承前

 「羊たちの沈黙」の続編「ハンニバル」が上梓されたのが2000年。その前から映画化の話は聞こえてきて、それも監督がリドリー・スコットと聞いて歓喜したものである。ジョディー・フォスターがオファーを断ってしまったのは残念だったが。
 映画「ハンニバル」は2001年に公開された。

     ▽
2001/04/12

 「ハンニバル」(丸の内ルーブル)

 今年一番の期待作。  
 早々と前売券も購入し、先週ロードショーされてからは大ヒットを告げるTVCFを目にするたびはやる気持ちを押さえ、やっと今日足を運んだ。劇場は映画サービスデーでないにもかかわらずそれも平日でほぼ満員の状態だった。大ヒットを実感した。  

 率直な感想は〈キレはあるけどコクがない!〉の一言。  
 ただ、これはトマス・ハリスの原作を読んでいるからで、映画の出来は及第点だろう。  
 前作「羊たちの沈黙」は映画を観てから原作を読んだのだが、小説世界を遜色なく映像化している印象を受けた。小説にはない映像的なアイディアを活かす完璧な映画化といえた。  
 しかし今回上下2冊の原作をそのまま映像化できるわけがなく、登場人物を整理し本筋部分のみをうまくまとめているという印象。
 リドリー・スコット流の華麗なカメラワークは映画の前半、イタリア・フレンチェのロケシーンで発揮され、絵画、建築、オペラ等ヨーロッパ文化の優雅さをうまく醸し出している。
 残念なのは、潜伏しているレクター博士(アンソニー・ホプキンス)をはじめ、イタリア人の刑事までがすべて英語で会話していたこと。レクターは流麗なイタリア語をしゃべり、英語訛りのイタリア語、イタリア語訛りの英語が錯綜しなければ意味がない。日本人観光客の日本語がよく聞こえたのは皮肉。  

 オープニングで繰り広げられるヒロイン・クラリス(ジュリアン・ムーア)をリーダーとするFBI・SWAT混成チームの麻薬犯との銃撃戦。赤子を抱いた女ボスを射殺し、その決定的瞬間を新聞に撮影され窮地に追いやられるクラリスの苦悩も彼女を何かと敵視し裏でFBI失脚へ手引きする司法省査察次官補・クレンドラーの非道さもあっさりしすぎている。  
 かつてレクター博士によって顔の皮を剥がされ、下半身麻痺、見るも無残な姿にされた大富豪・メイスン・ヴァージャーの、レクターに対する復讐心以外に人格異常さを示すエピソードもほとんどない。(メイスンの奇怪な容貌は映画用にかなりアレンジされていたが蛇のような右目の無気味さが背筋を寒くさせてくれた)  
 この二人の悪人ぶりを徹底させないと、「羊たちの沈黙」と違って特異なヒーローになってヒロインを救う怪物レクターへの感情移入が中途半端になってしまう。だからクライマックス、レクターがふたりをそれぞれ死に至らしめるくだりでそれほどカタルシスが得られないのだ。  
 映像化不可能と思われた例のグロテスクな〈最期の晩餐〉シーンは最新の特撮技術でリアルに再現されかなりのインパクトではあったが、原作で驚愕したのは料理されることによって徐々に狂っていくクレンドラーの様子であり、それからすると物足りない。表現上の倫理的問題でもあったのだろうか。  
 クラリスに対するレクターの異常とも思える執着も、レクターの過去、幼い頃ナチの手で無残に殺された妹への憧憬が描かれていないからもうひとつぴんとこない。原作にあったレクターとクラリスの〈究極の恋愛〉部分を削除してしまったので当然の結果ではあるのだが(個人的にはこの官能シーンをぜひとも観たかった)。  
 小説とはあえて変えたラストは映画お得意の〈Ride to rescue〉を採り入れた。あと10分で警察がやってくる間にいかにしてレクターは屋敷から逃げ出すことができるかのサスペンスなのだが、これがまったく平凡な展開。「羊たちの沈黙」における息の詰まる逃亡劇に比べるとまるでとってつけたようなエピソードだった。続編を作れるように配慮したのだろう。
 トマス・ハリスが絶賛したというラストは小説の中盤にある旅客機のくだりをアレンジしたシーンを指しているのだ、たぶん。
 スチールで見る限りジュリアン・ムーアはミスキャストに思えた(この顔、僕はどうも苦手)が、映画の中ではそれほどの違和感はなかった。しかし、劇中で前作バッファロー・ビル事件に触れる会話になるとどうしてもジョディ・フォスターの容姿がかぶさってしまって困った。  
 だいたいラストを大幅に変更したこの映画にジョディ・フォスターの降板する理由がないではないか!映画に対する一番の不満はやはりそこにつきる。
     △

 翌年2002年にはソマリア内戦時の米軍が直面した実話を基にした戦争映画が公開された。

     ▽
2002/05/09

  「ブラックホーク・ダウン」(新宿プラザ)  

 ロードショーが10日で終了してしまうと知り、やはり劇場で観ることができないのかとすっかり諦めていたのだが、たまたま新宿に仕事で出かけることになって、そのまま最終回に足を運んだ。久しぶりの新宿プラザである。  

 1993年10月、ソマリアの内戦鎮圧のため〈平和維持活動〉の一環として派遣された米軍と地元民兵による類を見ない市街戦については確かそんなことがあったなあという程度の記憶しかない。  
 湾岸戦争にしてもこの間のアメリカのタリバン報復(アフガンへの絨毯爆撃)にしても、僕はニュースを真剣に見たり読んだりしない。関心がないというわけではないが、あるところでシャットアウトしてしまう。あまり考えると頭が痛くなってしまうからだ。この件を簡単に述べることができないので割愛するが。
 この映画も事件そのものに対する興味よりも監督がリドリー・スコットであることの方がウェートが高かった。  

 ソマリアへの救援物資を剥奪する軍事独裁政権の指揮者アイディード将軍を拉致する作戦の一つとして副官2名の誘拐を決行する米軍の尖鋭チーム。「任務は1時間で終了する」と軽い気持ちで現地に赴いた若い兵士たちはソマリア民兵の予想外の反撃にあい、激しくそして悲惨な銃撃戦に突入していく。  
 作戦は重甲車とヘリによる陸と空からの連携プレーで行われる。ヘリには2種類あって、一つがリトルバード、もう一つがブラックホークという名称。そのブラックホークの1機が敵の小型ミサイル(RPG)攻撃で墜落してしまうところから米軍チームが絶体絶命な状況に追いつめられていく。  

 とにかく銃撃戦の描写が半端ではない。全編ほとんど銃撃戦なのだから恐れ入る。  
 まったく笑えないパロディ映画「ホット・ショット2」のギャグでこんなのがあった。チャリー・シーン扮する主人公がマシンガン片手に敵方に対してとどめもなく連射する。発射された弾丸の数がカウンターよろしく画面に表示され、みるみる増えていき、「ランボー」の記録を突破! 「ターミネーター2」の記録を抜く! 新記録! とスーパーであおるのだ(映画のタイトルはうろ覚え)。それからするとこの映画の弾丸発射数の記録は二度と破られることはないのではないか。  

 ストーリーを追う余裕なんてない。観客は銃撃戦の目撃者でしかないのだ。  
 こちらの頭が悪いのか、味方の兵士(米軍)はみな同じ戦闘服、ヘルメットなので誰が誰だかわからない。もう呼び合う名前で判断するしかない。  
 そんな状況下で墜落したヘリの乗組員をどう救い出すか、あるいはいかに相手の攻撃をかわし、悪夢のような戦場から逃げのびるのか、把握することなんて無理である。激しい銃撃音に耳をふさぎたくなるわ、銃弾やRPGを浴びて死傷する兵士たちの無残な姿に目をふせたくなるわ、「なぜこんな映画観ているのだろう」と後悔することしきり。  
 映画の冒頭でアイディード将軍に武器を売る商人が米軍の指揮官に対して言う。 「これはアフリカの問題だ、アメリカが介入すべきではない」とかなんとか。  
 一見もっともらしい論理。3秒おいて「でめーらで解決できないから第三者がしゃしゃりでるはめになるんだろうが!」心の中で叫んでいた。 が、いつ終わるかわからない悲惨極まる銃撃戦の目撃者になるや、180度気持ちが変化する。
「もういいよ、やめようよ。もうこんなの嫌だよ。ソマリア人がどうなろうと知ったこっちゃない。餓死しようが、病死しようが奴らの好きにさせればいい。滅びるのも勝手じゃないか」
 目撃者から米軍の一人、当事者に様変わりする始末だ。  
 救出もままならず、一人敵と応戦する白人兵士は集団で襲ってくるこく黒人軍団をどう見たのか。黒人兵士は同じ肌の色を持つ人間が襲ってくることに対してどんな思いを抱いたのか。米軍側の作戦ミスについて現場の兵士たちのトップに対する不満は爆発しないのか。  

 リドリー・スコット監督の容赦ない地獄絵図の演出には感服した。オープニングとエンディングの語りがスマートだ。  
 映像も申し分ない。特殊撮影も多用されているのだろうがまったく見分けがつかなかった。銃撃戦が繰り広げられるあの街はすべてセットなのか。ヘリの墜落はどうのように撮影されたか。  
 アフリカの民族音楽をフィーチャーしたテーマ音楽(BGM)も効果的である。  
 しかし、二度は観たくない。もうたくさんだ。  

 もしこの映画がフィクションで、なおかつSFアクションものだったりしたらその残虐描写に批難ごうごうなんだろうな。「スターシップトゥルーパーズ」と「プライベート・ライアン」の評価の違いを見ればよくわかる。
     △

 この項続く




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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