつのまにか、貧しい哀れな女性に変化している。俳優との逢引きを亭主にのぞかれていて、いったいどんな報復が待ち受けているのかドキドキしていると、これまた俳優の愛人という立場に様変わり。こちらが真実なのか、セレブな女優は幻想なのかと考えを改めると、やっぱり映画内映画の一部だったり。
 その上、過去と現在、あるいは未来が交錯しているのだから途中でもう何がなんだかわからなくなった。理解することを放棄し、与えられる情報だけを楽しもうとしたら、これがまたやたらと長い。

 今回は本当にラビリンスに迷い込んだ感じ。映像も妙にフラットで思ったほどのめり込めない。
 3時間は長かったが苦痛ではなかった。といった程度だったのだが、ラストで予期せぬ高揚感が!
 まるで舞台のフィナーレだった。「マルホランド・ドライブ」のローラ・エレナ・ハリングが登場してきて心が弾んだ。その後のソング&ダンスの華麗さに唸った。
 内容はお手上げだったが、自分なりに理解したのは、以下のとおり。

 ・前作に比べ非常に低予算で仕上げたのではないか
 ・たぶんビデオ撮影である
 ・ジャパニーズホラーの影響がみられる
 ・ストーリーよりローラ・ダーンの顔の変化を楽しむ映画かもしれない
 ・裕木奈江はNAEでクレジットされていた
 ・リンチ監督に一度ミュージカル(あるいは音楽)映画を撮らせたらどうだろう?

 リンチ監督、「マルホランド・ドライブ」はしっかり下書きをして、効果を考慮しながらきちんと色彩をほどこした。で、完成した絵をバラバラにして再構成した。
 でも「インランド・エンパイア」はほとんど下書きなしで、好き勝手に色を塗り、ああでもないこうでもないと筆を動かし、しまいに自分でも何描いているのかわからなくなったのではないか?
 友人の解説に得心できる。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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