FC2ブログ
2002/08/09

 「Ⓐの人生」(藤子不二雄Ⓐ/講談社)  

 藤子不二雄が二人だと知った時は驚いた。もうずいぶん昔、小学生の時である。  
 考えてみれば二つの絵柄があった。しかし、手塚治虫が児童向けと大人向けではタッチを変えているように、藤子不二雄もその類だと思っていたのだ。「魔太郎が来る」あたりからはっきりとその絵柄の差がでるようになったけれど、「ドラえもん」も「怪物くん」も僕には同じに見えた。  
 藤子不二雄がコンビ解消すると聞いたときはショックだった。実は二人は別々にマンガを描いていた、なんて新聞の記事に書かれていたけど、そんなことはファンの常識だった。それより僕には二人の間で意見交換などが行われていたのかどうかが知りたかった。藤本弘が描く「ドラえもん」にどのくらい我孫子素雄のアイディア意見が取り入れられているのか。我孫子素雄の描く「まんが道」も同様。  
 二つの絵柄があったとしても、どちらも僕にとっては藤子不二雄の絵だった。
 どちらが描いても収入は折半だったとあるが、コンビ解消には「ドラえもん」の大ヒット、それにともなう収入の差が影響したのだろうか。  

 最近、書店で「藤子不二雄論」なる本を見つけた。副題に〈FとⒶの方程式〉とあり、上記の疑問に対する答えもあるのではないだろうかと思っていたところ、藤子不二雄Ⓐがエッセイを上梓したことも知った。これは読まなければと2冊同時に図書館にリクエストしたところ、先に借りられたのがエッセイ「Ⓐの人生」である。  
 藤子不二雄のスポークスマン的立場にあったということとも関係があるのか、コミック以外の本の執筆は我孫子素雄がほとんどだった。「二人で漫画ばかり描いてきた」では藤本弘は各章の冒頭に短い文を寄せるだけだったし、80年代のトキワ荘ブームの時に出た「トキワ荘青春日記」は我孫子素雄の日記をそのまま1冊にまとめたものだ。確か奥さんが失語症になった時にはその看病日誌の本も書いているはずである。  

 〈気軽に生きるための「キーワード」〉と題するエッセイは、格言を用いて、いかにポジティブに物事を考えて、生存競争の厳しい漫画家生活50年を送ったかが書かれている。
 落ち込んだ時に二人だったからどうにかなったというのは、「まんが道」でも何度か描かれていて僕はそのたびにうらやましく感じた。  
 気楽なエッセイ集ということだが、興味深かったのは〈藤子・F・不二雄との五十年〉と〈わが愛しのキャラクターたち〉だ。  
 凸凹コンビ、漫画界のアボット&コステロと呼ばれた二人は性格がまるで異なっていた。遊び好きな外向的な我孫子、一人部屋で夢想することが好きな内向的な藤本。努力家の我孫子、天才型の藤本。仲間の漫画家たちと飲んだり、スタジオでせっせとマンガを描く藤本に申し訳ないと思いつつ、仲間の漫画家たちと酒場で騒いだり、ゴルフに精出す我孫子等々。  
 あくまで個人的な考えだが、そんな藤本弘に対する贖罪の意味で、藤子不二雄という二人で一人の漫画家の半生を満賀道夫、才野茂に置き換えて我孫子素雄は自伝的長編「まんが道」を描いていたのではあるまいか。  
 全集「F.F.ランド」の巻末に連載していた「まんが道」第2部がコンビ解消を発表したとたん、突然終了してしまいその思いを強くした。

 コンビ解消後、「ドラえもん」を抱える藤本弘にくらべ、爆発的なヒットを持たない安孫子素雄はがむしゃらに頑張った。「少年時代」映画化のプロデュース、TV「ギミア・ブレイク」への出演、「笑ウせぇるすまん」のTVアニメ化、ことごとくうまくいったという。確かに今藤子Ⓐといったら「笑ウせぇるすまん」のイメージがある。
 僕は「まんが道」が大好きだ。全巻揃えた。今、その続編「愛、しりそめし頃に」を描いている。藤子・F・不二雄では「異色SF短編集」全巻を持っている。
 でも、どちらも僕にとっては藤子不二雄・作なのである。

 【この項、たぶん「藤子不二雄論」に続く】


2003/04/26

 「二人で少年漫画ばかり描いてきた」(藤子不二雄/文春文庫)  

 もう何年前になるのだろうか。川口駅近くに今流行りの中古書店を見つけた。この手の古書店ではなぜか一度だけ掘り出し物にお目にかかれる。小林信彦の、絶版されて今ではほとんど手に入らない角川文庫版「オヨヨ大統領」シリーズを見つけたのだ。ちくま文庫版の、一部改変されたものでなく発表当時の今となっては古臭くなったギャグ満載のものを読めば、少しは「オヨヨ大統領」の印象も変わるだろうと思った。この時、いっしょに買ったのが「二人で少年漫画ばかり描いてきた」の文庫だった。  
 親本(単行本)は持っている。大学1年の、もうすぐ2年になる春頃読んだ記憶がある。
 日記で調べたら、ちょうど手塚治虫の劇場用アニメ「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」を鑑賞した日に買っていた。  
 単行本は郷里の家の押入れの中だ。ダンボールに詰め込んでしまってある(はず)。
 文庫本を見つけた時、むしょうに懐かしくなって買ってしまった。以来ずっと積ん読状態。こちらも押し入れの中で眠っていた。

 副題に〈戦後児童漫画私史〉とある。
〈自分の体験に基いて漫画を含めた戦後映像文化全般にわたって起草した戦後文化史〉と巻頭で手塚治虫が書いている。
 藤子不二雄がまだ二人で一人だった昭和50年代はじめ、藤子不二雄Ⓐこと安孫子素雄氏がTBSの「調査情報」という雑誌に連載した読み物をまとめたものだ。1冊にするにあたり、各章に藤子Fこと藤本弘氏が短いコメントをつけたのだろう。
 本書でもたびたび引用されている手塚治虫の「ぼくはマンガ家」が戦前から戦後にかけての手塚治虫の目をとおした漫画史ならば、本書はその手塚治虫に憧れて漫画界に飛び込んだ最初の世代による戦後漫画史になる。
 言ってみれば「まんが道」の活字版で、当時の日記のほか、二人が書いた手塚治虫へのファンレターに対する返事のハガキ、月刊漫画誌(冒険王)の目次など興味深いことが次々にでてくる。特に昭和20年代、30年代の記述に興味津々。

 トキワ荘グループについては、いたるところに書かれているが、やはり何度読んでもおもしろい。こんな青春を送れたなんてうらやましいの一語につきる。
 このグループの面々が再度結集して作ったアニメ制作会社「スタジオゼロ」の最初の仕事の1つに東宝から依頼された仕事がある。「ゴジラ」にはじまる怪獣映画の特撮シーンを利用してテレビ映画の企画を考えろというもので、出来上がったシノプシスが13回連続の「怪獣島」なる番組。この企画、結局没になってしまうのだが、不思議なのはこの件について言及した特撮本をみたことがないことだ。
 円谷プロがいかにして「ウルトラQ」をブラウン管にのせたかということについての本はあまたあるものの、その放映の3年前に東宝が怪獣を使ったテレビ映画を企画していたなんてことに触れた人は誰もいない。これはいったいどうしてだろう?

 本書を読んだあたりから僕の中で、一気にトキワ荘ブームがわきおこり、トキワ荘に関する本を手当たり次第購入していた。
 実際、当時その手の本が立て続けに出版されたのである。「ぼくはマンガ家」は大和書房が復刊したものを手に入れた、藤子不二雄はそのものずばり「トキワ荘日記」なる新書を出した、石森章太郎は「章説・トキワ荘・春」を書いた。同時に「まんが道」や「異色短編集」などの藤子不二雄のコミックスも買い集めていた。
 思えば僕にとっての最後のマンガブームだった。
 当時、手塚治虫や石森章太郎、藤子・F・不二雄がいない漫画界を誰が想像しただろうか。




関連記事
スポンサーサイト



NEXT Entry
「にっぽん芸人図鑑 珍芸・奇芸・名人伝」「エノケン・ロッパの時代」 ~ある日の夕景工房から
NEW Topics
告知ページ 「まぐまPB11 アニメのメディア・ポリティクス」
2020年2月の読書 ~備忘録として
「Twelve Y.O.」 ~ある日の夕景工房
「鵟 (のすり)の巣」「氷舞 新宿鮫Ⅵ」 ~ある日の夕景工房
「光の雨」「シャトウ・ルージュ」 ~ある日の夕景工房
「エノケン・ロッパの時代」「演劇ってなんだろう」 ~ある日の夕景工房
「新宿鮫 風化水脈」「ボーダーライン」 ~ある日の夕景工房から
2020年1月の読書 ~備忘録として
「ひまわり 50周年HDレストア版」 ~2ヶ月ぶりの映画
「星屑の町」 ~2ヶ月ぶりの映画の前に  
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)

月別アーカイブ
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top