昨日(10日)は東京大空襲から70年を迎えた日だった。10万人が1日にして犠牲となった。その模様は毎年小林信彦が週刊文春に連載しているエッセイ「本音を申せば」で思い知らされることになる。
 東京大空襲の米国責任者がカーチス・ルメイ。戦後日本政府はこのルメイに勲章を贈った、ということは、このエッセイで知った。

 今日(11日)は、東日本大震災から4年めという日。
 原発事故で避難を強いられている人たちはまだ自宅に戻れないでいる。漏れた放射能の影響は計り知れないということだろう。
 にもかかわらず政府は日本全国で原発を稼働させようとしている。これほど被害を受けたというのに、まだ問題は解決していないというのに、なぜ脱・原発の方向にならないのだろうか。ほんと、わからない。原発事故に見舞われていないドイツでさえ脱・原発を推進しているのに、だ。経済界、財界からの要請があるのだと思う。

 経済発展のために原発に頼らざるをえない日本を戯画化したのが「ネオ・ウルトラQ/東京プロトコル」だ。このエピソードについては改めて記す。

          * * *

 8日(日)に開催されたライブ「赤い鳥・紙ふうせん/アマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」出場者の中に、群馬でライブ活動をされている夫婦デュオGarnet がいた。彼らは赤い鳥(紙ふうせん)の「赤い花白い花」「まつり」をレパートリーにしているのだが、同じ前橋在住ということもあり、「赤い花白い花」の作者である中林三恵(ミエ)さんと懇意にしていて、この日は中林さんも会場に来ていたのである。

 10年前、群馬県伊勢崎市で紙ふうせんのトーク&ライブがあり、ライブの中で客席の中林さんが紹介された。そのときのレビューを掲載する。
 このレビューで「(トーク&ライブが無料なので)泣けてくる」と書いているのは、同じ年の9月に開催されたチェリッシュと紙ふうせんのジョイントライブのチケット代が高額だったことによる。併せて掲載。
 男友だちからこのジョイントライブに誘われたある女性(チェリッシュにも紙ふうせんにも関心がなく、ライブ後の夕食が目当て)のブログが興味深かった。この2組のデュオが奏でる音楽についての率直な感想が書かれていたのだが、わかる人にはわかるんだなあと感心した次第で。

 伊勢崎のトーク&ライブの後、中林さんのHPを知り、メールを差し上げたんだと思う。ある日、中林さんから渋谷で銅版画の展覧会(娘さんとの二人展だった)を開催するという案内をいただき、伺った。
 その際、いろいろお話させてもらったのだが、たぶん忘れているだろうと、8日の懇親会時にご挨拶させていただいた。太田の毛里田(もりた)のご出身なので、もしかしたら、I先生、N先生(どちらも小学校の担任で毛里田在住だった)をご存じではないかと尋ねてみたら、N先生は知っていると。
 今、太田では「赤い花白い花」を地元で誕生した歌として中林さんを迎えてイベントを仕掛けているらしい。

 ちなみに、Garnetは何枚かのCDをリリースしていて、彼らの歌う「まつり」が気になって、通販で購入したことがあります。

     ▽
2005/11/30

 「紙ふうせん ふれあいトーク&ライブ ~人権啓発フェスティバルinぐんま~」(伊勢崎文化会館)

   赤い花摘んで あのひとにあげよ
   あのひとの髪に この花さしてあげよ
   赤い花 赤い花 あのひとの髪に
   咲いて揺れるだろう おひさまのように

   白い花摘んで あの人にあげよ
   あの人の胸に この花さしてあげよ
   白い花 白い花 あの人の胸に
   咲いて揺れるだろう お月さんのように

 赤い鳥がレコーディングしたことで全国に知られるようになった「赤い花白い花」。
 童謡と言ってもいいようなシンプルな詞とメロディーで一度聴いたら思わず口ずさみたくなる。
 口ずさみながらいつも不思議に思っていた。この歌の主人公は男(の子)なのか、女(の子)なのか。同様に〈あの人〉とは女(の子)なのか、男(の子)なのか。人物の年齢によっても世界観はずいぶん違ってくる。

 あらためて詞を読むと、1番と2番の〈あの人〉は別の人なんだとわかる。赤い花を髪にさしてもらうのは女性、白い花を胸にさすのは男性。これならぴったりくる。歌い手は十代の女性なのだろう。平山さんは初恋をうたったものと説明していた。

 赤い鳥解散後はビッキーズという女性デュオがうたっていた(NHK「みんなのうた」)。芹洋子はもともと2番までしかなかった歌を、作者にお願いして3番の詞を書いてもらって持ち歌にしている。ハイ・ファイ・セット解散後ソロになった山本潤子も「竹田の子守唄」とともにレパートリーにしている。赤い鳥時代は彼女がリードヴォーカルだったので赤い鳥世代の聴衆には一番しっくりくるかもしれない。

 「赤い花白い花」は赤い鳥のオリジナルではない。赤い鳥のリーダーだった後藤さんが友人にこの歌の存在を知らされ、グループでうたいだした経緯がある。作詞作曲は中林ミエとレコード(ジャケット)に表記されていて、当時はシンガー・ソングライターの一人というほどの認識だった。

 インターネットを始めてから知ったことだが、この中林ミエさんは群馬県の方なのである。現在は前橋に住んで銅版画家として活躍しているとのこと。驚いたのはこの歌の誕生した場所である。中林さんが女子高生時代に作ったもので、閲覧したサイトによると山田郡毛里田村(現太田市)という地名が出てくる。太田は私の郷里だ。
 もしかして中林さんは太田(もしくはその近辺)ご出身なのでは? もしかして通っていた女子高は太女(太田女子高)ではないか?
 こうして僕は「赤い花白い花」だけでなく、作者に対しても親近感を覚えた。

 人権啓発関係のイベントは西日本で多く、関東ではほとんど見かけない(僕の勉強不足かもしれないが)。それが太田の隣町・伊勢崎で開催され、メインが紙ふうせんのトーク&ライブ。トークのテーマは「竹田の子守唄」。これはもう有休をとって押しかけるしかない。

 紙ふうせんが群馬でコンサートをすると知ってピンとくるべきだった。ステージで上毛かるたを話題にすれば受けること間違いなし、なんて考える前に思いつかなければいけなかった。
 「赤い花白い花」の作者である中林さんがこのトーク&ライブの会場にいらしたのである。後藤さんのMCによれば、前日初めてお会いしたとのことだった。この歌をうたいはじめてから35年。おふたりは中林さんと会ったことがなかったという事実に驚いた。

 そんなわけで、予定されていたプログラムが変更され、平山さんの歌唱指導による「赤い花白い花」が会場全体に響き渡った。当然「赤い花白い花」は紙ふうせんのレパートリーの1つではあるが、ステージでこの歌が披露される際には必ず平山さんの歌唱指導がつく。その指導ぶりがいつも抱腹絶倒で、コメディエンヌ平山さんの本領が発揮されることになる。

 「上沼恵美子みたい!」とは、初めて歌唱指導を拝見した一緒に行ったファンクラブの友人の感想。
 赤い鳥時代の、ピアノを弾きながら(標準語で)歌をうたうだけの平山さんしか知らない(かつての)ファンには少々ショッキングな光景かも。
 平山さんは原田伸郎とコンビを組んで関西で15年以上ラジオのパソナリティーを担当していた。その成果が後藤さんと拮抗するトークになった。
 リサイタルでのふたりのトークなんてまるで夫婦漫才なのだから。

 後藤さんの「竹田の子守唄」をテーマにしたトークが前半にあったからか、この日のステージは平山節がそれこそ全開だった。
 「関西弁をしゃべる女性が好き」と言うと、まわりの人は皆一様に驚くのだが、平山さんの影響が強いと思う。平山さんにしろ、後藤さんにしろ、バックミュージシャン、あるいは僕が知っている関西の人は皆さん、言葉に品があるのだ。聞いていてとても心地よい。

 あらかじめ予定されたアンコールでハプニングが起きた。予定曲「紙風船」の前に「まつり」をうたったのだ。もちろん打ち合せなんかない。後藤さんの鶴の一声。ピアノの今出さんの「はぁ?」という顔がおかしい。1年ぶりに生で聴く「まつり」に感激した。
 なぜ「まつり」をうたったのか、ライブ後楽屋に挨拶に行って理解した。
 中林さんと紙ふうせんの出逢いを企画したのが、地元で活動している〈Garnet〉という夫婦のユニットで、このデュオの3枚めのアルバムに「まつり」が収録されているのである。

 とにかくトーク&ライブは充実した内容で大満足だった。音響さんを大阪から連れてくるほどだから、力の入れようがわかるというもの。これで無料なのだから泣けてくる。

 ささぶね/いつも心に青空を/街を走りぬけて/ホーハイホー/赤い花白い花
 竹田の子守唄/虹/あなたの風になりたい/翼をください/冬が来る前に/船が帰ってくる
 まつり/紙風船
     △

     ▽
2005/09/23

 「チェリッシュ/紙ふうせん ライブ ~オールナイトニッポン エバーグリーン2周年記念 フォークのカリスマが帰ってきた!~」(品川プリンスホテル クラブeX)

 まったく知らなかったのだが、ニッポン放送夜中3時から「オールナイトニッポン エバーグリーン」という番組が放送されているらしい。深夜のディスクジョッキーの元祖的存在である斉藤安弘アナがパーソナリティで、往年のフォークソング+αを特集している番組だとか。NHK「深夜特急便」の民放版だろうか。

 この番組の2周年を記念して、60年代から70年代にかけてミュージックシーンを席巻したフォーク歌手、グループのライブが開催されている。毎回、テーマを決め、先週の3連休は日替わりで関西フォーク、カレッジフォーク、男性デュオ、ときて、今日は夫婦デュオの特集。
 ということで、紙ふうせんとチェリッシュのジョイントライブに足を運んだ。

 紙ふうせんとチェリッシュの共演と聞いて驚いた。
 TVに登場するこの2組のデュオに対する世間一般の認識なんてたぶん同じものなのだろう。女性がヴォーカルをとり、男性はハーモニー担当、いつまでも仲がいい夫婦だこと。方や「冬が来る前に」、一方は「なのにあなたは京都へ行くの」「てんとう虫のサンバ」「白いギター」のヒット曲を聴いて「ああ懐かしいなあ」なんて感慨にふける。
 客観的にはそういう存在だと思う。だからこそ、後藤さんがたまにステージの冒頭で口にする「チェリッシュじゃないですよ」なんていう挨拶が笑いを誘うのだ。

 しかし、実際のところ、その音楽性は対極に位置しているといっていい。
 ともに、デビューは5人組のグループだった。チェリッシュのデビュー曲「なのにあなたは京都へ行くの」はかなりお気に入りだった。小学5年(と思う)だった僕は、父親の車に取り付けてあるカーオーディオで、当時主流だった8トラックのカートリッジテープに「なのにあなたは京都へ行くの」が収録されているのを知ってから、一人車にこもって聴いたものである。

 TVに登場するチェリッシュの面々は長髪の若者たちで各々楽器を手にしていた。フォークグループの雰囲気が十分あった。ところが次の「白いギター」で男女ふたりになってしまう。他のメンバーが脱退してしまったのだ。やがて男性はギターを手放した。歌も他人の曲。完全に歌謡曲化、もうフォークのジャンルから逸脱して歌謡歌手になってしまったというわけ。

 赤い鳥は、デビュー当時こそ、既成曲をレパートリーにしていたが、やがてオリジナルも発表して、あくまでもフォーク(&ロック)の世界を追求していた。
 紙ふうせんになってからも、後藤さんの作詞作曲を基本に、頑なに自分たちの世界を守ってきた感がある。平山さんがピアノを弾かなくなったのは残念だが、後藤さんのギターテクニックは健在である。また本来のステージではふたりのヴォーカルが拮抗しているのだ(単純に女性メイン、男性サブではない)。

 フォークに魅せられてメジャーデビューした後、チェリッシュはレコード会社(プロデューサー)の意向で、歌謡路線に乗り(それが要因で他のメンバーは脱退してのではないか?)、紙ふうせんは頑なに己の道を歩んできたことになる。

 というわけで、夫婦デュオという括りだけで同じステージに立つのが不思議だったのだ。ダ・カーポならまだわかるのだけれど。

 ●チェリッシュ

  ペパーミントキャンディー/若草の首飾り/ひまわりの小径/なのにあなたは京都へ行くの
  辞書/てんとう虫のサンバ/はつかり号は北国へ/白いギター

 ●紙ふうせん

  虹/ホー・ハイ・ホー/竹田の子守唄/翼をください/冬が来る前に/船が帰ってくる

 ●チェリッシュ+紙ふうせん

  あの素晴らしい愛をもう一度

 ラスト、4人が横一列に並び、後ろにギターのすぎたさんの姿が目に入った時、赤い鳥だ、なんて思ってしまった。悦・悦コンビには笑った。


 【追記】

 約1年ぶりに紙ふうせんのライブに触れられた(生の「なのにあなたは京都へ行くの」を聴けた)といっても、ワンドリンク付8,800円は高い。いくら団塊世代を対象にしているといっても。
     △




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No title
中林ミエさんとは会場でミエさんから声を掛けていただきました。(keiさんから紹介だった?かな)「赤い花白い花」が帯広あたりから広がっていったという話を地元ラジオFMJYAGAが聞き、取材連絡をされたという内容を教えて頂きました。いろんな方々との出会いも楽しめた機会でした。
ジンギスカン さん
わあ、即効の書き込みですね。

中林さんと話していて、話題が帯広になったので、ちょうど後ろにいたジンギスカンを紹介したのでした。
太田で生まれた歌が帯広で広がった。
なんて偶然!
僕たちの赤い鳥物語、読みました!
ご無沙汰失礼しております。ガーネット加藤和広です。ネットを見ていてたまたま新井さんのこのブログを見つけました。その節は大変お世話様になりました。
また、これまたネットで「僕たちの赤い鳥物語」も見つけまして、取り寄せて読ませて頂きました。私も1979年に大学入学でしたのでまさにあの頃にタイムスリップした思いで拝読しました。甘酸っぱくて少し苦い、でも懐かしく愛おしかった日々をまた思い出す事が出来ました。私の地元でもある群馬の高校の名前など、出て来た固有名詞にもついキュンときてしまいました「笑)。素敵な物語、本当にありがとうございました。そしてこのブログ記事にも感謝しております。一言お礼を申し上げたくて書き込みさせて頂いた次第です。
ガーネット加藤さん
書き込みありがとうございます。
また、本を購入していただきありがとうございます。
確か、加藤さんは私より1歳上でなかったでしょうか。現役で大学に進学したとしたら、そうですよね。
本当なら、出版記念と称して私が現在働いているBC二十世紀で、赤い鳥・紙ふうせんトリビュートライブPART2を開催する予定でしたが、スケジュール的に無理でした。これは来年遅くとも3月までに実施します。そのときはぜひ出演してください。
早めにご連絡いたしますので。
No title
赤い鳥・かみふいせんトリビュートpart2、いいですね(^。^)
スケジュール、合うといいなぁ(^。^)
ご連絡お待ちしています。
ガーネット加藤さん
はい、首をきりんにして待っていてください。
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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