桐野夏生が週刊文春に連載していた「ポリティコン」が上下二巻の単行本になった。作者が微笑む写真が添えられた広告をいたるところで目にする。
 連載中はかなり夢中になって読んでいた。だからこそ最終回は途中終了といった感じでどうにも納得がいかなった。

 映画化もされた、奥田英朗「サウスバウンド」(角川文庫)は、第一部東京編、第二部西表島編で構成されている。雑誌連載時は東京編で終了し、第二部は単行本化のときに書き下ろされたものだという。この小説を雑誌連載時に読んでいたとして、終了時に何の違和感もなかったと思う。きちんと物語が完結しているからだ。
 「ポリティコン」は違う。最終回なのに、明らかに〈次回に続く〉的内容だった。
 え、これでおしまい? 読み終えて、狐につままれた感覚だった。予定していた1年では完結しそうもないので、とりあえず終了として、あとは単行本で書き下ろしか? 「OP.ローズダスト」のように。そんな思いが頭をよぎった。

 「ポリティコン」の連載が終了すると、桐野夏生は週刊新潮で「ナニカアル」の連載を開始した。「ナニカアル」が一冊にまとまる前後、別冊文藝春秋で「アポカルプシス」の連載が始まったことを知る。「ポリティコン」の続編だ。
 この連載が終了したのだろう。第一部「ポリティコン」、第二部「アポカルプシス」という上下巻の「ポリティコン」が刊行されたというわけだ。

 なぜ、別冊文藝春秋で「アポカルプシス」が連載されたのか? どうして週刊文春ではないのか? 「ポリティコン」の続編なのに。
 別冊文藝春秋の読者は、「アポカルプシス」を楽しめたのだろうか。「ポリティコン」を知らなくても理解できる内容になっているのか。「ポリティコン」を楽しんでいた文春読者は、続編を読むために、別冊文藝春秋をあたらなければならない。熱狂的なファン以外は面倒なだけだ。本になったら読めばいいと無視を決め込む(僕のことだ)。
 
 「サウスバウンド」のように、「第一部」がきちんと終わっていれば文句はない。
 あるいは一応完結したものを単行本にする際、加筆するというのもありだ。というか、当然だ。
 手塚治虫が週刊文春に連載していた「アドルフに告ぐ」は、単行本化の際、ラストがかなり加筆されていた。物語が佳境に入ってから、本人の病気で休載になっていたことへの処置だと思った。
 ある方のblogで知ったのだが、宮部みゆき「模倣犯」も週刊ポスト連載時では最終回はもっとあっけなかったという。ラストが大幅に加筆されたのである。
 雑誌に連載された内容に加筆して単行本化というのは、出版社の常套手段だ。しかし、明らかに続編であるものを同じ出版社の別の雑誌に連載するということもよくあることなのだろうか?
 これって、単行本にするための連載、つまり出版社側の事情、というような気がしてならないのだが。連載を楽しんでいる(いた)読者をないがしろにしていないか? 

 単行本はそのうち読むつもり。主人公の東一と真矢がその後どうなったのか知りたいので。

 そうそう、単行本「ポリティコン」の広告のこと。
 桐野夏生がちょっときれいな卵顔になったミッツ・マングローブに見える人、手をあげて!




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Comment
No title
そうか、ポリティコンの続編はそういう形で、別冊文藝春秋で連載されていたのですね。ポリティコンの連載最終回も「また、やられた!」感のある終わり方だったこと、よく覚えています・・・ところで週刊文春、綿矢りささんの連載が始まりましたね。一般週刊誌での連載は始めてじゃないですかね?
oyecomova さん
>綿矢りささんの連載

週刊文春の小説、最近は完全に女性ファン狙いですよね。

連載第一回にあっと思って、読もうかどうか悩んだのですが、パスしてしまいました。もう4回めでしたっけ。
面白いですか?
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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