毎年関西を訪れる。最近、年2回は当たり前。紙ふうせんのコンサート(リサイタル、ライブ)のためだ。初めて足を運んだのが1990年。翌年から六甲山の山の上で宿泊込みのクリスマスコンサートが始まり、その後は秋のリサイタル。もう20年になるのだ。関西行きは仕事以外はすべて紙ふうせん絡みだった。

 ところがところが。
 10月、プライベートなのに別件で大阪に行くのである。場所は天満天神繁昌亭。そう、上方落語の定席。なぜか? 談四楼師匠の高座があるのだ。桂文鹿師匠との二人会。あ、文鹿は〈ぶんろく〉と読みます。どうして、談四楼師匠のお相手が文鹿師匠なのか、プロフィールを調べてみたら、プロボクシングライセンスの持っている(いた?)んですね。談四楼師匠の息子さんは現在大阪のジムでプロボクサーとして活躍しているので、その縁でしょうか?
 繁昌亭に一度行ってみたかったところに、談四楼師匠の初の高座が観られると知ったらそりゃどうしたって行きたくなるじゃあーりませんか。

 昨日「したくないことはしない 植草甚一の青春」(津野海太郎/新潮社)を読了した。植草甚一が、一時経堂の駅前アパート(マンション)に住んでいたことをこの本で知った。あれ? もしかすると? 談四楼夫妻も以前住んでいらしたたんじゃなかったけ? 確認したら、やはりそうだった。新婚時代、1975年前後。

 あれ、あれ? もしかすると!
 紙ふうせんのおふたり、後藤さんと平山さんも新婚は経堂ではなかったでしたっけ?
 今春のシークレットライブで、「冬が来る前に」の作曲者で、ベーシストの浦野さんが、「11PM」に出演後、わが家によく遊びに来てたんだ、新婚なのに、って後藤さんが紹介していましたよね。
 ふたりが結婚されたのは74年の5月。
 ということは、後藤さん夫妻と談四楼夫妻は経堂ですれ違っていたりして。
 僕がファンになった要因は経堂にあり?!

 以下、これまたmixiからの転載です。

          * * *

 ●大阪ラプソディ 2006/11/15

 1974年に赤い鳥が解散して、後藤さんと平山さんが紙ふうせんとして活動しはじめてから、ずっと追いかけてきた。
 といっても群馬の片田舎に住む私が彼らの音楽に触れられるのはレコードとわずかのTV、ラジオ出演だけ。地元の太田や隣町の足利でコンサートがあればと願っていたけどやってくる気配はない。上京したときには活動の拠点を関西に移してしまっていた。

 その後はいつリリースされるかわからないアルバムをレコード店でチェックし、新聞のTV、ラジオ欄で紙ふうせんの名前を見つけると、チャンネルやダイヤルを合わせた。まわりにファンなんていないから、まったくの孤独な作業だった。
 情報が全然入らなくなって、ついにファンクラブに入った。80年代半ばのこと。ファンクラブが出来たのは「冬が来る前に」のヒット後、70年代の後期だったが、私は全然興味なくて無視していたのだった。

 会報といっしょにコンサート・ライブ情報が送られてくるが、いかんせん関西方面ばかり、東京近辺のコンサートは皆無だった。結婚し、子どももできてお金も暇もない男にはどうすることもできない。活動していることだけでも確認できるのだからうれしくはあったのだけど。

 なんとか生活が安定しはじめた90年秋、やっと恒例のリサイタルを観に(聴きに)大阪に足を運んだのだった。
 生の紙ふうせん。夢にまで見たコンサート。
 感激した。もうそれだけで満足なのに、コンサート終了後、ファンクラブの会長さんが楽屋に連れて行ってくれたのだ。まったく予期していない出来事で、ふたりを前にして何をしゃべっていいかわからない状態。

 これを機に紙ふうせんの追っかけがはじまった。東京でも何度もコンサートやライブをするようになったのだ(正確に記せば、男女2名を加えてTSU-BA-SAというグループで。2枚CDをリリースしてまた紙ふうせんに戻る)。東京のライブは関東に何名かいるファンクラブ会員といっしょに出かけ、終了すると必ず楽屋に伺った。

 特に91年から始まった12月第二週の金土の2日間行われる六甲オリエンタルホテルのクリスマスコンサートはお客はもちろん出演者、スタッフも宿泊するので、後藤さんと話をする機会が一気に増えた。
 その最初の夜、打ち上げにまぎれこんだ私は後藤さんに「紙ふうせん論」書きますと宣言して、翌年分厚い原稿を手渡したのだった。思いのたけをつづったラブレターだった。まるで光ゲンジの某に自分の半生記をファンレターにして送った映画「嫌われ松子の一生」の松子みたい。

 この原稿が現在「まぐま」に連載している「体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった!」の元ネタになっている。もともと「まぐま」には「小説と映画のあいだに」を書いているので、ペンネーム奥野陽平を使っている。第1回が掲載された「まぐま」をいつもコンサートにご一緒するファンクラブのWさんとSさんに送った。
 横浜で紙ふうせんのトーク&ライブがあった帰り、居酒屋に寄った。席にはSさんともう一人。着席するなりSさんが興奮しながら言うのである。
「雑誌に熱狂的な紙ふうせんファンが連載始めたじゃない、東京の人? 早くファンクラブに誘いなさいよ!」

     ◇

 先週、2年ぶりのリサイタルが開催された。2月のシンフォニーホール(ラ・ストラーダとの共演)に続く今年2度目の大阪行き。ごっつぅ大阪好っきやねん。



danshiroinosaka
10月2日(土)17時半から
チケットは先週完売した


10con
11月は恒例の紙ふうせんリサイタル!
紙ふうせんには、フリーハンドの文字がよく似合う




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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