1975年1月19日、あなたは何をしていましたか?
 なぜ、そんなことを訊ねるの? まあ、それは最後に。

 75年の1月というと、間近に迫った高校受験に向けて必死に受験勉強していた。
 群馬の県立高校の入試は3月13日。
 出来が悪くて、本当に落ちるんじゃないかと、飯が喉を通らない。母親に「落ちたかもしれない」と言うと、「大丈夫よ」。あのさ、気休めはやめてくれ! いや、ほんと生きた心地がしなかった。
 合格発表は18日。当日の日記にこうある。

     ▽
1975/03/18

 受かった! やった!!
 太田高等学校に入れた。地獄の4日間が終わり天国が訪れた。
     △

 この日、母の「大丈夫よ」の根拠を知った。近所に太田高校の教師がいて、けっこう親しかった。母はその教師から結果を教えてもらっていたのだった。

 そんなことはどうでもよくて。

 19日の日記がない。前日は書いていた。

     ▽
1975/01/18

 Kちゃんといっしょに、18時から市民会館で行われた「ヤングヤング歌謡ショー」を見る。ダ・カーポ、浅野ゆう子(バカ)、荒川務(またまたバカ)が出演。
 何しろうるさかった。女連中がワイワイガーガー。ああいう姿はイヤですねェ。
 太田にもいるんですよね。
     △

 どこかでイベントのチケットをもらったんだね。親友を誘って(あるいは誘われて)市民会館にでかけたわけだ。
 中学時代は歌謡曲を、アイドルを毛嫌いしていたので、デビューしたての浅野ゆう子も荒川務も大嫌いだった。特に浅野ゆう子なんて、のちに「太陽にほえろ!」の二代目お茶くみになるに及んで怒り心頭。今では大女優だもんな。見る目がなかった。

 そうそう、なぜ75年の1月19日なのか?
 この日、東京厚生年金会館大ホールで「歌う銀幕スター 夢の狂宴」と題されたイベントが開催されたのである。
 出演は、菅原文太、渡哲也、藤竜也、原田芳雄、宍戸錠、佐藤蛾次郎、中川梨絵、桃井かおり。プラス、あがた森魚、石川セリ。鈴木清順、深作欣二も出ていたらしい。
 プロデュースは、TBSアナウンサーの林美雄。もうこのころからパック・イン・ミュージックのパーソナリティを担当していたのか。

 僕がラジオの深夜放送を聴き始めるのが高校2年か3年だった。ラジオはTBS派だったので(一番よく聞こえたので)、パック・イン・ミュージックは月曜日から金曜日まで毎晩聴いていた。番組が終って、次の「歌うヘッドライト」の挨拶が聞こえてくると、ベッドにもぐりこむ、そんな生活だった。
 林美雄は映画の話題が多いので大好きだった。おすぎとピーコを知ったのはこの番組ではなかったか。

 菅原文太は「仁義なき戦い」でスターの仲間入りを果たしたが、リアルタイムに観ていないので、その魅力を知ることがなかった。
 原田芳雄を初めて観たのは映画ではない。「3丁目4番地」だとばかり思っていたが、「2丁目3番地」にも出演していたのか。「反逆のメロディー」は「八月の濡れた砂」同様、幻の日活映画だった。「八月の濡れた砂」の主題歌を歌うのが石川セリ。いやはや感激。
 原田芳雄ってギター弾くのか。「早春賦」。「知床旅情」はこの曲をパク、ではなくこの曲にインスパイアされた? というか、「早春賦」自体モーツァルトの曲のパク、ではなく、インスパイアなのね。
 「青春の蹉跌」「赤い鳥逃げた?」で裸になる女優という印象が強かった桃井かおり。桃井かおりを知ったのは「青春の蹉跌」か「それぞれの秋」だったか。一般的に人気になるのは「前略おふくろ様」の恐怖の海ちゃんだが。歌がヘタ。佐藤蛾次郎はうまい。
 宍戸錠は小学生のときから知っていたが、映画俳優というイメージはなかった。「ゲバゲバ90分」や「どっきりカメラ」で笑いを振りまくタレントという認識。

 林美雄をサポートしたのが、キネマ旬報の編集者、当時25歳の植草(信和)さん。参加したスタッフが若いから、こんなイベントが開催できたのだろう。
 演出は、まだ監督デビューする前の長谷川和彦。業界では有名人だったらしい。
 参加したお客さんには生涯忘れられないイベントになったのではないか。

 一昨日、こんなイベントがあったもので。




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Comment
そんなこと言われても、と機嫌悪くさせるのを百も承知で言いますけど
…なんで声かけてくれないの~!?一生怨みます…(ToT)
タナカ さん
梶芽衣子になりきって「怨み節」を歌ってください。

実のところ誰も誘っていないんです。限定50人、だまっていてもすぐに満員になる。私はあくまでもお客さん、談四楼フォロワーズ3人で参加しました。
お客さんには、ええ!ってな方もいらっしゃいましたとさ。
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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