2011/07/18
「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎/新潮社)
映画を観てからずっと気になっていた。やっと図書館で見つけて借りてきた。
伊坂幸太郎のミステリの特徴そして魅力は構成にある。なんて、「鴨とアヒルとコインロッカー」と本書しか読んでいないから断定はできないのだが。
この小説も大胆な構成である。まずあくまでもメディアを通して入手した情報をもとに第三者から見た首相暗殺事件、及び暗殺事件実行犯逃亡を描く。続いて、すでに遠い過去(20年後)のものとなった事件を追うルポルタージュ。こうしたプロローグのあとに、何者かによって首相暗殺犯人に仕立て上げられた青年の2日間にわたる逃亡劇が始まるのだ。
舞台は、首相公選制度ができた日本の、犯罪防止のため街のいたるところにセキュリティポッド(監視装置)が設置されている仙台。ある種のパラレルワールドなのである。この世界観がミソで、ちょっと信じられないような設定や展開でも、許せてしまうから不思議。個人的なことだといわれればそのとおりだけど。
以下は、別の項ですでに書いたことだが、ここにまとめておく。
21世紀になっても冤罪はある。足利事件や郵便不正事件がいい例だ。
郵便不正事件では厚生労働省の元局長が、大阪地検の策略で犯人に仕立て上げられそうになった。もし、データ改竄が発覚しなかったら、元局長がいくら「無実」を叫んでも有罪になっていたのだろうか。
「ゴールデンスランバー」はまさにその恐怖を描いた小説だった。何者かによって犯罪者に仕立て上げられた青年の逃亡劇、そのスリルとサスペンス。
容疑者に対して警察官が無闇に発砲できるわけがない、何かというとショットガンを撃つ刑事にまるでリアリティがない、だいたい本当の犯人(組織)が何の目的で主人公を首相暗殺の単独犯に仕立てるのか、事件の真相がまるで解明されないではないか……。
いろいろ疑問点を指摘できる。
映画を観たとき、感銘を受けたとはいえ、最初の二つの疑問が頭をよぎった。それからあの廃車はバッテリーを交換したぐらいでは動かないだろうとも。
エンタテインメントだからわざとそんな設定、展開にしたのかもしれない。「嘘でぇ!」の部分がないと怖すぎるもの。
つまり、こういうことだ。
日本で首相暗殺なんてありえないだろう。警察がここまで徹底して無実の男を犯罪者に仕立てるなんてこともないかもしれない。描かれていることはあくまでもフィクションだ。とはいえ、似たようなことは日々行われているのではないか。程度の差はあれ、僕らはこれまで何度も目撃している。まさに足利事件や郵便不正事件がそうだった。
サリン事件を思い出してほしい。メディアの扇動的な報道姿勢もあって、僕たちはまったく罪のない人を極悪人だと信じたではないか。
父親が「息子は犯人ではない」と断言することも小説を読むと理解できる。ちゃんとした理由があるのだ。
2011/07/19
「映画×東京 とっておき雑学ノート」(小林信彦/文春文庫)
週刊誌に連載されているエッセイやコラムは人気があれば、1年間の連載がまとめられて本になる。長期連載になれば、毎年単行本が刊行されるわけだ。その際、本の売れ行きは書名に左右されるのだろうか。
サンデー毎日に20年以上連載している中野翠のコラムは年末になると単行本がでる。毎回趣向を凝らしているがこの5、6年はもうひっそりとしたものである。
週刊文春の長期連載エッセイといえば、林真理子や椎名誠が有名だ。彼らの単行本はどうなのだろう? 興味ないので注意したことがなかった。多くの固定ファンに支えられているので営業的には特に問題はないのかもしれない。
10年連載が続いた高島俊男「お言葉ですが…」は、当初は売れ行きも良かったが、後半はあまり芳しくなかったらしい。著者自身がエッセイの中でその旨書いていて、ついには単行本化しない処置がとられ、そうこうしているうちに連載が終わってしまった。連載が終わって週刊文春自体面白くなくなったと思ったのは僕だけか? まあとにかく、書名には気を使っていた。連載タイトルの「お言葉ですが…」を先に持ってきたり、後に持ってきたり。大きくしたり小さくしたり。
小林信彦のエッセイ「本音を申せば」も書名を見るたび毎回担当編集者の苦労が伺われる。固定ファン以外へのアピールをかなり考慮しているのではないかと。
内容については単行本読了時(2008/04/24)にこう書いている。ちなみに最後の文章、作家(小林信彦)、俳優(萩原健一)、ミュージシャン(紙ふうせん)ということ。
◇
昨年、週刊文春に連載された「本音を申せば」が単行本になった。
前2作が〈昭和〉の文字を使った書名(「昭和のまぼろし」「昭和が遠くなって」)だったので、当然今回もと思っていたら、若い読者を意識したものになっていた。映画と東京についての記述が多いとの理由からだそうだが、映画への言及が増えたのは、中日新聞に連載していたコラムが終了したのが要因だと思う。とはいえ、本書の中で語る映画の本数はこれまでとさほど変わっているとは思えない。
今年は「うらなり」の菊池寛賞受賞パーティーではじまる。映画は「ドリームガールズ」「ロッキー・ザ・ファイナル」のほか、アカデミー賞の結果、スタージェス映画……。それから、東京喜劇、これまでも何度か取り上げている伊集院のラジオ番組「日曜日の秘密基地」。3月で終了してしまったのが残念だ。亡くなった青島幸男、植木等。
最近の泣かせの映画に関しての見解はまったく同じ。
もう予告編から〈泣かせ〉が強調されていて、僕自身はまるで興味がなかった「涙そうそう」。小林氏は長澤まさみの主演なので観るわけだ。で、こう書いている。
▽
ぼくは、といえば、〈泣かせてやろう〉と畳みかけてくると、〈おいおい〉と笑ってしまうほうだ。
映画「涙そうそう」のラストで兄が死ぬ。それだけで、その死への妹の悲しみは想像されるはずである。
ところが、作り手は、観客を信用していないらしい。
(略)
もっとも、日本の観客のレベルはその程度だと考えているのだとしたら、それはそれで一つの見識である。つけ加えれば、〈テレビに慣らされてしまった日本の観客〉はそんなものかも知れないのである。ぼくの方が、変っているのだろうか。
△
ほんと、孤独感じるときありますからねぇ。
映画(ドラマ)の何気ないところで泣くという点もよく似ている。こういうところが、長年のファンでいられる要因なのかもしれない。作家にしても俳優にしてもミュージシャンにしても。
この項続く
「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎/新潮社)
映画を観てからずっと気になっていた。やっと図書館で見つけて借りてきた。
伊坂幸太郎のミステリの特徴そして魅力は構成にある。なんて、「鴨とアヒルとコインロッカー」と本書しか読んでいないから断定はできないのだが。
この小説も大胆な構成である。まずあくまでもメディアを通して入手した情報をもとに第三者から見た首相暗殺事件、及び暗殺事件実行犯逃亡を描く。続いて、すでに遠い過去(20年後)のものとなった事件を追うルポルタージュ。こうしたプロローグのあとに、何者かによって首相暗殺犯人に仕立て上げられた青年の2日間にわたる逃亡劇が始まるのだ。
舞台は、首相公選制度ができた日本の、犯罪防止のため街のいたるところにセキュリティポッド(監視装置)が設置されている仙台。ある種のパラレルワールドなのである。この世界観がミソで、ちょっと信じられないような設定や展開でも、許せてしまうから不思議。個人的なことだといわれればそのとおりだけど。
以下は、別の項ですでに書いたことだが、ここにまとめておく。
21世紀になっても冤罪はある。足利事件や郵便不正事件がいい例だ。
郵便不正事件では厚生労働省の元局長が、大阪地検の策略で犯人に仕立て上げられそうになった。もし、データ改竄が発覚しなかったら、元局長がいくら「無実」を叫んでも有罪になっていたのだろうか。
「ゴールデンスランバー」はまさにその恐怖を描いた小説だった。何者かによって犯罪者に仕立て上げられた青年の逃亡劇、そのスリルとサスペンス。
容疑者に対して警察官が無闇に発砲できるわけがない、何かというとショットガンを撃つ刑事にまるでリアリティがない、だいたい本当の犯人(組織)が何の目的で主人公を首相暗殺の単独犯に仕立てるのか、事件の真相がまるで解明されないではないか……。
いろいろ疑問点を指摘できる。
映画を観たとき、感銘を受けたとはいえ、最初の二つの疑問が頭をよぎった。それからあの廃車はバッテリーを交換したぐらいでは動かないだろうとも。
エンタテインメントだからわざとそんな設定、展開にしたのかもしれない。「嘘でぇ!」の部分がないと怖すぎるもの。
つまり、こういうことだ。
日本で首相暗殺なんてありえないだろう。警察がここまで徹底して無実の男を犯罪者に仕立てるなんてこともないかもしれない。描かれていることはあくまでもフィクションだ。とはいえ、似たようなことは日々行われているのではないか。程度の差はあれ、僕らはこれまで何度も目撃している。まさに足利事件や郵便不正事件がそうだった。
サリン事件を思い出してほしい。メディアの扇動的な報道姿勢もあって、僕たちはまったく罪のない人を極悪人だと信じたではないか。
父親が「息子は犯人ではない」と断言することも小説を読むと理解できる。ちゃんとした理由があるのだ。
2011/07/19
「映画×東京 とっておき雑学ノート」(小林信彦/文春文庫)
週刊誌に連載されているエッセイやコラムは人気があれば、1年間の連載がまとめられて本になる。長期連載になれば、毎年単行本が刊行されるわけだ。その際、本の売れ行きは書名に左右されるのだろうか。
サンデー毎日に20年以上連載している中野翠のコラムは年末になると単行本がでる。毎回趣向を凝らしているがこの5、6年はもうひっそりとしたものである。
週刊文春の長期連載エッセイといえば、林真理子や椎名誠が有名だ。彼らの単行本はどうなのだろう? 興味ないので注意したことがなかった。多くの固定ファンに支えられているので営業的には特に問題はないのかもしれない。
10年連載が続いた高島俊男「お言葉ですが…」は、当初は売れ行きも良かったが、後半はあまり芳しくなかったらしい。著者自身がエッセイの中でその旨書いていて、ついには単行本化しない処置がとられ、そうこうしているうちに連載が終わってしまった。連載が終わって週刊文春自体面白くなくなったと思ったのは僕だけか? まあとにかく、書名には気を使っていた。連載タイトルの「お言葉ですが…」を先に持ってきたり、後に持ってきたり。大きくしたり小さくしたり。
小林信彦のエッセイ「本音を申せば」も書名を見るたび毎回担当編集者の苦労が伺われる。固定ファン以外へのアピールをかなり考慮しているのではないかと。
内容については単行本読了時(2008/04/24)にこう書いている。ちなみに最後の文章、作家(小林信彦)、俳優(萩原健一)、ミュージシャン(紙ふうせん)ということ。
◇
昨年、週刊文春に連載された「本音を申せば」が単行本になった。
前2作が〈昭和〉の文字を使った書名(「昭和のまぼろし」「昭和が遠くなって」)だったので、当然今回もと思っていたら、若い読者を意識したものになっていた。映画と東京についての記述が多いとの理由からだそうだが、映画への言及が増えたのは、中日新聞に連載していたコラムが終了したのが要因だと思う。とはいえ、本書の中で語る映画の本数はこれまでとさほど変わっているとは思えない。
今年は「うらなり」の菊池寛賞受賞パーティーではじまる。映画は「ドリームガールズ」「ロッキー・ザ・ファイナル」のほか、アカデミー賞の結果、スタージェス映画……。それから、東京喜劇、これまでも何度か取り上げている伊集院のラジオ番組「日曜日の秘密基地」。3月で終了してしまったのが残念だ。亡くなった青島幸男、植木等。
最近の泣かせの映画に関しての見解はまったく同じ。
もう予告編から〈泣かせ〉が強調されていて、僕自身はまるで興味がなかった「涙そうそう」。小林氏は長澤まさみの主演なので観るわけだ。で、こう書いている。
▽
ぼくは、といえば、〈泣かせてやろう〉と畳みかけてくると、〈おいおい〉と笑ってしまうほうだ。
映画「涙そうそう」のラストで兄が死ぬ。それだけで、その死への妹の悲しみは想像されるはずである。
ところが、作り手は、観客を信用していないらしい。
(略)
もっとも、日本の観客のレベルはその程度だと考えているのだとしたら、それはそれで一つの見識である。つけ加えれば、〈テレビに慣らされてしまった日本の観客〉はそんなものかも知れないのである。ぼくの方が、変っているのだろうか。
△
ほんと、孤独感じるときありますからねぇ。
映画(ドラマ)の何気ないところで泣くという点もよく似ている。こういうところが、長年のファンでいられる要因なのかもしれない。作家にしても俳優にしてもミュージシャンにしても。
この項続く
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