最近、新聞で紙ふうせん関連の曲が2曲取り上げられた。
 一つはこの季節になるとラジオ等へのリクエストが急増する「冬が来る前に」。10月29日の産経新聞に『「紙ふうせん「冬が来る前に」 神戸・王子動物園界隈』のタイトルで掲載されたらしい。らしいとするのは、実際の記事を新聞で読んでいないから。ネット配信されたもので知ったのだ。
 もうひとつは、11月12日付の朝日新聞土曜日版「be」の連載「うたの旅人」。「翼をください」だった。「竹田の子守唄」とともに赤い鳥の代表曲で、解散後は紙ふうせんが歌い継いでいる。
 こちらは作詞の山上路夫氏、作曲の村井邦彦氏、両御大のほか、紙ふうせんのおふたり、山本潤子さんのほか、初めて披露されたコンテストの会場となった合歓の里まで取材している豪華版。

 こうした記事は赤い鳥、紙ふうせんファンとして大変うれしい。
 うれしいけれど、産経新聞の記事にちょっと首をかしげたくなる箇所がある。
 文中にこうあった。
     ▽
 後藤悦治郎さんと平山泰代さんは兵庫県立尼崎北高校の同級生。昭和49年、フォークグループ「赤い鳥」解散後に結婚、「紙ふうせん」を結成した。
     △
 これって、ウィキペディアをそのまま引用しただけではないか。以前にも書いたが、後藤さんと平山さんは赤い鳥時代の1974年5月に結婚しているのだ。解散は9月。
 実際に、紙ふうせんに取材しているのなら、なぜ結成に関する部分も本人に確認しないのか。新聞に書かれたことで、今以上に、「赤い鳥解散後、結婚、紙ふうせん結成」が真実味をおびてしまった。
 たかだか、数ヶ月の違い、それほど気にすることではない、と普通の人は考える。そうだと思う。しかし、赤い鳥ファンとしては、赤い鳥時代にふたりが結婚していることが重要なのだ。赤い鳥には山本俊彦・潤子、後藤悦治郎・平山泰代という2組の夫婦が存在していた。これってとてもすごいことではないか!? というか個人的には憧れの一つだった。

 また、〈サビの部分をピアノで弾いていたら〉では、実際の取材で、後藤さんは、友人の浦野さん(「冬が来る前に」を作曲したベーシストの浦野直氏)が、と言ってるはずだ。コンサートのMCでよく話題にするエピソードだから。字数の関係でカットされたのかもしれない。

 それから記事とは関係ないが、ウィキペディアの後藤さんと平山さんが「高校時代まったく交流がなく、大学時代に再会して一緒に音楽活動を始めた」という記述。これまた間違い。3年のときは同じクラスだったのだから交流くらいありますよ、そりゃ。学園祭のとき一緒にフォークダンス踊っていた写真を公開したことがあるもの、リサイタルで! お願いだからいい加減なことを書くのはやめてください。

 「翼をください」に関していえば、2002年の9月1日、8日の二週にわたって、読売新聞・日曜版(だったと思う)、「うた物語 名曲を訪ねて」で取り上げられたことがある。確か「思い出のメロディー」に紙ふうせんが出演した年だった。
 「上」では、赤い鳥時代のこんなエピソードを紹介している。立て続けに起きた航空機事故で、その日「翼をください」を歌わないと後藤さんが宣言すると、ブーイングの嵐で、結局最後の最後でうたったという。
 「下」では、この年「身障者補助犬法」成立に貢献した木村佳友氏(日本介助犬アカデミー理事)の「翼をください」の思い出が綴られている。木村氏自身、若い頃に事故で下半身不随になり、介助犬の世話になっている。当時絶望の淵にあったが、「翼をください」の歌に励まされたというのである。
 記事は、最後に阪神淡路大震災に触れた後藤さんの思いを紹介する。
 被災者を励ますために開いた無料コンサートで「翼をください」の深さが初めてわかったと。
「生きて行く以上、悲しいことが時々、あるいは連続して起きる。『悲しみのない世界へ』。そうだ、これは透明な生死感を歌っている。希望の歌だけでなく、レクイエムにもなるんだ」

 「冬が来る前に」も「翼をください」も必ず披露される恒例の紙ふうせんリサイタルが今年もやってきた。
 第一部の楽曲には東日本大震災で被災した方たちへのメッセージがあるという。


 この項続く


     ◇

 参考)

 リンクは一定の期間で削除されてしまうので、記事そのものを転載しておきます。問題あればご指摘ください。


【舞台はここに】

■もう一度、あの頃に

 割と急な坂道を、どこか浮き浮きしたような、明るい表情の高校生や大学生らが行き交う。神戸市灘区の王子動物園界隈(かいわい)。坂の下には港が、上の方に目をやると六甲山がでんと構える。港町・神戸の典型的な山手の風景である。
 六甲の山並みは、西に行くにつれ海に迫ってくる。このあたりは坂を下りきったあたりがもう海のそば、という具合。「ロマンチックな眺めですよね。昔は高い建物があまりなかったから、もっといい風景だったんですけどね」。こう話すのは夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんだ。
 神戸にビューポイントはあまたあるが、後藤さんと公私ともにパートナーである平山泰代さんの2人にとって、ここの風景は特別な思い入れがある。
 ♪坂の細い道を 夏の雨にうたれ…。2人のヒット曲「冬が来る前に」に込められた大切な思い出-。

■人生の移ろいを照らした

 後藤悦治郎さんと平山泰代さんは兵庫県立尼崎北高校の同級生。昭和49年、フォークグループ「赤い鳥」解散後に結婚、「紙ふうせん」を結成した。
 52年に出した「冬が来る前に」が大ヒットすることになるが、この歌には、2人の結婚に絡むエピソードが秘められている。
 作詞した後藤さんは「22歳のときでした。王子動物園でデートして、僕がプロポーズしたんですが…」。これを受けて平山さんが「この人ったら、桜かなんかの木に登って、『OKしてくれなきゃ、下りないよ』って」と笑いながら振り返る。
 後藤さんは30分ほど木の上で粘ったが結局、この日は「2人の人生、まだ先が見えないのにイエスなんて言えないわ」と平山さんにいなされ、失意のうちに帰路につく。「気まずい雰囲気のまま、2人で細い坂道を下っていきました。そこから見えた光景が、強烈に印象に残っています」
 ♪言葉さがし続けて 別れた二人-という歌詞は青春の苦い一ページ。プロポーズの答えをもらうまでに6年かかった。
 ただ、この経験が直ちに歌づくりに結びついたわけではない。むしろ、まったく無関係のことが直接のきっかけになった。
「実は、曲は先にできていたんです。晩秋のある日、冬になる前にストーブの芯を替えておかないといけないね、なんて話しながらサビの部分をピアノで弾いていたら、『冬が来る前に』というフレーズが浮かんできたんですよ」
 このフレーズに誘発されるように、王子動物園からの帰り道で見た光景がフラッシュバックし、「一瞬のうちに歌詞ができあがりました」。
 結局、プロポーズは受け入れられ、“物語”はハッピーエンドを迎えているわけで、「ほろ苦い思い出も含め、青春の思い出がいっぱい詰まった、大好きな風景です」と2人は声をそろえる。さらに後藤さんは「バス」という公共の庶民的な乗り物を登場させることで、「この界隈への愛着を示した」という。
 やわらかな秋の日差しの中、子供連れの家族や遠足の幼稚園児らでにぎわう王子動物園。その前を行き来するバス。2人の愛した風景が今もそこにある。  

【メモ】紙ふうせん…「翼をください」などのヒット曲がある「赤い鳥」のメンバーだった後藤悦治郎さんと平山泰代さんが昭和49年に結成。ポピュラー色を強めたフォーク・ミュージックを志向し、「冬が来る前に」のほか、「いかつり唄」「霧にぬれても」「朝(あした)の空」などのヒット曲がある。




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Comment
No title
プロポーズを保留してからの6年間、その間の泰代さんの治郎さんへの接し方、気持ちについてはどうだったんでしょうかね~。うちの嫁さんもB型なんで当時の泰代さんの返事には「そう答えるよ」というのも良くわかります。その後の赤い鳥のレコードジャケットの写真を見てもお二人の仲のいい様子が所どころ出てますよね!
ですから治郎さんの気持ちも返事がもらえるまで複雑だったんでしょうね。昔、赤い鳥のコンサートを見に行って、終わった後にファンとして楽屋から出てくる通路に陣とって沢山の人たちと待っていると大川さん、山本さん、新居さんと一緒に出てきて、そのあとしばらくしてお目当ての(私の当時)泰代さんが治郎さんと出てくるというパターンでした・・ 今考えると外堀を築いてから時間をかけて気持ちを決めていく作戦だったんでしょうか! 「雨」の曲を作詞したいた時の治郎さんのニヤけた顔とその曲を歌った泰代さんの「ウフフフ」の気持ちをきいてみたいものです。 紙ふうせんになってからの結婚される前の時期の様子を曲の中で思い出の場面で
随所に描かれています。そんな詩に「知らないお二人の事」を思い浮かべてます。
ジンギスカン さん
>うちの嫁さんもB型なんで当時の泰代さんの返事には「そう答えるよ」

別にB型だからというのではなく、このときの状況(上京してプロデビューする)なら、女性だったら、誰でも「はい」とは言えないのではないですか。別に拒否したわけではなく、あくまでも保留。

後藤さんがこのときにプロポーズした気持ちは、よくわかりますけれど(あくまでも、個人的な想像ですが)。
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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