2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 新大阪からJR在来線で元町に向かっている途中、芦屋駅があった。名前だけは知っている高級住宅街だ。東京の田園調布みたいな町というイメージがある。FCの前会長はこの町に住んでいるんだよな、なんて思ったりして。
 芦屋にはテーマソングがある。歌のタイトルは「この町がすき」。

  春は魚たちがとびはねる
  さくらふぶきながす芦屋川
  夏は子どもたちがあそんでる
  白いヨットはしるあしや浜
  海と山をそめてきょうもまた日が昇る
  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのようなえがおにあえるから

 この歌の誕生は阪神淡路大震災に見舞われてから3年後のこと。芦屋市のPTA協議会が「わたしの街芦屋」をテーマに詩を募集した。対象は市内の小学生。詩の中から印象的な言葉を集め、作詞し曲をつけた。補作詞、作曲は後藤さん。某ブログからの受け入りだけど。
 この歌、正式な録音はしていなかった。PTA協議会が開催した紙ふうせんコンサートで発表しただけ。その演奏を関係者が録音していた。その音源が市役所で毎朝流れることになり、一部の人たちに知られる存在になった。そんな経緯を聞いた後藤さんが、だったらきちんとした音源を作りましょうと、今回新規の録音となった。
「じゃあ、(その音源の)カラオケで歌います」
 と後藤さん。
 わぁ、75年に東京都大田区で開催されたコンサートで披露された新曲「別れの鐘」みたい! あのときもシングルレコード用のカラオケで歌ったのだ。僕はその音源を聴いただけだけれど。一昨年の暮れに関東地区のFCメンバーを対象にあるイベントを開催した。題して「紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会」。要は忘年会です。
 それはともかく、隠れた名曲「この町がすき」のヴォーカルは平山さんなのだが、歌いだすまでちょっと表情が硬かった。その理由は歌唱後に判明する。いや、勝手に僕が推測しているだけかも。
 歌い終わってから後藤さんが説明する。トランペットは生の音だけれど、あとは打ち込みだったと。この〈打ち込み〉なるもの、僕はいまいち理解していない。事前に音をつくっておくという認識はある。でも、カラオケとどう違うんだ? シンセサイザーによる音作りだったんですね。すべての楽器をシンセサイザーの音で作って処理してしまう。トランペットだけ本物。平山さんは打ち込みに不満なのでは?

 通信カラオケの音源もすべてシンセサイザーですよね。それで思い出した。カラオケで「紙風船」を最初に取り入れたのはゲーム会社S社の子会社だった。カラオケ事業に進出するために設立された。画面見て笑ってしまった。〈作詞・黒川三郎〉なんだもの。今、「紙風船」はどこのメーカーにも入っているが、なぜかすべて作詞・黒川三郎。いったいどうしてそうなるのか。

 サプライズ報告があった。
 紙ふうせんのNマネージャーが入籍したとのこと。
 紙ふうせん+すぎたさんのアカペラでウエディングマーチ。
 いいな、いいな。うらやましいな。

  この町がすき/ウエディングマーチ/虹


 田中賢さん、金関環さんがステージに呼ばれる。
 「翼をください」のあと、ヴァイオリンのソロを効かせた「ルート43」、ヴァイオリンのイントロとピアノアレンジが印象的な「冬が来る前に」がラスト。あらかじめ決められていたアンコールは唱歌「故郷(ふるさと)」。演者、観客全員で合唱した。こうしてシークレットライブは大団円で終了……
 
 ……しなかった。拍手が鳴り止まず、後藤さん「では、あらかじめ決めていなかった曲やります」
 北島三郎ではなく後藤悦治郎版「まつり」は、赤い鳥時代、日本青年館の屋上(だったっけ?)で神宮球場の歓声を耳にしながら作ったという。
 なぜ日本青年館にいたかというと、ホールで劇団薔薇座の芝居があったから。アラン・ドロンの声優、ナッチャコパックのパーソナリティで知られる、野沢那智主宰の劇団である。後藤さんが音楽を担当した芝居はカミュの「戒厳令」。どんな音楽にするか、野沢さんと打ち合わせしているなか、だったら赤い鳥全員出演してやれってんで、生演奏したらしい。   
 この話を聞いたのはライブ終了後だが、もうびっくり仰天。後藤さん個人の参加ではなかったのか。
 赤い鳥の演奏、歌。
 どんな演奏なのか、音源あったらファンなら絶対確認したいところだ。

  翼をください/ルート43/冬が来る前に

  アンコール
  故郷/まつり


 ちなみに後藤さん、麿赤兒の芝居も音楽を担当したことがあるとのこと。芝居は「満開の桜(はな)の下」。当時アングラに興味があってねとおっしゃっていました。
 小室等の「雨が空から降れば」は別役実の芝居から生まれたものだ。小室さんもアングラ芝居の音楽をいろいろ手がけていたに違いない。
 やはり似ているなあ、後藤さんと小室さん。

 紙ふうせんとまるで六文銭のように(今は六文銭に改称しているのか)のジョイントコンサートがあれば。

 もう一つ忘れていた。
 これはライブ中に平山さんから発表があったのだが、この4月から後藤さんが大阪芸術短期大学の客員教授に就任されました。
 このときをどれだけ首を長くして待っていたことか。
 一度は授業風景を拝見させてもらいますよ~!

 あともう一つ。
 今年のリサイタルは11月18日(金)に決定しました。


 【追記】

 昨年、シークレットライブの前夜、赤い鳥時代のことを浦野さんに取材した。そのとき、デビューからしばらくの間、赤い鳥のバックバンドだった竹田一彦カルテット(浦野さんはベース)は関西以西だけの担当だったとお聞きした。今回、浦野さんの紹介(古希のとき?)で、後藤さんもそうおっしゃってました。
 ということは、関西地区から西のファンたちはいい音聴いていたってことですよね。


nankinmachi1104
ライブ終了後、南京町の某酒家で行われたFC懇親会に参加

piitan
ガード下にある中華料理店
その名のとおり、ピータンが美味! 




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Comment
No title
紙ふうせんのHPでレコードの発売された年が出ている。思い出したことがあるので、書いてみますね。
1975「別れの鐘」ミュージック・フェアに原曲を歌っている外国のグループと競演していた番組をカセットコーダーをTVに近づけて録音してました(笑)
札幌のラジオ番組にもキャンペーンで来てました。泰代さんがファンの方とポッキーゲーム(長いパンで)をやらされていて、実況を聞いてましたね。
ミュージック・フェアで小柳ルミ子さんと競演していた番組を見たことがあるが、オープニングで「あのすばらしい愛をもういちど」を歌っていて、2番の歌詞を泰代さんが歌っていたんだけど、新居さんもいたような気がするし、もう少し前の赤い鳥の時だったのかは自信がない。 1978 LP「再会」でやたら泰代さんが宝塚へおいでよ~ と歌っている。ヤングフォークの雑誌にもジローさんのエッセイが出ていたりして、会いにいってみるかな・・と考えていた時期で 1980年の8月あたりに大学のゼミ旅行を利用して宝塚にいきました。
そうそう、TV「8時にあいましょう」とかいう番組のゲストでお二人が出ていて、5件ほど宝塚に家を持っていた事が紹介されたことがあった その半年あたりかな? どうやっていったらいいのかわからない少年で福地線のローカル電車に乗って向かいました。この項続く
ジンギスカン さん
「体験的紙ふうせん論」にも書きましたが、解散間近の赤い鳥の演奏をTVで見られるのは「ミュージック・フェア」くらいでした。紙ふうせんの「ミュージック・フェア」出演は、私が知っている限り2回しかありません。…違うかなあ。
小柳ルミ子さんとの共演は、ですから、赤い鳥時代でしょう。私が赤い鳥ファンになって意識して番組を観る前から定期的に出演されていたのでしょうね。

セカンドアルバム「愛と自由を」に収録されている「木こりのわが子への唄」は私のお気に入りなんですが、平山さんの独唱なのでシングルには出来ない、だったら、小柳ルミ子に歌わせたらぴったりじゃないかと高校時代思っていました。「星の砂」路線に合致するのではないかと。
「ミュージック・フェア」で共演、それも一緒に歌っていると知って、自分の考えも突飛でないことがわかり、今、どや顔になっております(笑)。
No title
「ビッキーズのお話」
ジローさんが発掘された女性2人組。顔が蛙に似ている印象で関西地方の呼び名で「ビッキーズ」になったとMCで説明を聞いたことがある。「紙ふうせん事務所も若手をデビューさせて食わしてもらわないと」と紹介されたのが山田企司子さんと川島敬子さん。まだ22~23歳ぐらいの時だと思います。唯一持っているEPは「夏の日のポエム」で作詞はジローさんで作曲は浦野さん。実は
居候で宝塚に滞在していた時期にアマチュアの方々のコンテストがあって連れて行ってもらった時にサブマネから「あの子をジローさんが押している」と教えてもらった髪の長い女の子が出ていて、僕は上手いと思っていたが、以前よりヘタになったとかの評価でダメになった記憶があります。それからしばらくしての事務所からのデビューですので関心はありましたね。何年か後にツアーで北海道に紙ふうせんと来た事があります。前座で何曲か歌い、そのあとは紙ふうせんのバックでコーラスにまわっていたりしてました。keiさんにも今度その写真を見せてあげますね。ビッキーズからの年賀状も記念にしまってあります。今ではケイちゃんの方ですかね、お店を持っているのは? 歌は上手かった・・けど 女性2組、歌謡曲全盛期、アイドル時代、ネーミング? などの要素で売れなかったのかな と思います。
今思えばその頃から若手の発掘に力を入れていた流れが、かぼちゃ塾とかミュージック甲子園に繋がっているんですね。 独り言はつづく・・・  かな。
ジンギスカン さん
ひとりごと、夕景共和国へ転載したらいかかでしょうか?
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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