スーちゃん(田中好子)の急逝には驚いた。夜遅くネットのニュースで知ったのだが、「ええ!」大声だして隣の部屋で寝ていたかみサンに「田中××が死んじゃった!」。
 その後詳細を逐次報告。聞いてたかみサンがあきれたように訊いてきた。
「ねえ、亡くなったのは田中好子でしょう?」
「そうだよ、さっきからそう言っているじゃない」
「ずっと田中裕子って叫んでいたの!」

 乳がんで闘病していたなんてまったく知らなかった。闘病が約20年間伏せられていたことが信じられない。結婚生活=闘病だったのだ。乳がんということで、その治療方法その他確認したいことがあるが、僕がみたTVのニュースでそこまで言及しているものはなかった。
 別にキャンディーズのファンではなかった。中学時代は歌謡曲、とくにアイドル歌手を毛嫌いしていたところがある。高校生になると少しは寛容になったとはいえ、当時どちらかといえば、ピンク・レディーの方が好みだった。歌は好きだったが、アン・ルイスがデザインする衣装がどれも好きになれなくて。

 それはともかく、キャンディーズはデビューから知っているから、ファンでなくてもある種の思い入れはある。ファイナルコンサートについては1978年4月の日記にこんなことを書いた。
 大学受験に失敗して、浪人(予備校)生活をスタートさせる直前のころだ。

     ◇
 4日に開催されたファイナルコンサートで5万人のファンを前にして歌い踊って「ありがとう」と叫び、泣いたキャンデーズの3人。やはりすごく感動的なことだったろう。
 まったく関係ないふたつの出来事だけど、どうもダブってしまう。
 身体がはりさけるぐらいの感動が味わえたのではないかと思うからだ。
     ◇

 キャンディースを、最初何の番組で知ったのだろう? 「8時だよ!全員集合」か。
 スーちゃんがセンターだったときはブレイクしなかった。ところが、ランちゃんになったとたん「年下の男の子」がヒットして人気アイドルの仲間入りを果たした。あれは何だったのだろうか。ちなみに僕は3人の中ではミキちゃんが好きだった。

 スーちゃんの死に激しく動揺したのには理由がある。松平健のあられのCM。最初奥さんは田中好子だった。お似合いの夫婦じゃないかと思っていた。ふと気がつくと、奥さんが原日出子に変わっていた。
 なぜ? どうして降板? それがずっとしこりとなっていたので、訃報を知って氷解した。病気による降板だったのか。

 合掌


 【追伸】

 TVの追悼番組って何を基準に編成されるのか。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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