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 昨晩、地元シネコンのレイトショーで「孤狼の血」鑑賞。
 今日は先週同様、朝ラピュタ阿佐ヶ谷へ。モーニングショーで「黒の挑戦者」を、午後は神保町シアターに移動して「赤頭巾ちゃん気をつけて」を観る。
 夕方は新宿・末廣亭の夜席へ。特別出演の談四楼師匠が目当て。個人的には久しぶりの師匠の高座だ。「人情八百屋」、格別な味わいだった。

          * * *


2001/03/26

 「徳川三代 家康・秀忠・家光」(童門冬二 他/中公文庫)  

 図書館から借りてきたのだが、しおりの代用としてページの端の所々に折られた跡があって始終不愉快だった。公共の本の(個人的には自分の本だって傷つけるのが嫌いだから)こういう取扱いは許せない。しおりなんてものは何だって代用できるのだ。使い捨てのメモでも折りたためばいい。どうしてもなければ、ページ数くらい暗記しておけ!   

 昨年の大河ドラマ「葵 徳川三代」の復習として手にとった。  
 〈忠臣蔵〉関係本を漁り初めてからというもの興味の対象が江戸時代全般に変わってきた。これも大河ドラマの影響である。
 久しぶりにチャンネルを合わせた「八代将軍吉宗」がやたら面白く、以降江戸時代を舞台にしたドラマは必ず観るようにしている。そんなわけで、謎の絵師・写楽、上杉鷹山とともに、享保の改革時代(八代将軍吉宗)、幕末(徳川慶喜)と対象が広がってきた。  
 「元禄繚乱」の後、2年続けて江戸時代ものというのは少々つらかったが、「吉宗」で斬新な語り口を見せてくれたジェームス三木の脚本でははずせない。
 
 「葵 徳川三代」はつまるところ「吉宗」同様、出来の悪い長男と出来のいい次男のどちらを跡取りにするのか、苦悩する父親・秀忠の姿が印象的だった。役者が同じ(西田敏行)だからなおさらだ。「葵」は長男が将軍になった後の兄弟の確執も加わった。  
 これまでどういうわけか家光は名将軍だとばかり思っていた。長い間3代目がしっかりしていたから徳川幕府は安泰になったと理解していた。しかし、「葵」に登場する家光は幼少時からおかしなところがあり、成人しても何ら変わりない。  
 本書でも会田元京都大学名誉教授が「売家と唐様に書く三代目」で〈彼は人物でも何でもない。愚か者ではないかも知れないが、せいぜい高く見て平凡人だ〉と切り捨てている。他の著者が多少なりとも家光を持ち上げているが、僕はこの論が一番的を得ているような気がする。
 
 さて、〈天下分け目の人間模様〉の題名の巻頭対談(司馬遼太郎・原田伴彦)で始まる本書は歴史研究家、学者、作家たちがそれぞれの家康論、秀忠論、家光論を展開している。その他の家光論では作家・村松友視の自身の幼年時代と重ねあわせて家光を語った「父を消した男」が印象深い。  
 また、童門冬二の「家康 建前の人」も戦国を終焉させた家康の情報戦略を現代と比較してわかりやすく説明している。



2001/04/04

 「ビートルズを笑え!」(中山康樹/廣済堂出版)  

 昨年はビートルズが解散して30年、ジョン・レノンが死んで20年の節目の年、おまけにシングル盤を収録した新アルバムがリリースされたこともあって、ビートルズ関連のムックや特集雑誌が数多く書店に並んだ。1冊くらい購入しようと思ったものの帯に短したすきに長しという感じだった。  
 
 ビートルズの映画デビュー作「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」がリニューアル版「ハード・デイズ・ナイト」として公開され、もう一度彼らの楽曲について復習しておきたいなあと思っていた時に何げなく図書館で見つけたのが「ビートルズを笑え!」だった。
 タイトルどおり大いに笑えた。特に〈シングル編 ストロベリー・フィールズがペニーレインだったころ、みんなバカだった。〉はビートルズのシングルをリリース順に取り上げ著者独自の視点による解説が爆笑もんなのだ。堀井憲一郎ばりの一人ツッコミ一人ボケが何とも愉快、痛快。注意書きどおりたぶんにフィクションも含まれているのだろうが、底辺部分はみな真実なのだろう。

 アルバム編になるとタイトルこそ〈『プリーズ・プリーズ・ミー』が『ステレオ!これがビートルズ第1集』だったころ、やっぱりみんなバカだった。〉だが、内容はぐっとシリアスになる。
 アルバムの変遷を色に結びつけた考察が新鮮だ。「ア・ハード・デイズ・ナイト」まではモノクロ、「フォー・セール」で何色か加わるがまだモノクロに近い。「ヘルプ」で色が増し、モノクロから遠ざかり、「ラバー・ソウル」で色が複雑に混ざり合う。そして「サージェント・ペパーズ…」ですべての色がでそろってオールカラーに。そうなれば次はキャンパスを白く塗りつぶさなければならない。だから「ホワイトアルバム」。

 「レット・イット・ビー」からビートルズに入った僕としては、「レット・イット・ビー」あるいはフィル・スペクターを認めない著者の姿勢に少々悲しくなるが、マニアの本音はそんなところだろう(実際、ビートルズの各アルバムを聴けば気がつく)。
 映画「レット・イット・ビー」のアップル屋上でのライブに歓喜した僕としては、特に「アイブ・ガタ・ア・フィーリング」はまさしくジョンとポールの合作、レノン=マッカトニーの作品ではないかと、「ゲット・バック」以上に感動した者として著者の評価にはつらいものがある。

 そういえば本書でもそうだし、アルバムのライナーノーツにもレノン=マッカトニー名の楽曲をそれぞれジョン、ポールと分けて記している。レノン=マッカトニーは表記上だけという感じだが、ではふたりの印税はどう配分されているのだろうか。誰かこの問題を深く追求してくれないだろうか。




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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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