もう何度か書いているが、小林信彦という作家を知ったのは小学6年だった。「オヨヨ」シリーズという小説が人気を呼んでいたのである。少年少女向けの小説家の一人という認識だった。
 NHK少年ドラマシリーズで「オヨヨ」がドラマ化されたのは中学1年の夏(ってことを今、ウィキペディアで調べた)。第1弾「タイム・トラベラー」以降欠かさずこのシリーズは観ていたので当然チャンネルを合わせた。
 つまらなかった。当時日本テレビ「お荷物小荷物」が脱ドラマと言われて評判を呼んでいたのだが、その路線を狙ったこのドラマはに完全に失敗していた。僕の目にはそう見えた。だから、ちょっと興味を覚えていたオヨヨシリーズには見向きもしなかった。中学2年になると、クラスメートが盛んにオヨヨシリーズの面白さを吹聴したのだが聞く耳を持たなかったのは当然の帰結だろう。
 このときファンになっていれば、晶文社の初期のコラム集を手に入れられたのに、と残念でならないのだが。

 高校に進学すると、それまで立ち読みしていた「キネマ旬報」を購読するようになった。永六輔が書く1ページのコラムの連載が終わった。後任が小林信彦だった。題して「小林信彦のコラム」。
 当初はけっこう反発していたのである。愛川欽也に批判的だった。それが「おはよう!こどもショー」のロバくんのファン(声だけでなく着ぐるみを着て演じていたのが愛川欽也だった)としては面白くなかった。その後、うつみみどりと再婚したあたりから僕自身がアンチ愛川欽也になるのだけれど。
 反発以上に学ぶこと大だった。たった1ページなのに、どれだけ内容が深かったか。とはいえ、決して難しくない。

 この連載が一冊にまとまったと知り、購入したのが1981年。本のタイトルは「地獄の観光船コラム101」(集英社)。大学3年の春だったのか。ちょうど30年前になる。

     ◇

1981/06/17

 ひさしぶりの晴天で気持ちがいい。
 12:00頃に目が覚めて、大学に着いたときは1:00PM、3限の「企業形態論」に出なければならないから昼食がとれない。しかし腹はペコペコ。仕方なく授業を捨てて食堂を選んだ。

 3:30PMから撮影なのだが、それまでの空時間をどうしようかと思ったが、ホールにKちゃんがいたので茶店に誘った。
 バイトの話、服の話、サークルの話。結局、俺には金がない。

 『地獄の観光船 コラム101』を読み終える。
 時々、自分がいいと思っている映画、人物などをけなされるのはちょっと悲しいが全体として納得させられてしまう。
 特にそうだなァと思ったのは『クレイマークレイマー』についての感想で、曰く―そこには今の日本映画が忘れてしまった“ふつうの描写”がある―ディティール描写という点で自分の意見と一致していた。うれしかった。

 アイロニー(irony)
 ①反語 ②皮肉 ③風刺

 クロニクル(chronicle)
 年代記、編年史
 



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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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