ついにそのときが来たんだという思い。
 昨日(正確には一昨日だが)、夕方池袋に用事があって出かけ、そこで訃報を聞いた。
「ええ!」
 大声をだしてしまったが、予測していたことではあったのだ。
 「ファイティング寿限無」が雑誌に連載されているとき、主人公の師匠が癌になると、モデルの家元も癌で入院する事態になった。確か連載がストップしたのではなかったか。
 今年3月以降、家元が表舞台に登場しなくなって心配していた。漫画「ファイティング寿限無」が快調に進んでいる。フィクションと現実が交叉してしまったらどうしよう?

 落語家、立川談志はTVを通して小学生のときから知っている。しかし、落語そのものを聴いたことがなかった。漫談というか、時事評を語るととんでもなく面白い、という認識だった。生の高座を見たのはこの5、6年のことなのだ。

 合掌

     ◇

2006/09/30

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林三の丸芸術ホール)

 談四楼師匠の日記(公式サイト掲載)に9月某日、私の郷里・太田で落語会が開催された旨の記述があった。事前に告知されないことを残念に思っていた。

 その件を経堂駅前寄席で(師匠の)おかみさんに話したら、ある団体会員向けの落語会だったと説明された。事前に知っていてもチケット購入はままならなかったわけだ。
 郷里で開催される師匠の落語会に興味がある。なんたって師匠は太田の隣、邑楽町の出身、私の高校の大先輩なのだから。
「だったら今度館林で立川流特選会があるわよ」
 とおかみさん。 
 もちろん館林の落語会は知っていた。しかし、立川流家元・立川談志大師匠が出演されるし、前売券は格安だし、チケットなんて手に入らないと諦めていたのだ。すると「大丈夫、なんとかなるでしょう」ととんとん拍子に話が進んでなんとかなってしまった。
 わお! 
 おかみさん、ありがとうございます!!
 
 赤羽から宇都宮線で久喜へ。東武伊勢崎線に乗り換える。帰省で使うコース。いつもと違うのは素通りしてしまう館林駅に降りたこと。

 館林は上毛かるたでもうたわれている文福茶釜で有名な茂林寺や田山花袋の出身地で知られている。小学生のとき家族で茂林寺とつつじが岡公園に遊びに行ったことを覚えている。
 多々良沼という大きな沼があって、父に連れられフナ釣りをしたこともある。父にとって初めての釣り。釣果はふるわなかった。ところがその後みるみる上達して週末になると家族をほっといて群馬の山奥にある川やダムに仲間とでかけてしまうようになるのである。
 血は争えない。魚釣りはしないけれど、私も女房子を家に残し、紙ふうせんだ、ショーケンだ、映画だ、まぐまだ、落語だ、ライブだ、と飛び歩いているのだから。

 それから、館林には、みっちゃんみちみち…失礼、正田美智子さんの実家(正田醤油)もある。しかし、恥ずかしいことに正田醤油という企業を今回初めて知った。子どものころは日清製粉が実家だと聞いていたような気がする。調べたらどちらも正田家だった。
 それにしてもこの日記、面識のない有名人は原則敬称略なのに、皇族関係だとやはりさんづけしてしまう自分の小市民ぶりを憂う。
 中学の同級生、美智子さんが正田姓の男性と結婚した。同窓会では皇后さまと呼ばれている。関係ないね。

 大事なことを忘れていた。
 中学時代に2年思い続け、1年両想い、高校になってあっさりふられてからも忘れることができずにジタバタした彼女。通っていたのが館林女子高校、通称館女だった。
 そんなこと聞いていない? これまた失礼しました。

 地元の呉服屋・しまや呉服店のご主人が企画する「しまや寄席 立川流特選会」。
 このご主人、師匠に言わせると
「全然落語のことを知らない人なの」
「でも師匠、入場時に配付された小冊子に〈落語家通〉の肩書きで紹介されていますよ」
「〈落語通〉とは書いてないでしょ。落語家通。落語家のことはよく知っているの」
 本業のほかにイベントプロデューサーの顔を持つ方らしい。

 会場は館林駅からタクシーで1メータほど離れた場所に位置する三の丸芸術ホール。外観が円形になっているキャパ500名のとてもりっぱな(見やすく聞きやすい)会場だ。老若ならぬ老々男女が続々やってくる。チケットキャンセルを待っての入場。定刻(午後6時半)前に満杯になっていた。
 年齢層は高いが、着物姿の若い女性もチラホラと。呉服店主人のプロデュースだからだろうか。

 立川笑志  「壷算」
 立川談四楼 「ぼんぼん唄」

   仲入り

 立川談慶  「禁酒番屋」
 立川談志  「疝気の蟲」

 笑志さんは登場するなり「花田勝じゃありませんよ」。会場がどっと笑いに包まれる。「あらま、ホントだ」「よく似てるわ」あちこちから声がして、一気に会場の緊張感が解きほぐれた。
 「壷算」は初めて聴く噺。口八丁で値切り上手な男が弟分(の女房)に頼まれて水がめを買いに行き、徹底的に安く買い叩く。こうして手に入れた水がめだが、本当の狙いは倍の大きさのもの。さて、ここからが男の本領発揮。ちょっとした足し算の錯覚を利用して店の主人をだまくらかすと、あらま不思議、値段が倍の水がめと交換してしまった。追加料金を払うことなく。男と主人のそろばんをはじきながらのやりとりがおかしい。

 笑志さんが元若乃花なら、談慶さんはシャ乱Qのつんくだ。つんくが髪を短くして着物を着せたら談慶さんになる! 
 ネタは「禁酒番屋」。馴染みはないのに知っている、はて面妖なと思ったら、杉並公会堂で開催された「玄人裸足」で聴いていたのだった。
 家来が酒で粗相をしたことから、禁酒令を出した藩主が藩邸内に持ち込まれる酒をシャットアウトすべく禁酒番屋なるものを設置した。そうはいっても酒なしではいられない侍はいるもので、近藤サンもその一人。酒屋にどうにかして持って来いと脅かした。「カステラ」と偽った一番手も、「油」と言い張った二番手もあっけなく玉砕。どちらの酒もタダで番屋に飲まれてしまった。三番手は一計を案じ、徳利に小便を入れて番屋に持っていく。
「それはなんだ」
「小便です」
「嘘をつくな、味見してやる」
 汚い噺だけど、嫌いじゃない。

 仲入り前に登場した師匠。マクラがふるっていた。まずは館林にちなんだ話題を次から次へ。アメリカで代理出産させた双子の子どもを先日実子と認められた向井亜紀をわざと向井千秋と間違えるなんて芸が細かい。日本初の女性宇宙飛行士の向井千秋は館林の出身だ。
「今日は暑いですねぇ」
 懐から取り出したのが手ぬぐいではなくハンカチ。そう、早実・斉藤投手の青いハンカチだ。会場騒然。この夏甲子園を沸かせたハンカチ王子は太田出身。といっても合併する前は新田町だった。注釈もちゃんと付け加える周到さ。
 師匠の「おおた」のイントネーションも群馬のそれだからうれしくなる。東京の人は「大田区」の「おおた」と同じに発音するから「太田」の感じがしないのだ。
 それからは東京の某所で出会った群馬県人との会話を皮切りに、群馬弁のあれやこれや。会場は爆笑に次ぐ爆笑。隣に座るTさんもSさんも群馬県外人だからどこが面白いのかさぱり分からない様子。群馬県で生まれ育ってよかったと思う瞬間。大げさな。
 あるTV番組で群馬県の人たちの誰もが上毛かるたを言えると驚いていたという話題。
「子どもの頃は日本全国にあると思っていましたよ」
 私もそう思っていました、師匠。ついでに、京浜東北線の王子駅を通過するときに考えませんか? 駅名「王子」の上にハンカチと落書きしたいって。
 こうして「ぼんぼん唄」へ。今回は〈小間物屋を開く〉の意味を説明しなかった。年齢層が高いという判断だと思う。終了後に確認するとやはりそうだとのこと。志ん生以外誰も演じなかったこの噺、師匠の代表作の一つになるのだろう。

 トリは家元。紀伊国屋ホール以来数年ぶりのナマ談志。生まれて二度目の体験だ。
 まずは談四楼師匠を誉める。「よくやっているよ」これは談四楼ファンとして実にうれしい。「立川流はみなやってんだ」その後、最近大名跡を襲名した某落語家さんをチクリチクリ。
 文芸誌「en-taxi」で石原慎太郎と対談し、落ち込みぶりを盛んに指摘されていた。この日も「死にてぇなぁ」。生きる気力がなくなったことを理路整然としゃべった後、紀伊国屋ホールと同じように小噺の連打へと続いていく。主に医者に関する噺。
 ある婦人が亭主に殴られたと外科を訪ねる。
「あれ、お宅のご主人、今旅行中じゃないですか?」
「ええ、私もそう思っていたんですけどね」
 バカ受け。次から次へ繰り広げられる小噺を聴きながら、あの噺をしてくれないかなあと思っていたらやはり出た。
 お父さんとお風呂に入った小学生の娘が出てくるなりお母さんに言う。
「お父さんったら、男の子だったんだよ」
 この噺の本当の意味を教えてくれた方に感謝する。奥が深い。〈男の子〉というのがミソね。

 「疝気の蟲」はとんでもなくナンセンス。男のキン○○袋に虫が住んでいて、たまに腹の中で暴れると猛烈な激痛に襲われる。虫の好物は蕎麦。唐辛子が苦手。ある日診療所に腹痛の男が女房とやってきた。医師は女房に蕎麦を食わせ、その匂いで口からでてきた虫を唐辛子水にいれて殺してしまおうと画策する。ところが勢い余って虫は女房の口から腹の中に。当然どんなオチになるかわかろうというもの。
 で、家元曰く。
「これ以上私に何を語れというのだろうか」

 二週続けて充実した落語会を満喫した。

     ◇

2007/12/09

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林 三の丸芸術ホール)

 昨年に引き続き「しまや寄席 立川流特選会」に足を運ぶ。館林の呉服店主人がプロデュースする毎年恒例の落語会だ。
 昨年は9月最後の土曜日開催だった。翌日が日曜ということもあり、ホール近くのホテルに一泊した。打ち上げにも参加させてもらった。同じ座敷にあの家元がいる、同じ空間で酒飲んでいるんだと、感激したものだ。怖くて近寄れなかったけれど。
 今年も楽しみにしていたのだが、12月それも日曜日。終演後無理すれば電車で帰れないこともないのだが、地元太田は隣町、翌日は母親の墓参りをしようと有給休暇を取った。
 宿は駅から歩いて2分のTSホテルを予約した。料金もリーズナブル。割烹料理屋の上の階がホテルになっている作り。昨年の打ち上げ会場になったSも旅館を併設していた。館林(地方)では珍しくないのかも。

 16時過ぎに館林に到着。チェックインしてから会場に向かおうとTSに寄ると、なんと入口に鍵がかかっている。正面はあくまでも割烹料理店、ホテルのロビーは裏かもれしれない。そう考えて裏にまわってみてもやはり1階の非常口みたいなドアは開かない。非常用の外付け階段があったので、2階にあがった。ドアは開いた。そこは宴席の個室がいくつもあった。人の気配がまったくない。大声をだすにははばかれる。もう一度正面にまわってしばし考える。寒い。家を出たときはそれほどでもなかったが、群馬は冷える。ホテルに電話した。しばらくして年配の女性がでてきて鍵を開けてくれた。受付でチェックインすると戻りの時間を訊かれた。たぶん遅くなるというと、「では裏から入ってください」。ホテルのチェックインって何時から始まるんだ? 事前に予約もしていた。にもかかわらずこの扱い。

 昨年は当日キャンセルを待っての入場だった。今年はきちんと予約していて、なおかつ早めの入場だったので、空席が目立った。中央の前後真ん中あたりに席を取る。近すぎず遠すぎず、かなりいい位置。自分と後からやってくるTさんの二つの席を確保した。Tさんは談四楼師匠の担当編集者。
 開演までまだまだ時間がある。喫煙やトイレで何度か外に出て、そのまま時間をつぶした。通路側の席にバッグ、もう一つに受付でもらったチラシを置いて。
 開演間際にTさんと一緒に入る。「かなり見やすい席ですよ」なんて言いながら案内すると、内側の席に誰かが座っている。年配の男性、隣は奥さんだろう。
「この席、取っていたんですけど」
「はあ?」
「チラシ置いておいたはずですけど」
「いや、何もなかったよ」
 そんなやりとりをして、すごすご退散した。ほぼ満杯の会場で、何とか後ろから二番目の席に座ることになった。隣が空いていたのでTさんもやってきた。早い時間の席の確保はいったい何だったのか! まあ、このホールはすり鉢を半分にしたような、その底辺に舞台があるので、どの位置でも見易いのであるが。
 教訓! チラシで席を確保しないこと。


 立川談慶「唖の釣り」
 立川談四楼「天狗裁き」
 立川談幸「初天神」

 〈仲入り〉

 立川談志「やかん」「権兵衛狸」


 立川流のつんくさん、開口一番「家元はまだ到着していません」。大受けだった。「唖の釣り」は絶対TVやラジオではやれないネタ。
 殺生禁止の不忍池で鯉を釣って裏の商売をする男。役人に見つかってもちゃんと無罪放免してもらえる理由を考えている。確かに最初は殴られる。あまりの痛さに出た涙を利用してこう言うのだ。
「病にふせっている親に鯉を食べて養生してもらうため、いけないこととは知りながら釣りをしました。親の喜ぶ顔を見たら自首するつもりです」
 最後は絶対許してもらえるはずだと。ところが殴られて舌をかんでしまって言葉がしゃべれない。身振り手振りで説明すると役人は「言葉の不自由な人」だと勘違い。何だかんだと叱られたが、でもまあとにかく許してくれることになった。すっかり口がまわるようになった男がうれしさのあまり叫んでしまった。「ありがとうございます」
 
 談四楼師匠も高座に上がるなり「家元、まだ到着していません」。またまた大受け。いいなあ、立川流落語会は。落語でスリルとサスペンスを味わえるのだから。
 「天狗裁き」は師匠の得意ネタの一つ。うたたねをしていた亭主を起こす女房。夢をみていたらしいのでその内容を訊く、亭主は覚えていない。「教えてよ」「見てないものはいえない」やがてすさまじい夫婦喧嘩へ。それが仲裁に入った隣人、大家、奉行との喧嘩、裁きへ発展していく。そんなバカな! ありえねぇ! な噺なのだが、いつも聴き入ってしまう。今回オチで気がついた。これも「のっぺらぼう」同様、ネバーエンディング噺なのかも。

 談幸師匠は7月の池袋演芸場余一会で初めて聴いた。ひょうひょうとした語り口、口跡が好きだ。
 天満宮に参拝に行った父と子の、「買って!」「だめ」のやりとりが楽しい「初天神」を聴きながら、声や口跡に懐かしさを感じてきた。判明した。高校時代の生物(だったと思う)の先生に似ているのだ。
 この先生、大学時代アナウンサー志望で、同期に「お笑いマンガ道場」の柏村武昭がいたとか。あるとき、授業中に生徒からリクエストされた甲子園で太田高校が強豪高校を破って初優勝する瞬間を中継してくれたのだ。わが母校太田高校はもちろん甲子園に出場したことはない。あれほどクラスが盛り上がったことなかった。

 仲入りでトイレに行くと、隣が私服に着替えた談慶さんだった。挨拶すると、すかさず「家元、入りましたから」。

 家元が高座に出てきたとき、着物を着た太田光に見えた。青く染めた髪の話題から小朝批判、手話通訳に文句言って問題になった某落語家から落語とは何か。最初はいつもの小噺の連打。講釈つきの「やかん」のあと、落語なんて短くしようと思えばできるんだとまずはあっというまの「まんじゅう怖い」。「芝浜なんて5分で語れらぁ」でも披露せずに「権兵衛狸」へ。風邪を引いて声がでないことをしきりに恐縮していた。それにしても5分に凝縮された「芝浜」、聴いてみたかった!!

 翌日、10時にチェックアウト、「ありがとうございました」の声を背中に受けながら正面のドアを開けようとすると鍵が閉まっている。自分で開けて外へ出た。俺、本当にお客なのだろうか?

     ◇

2008/06/22

 「立川談志・談四楼・志の輔 親子会」(館林 三の丸芸術ホール)

 落語会開催の前情報をもらったときは、血が逆流した。この組み合わせが生で観られるなんてめったにない。日時もチケット料金も確認せずに「行きます、行きますとも、行かせてください、お代官様!」
 場所が場所だけに、一昨年、昨年とお世話になっている「しまや寄席」の一環だと思っていたら、〈セント・メセナの会〉創立10周年記念のイベントだという。セント・メセナの会って何? 地元商工会議所の団体みたいですね。〈とりせん〉なんて懐かしい名前がある。郷里・太田でお世話になったスーパーではないか。
 
 一昨年はキャンセルチケットを待っての入場だったから、後方の席だった。昨年は早めに入場していい席を確保したにもかかわらず、アクシデントがあって、やはり後方に移動せざるをえなかった。三度目の正直とばかり今回はいい席を確保した。ついでに「定本 日本の喜劇人」を手配していただいたTさん一行分も。

 立川談修「転失気(てんしき)」
 立川志の輔「親の顔」
 立川談志 小咄アラカルト

  〈仲入り〉

 立川談四楼「らくだ」

 まずは二つ目の談修さん。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」のバラゴンの位置ですな。そういえば昔「三大怪獣地球最大の決戦」のタイトルに疑問を持ったことがある。登場する怪獣はゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ。四大怪獣じゃないか、と。まあ、人類の敵、宇宙怪獣キングギドラは数に入らないのだと納得したわけだけど。
 閑話休題。落語には立場上「知らない」と言えないゆえに右往左往する噺がよくある。この前座噺もその一つ。談修さん、ソツなくこなし、踊りも披露。

 志の輔師匠の高座は初めて。マクラで小咄を連打し、ネタに入っていくのは師匠(家元)と同じスタイルなのか。
 息子の担任に呼び出されてお父さんは蒼くなる。二者面談で指摘されのは、テストの結果があまりに悪いこと。すべての質問に解答するのはいいが、みな質問の意味を履き違えている。たとえば「81個のみかんを3人で均等に分けると一人いくつになる?」の答えに「81個をジューサーにかけて三等分する」。「お子さんは何を考えているんでしょうか」と先生は嘆く。お父さんが隣の息子に根拠を尋ねると、「だって、みかんの大きさは一つひとつ違うし、甘いのもすっぱいのもあるだろう。みかんのまま分けると不公平になるもん」お父さん思わず「ガッテン!」。画一教育への皮肉を交えながらの爆笑編だ。
 
 ここまでで、気になっていたことがある。マイクが声をひろっていない。会場内に響くのはあくまでも二人の地声なのだ。でもきちんと聴こえるからよかった。
 家元になって、マイクがほとんど機能していないことが歴然とする。家元は検査入院していて退院したばかり(なんてことは知らなかったが)。まるで声がでない。コンサートRのときのショーケンを思い出した。喉の調子が極度に悪く、低い声が内に引き込まれる感じ。小咄アラカルトの後ネタに入ろうとして「ダメだ、こりゃ」。一度は高座を降りようとしたが、考え直して「小咄だけにする」。が、咄によってオチが聴こえたり聴こえなかったり。「え、今のオチは何?」隣に聞くわけにもいくまい。しっかり持ち時間の30分をつとめた。

 15分の休憩後、トリの談四楼師匠が登場。第一声でマイクがオンになっていることがわかる。今度は感度が良すぎるようだ。案の定ハウリングが。
 久しぶりの「らくだ」に感激する。一昨年「経堂寄席」で大爆笑し(出色の出来だった)、12月の独演会では迫力に圧倒された(何しろ目の前だったから)。以来、どこかでやらないか、ずっと期待していたのだ。大満足。

     ◇

2008/12/14

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林 三の丸芸術ホール)

 この落語会を知ってから3回目の鑑賞。昨年は一人だったが、今年は地元(太田)の友人を誘った。僕同様、談四楼師匠は高校の先輩になる。入学試験の成績が315人中315番。これを言うと「そういうお前は、高校1年の数学の試験で100点満点の6点だったじゃないか」と反撃される。
 昨年は翌日有休をとり、駅前のホテルに泊まった。今年は友人宅。経費削減ってやつね。友人は生の落語は初めてとのこと。

 立川志の吉「看板のピン」
 立川談四楼「浜野矩随」

 〈仲入り〉

 立川談慶「片棒」
 立川談志「へっつい幽霊」

 志の吉さんは初めて。志の輔師匠の弟子だとか。マクラに大笑いした。館林(及び三の丸芸術ホール)の印象を語ったのだが、曰く、「(館林が東京から)遠いんだか近いんだか」「(駅前の商店街が)営業しているんだかしていないんだか」「(ホールまでが)駅から近いんだか遠いんだか」「(ホールが)大きいんだか小さいんだか」。的を射た感想で、要はどれも中途半端ということなのだ。
 3年前、久しぶりに(というか、ほとんど初めて)駅に降りて、その静けさに愕然とした。とにかく、駅前に喫茶店、カフェの類がないのがつらい。時間がつぶせないのである。いや、一軒だけあるのだがすごく入りづらい。
 隣の友人、「この噺、時そばみたいだね」

 談四楼師匠は十八番の「浜野矩随」。雑誌界のスクリーミング・マッド・ジョージこと広瀬和生氏の著書「この落語家を聴け! いま、観ておきたい噺家51人」(アスペクト)で絶賛されたネタだ。広瀬氏はヘビメタ雑誌「BURRN!」の編集長。落語が大好きで、年間1500席以上の高座を観ている見巧者。スクリーミング・マッド・ジョージはハリウッドでも活躍する特殊メイク・アーティスト。広瀬さん、師匠の独演会で最初に見かけたとき、その風貌から、マジでスクリーミング・マッド・ジョージか!と思ってしまったもので。
 隣の友人、「談四楼さんって人情噺が得意なの?」

 3年前、立川流のつんくだ、なんて個人的に喜んでいた談慶さん、今年、真打になられたんですね。改めて談慶師匠!
 隣の友人、何か言ったと思うが忘れた。

 6月の「親子会」ではまったく声が出ず、それでも小咄特集で高座をつとめた家元だった。あれから半年が経過した。営業的な問題で、出演にはなっているけど、当日、急遽キャンセルなんてことになるのでは? 出演はするものの、あくまでも顔見世、トリは談四楼師匠にまかせてしまうのではないか?
 杞憂だった。いつもの小咄連打の後、しっかりと「へっつい幽霊」。これは貴重だ。
 友人も満足したみたい。これまでの印象がずいぶん変わったと感心していた。
「お客さんを大事にする噺家さんだね」




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kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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