ネットのニュースで坂上二郎の死去を知る。
 思わず泣きそうになった。
 昭和9年生まれ、父と同い歳。一瞬、父が死んだような感覚になったのだろうか。

 コント55号に夢中になった小学生時代。一度だけ、隣町の足利にやってきた公開録画「55号決定版!」を会場で観ている。この「55号決定版!」は地元(太田)の市民会館にもやってきたことがある。館長が同級生のお父さんで、当日の台本を記念にとプレゼントされた。僕がコントが好きで自分で書いたり演じたりしているの娘をとおして知ったのだろう。あのときはうれしかった。台本は今でも郷里にある。

 コント55号の人気がピークを過ぎると二人の単独出演が増えていく。僕は欽ちゃんの笑いを追いかけていたが、決して二郎さんを無視したわけではない。「夜明けの刑事」の主演は和製コロンボと話題になったっけ。
 「ぴったしカンカン」は毎週の楽しみだった。

 合掌


 以下、夕景工房の「小説・コント55号」レビューを転載。


     ◇

2002/10/02

 「いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん 小説・コント55号」(山中伊知郎/竹書房)  

 本書を書店で見つけた時は歓喜した。  
 萩本欽一をモデルにした小林信彦の短編「踊る男」(「ビートルズの優しい夜」所収)があるものの、これまでコント55号の評伝なんかなかったと思う。 
 著者の名を見てびっくりした。山中伊知郎というと僕はどうしてもTBSラジオ「永六輔その新世界」のリポーターのイメージがつきまとってしまう。著作を書店で見たことがあり、文筆家であることは知っていたけれど、こういう芸人の世界を描く作家だとは認識していなかった。
 もう何年前になるのか、市川森一が60年代のコメディアンたちを活写したスペシャルドラマ「ゴールデンボーイズ」を見たことがある。その中に若き日のコント55号がいた。小堺一機が欽ちゃん、鶴太郎が二郎さんに扮し、当時のコントを再現して一見の価値があった。ドラマ自体良く出来ていた。 
 本書はあのドラマのコント55号のエピソードを大きく膨らませた印象がある。  

 浅草の無名時代、同じストリップ劇場の舞台に立ち、なぜか互いに反発しあい、コントの流れや客の存在も忘れ、アドリブを競い合っていた萩本欽一と安東ロール(後の坂上二郎)。予定時間をオーバーし、客からブーイングはとぶわ、スタッフには文句は言われるわ、いいことないのだが。
 二人とも夢は大きいがとにかく売れない。金がない。
 しばらくして萩本欽一は自分の劇団を旗揚げする。これがTVプロデューサーの目にとまりTVの仕事が入ってくるものの、ことごとく失敗して傷心の日々を送ることになる。坂上二郎は女房を食わせるためにキャバレーの司会を続けながら、ほそぼそと芝居のチョイ役出演を続ける。
 TVを見切った萩本が熱海のホテルにおける長期巡業で客を大いに笑わせ自信をつけ、久しぶりに自分の部屋に帰ったちょうどその時、坂上から連絡があった。
 フランス座時代、反発ばかりして話もしたことがなかった二人だった。にもかかわらず、生活が逼迫して子どもが生まれるのを機に芸人の世界から足を洗おうと決心した坂上は、そうなると、なぜか萩本とやりあっていた頃が一番楽しかったと、せめてもう一度ゆっくり思い出話に花を咲かせたかったと電話をかけてきたのだ。運命的な再会だ。
     ◇
 もしもこの電話が何日か、いや何時間でもズレていれば、恐らく欽一は下宿には戻っていなかったか、またどこかへ外出していたろう。少なくとも、前の日まで二カ月は熱海で働いていたし、戻ったら戻って、浅草の劇場への挨拶回りがある。
 もし、欽一が下宿にいなかったら、坂上はたぶん再び電話をかけたりしなかったろう。元来、欽一と親しかったわけではない。坂上がフッと懐かしくなってかけてしまった、ほんの「出来心」だったからだ
     ◇
 こうして二人はコンビを組むことになった。   

 今でもはっきり覚えている新聞記事がある。ちょうどコント55号がTVに登場した翌年のサンケイ新聞(当時の表記)の正月版の第一面。どこかのお寺か神社の階段に欽ちゃんと二郎さんが並んだ写真が大きくあって、キャプションに「今年は俺たちの年」というようなことが書かれていたように思う。
 コント55号がくりひろげる笑いはこれまでの〈お笑い〉を超越していた。とにかく笑えた。一度披露したネタは二度とやらないという姿勢がかっこよく、たちまち僕のあこがれのコメディアンになった。特に欽ちゃんの笑いのセンスに影響を受けた。以来ずっと追いかけた。 

 本書はコント55号の無名時代からブーム到来までを詳細な取材に基づき活写していて、そういう意味では満足のいく内容だ。浅草時代、二人が反目していたなんてことは、今までまったく知らなかった。あるいはブレイクするまでに、二人の才能を信じた事務所社長の人一倍の努力があったことも。
 しかし、ブームが一端沈静化してからの欽ちゃんの低迷を抜きにして、その後の復活を簡単に記してしまうのはどうか。あの頃、TVで欽ちゃんの姿を見るのが忍びなかった。二郎さんは役者として独自に活躍しているのに、欽ちゃんにまったく精彩が感じられなかった。
 「コント55号の世界は笑う」が裏番組の「8時だよ!全員集合」の人気に押された末期、やがて「欽ちゃんのドンとやってみよう」でリベンジを果たすまで、ここらへんの事情ももっと掘り下げて欲しかった。いやこれは「小説コント55号」なんだからと言われればそれまでだけれど。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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