都内最高齢(111歳)の男性が白骨遺体(ミイラだったか?)で見つかった。自宅のベッドで。しかも亡くなったのは30年前。足立区で起きたこのなんとも奇妙な事件に端を発し、全国で100歳以上の高齢者の所在不明者が次々に発覚している。
「ったく行政の怠慢だよな。いったい何やってんだか」
 TVのニュースを見ながら一人ごちると、かみサンが反論した。「家族だって悪いのよ」
 確かに足立区の事件の場合、年金その他を狙った詐欺、搾取の匂いがプンプンする。
 
 驚くのは所在不明者がすべて孤独な老人でなかったこと。家族がちゃんといるにもかかわらず、所在が不明。普通、高齢者がいれば家族(息子、娘)が引き取るか、施設に入れるかするだろうに。いったいどうしてそうなるのか?
 そこらへんの事情を8日の「バンキシャ!」で解説していた。「ファイヤーマン」を観るため、途中でチャンネルを替えてしまったので詳しくはわからなかったけれど。
 この種のニュースに触れると祖母を思わないではいられない。今年101歳になる。昨年の正月、100歳を祝ったので間違いない。

 昨晩DVD「サマーウォーズ」を観た。昨年の夏、とても話題になったアニメーション映画だ。先週金曜ロードショーで放映されたが、途中で「うぬぼれ刑事」にチャンネルを替えなければならないので、最初から観なかった。
 祖母のキャラクターは栄おばあちゃんというより「サザエさん」の舟なのだが、一族郎党が集まって食事する風景に幼いころが思い出されて仕方なかった。

 以下、mixiからの転載。
 
         * * *

 ●スーパーエレクトリックばあちゃん&じいちゃん 2006/01/05

 2日に帰省。
 久しぶりに(父方の)祖父母に会い、そのえらく年をとった姿にショックを受けた。
 祖母は97歳、祖父は98歳。世間一般の感覚からすると生きているだけでも驚きなのだろうが、このふたりに関しては常識なんて当てはまらない。

 とにかく数年前までものすごく元気だったのだ。祖父母は叔父(父の弟)夫婦と一緒に住んでいる。叔父の家は食堂から発展した弁当屋を営んでいるのだが、祖母は数年前まで現役で陣頭指揮をとっていたほど。祖父は頭脳明晰、博学見識、得意の弁舌は立て板に水のごとく。その口跡は昨年亡くなった松村達雄みたいだった。実際TVや映画でこの俳優が出てくるといつも祖父を思い出した。

 ところが、2日、居間のコタツで丸くなっていた祖母は僕を見て「誰だっけ?」。
 この2年間に2度怪我をしてどうにか回復したものの、記憶力が不鮮明になってしまった。ちょうどうどんを食べていたのだが、その箸使いが脳腫瘍の手術後、半身不随になった母のそれとダブってきてたまらなくなった。まさに老婆って感じ。それでも肌のつやはよく97歳には見えないのだが。
 祖父の姿が見えないので、「奥の部屋?」と尋ねると、「○○荘(老人ホーム)に入っているんだ」。

 近くなのでさっそく訪ねた。車イスに乗った祖父が部屋に一人。下半身は弱くなったが、頭の回転はいい。孫、孫の嫁、曾孫の顔も名前もしっかり覚えていた。口跡は相変わらずだ。耳だって遠くない。片耳が聞こえないのは戦争時に爆風にやられたからという話から昔話に花を咲かせた。
「最近、死相がでてきたから顔が変わっただろう?」
 笑いながら言う。
 98歳になっても髪がフサフサ。父より髪の量は多い。今はほぼ白髪になってしまったが、数年前はまだ黒い部分もあったのだ。
「全然お変わりないですよ」
 かみサンは答えるが、確かに表情が硬くなっている。足を見ると赤くむくんでいた。これまた母のそれを思い出して胸が締め付けられる。
 今年から母の墓参りの際には必ず挨拶に行こう。そう決心したのだった。


 ●天寿全う 2006/04/25

 21日(金)の午後、携帯電話に父親からの着信があったことに気づいた。今年は母の七回忌。その相談かと思って折り返すと「おじいさんが今朝亡くなった」。「えっ!」大声をあげてしまったが、父の声は暗くなかった。
 祖父は98歳。死因は老衰。天寿を全うしたというべきだろう。

 昨日が通夜、今日が葬儀、告別式だったのだが、そんなわけで始終なごやかな雰囲気だった。
 四男一女の子どもたちと十人の孫たちが一同に会した。ひ孫を入れると何人になるのだろう。そのにぎやかなこと。昔の正月のような宴だった。
 孫たちが成人してからは親戚一同が揃うことはほとんどなくなったのだから、その思いは強い。
 骨を拾うときになって喪主の姿がない。
 二男の父親「喪主はどこだ? もしゅもーしゅ」
 あわててやってきた喪主である三男の叔父が「いやはや、もしゅわけありません」

 告別式で祖父の人生が簡単に紹介された。若い頃、祖父は医師か画家になりたかったのだという。商人の子は商人になれと親に反対され、前橋のお茶屋に丁稚奉公。その後、太田に移住して、太平洋戦争時は中島飛行機に通い、戦後メリヤス業を始めた。やがて食堂を開業し、現在の弁当屋に発展させる。
 画家になりたかったという祖父の気持ちはわかる。そうした隠れアーティストの側面は僕が小さいころから目にしていた。
 その一つが本物と見まごうような亀のフィギュアである。すべて祖父の手作り。素材は発砲スチロールだ。うちが電気屋を営んでいたので、発砲スチロールは山ほどあった(家電の梱包している箱に必ずついている)。祖父はそれを利用して孫の好きな亀を作ってくれたのだ。最初一匹作り、それが見事な出来だったので、さまざまな種類に着手、やがてそれらを集めて額(?)にしたのである。
 今、この額は祖父(母)の家(叔父の家)にあるが、僕が小さかったころは、わが家の居間に飾ってあった。祖父はこの亀にはじまって数々の小動物を作った。僕が8ミリで二度目の怪獣映画に挑戦したとき、怪獣のぬいぐるみを作ろうとして、祖父に相談して同じ方法で頭の部分を製作してもらったことがある。

 十数年前、「ジュラシック・パーク」が公開され恐竜ブームに沸いていたころだ。祖父に恐竜を作ってもらいジオラマ写真集にまとめてみないかと尋ねてみたことがある。祖父は笑うばかりで、YESともNOとも答えなかった。あのとき、もっとプッシュすべきだったと後悔している。                     


 ●ぼくのおばあちゃん 2006/06/04 

ぼくのおばあちゃんはことし97さいになります。
さい近ちょっとぼけてきました。ことしのお正がつにあそびに行くと、ぼくのことをわすれていました。
とてもショックでした。

ぼくには一つ上のいとこがいます。東きょうにすんでいるけんたろーくんはそんなにおばあちゃんに会うことがなかったのに、おばあちゃんはちゃんとおぼえているのです。
ぼくはものすごくあたまに来ました。けんたろーくんにくらべたら、ぼくのほうがおばちゃんにもっとたくさん会っているからです。
「へん、おばあちゃんにしたら、おれがはつまごだからさ。」
けんたろーくんがいばりました。
それからというもの、ぼくはおばあちゃんに会うたびに「ぼく、だれだかわかる?」ときいています。

一か月ぶりにけんたろーくんに会いました。
ぼくのかおを見ると、またいばっています。
はらが立ったので、これからおばあちゃんにぼくがだれだかきくのをやめようとおもいました。
おばあちゃんには5人の子どもがいます。
その子どもたちには、それぞれ2人の子どもがいます。
おばあちゃんにしてみたら、10人のまごがいることになります。
けんたろーくんがぼくに言いました。
「こんどさ、いとこが10人そろったら、おばあちゃんのまえにならぼうぜ。」
いみがわかりません。
「だからさ、おばあちゃんにやってもらうんだ。10人のまごをそれぞれきょうだいでペアにしてもらうの。」
まごしんけいすいじゃくだって。
「もしおばあちゃんがぜんぶできたら、つぎはまごを年れいじゅんにならべてもらうのさ。」
これがまごならべ。
おばあちゃん、できるかなあ。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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