「エイリアン」が公開された1979年当時、リドリー・スコット監督はまだ新人の部類だった。ということに今驚いている。「ジョーズ」のスピルバーグ監督や「ターミネーター」のキャメロン監督は新世代という認識はあったのだが、リドリー・スコット監督に関してはあまり意識しなかった。その堂々とした作風からすでに中堅のようなイメージがあったような気がする。

 「エイリアン」は初めて指定席で観賞した映画である。大学1年の夏休み、郷里に帰る日に渋谷で観たのだが、あまりの混雑ぶりに嫌気して思いきって指定席券を購入したというわけだ。指定席で観賞した唯一の映画と言える。

 今の時代、指定席といってもわからない人が多いだろう。席が自由に選べた(おまけに途中で入って途中で出ることもできた)時代の映画館は、一番映画が見やす列がまとめて指定席(通常の席と違って背もたれに白いカバーがついていた)となっていて、通常料金+αを払って予約できた。+α代は確か400円だった。2,000円を払った気がするので、当時の映画料金は1,600円だったのか。
 映画はゴシックホラーの趣があった。

 大学4年(1982年)の夏休み前だったと思う。 「ブレードランナー」の世界観に圧倒された。サークルの新入部員(女子)が「意味がわからない」と感想を述べていたのでちょっと心配だったのだが、なんのことはない、女子部員の見る目がなかっただけのことだった。とはいえ、興行成績は全くふるわなかったが。
 もう何度も書いていることだが、公開された映画では一つだけ不満があって、それはとってつけたようなラストだった。ディレクターズ・カット版(最終版)の方が断然良い。

 娘が1歳になった1989年に公開された「ブラックレイン」はマイケル・ダグラスと高倉健・松田優作の共演、優作の演技が話題になったが、「ブレードランナー」ファンには、あのリドリー・スコット監督が、大阪の街をどう魅力的に撮ってくれるのかという期待があった。期待には応えた映像だったものの、個人的には、やはりハリウッド映画が描く日本に違和感があった。

 1991年に公開された「「テルマ&ルイーズ」は、明日に向かって撃て」の現代版、女版と喧伝されたが、劇場では見逃しビデオでチェックした。

 21世紀になる前年、待ち遠しくてたまらない「ハンニバル」公開の前、その前哨作品ということで「グラディエーター」を観に行った。感銘を受けた。

     ▽
2000/08/02

 「グラディエーター」(丸の内ピカデリー1)

 スペクタクル史劇に特に関心があるわけではないけれど、次に「ハンニバル」が控えているリドリー・スコット監督なら見逃せない。

 冒頭のゲルマニアの戦いのド迫力で一気に引き込まれた。
 剣と剣との戦いがこれほど重厚にそしてリアルに描かれた映画を久しく観ていないような気がする。
 これは日本の時代劇にもいえることだけれど、刀(剣)を使った戦いの演出は非常にむずかしいと思う。相手を斬ったさい、衣服が切れ、ざっくり裂けた肌に血がにじむといった描写がなかなかできない。だから斬りあいのシーンが嘘っぽくなる。
 TV時代劇などは着物は破れないし、血もでないし、あくまでも役者の演技だけで<斬られた>ことを表現していた。観る方もそれが当然といった傾向があって、僕はどうにも納得できなかった(別に残酷な描写にしろというのではない)。
 それが最近公開される時代劇ではうまく刀の重厚さ、怖さというものを描いていてうれしく思っていたのだが、同じことがこの映画にも言える。特に接近戦はわざとコマを抜いたような特殊処理が施されていて迫力たっぷりだった。

 噂どおり主演ラッセル・クロウの勇者ぶりに惚れ惚れする。「L.Aコンフィデンシャル」にも出演しているが印象が全く違う。
 父親の皇帝アウレリウスを暗殺し後を継いだコモドゥスの策略で妻子を惨殺され奴隷の身におとしてしまう将軍マキシマスがグラディエーター(剣闘士)として再起し、ついに復讐を果たすまでを見事に演じていた。
 剣闘士としての戦いの日々の中でマキシマスは次第に実力を発揮し、まわりの仲間からリーダーとして一目置かれる存在になっていく。それを的確に表現したのが彼らのチームがローマのコロシアムで行った最初の戦いだ。歴史の1シーンの再現の形で公開されるこの戦いに、やられ役として参加しながらもマキシマスの指示どおり攻防し、見事なチームワークで敵チームを打ち破るシーンは興奮と感動を呼ぶ。

 敵役コモドゥスのホアキン・フェニックスも印象深い。父の愛に飢え、将軍マキシマスへの嫉妬と羨望に狂った英雄願望の強い粘着質のシスコン男という設定がありきたりの悪役とは一線を画している。だからこそラッセル・クロウのヒーローぶりが引き立つ。(ホアキン・フェニックスがどことなく北村一輝にみえてしかたなかった。)
 クライマックスは再び自由を得たマキスマスがかつての軍隊を率いてコモドゥス軍と大合戦と繰り広げるのかとわくわくしていたのだが、予想は裏切られ、マキシマスとコモドゥスの一騎打ちという展開。予算的に無理があったのだろうか。
 復讐を果たし、妻子のもとに旅立ったマキシマスが故郷の麦畑で最愛のふたりに再会するシーンに不覚にも涙があふれてしまった。

 昨今のCG技術の発達はSF、アクション映画以外に時代劇(コスチュームプレイ)にもかなり影響を与えていくのだろうということがこの映画を観ていてよくわかる。
 昔ならアメリカ映画の十八番であった巨額な予算、膨大な土地に建てられた大掛かりなセット、大量のエキストラを使ってのモブシーン、今はCG合成で遜色ない映像作りが可能になった。古代ローマの街並みの俯瞰シーン、コロシアムの外観、圧倒的な観客等、違和感なく再現されている。

 数年前TVで篠田正浩監督の「写楽」を観たときのこと。ある建物をクレーンで下から上へ移動撮影していて、その建物のむこうに江戸の町が広がったときの感激といったらなかった。
 何もCGは未来都市やメカニックを描くだけのものではない。過去の時代、それも明治、大正、昭和といった近過去の街並を再現するのにもっとも有効な技術といえるのではないだろうか。

 CGを多用しているからというわけではないだろうが、「グラディエーター」の世界観が「スターウォーズ」シリーズとダブってしょうがなかった。台詞の中に「帝国」、「共和制」、「連邦制」という単語が出てきたり、主要舞台が森や砂漠、辺鄙な街並、そこに奴隷商人が登場して、コロシアムでの殺人ショーが繰り広げられたりと、「スターウォーズ」から宇宙、宇宙人、最新メカを削除するとまさしくこんな世界ではないかと思えるような物語だった。
     △

 この項続く




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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