4年前の今日だったんですね、実相寺監督の訃報を知ったのは。
 で、4回にわたって自分の実相寺監督作品体験を綴ったのでした。

 「帝都物語」は20代後半、結婚したあとでした。念願の映画業界への足がかりをつかんだというのに、あっけなく潰えてしまった。理由は本文にあるとおり。嗚呼。
 「星の伝説」は何とか家族3人の生活が軌道に乗り出したころ。この上司とは毎日喧嘩していました。毎晩のように呑みにつきあわされて説教と自慢話ばかりを聞かされる。もう爆発寸前。でも、これで酒を少しは飲めるようになったし、本当の意味で躁鬱から脱出できた。とても感謝しています。皮肉でも嫌味でもありません。

 実相寺監督が亡くなって4年。どなたか「実相寺昭雄論」を上梓するのではと待っているのですが、今のところそういった話は聞こえてこない。

     ◇


 ●実相寺監督逝く 2006/12/01

 今朝、トイレから出るとかみさんが一言。
「実相寺昭雄が亡くなったって」
 TV「朝ズバッ!」で速報が流れたらしい。
 信じられなかった。
「うそ!」
 叫んでしまった。「何かの聞き違いじゃないか?」
「だって、さっきTVでそう言ってたもの」

 昨年は京極夏彦の人気ミステリ「姑獲鳥の夏」を映画化した。実相寺監督のコアなファンとしてはいろいろ不満があったが、その後オムニバス「乱歩地獄」の一編を撮った。この作品は劇場公開を見逃してしまっていまだ未見。にもかかわらず「姑獲鳥の夏」以上に実相寺タッチが全開していると睨んでいる。実相寺監督は乱歩の世界が大好きなのだ。
 そういえば夏目漱石原作のオムニバス映画「ユメ十夜」にも参加している。
 TVでは「ウルトラマンマックス」で相変わらずの実相寺ワールドを展開。うれしかった。「狙われた街」の続編は「今、なぜ?」の疑問に答えてくれた。
 最近は70年代の特撮ヒーローシリーズ「シルバー仮面」の時代背景、設定を変更したリメイク「シルバー假面」の監修・監督をしていたはず。まだまだ現役、第一線で活躍している監督なのである。
 それが突然の訃報。
 悲しい。つらい。
 特撮以外の作品をもっと撮ってほしいと思っていたのに。

 「まぐま vol.14」に「書評的実相寺昭雄論」を掲載した。円谷英二生誕100年を記念して上梓された「怪獣の日々 私の円谷英二100年」(筑摩文庫)について書いた「夕景工房」レビューを一部改訂したものだ。その最後にこう記した。すこし長くなるが引用する。

     ◇
 昔ながらの縫いぐるみとミニチュアワーク、吊りを使った怪獣映画を作りたい旨のことをこれまでも、もちろん本書でも何度も書いていることだが、本当にそうなのか、僕は実相寺ファンにもかかわらず信じられない。その気持ちに嘘偽りなんてないのだと思う。でも実相寺監督は、特撮、ことウルトラに関しては思い入れとは逆にもう卒業してしまったのではないか。いわゆる怪獣が出現して特捜チームが出撃、最後にウルトラマンが登場して怪獣を倒すフォーマットはすでに実相寺監督の眼中にはないのではないかと思えてならない。平成ウルトラマンでやたらと特殊フィルター(レンズにワセリン塗りたくり?)を使用したのは実相寺監督のある種の照れではないか。 
 では実相寺監督にお前は何を期待しているのかと問われれば、やっぱりクラシックとエロティシズムと東京(都市論)だろう。2本のアダルトビデオ「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」の衝撃ったらなかった。江戸川乱歩の短編にSM的要素を加味した「D坂の殺人事件」は贋作作りの工程に僕の職人フェチの血が騒いだ。 
 昔の想い出話に花咲かせたこの手の本をたまに上梓しながら、そんな映画を撮ってくれないかなあ、なんて夢想している。
     ◇
 
 昭和初期の東京を舞台に、クラシック音楽がふんだんに流れる中、男女が繰り広げる妖しく淫らな世界。かつて夢想した、実相寺昭雄監督のSM映画は二度と観られなくなった。

 涙とともに合掌。


 ●「帝都物語」の頃 2006/12/03

 もうかれこれ20年前になるのか。
 その日、かみサンと渋谷で話題作「ゆきゆきて神軍」を観てから、一人で成城学園へ向かった。デン・フィルム・エフェクトというポストプロダクションの面接だった。

 鬱から開放されて、何とか仕事ができるようになったので何かないかと情報誌を見るとデン・フィルム・エフェクトがアルバイト募集をしていた。円谷プロの光学撮影スタッフが独立して設立した会社。TVや映画、CFの光学撮影のほか、タイトルも手がけていた。

 市川崑監督の金田一シリーズのあの有名な、スクリーンを縦横並ぶ極太明朝体のタイトルも担当、というか、崑監督に、あのデザインを発想させてもいるのだ。タイトルを発注した際、見本の中にあのような文字列があったらしい。会社としてはあくまでも準備段階のものだったらしいのだが。崑監督はひと目見て「これはいい!」とそのまま使ってしまったのこと。

 そんなことはどうでもよくて。
 これは願ってもないチャンスとばかりに電話すると履歴書を持って面接に来てくれと。
 
 会社は駅から歩いて10分ほどの大通りに面したマンションの1階にあった。階段を挟んだ二つの住居を会社として使用していた。道路側から見て右側の部屋が光学撮影用のカメラや現像室、打合せ室がある作業場。左がいわゆる事務所。食堂もあって、残業になるとスタッフはここで社長の奥さんが作る夕飯を食べた。アットホームな職場だった。
 
 面接の結果、翌日から通うことになった。時給はがいくらだったか? 一ヶ月、かなり残業しても10万円を超えることがなかったから低賃金であったことは確か。支払いは現金で、その額を恥ずかしく思いながら給料袋をかみサンに渡すと、「お疲れさまでした」と頭を下げて受け取ってくれる。うれしかったな。このとき、丸井インテリア館でマネキンをやっていたかみサンは倍以上稼いでいたのだから。

 給料は安かった。でも毎日が楽しかった。通い始めた当初こそ、鬱の後遺症で気分が晴れない毎日だったが、一週間すぎるとすっかり治っていた。
 何より職場には幼少時代からウルトラシリーズのクレジットでお馴染みの憧れの人がいるのだ。光学撮影で有名なN・M氏。仕事をしているときとそうでないときの落差が激しすぎた。ラッシュフィルムをムビオラで確認しながら、部下に指示をだすN・M氏はカミソリのような怖さだった。それが休憩時間はやさしい。いや、仕事中が震え上がるほどだから、ものすごくやさしく感じるのだった。

 社長のI・S氏は「帰ってきたウルトラマン」の光学作画でその名を覚えた。休憩時に、昔の思い出話を何度か聞かせてくれた。
 直属の上司のM・M氏には何かとお世話になった。「ウルトラマンレオ」のクレジットは〈合成技術〉。

 働きだしてすぐ実相寺監督の久しぶりの監督作品「帝都物語」の合成の仕事が始まった。
 少しして、「帝都物語」の特撮監督・大木淳吉さんがちょくちょく顔を見せるようになった。そう、第一期ウルトラシリーズで特殊技術を担当した、そして、「帰ってきたウルトラマン」の11月の傑作群のひとつ「落日の決闘」を監督した、特撮に夕景を多用した憧れの人。
 実相寺監督の盟友、事務所コダイの代表者。


 ●「帝都物語」の頃 2 2006/12/04

 大木淳吉さんはとても気さくな方だった。
 実相寺監督が、第一期ウルトラシリーズ時代の想い出を小説にした「星の林に月の舟」(大和書房、ちくま文庫)は、自身を主人公に、特撮番組に賭ける若者たちの青春群像という趣きがあり、とても感銘を受けた。
 この小説をTBSが「ウルトラマンをつくった男たち」というタイトルでスペシャルドラマ化。大木さんをモデルにした特技監督役を柳沢慎吾が演じていて、笑ってしまった。まあ似ていなくもない。
 いつも笑顔をたやさない。こちらのつまらない質問、疑問にきちんと答えてくれる。打ち合わせで顔を見せると、気持ちが和んだ。来訪を心待ちにしていたところがある。

「君は現場タイプだよ」
 ある日、大木さんと雑談している最中に言われた。自分でもそう思っていた。でも、コマーシャルの現場では、毎回スタッフが入れ替わり、いつも萎縮して自分のカラーを表に出すことができなかったんですよ。
 そんな話をすると、
「大丈夫だよ、慣れだよ、慣れ。おいでよこっちの世界に」

 もし、あのとき、デン・フィルムでアルバイトを 続けていたら、どうなっていたのだろう。たまに思い巡らすことがある。
 ポストプロではなく、撮影現場の下っ端として働きだし、そのままフォースの助監督となって、それを皮切りに映画界を浮遊していったのだろうか。
 結局、この夢は叶わなかった。「帝都物語」が完成する前にデン・フィルムを辞めてしまったのだ。親友に勧められて自己啓発セミナーの第二段階(筑波への二泊三日 アドバンスコース)に参加した結果、また躁がぶり返してしまって、会社に大迷惑をかけた結果のこと。詳しいことはすっかり忘れてしまったが……。

 さて、肝心の、実相寺監督久々の映画、超大作「帝都物語」はどうだったか。
 ラッシュフィルムを見る限り、ものすごい世界がスクリーンに展開しそうな気がした。アルバイトしているときはもちろん、辞めてからも、会う人会う人に宣伝した。「ぜったい面白いですよ、必ず劇場で観てくださいね、保障しますから」
 翌年の2月に有楽町のスカラ座で観た。
 当時の日記にこう書いている。

     ◇
 ストーリー自体何のかんの言うつもりはない。
 セミ時代劇としての、明治、大正、昭和初期のシチュエーションも好きだ。
 特撮も良くできている。これ観たさに行ったんだもの。
 しかし、今いち心がはずまなかったのはどうしてだろう。
 1シーン、1カットはよくできているのに全体として映像がはずんでいないのだ。
 クライマックスが、いろいろなエピソードの積み重ねになっていて、緊張感がそがれてしまう。
 もっとエロチックかなぁと期待もしていたが、それもなし…がっかり。
 一番印象的だったのは、やはり悪の権化加藤保憲のドアップの顔!

 期待したような感激は得られなかった。
     ◇

 その後、一度だけ大木さんにお目にかかったことがある。電車に乗っていたら、目の前に大木さんが座っていたのだ。挨拶すると覚えていてくれた。
「今度事務所に電話ちょーだいよ」
 一度電話したけれど、大木さんは外出中だった。以後連絡はとらなかった。
 今日はいい天気だね、くらいの意識だったかもしれないという気持ちと、デン・フィルムの辞め方に負い目があったから。

 大木さんの訃報を知ったときはショックだった。今から10年ほど前だからまだ50代だったのではないか。
 大木さんはあの世で実相寺監督をどんな顔して出迎えるのだろうか。


 ●「星の伝説」の頃 2006/12/06

 その後いろいろあった。賭博ゲーム喫茶、TV制作、着物の訪問販売……。1987年から88年にかけてさまざまな職を渡り歩いた。ゲーム喫茶は客と喧嘩してすぐにクビになり、着物の訪問販売は研修を兼ねた地方出張(一週間)から帰ってきてすぐ逃げ出した。
 給料の良さだけに惹かれた仕事は長続きしない。
 デン・フィルムの前には薬店に勤めたことがある。
 鬱の真っ最中。新人なのに、なぜかたびたびお客に商品について質問され、でもまともに答えられず、そのたび落ち込んでいた。
 もうたまらなくなって、ある朝家を出てそのまま多摩動物園へ直行、夕方まで過ごした。翌日から出勤のフリをして、外でブラブラして夕方帰宅するという日が続く。一週間後、もう嘘はつけないと帰宅後かみサンの前にひざまづいた……。

 閑話休題。
 かみサンが妊娠して徐々にお腹が大きくなっていく中、もうすぐ出産というそのときT書房に就職した。
 書店向けの廉価ビデオで一時ブームを巻き起こした出版社の映像部。その後S社に出向、新しく設立された映像事業部の所属となった。
 事業部という名称ではあったが、部員はたったの5名、それにデスクの女性以外すべて他社からの出向組という編成だ。T書房から2名、Tムービーから1名、部長はS社の子会社L社からの出向。たぶん業績がよくなければすぐに切り捨てるつもりだったのだろう。

 T書房の書店向けビデオとTムービーのアニメをSブランドにして玩具、レンタルルートで販売すること。また独自に企画したビデオをリリースしていくこと。それが映像事業部の主業務だった。
 「野生の王国」みたいな、恐竜のドキュメンタリー(特撮作品)ビデオを制作したいと、意気揚々と原宿の事務所に乗り込んだのだが、I部長の方針ややり方が理解できず毎日のように衝突をしていたころの話である。
 S社が映画に出資することになった。それが松竹系で公開される「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」だった。脚本・佐々木守、監督・実相寺昭雄。往年の「ウルトラ」スタッフによる初の「ウルトラQ」映画化作品。
 映像事業部は実際の映画制作に絡んではいなかったが、ビデオ化の件で接点があった。

 渋谷にある円谷映像に伺った。特撮の神様・円谷英二の三男、円谷粲氏がより広いジャンルの映像作品を手がけたいと円谷プロを独立して設立した制作会社。
 ビルの一室にお邪魔すると、スタッフとしてK・K氏とS・N氏を紹介された。K・K氏は第二期ウルトラ(マン)シリーズで〈制作〉あるいは怪獣デザインでお馴染み、S・N氏は第一期のスクリプター(記録)であり、「星の林に月の舟」では(当然名前は違うが)主要人物として登場してくる、ウルトラ関係のムック等のスタッフの集合記念写真で何度も見かけたとてもきれいな方。
 円谷氏、K・K氏、S・N氏を前にするとファン心が疼いて、仕事で来たことを忘れてしまう。
 確か、シナリオを渡されたと思う。
 帰社後、わくわくしながら読み始めた。


 ●「星の伝説」の頃 2 2006/12/07

 いったいどんな「ウルトラQ」ワールドが展開されるのか。期待に胸ふくらませてシナリオ「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」を読み始めた。ページが進むにしたがってわくわく感はしぼんでいった。面白くないのである。

 主人公の万条目、一平、由利子のトリオを、TVクルーに設定して、謎の連続殺人事件を追っていくうちに意外な事実が判明するというプロットはいい。ところが羽衣伝説、浦島太郎伝説等を巧みに取り入れながら謎を解明していく過程がちっとも盛り上がらない。宇宙人が登場して、その用心棒的怪獣が出現するに及んで興ざめした。
 テーマはよくわかる。文明の発達、科学の進歩、その代償としての環境破壊。それが本当に人類に輝かしい未来をもたらすのか否か。
 佐々木守・実相寺昭雄コンビなのだから、TVシリーズと同じテイストをのぞんでいたわけではない。とはいえ、あまりに「ウルトラQ」の世界を逸脱していた。
  
 もともと「ウルトラQ」の映画化は金子修介監督が大映に提出した企画から出発した。
 「トワイライトゾーン」を意識した3話オムニバスで、内容もサルベージもの、精神世界もの、怪獣ものとバラエティに富んでいた。
 最初はオープニングにマンモスフラワーを登場させ、第1話、第2話と続き、最終話がガラモンが暴れるストーリーだったらしい。ガラモンはTV「ウルトラQ」を代表する怪獣である。ところが版権の問題でこれらの怪獣を使用できず、オリジナル怪獣が登場する第二稿が書かれた。結局この企画は予算の関係で中止になって、実相寺監督によるまったく新しい「ウルトラQ」の映画が誕生したのである。

 「…星の伝説」は、80年代にATGで映画化される予定だった「元祖ウルトラマン 怪獣聖書」のプロットをそのまま流用したものだ。
 時代を敢えて「ウルトラマン」が放送されていた60年代に設定し、日本の高度成長の是非を問うという、空想科学シリーズとかけ離れた内容。「ウルトラセブン」ならともかく、「ウルトラマン」でやるべき題材ではなく、映画化されなかった理由がよくわかる。
 
 「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」は「ウルトラQ」の映画ではなく、「星の伝説」というタイトルの実相寺監督作品と観れば、それなりに納得できる。実際、試写を観たら、そのスタイリッシュな映像には堪能できたわけだから。

 映像事業部がこの映画のダイジェスト版(30分)をリリースすることになった。ダイジェスト版というから、当初、怪獣・薙羅(ナギラ)が出演するシーン、特撮シーンをピックアップした、子ども向けの特別編集版だと思っていた。しかし、本編にはそれほどナギラが出るシーンがない。
 すると、本編から主要シーンを抜き出した本当のダイジェスト版だというのである。
 そんな、バカな! そんなの実相寺映画に対する冒涜ではないか。そんなせこい真似をするのなら、劇場版をリリースすべきじゃないか。
 部長に反論すると、劇場版はすでにB社からリリースされることは決まっている、S社はダイジェスト版のみ販売できるのだと言い返された。
「そんな中途半端なもの、売れっこないですよ」
「売れるか売れないかお前が判断するな!」
「だって、売れないものは売れないです。断言できます」
「これは決定事項なんだ、円谷が許諾して、金も払ってんだ」

 この中途半端なビデオの発売で一番思い出に残っているのが、幕張メッセで開催されたTOYショーだ。ビデオを展示し、余興でケンイチ、いやナギラのぬいぐるみを呼んだ。スーツアクターの費用なんてないから、私が入った。
 子どものころ、一度中に入ってみたいと願った怪獣のぬいぐるみ! 
 顔が見えないことをいいことに、思いっきりはしゃいだ。野球拳はやるわ、ムーンウォークはやるわ、もうやりたい放題、好き放題。しかし、晴れの舞台は短かった。わずか10分ほどで酸欠状態になり、気を失いかけた。

 ビデオは売れなかった。




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Author:kei
新井啓介
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神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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