HP「夕景工房」に掲載したレビューを機会があればブログに転載している。
 特に紙ふうせんのコンサート、ライブに関するレビューをまとめたい。
 赤い鳥や紙ふうせんについて語りたい人、この指とまれ! たまにオフ会しませんか?

 「赤い鳥・紙ふうせん アマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」を茨城から来た方、出演ではなく、観に来たんですよね。もっと赤い鳥について語り合えればよかった、連絡先教えてもらえばよかった、と後悔しています。

          * * *

2002/07/28

 「紙ふうせん トーク&コンサート」(静岡県引佐町多目的研修センター)

 昨年2月に京都の伏見区で開催された「ふしみ人権のつどい」第二部のトーク&コンサート以降、前半は後藤さんの講演、後半は紙ふうせんのミニライブという形態のコンサートが増えた。

  「竹田の子守唄」を中心にした人権に関する講演に興味がある。伏見の時は音楽評論家の藤田正氏との対談だったので、後藤さん一人の場合はどんな内容になるのか、一度このトーク&コンサートに足を運びたかった。これまでほとんど関西以西ばかりだったが(一度新潟で開催されたのだが、懐具合が芳しくなかった)、珍しく静岡でやると聞いて駆けつけた。  

 静岡の西端に位置している引佐町。引佐は〈いなさ〉と読む。  
 新幹線で浜松へ。駅前のロータリーからバスに乗り、約1時間。インターネットで検索しプリントアウトした多目的研修センターの地図を片手に、何番の路線のバスに乗り、どこの停留所で降りるのか、バスの運転手に尋ねることしきり。
   
 このトーク&コンサートは引佐教育委員会と財団法人静岡県財団協会の主催。冒頭には教育委員会の会長(?)さんがご挨拶。その中ではるばる大阪や埼玉からお越しの方なんて紹介されてしまう。北海道から来たファンの人もいるのに! (ちなみに大阪から来た方はFCの会長さん。神奈川と東京からも熱烈ファンは来ています。)  

 赤い鳥時代からMCは一手に引き受けていた後藤さんだから講演なんて慣れたものだろう。演台も水差しもなく、次のコンサート用に準備されている楽器(ピアノとギター)の前で、マイクを持ちながらしゃべりきってしまう。驚いた。  
 今日は人権の話ではなくて教育の話、赤い鳥時代から歌い続けている「翼をください」と「竹田の子守唄」についての話の二本立て。  

 僕は赤い鳥の歌の中で、山上路夫・村井邦彦コンビのものがいまいち好きになれない。山上氏の詞にある種の嘘っぽさを感じてしまうのだ。
 「赤い屋根の家」という歌がある。後藤さんたちがアマチュア時代に始めた「赤い屋根の家」コンサートにインスパイアされたとおぼしき歌だが、僕はこの歌を聴くたびに背中が痒くなる。「嘘でぇ」とチャチャを入れたくなる。
 「翼をください」は名曲である。名曲ではあるけれど、やはりひっかかる個所がある。  

  今、富とか名誉ならば いらないけれど翼がほしい

 少しくらいの富や名誉、せめて富くらいは欲しい。若い頃から金に恵まれなかった僕は思う。
 後藤さんは「翼をください」を歌いつづけているものの、やはり詞の世界に納得がいかないものを感じていたという。ところが阪神大震災に見舞われ、自身の家はもちろん、ふたりの家族の家も被災し、避難生活を送っていた時のこと、被災者を対象にしたチャリティコンサートでこの歌を歌って、ある発見をしたと。  

  悲しみのない自由な空へ  

 悲しみのない自由の空とは何か。そうか、この歌は鎮魂歌なのか、と。

  「竹田の子守唄」は近年森達也の「放送禁止歌」(解放出版社)で同和問題とのからみが一部で話題になった。同和地区から生まれた歌であることがわかると、メディアがとりあげなくなったことへの驚き、非難が大半である。
 が、「竹田の子守唄」の発祥の地、同和地区の歌であること探し出したのは後藤さんであり、高校時代の友人・橋本正樹氏なのである。(今こそ橋本氏の労著「竹田の子守唄」が復刻されればいいのに)

  「竹田の子守唄」がヒットした1970年代のはじめ、後藤さんは関係者のもとへ足しげく通い、歌の背景からすべてをひっくるめて理解しようとした。そんな真摯な態度、30年間歌いつづけた自信が、ライブで如実に表れる。
 後藤さんのギターテクニック、ふたりの息の合った間とハーモニー。生で「竹田の子守唄」を聴いた誰もが絶賛する。もう赤い鳥時代を凌駕しているのは間違いない。  

 さて予定の30分をオーバーしてトークを終えた後、平山さんも登場してコンサートが始まった。  

  1.いつも心に青空に
  2.ささぶね
  3.街を走りぬけて
  4.ホー・ハイ・ホー
  5.PPMメドレー 悲惨な戦争~パフ~天使のハンマー
  6.竹田の子守唄
  7.翼をください
  8.虹
  9.冬が来る前に
  10.船が帰ってくる
  アンコール 紙風船

 お客さんのノリがよかったからだろう。たぶん予定にはなかったPPMメドレーが聴けて得した気分。
 アンコールの「紙風船」を小学生も一緒に歌ったのには感激した。




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Comment
No title
けっこうkeiさん遠征されていたんですね。それは私も同じで(ただkeiさんは内容を想像して決めるのかな)紙ふうせんが来られると会いに行きますね。道内は必ず時間を作り行きました。函館に来られた時も7時間かけて車で行きます。
函館労音主催は会員しか見れないのですが、ジローさんから主催者へ現地スタッフだからと口をきいて入る事が出来ました。観客席からはコンサートは見れませんが、楽屋でのメンバーとのやり取り、リハの様子、ステージ横から見る本番など4時間程の時間が楽しい、楽しい・・ 学生時代以来の体験をさせて頂きました。ささぶね から始まり う~ん忘れました(笑)
観るのはもちろんですが、コンサートの前と後の時間帯が私は好きです。
ジンギスカン さん
赤い鳥のコンサートを観たことがない、
紙ふうせんも17年間生の演奏に触れたことがない、
ことが、以降できるだけ紙ふうせんのライブに足を運ぶモチベーションになっています。
とはいえ、いつもってわけにはいきませんから、行くべきかどうか、その理由は何か、必ず考えますけどね。
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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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