これはある愛の赤い鳥の続編である。
 mixiにこの文章を書いたとき、マイミクのMさんから真相を教えて欲しいとコメントをもらって、続きを書いたのだった。もちろんそのままでは差し障りがあるので、自分の体験を披露してMさんに想像してもらおうと。
 最初の友人をエキストラにした話は100%本当のことだが、より理解してもらいたかったのでもうひとつのオーディションの話は創作をかなり付け足した。なんとか「2丁目3番地」とリンクさせながら。
 最近、YouTubuに赤い鳥の「目覚めたときには晴れていた」がUPされた。これぞオリジナルバージョン! メインヴォーカルは平山さん。本当に? 新居さんの声のようにも聞こえないか? 
 平山さんがメインだから、レコーディングで主演の……いや、それはいいか。
 それはそうと、サビなんてまんまフランシス・レイだよな。
 それから原田芳雄は「2丁目3番地」にも出演していたのか。全然覚えていない。「3丁目4番地」の主演(の一人)はしっかり記憶にあるのだが。

     ◇

 ●愛しい彼女を大都会の危険な誘惑から守る方法 2007/01/10

 CF制作会社で働いていた頃、今から22、23年前の話である。
 昔を振り返らないショーケンを評価するお前がなぜいつも昔話に花を咲かせるんだ! なんて嘆きが湘南地方から「いかつりの唄」に乗せて届いてきそうだけど、まあお聞きください。

 某生理用品のプロモーションビデオを制作することになった。コンテには大勢の若い女性が銀座4丁目の交差点を闊歩するシーンがある。予算はない。会社スタッフの友人をかき集めることに。その年入社した1年下の後輩Iが数人に声かけた。
 その一人はビデオに出演できることをとても喜んでいたと、一緒に出演者をあたっていた私に言った。
 十数分後、I宛ての電話。相手はさっき出演を快諾した女性(Aさん)だ。
 話し終えたIは浮かない顔で私を見る。
「Aがキャンセルしてきたんです。さっきはあんなに喜んでいたのに」
 すぐに状況を飲み込んだ私はしたり顔で答えた。
「彼氏に電話したんだよ、自慢したくて。ビデオに出演するんだって。そしたら、彼氏が怒ったわけさ」
 きょとんとするI。
「撮影なんていうと、一般の人はいろいろ想像するんだよ。言葉巧みなスタッフの毒牙にかかったらたまらないって。撮影終わって、飲み行かないなんて誘われて、酔ったところをホテルに連れ込まれて、なんてさ」
 まるで見てきたように、私の妄想も膨らんだ。
「そんなバカな。Aさんが言うのさ。ありえないことではないだろう。彼氏が反論。ちょっとした言い争いがあって、Aさん、彼氏を説得できず。泣く泣くあきらめたってところかな」
 Iはもう一度Aさんに電話した。もどってきたIは驚きを隠せない。
「アライさん、なんでわかったんですか! まったくその通りでした」

 私がAさんの彼氏だったらどうしただろうか?
 彼女は撮影に参加したいと懇願するのである。たぶん了解するだろうな。でも心配だから一緒についていく。で、遠くで見守る。

 脚本家・倉本聰を知ったドラマが「2丁目3番地」。数年前に教えられたのだが、デビューしたての男女混声フォークグループがこのドラマの主題歌(挿入歌?)をうたっていた……。

 前説が長すぎた。Mさん、続きは明日ということで。


 ●兵ちゃんと「2丁目3番地」 2007/01/11

 CF制作会社時代には、もうひとつオーディションにまつわる奇妙な思い出がある。

 会社は築地の5階建ての小さなビルをまるまる借りていた。
 1階はもともと駐車場だったのだが、私が入社する前に改装して、簡易撮影スタジオとして時折使用していた。
 ある日のこと、そこで某CMに出演する娘のオーディションを行った。
 確か5、6人集まったと思う。小さな役なので、やってきた娘もタレントの卵といった感じ。もちろん皆一人だ。
 ところが、メンバーの中で一番光っていた娘(あくまでも個人的な意見)だけ男性と一緒だった。
 最初マネージャーかと思ったが、来社したときも、オーディション中も、帰る際も一言も話さない。それっぽくない。終了後、いったいあいつは何者だったのだ?という話になり、心配した彼氏がつきそってきたのだろうという結論に落ち着いた。

 ここで、私の妄想が始まった。女性一人で来るもんだと思っていたら、見知らぬ男性が隣にいる。ステージママ(パパ)ならぬステージカレ。オーディション中、彼氏がこちらの質問に、本人を差し置いてしゃしゃりでたとしたら? スタッフは怒り心頭だろうな。な、なんだ、こいつって。
 っもう不合格!

 ……ドラマの話だった。

 「2丁目3番地」は軽妙洒脱な愉快なドラマだった。当時美男美女として人気絶大だった石坂浩二と浅岡ルリ子がコミカルな夫婦を演じていた。奥さんが旦那を「ヘイちゃん」と呼ぶ。これが実に様になっていた。まるで本当の夫婦のようだ、なんて思っていたら、放送終了後本当に結婚してしまったのだ。
 実は石坂浩二の本名が〈兵吉〉であり、友人には〈兵ちゃん〉と呼ばれていることをその過程で知ることになるのだが。
 そういえば、石坂浩二が探偵に扮した「平四郎危機一発」というドラマ(TV映画?)もあった。あれも〈兵ちゃん〉から連想されたタイトルなのだろうか。
「平四郎危機一発、おならが二発」 
 懐かしいなあ。

 何より斬新だったのは、ナレーションをふたりの間に生まれた生後何ヶ月かの赤ちゃんが担当(女性の声優だろう)していたこと。
 今から考えると、赤ちゃんの目を通して両親を描くというプロットは市川崑監督がベストセラー本を映画化した「私は2歳」から発想されたものではないかと推測できる。
 「私は2歳」はレンタルビデオで観たのだが、これがまた傑作(キネマ旬報ベストテン第1位)。とにかく主役(?)の赤ちゃんは公開年度(1962年)からすると自分と同年齢。都会と田舎の差はあるけれど、映画に登場するものすべてが、原風景になるのだから感慨もひとしおだった。

 調べてみると「2丁目3番地」の放送は1971年の冬。小学5年生の3学期だったのか。前年には同じ日本テレビの「君は海を見たか」に夢中になった。
 このドラマについては、以前夕景の読書日記(倉本聰「愚者の旅」)の中で触れ、こう記した。

     ▽
 不治の病に冒された息子と、仕事に忙殺されて家庭を顧みなかった父親のふれあいを描くこのドラマ、子ども心にもラストのクライマックスが想像できた。病院のベッドの上で息絶え絶えの息子と、父親の最後の会話が交わされる涙なくしては見られない展開……。  
 とんでもなかった。息子の死を宣告されてからというものの、仕事モーレツ人間から家庭人間になった父親は、病気に効くとされる民間療養はすべて試してみた。神様、仏様はすべてお祈りした。その結果、まだ息子に異変は見られない。もしかしたら奇跡がおこったのかもしれない。本当に助かるのかも。そんな大人の会話が交わされているところに、トイレから息子の声が響いた。「パパ、来てごらん、見てよ、ボクのおしっこ、まっかっかなんだよ、とってもきれいなんだ」  
 ここで、すぐに息子の遺影になって、父親のモノローグでエピローグが語られる。この展開に衝撃を受けた。
     △

 後年、理論社から出たシナリオを読んで知ったことだが、この息子は昭和34年生まれ、私と同い年だったのだ。大映で映画化もされた。映画は未見。80年代になってショーケンの父親役でリメイクされた。ショーケンが息子のことで、大男と喧嘩してボコボコにされるシーンに胸を打たれた。一度しか観てないので記憶があやふやなのだが。

 ……主題歌の話だった。

 「2丁目3番地」が好評ですぐに「3丁目4番地」が制作された。浅岡ルリ子の単独主演であり、内容的にリンクしないのだが、石坂浩二が作詞し、ビリーバンバンがうたった主題歌「さよならをするために」が大ヒットした。

 そんなわけで「3丁目4番地」に主題歌があったのは、よく覚えているのだが、「2丁目3番地」に主題歌、もしくは挿入歌があったことはまったく印象にないのである。リアルタイムで夢中になって毎週土曜日夜9時を楽しみにしていたくらいなのだから、歌手が誰であるかはともかく、ドラマの中で流れる歌には耳を傾けたはずなのだ。なのにまったくのOUT OF 記憶。この事実を知らされたときはかなりショックだった。
 調べてみたら、「目覚めたときには晴れていた」という曲。
 何年か前に赤い鳥のアルバムのほか、NHK「みんなのうた」で赤い鳥が歌った曲、CMソングをすべて網羅した12枚入りのCD-BOXがリリースされた。前述の曲はこのCDにも収録されていない。ほんとにホント幻の曲なのだ。

 で、本題なのだが……。
 ああ、やはり長すぎる。明日に続
 けるのもどうかと思うぞ。
 そんなわけで、Mさん、申し訳ないけど、勝手に推測してください!




関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
コミケで見かけたあいつは誰だ?!
NEW Topics
告知ページ
1分間スピーチ #22 ソニー・プレステ2の宣伝効果
「クリムゾン・リバー」「愛のコリーダ 2000」「ビッグママスハウス」 ~ある日の夕景工房から
世紀末~新世紀「2001年宇宙の旅」まつり
「ハンニバル」 ~小説を読み、映画化作品をあたる
「ホワット・ライズ・ビニーズ」 「ペイ・フォワード [可能の王国]」 ~ある日の夕景工房から
「カオス」 ~映画を観て、原作をあたる
「砂の女」「源氏物語 あさきゆめみし」 「スペース カウボーイ」 ~ある日の夕景工房から
「キッド」「顔」「五条霊戦記」「インビジブル」 ~ある日の夕景工房から
「ホワイトアウト」「パーフェクト・ストーム」 ~ある日の夕景工房から 
Comment
No title
なぜ赤い鳥が「目覚めたときには晴れていた」を歌っていたのでしょうか?ドラマを見てなかったのでわかりません。ビリーバンバンの二人が歌謡番組で歌っているのは聞いた事があったんですが・・ 教えてkeiさん!
ジンギスカン さん
私も知らないんですよ~
推測できるのは、新人グループ〈赤い鳥〉の売り出しのため、事務所の判断で起用された、というもの。
ただ、楽曲は山上・村井コンビではないし、シングル化はもちろん、アルバムに収録されることも、ステージで披露されることもなかった。
でも、曲の評判がいいので、ビリーバンバンや伝書鳩がカヴァーした……
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top