2010/10/22

 「日本映画[監督・俳優]論」(萩原健一・絓秀実/ワニブックス【PLUS】新書)

 承前

 フランコ・ゼフィレッリ監督に誘われたと知って、真っ先に興味を抱いたのはどんな経緯でショーケンにオファーしたのか、ということ。すごいアプローチだったらしいから、何かショーケン主演の映画を観たことは確かだろう。「股旅」じゃないかと推理するのだが、そこらへんについてはまったく言及されていない。

 衝撃的な事実は「影武者」でも紹介されている。もともと主演に中村翫右衛門を予定していたとか、信長役が渡辺貞夫だとか。どこまで本当なのか。野上照代の「天気待ち」(文春文庫)とはまったく違う内容。確か「天気待ち」には信玄と影武者を若山富三郎と勝新太郎に演じさせる予定だったと書いていたはず。若山富三郎が黒澤監督と勝新太郎が仲違いすることを予想してオファーを断ったために、勝新太郎の二役になったと説明していた。
 ショーケンの話は、たぶん本当なのだと思う。本当というか、まだ製作が、キャスティングが確定していないころの会話のキャッチボールではないかと。

 70年代後半、ショーケンはことあるごとに黒澤映画への憧れを口にしていた。黒澤監督を崇拝していた。念願かなって「影武者」への出演が決まってからというもの、映画に対する入れ込み方は尋常ではなかった。
 にもかかわらず、映画が完成してからというもの、準主役のショーケンの評判は芳しくなかった。あまりの悪評に封切時はもちろんのこと、ビデオも観なかった。ずっと自分の中で封印していて、数年前にやっとDVDを手にとったほどだ。

 黒澤監督とショーケンとは相性が悪かったのだ。そう長い間思っていた。ショーケンの黒澤監督、黒澤映画に対する思い入れに相反して、黒澤映画ではショーケンの魅力は発揮できないのだと。
 その証拠にその後の黒澤作品には出演してないのではないか。根津甚八は「影武者」に続いて「乱」にも重要な役で出演している。「乱」で黒澤映画に初出演した原田美枝子は「夢」にも出演した。もし監督自身の手で映画化されていれば「海は見ていた」のヒロインも演じていたかもしれない。
 ショーケンの場合は、「影武者」後黒澤作品への出演の話はまったく聞こえてこなかった。監督自身が「影武者」でショーケンを見切った結果ではないか。そう勝手に推測していたのだ。

 それもどうやら違うらしい。黒澤監督にはあともう一本やろうと誘われたにもかかわらず、金銭的理由で首を縦にふらなかったというのが真相らしい。黒澤映画がインしたらそれだけにかかりっきりになる。「影武者」は約3年没頭した。そんなこと何度もできるわけがない。
 これもある意味正しくて、でも真実ではないような気がする。もし「影武者」におけるショーケンの評判が良かったら喜んで「乱」に出演したような気がする。苦労して、それこそ死ぬ思いで出演して完成させた「影武者」で、評論家から「ショーケンが何言っているのかわからない」なんて言われたらそりゃかなりショックだろう。

 撮影時の、黒澤監督に対する愛憎半ばする気持ちが垣間見られたのもうれしい。「あんた何様?」という反発心、と同時に自分みたいな若造に天下の巨匠が撮影時あれこれ意見を求めてくる不思議さ。
 もし黒澤監督が、ショーケンに対する姿勢を勝新太郎にも見せていたら、あの降板劇はなかったかもしれない、と思えてならない。

 黒澤監督の勝新太郎に対する態度は、もしかしたら「股旅」撮影時の市川崑監督がショーケンに見せたのと同じだったのはないか。

 
 この項続く




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Author:kei
新井啓介
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まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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