前項の続き

 平成ガメラシリーズが映画ファン、特撮ファンに衝撃を与えていたとき、その功績は樋口特技監督のものと考えられていた。緻密なミニチュアワーク、人間の視線を導入したカメラワーク、確かにリアルな特撮ワールドを具現化、ヴィジュアル化させたのは樋口特技監督の功績だ。
 しかし、それだけでは映画は面白くないことを、映画においてシナリオや演出がどれだけ重要な位置を占めるのか、その後の樋口監督作品がわからせてくれた。

 映画「進撃の巨人」で中島哲也監督が降板、樋口真嗣監督に交代したと知ったときは複雑な気持ちだった。

          * * *
     ▽
2005/03/05

 「ローレライ」(109シネマズ)

 「亡国のイージス」の映画化を断念した樋口監督が代替作として福井晴敏に依頼したのが潜水艦をフィーチャーした海洋冒険物語だった。樋口監督は「日本沈没」を観て以来潜水艦にとても思い入れがあると聞いたことがある。気鋭の小説家はペラ50枚のシノプシスを完成させた。それを基に書き上げた小説が「終戦のローレライ」であり、シナリオ化され映像化されたのが「ローレライ」である。「終戦のローレライ」の映画化作品が「ローレライ」とするのは少々語弊があるかもしれない。

 小説は最初から危機また危機の連続で、潜水艦対米軍潜水艦、潜水艦対米軍機、潜水艦対米軍艦隊といった派手なアクションが全編にわたって展開する。ハリウッドでも映像化はむずかしいだろうと思わせるシーンのオンパレードだった。平成ガメラシリーズのビジュアルで特撮ファンを驚愕させた樋口監督といえどもいかんともしがたい、華々しく打ち上げられた映画化の企画は結局途中でポシャるのだろう、そう考えていたら、フジテレビと東宝が提携して正式に発表された。狂喜乱舞した。日本映画が新たなフェースに突入するのではないかという予感。最初のシノプシスから樋口監督が映画としてどう料理するか。期待はそこにあった。

 1945年8月。ドイツは連合軍に降伏を宣言、日本も広島に原爆が落とされ刻一刻と敗戦が迫っていた。そんな最中、特攻を認めず軍の中で冷や飯を食わされていた絹見(役所広司)に朝倉大佐(堤真一)から直々に指令が下った。独軍から接収した潜水艦〈伊507〉でテニアン島へ向かえ。そして再度日本本土を狙う原爆投下を阻止せよ、と。

 伊507はまるで四方に目があるかのように海中を自由自在に動き回る。連合軍はその圧倒的な戦闘能力を誇る潜水艦を〈魔女/ローレライ〉と呼んで恐れていた。その秘密は搭載しているローレライシステムにあるのだが、システムの詳細については今回の作戦のために乗り込んだ軍属技師・高須(石黒賢)以外誰も知る者がいない。
 絹見の補佐として先任将校の木崎(柳葉敏郎)のほか、機関長・岩村(小野武彦)、軍医長・時岡(國村隼)、掌砲長・田口(ピエール瀧)の面々が乗り込んでいる。

 ベテラン勢の中にまだ十代の若い兵士の顔も見えた。折笠(妻夫木聡)と清水(佐藤隆太)だ。二人は人間魚雷・回転特別攻撃隊からの転属組で伊507に積載している小型潜航艇の操舵手としての任務があった。この小型潜航艇〈N式潜〉にローレライシステムが搭載されていること、そのシステムが日本人の顔を持つドイツ人少女パウラ(香椎由宇)たった一人の超能力で稼動することなど知る由もない。

 折笠の故郷・長崎で2発めの原爆が炸裂した。
 果たして伊507は待ち受ける敵連合軍艦隊の防衛網を突破し東京を狙う3発めの原爆投下を阻止することができるのか。伊507と乗組員たちの孤独な戦いが切って落とされた。朝倉大佐の真の目的も知らず……

 さすが樋口監督、ビジュアル的には文句なしの映像が冒頭から目白押しだった。猛スピードで海上を進む潜水艦を初めて見た気がする。小学生時代に「青の6号」「サブマリン707」のマンガに親しんだ者なら伊507が手前に進んでくるカットにワクワクしてしまう。初めて「キングコングの逆襲」を観た時の感動といったらいいか。いかにもCGといった画もあるが、それはそれ、昔の円谷特技監督の特撮シーンでピアノ線が見えても見なかったことにしていた特技が僕にはあるのだ。とにかく堂々とした絵面(ショット、カメラワーク)に感心した。

 キャスティングも役所広司、妻夫木聡と少々うんざりしないでもないが適役であることに間違いない。意外な阿川佐和子の配役も光る。
 死者にムチ打つ気なぞ毛頭ないけれど、特殊技術を用いる映画がどういうものか、故那須監督に観てもらいたかった。

 映像には興奮したけれど、ドラマがイマイチ、イマニだったのが残念だ。潜水艦内部のドラマにハラハラドキドキできなかった。すでに小説で読んでいるということもあるが、描写があまりにおざなりすぎる。内部の反乱、朝倉大佐の真意が明かされるツイストは先に「3発めの原爆投下を阻止せよ」と指令がくだされては意味がないのではないか。せめて潜水艦内部の様子をリアルに描写してほしかった。乗組員の生活や機械の稼動状況だとか。

 清水が元野球選手だったという設定で、いつも手にしている硬球が何の伏線になっているのかと期待していたら、N式潜の分離の際の絶体絶命の緊急事態に直結することになる。それはいいとして、落とした玉を拾う際、どのように機械に挟まったのかが描かれていないので切迫感が全然ない。単なるマヌケ。彼を犠牲にして分離を決断する艦長の態度も特攻を認めない心情に反するものになるし、このエピソードは?がいくつも並んでしまった。
 木崎が自分の身を犠牲にして艦を救うシーンも小説の方が数段上だった気がする。

 小説ではまったく気にならなかったパウラの容貌も実際にスクリーンで拝見するとそのあまりの日本人っぽさが鼻につく。祖母が日本人だったとするともっとドイツ人の血が濃くなっていても不思議ではない、なんて。
 原爆を積んだ爆撃機が伊507の機転で辛くも撃墜されるが、あの状態では原爆も一緒に爆発しないのだろうか? 次のカットで海底深く沈んでいく原爆を見せるのだけど。あるいはまた情報が遮断された艦内で原爆という名称を乗組員たちが知る立場にあったのかどうか。素人考えの素朴な疑問。

 小説の主要人物の一人だったフリッツ(パウラの兄)を削除したのは映画の達見だろう。演じる役者がいなかったという消極的な理由を耳にしたが、いかにもなアニメキャラだったから仕方ない。主人公と反目する敵役がいなくなって、ドラマ作りに影響を与えたかもしれないが、それは高須あたりが受け持つべきなのだ。そこらへんもうまく活用できなかった。(パウラだって似たような存在なのだが、彼女こそこの映画の核だから、アニメ嫌いの人はこの映画は絶対受け付けないかもしれない。)

 もうひとつ感心したことがある。
 映画の主題歌にヘイリーが歌う「モーツァルトの子守唄」をもってきたことで、クライマックスが容易に想像できた。小説の原爆投下を阻止したイ507が敵艦隊の猛攻撃を受けて沈んでいくくだり、その最期はまさに〈映画〉だった。当然映画化の際はそのラストにヘイリーの歌をバックにその模様が忠実に映像として再現されるのだろう、絶対泣けるシーンになるものなあと確信していた。ところが実際の映画は「作戦終了、伊507は直ちに帰途につく」の艦長の言葉とともにシーンが切り替わり、現代に飛んでしまう。舞台はハワイになって、そこで記者(上川隆也)が米軍艦隊の生き証人に取材している。
 ここに樋口監督の小説に対する映画の意地を見た。完成度とは別に、あくまでも個人的にではあるがこの作劇を評価したい。
     △

     ▽
2006/08/20

 「日本沈没」(有楽座)

 樋口真嗣監督が「日本沈没」をリメイクすると聞いて大いに納得した。樋口監督は旧作「日本沈没」の深海潜水艇〈わだつみ〉の特撮シーンに多大な感銘(影響)を受け、特技監督として「ガメラⅢ 邪神〈イリス〉覚醒」では見事な海底探索シーンを撮っているし、実質的な監督デビュー作では潜水艦の海洋冒険映画「ローレライ」を取り上げたほどなのだから。

 にもかかわらず、なぜかリメイク版「日本沈没」に食指が動かなかった。
 森谷司郎監督の「日本沈没」が公開されたのは1973年の暮だった。正月映画として大ヒット、当時の世相にマッチして大ブームを呼んだ。

 ワイドショーにゲスト出演した特技監督の中野昭慶が司会者に「先生、先生」と呼ばれてまんざらでもない表情して質問に応えている姿や人気のバラエティ番組「うわさのチャンネル」でレギュラーのデストロイヤーが番組の冒頭で「日本チン○コ」と叫んで、和田アキ子に張り倒されていたことを思い出す。

 映画化の前に原作である小松左京のSF小説「日本沈没」のベストセラーがあるのだが、すでに活字好き、SF好きであったにもかかわらず、当時は読もうとする気持ちは全然起きなかった。ただ、映画化が発表されてからというもの、俄然興味がわいた。お子様映画に堕したゴジラ映画では観ることができない重厚な特撮シーンが目当てだった。

 中学3年になる春休み、地元の映画館にやってくると一目散に駆けつけた。特撮はもちろんドラマそのものにも感銘を受けて一週間後にもう一度観たほどだ。
 そんな思い入れの強い映画のリメイクに何を期待しろというのか。
 「ローレライ」は映像的には大いに興奮させてもらったものの、ドラマは期待はずれに終わった。同じことが「日本沈没」にも言えるのではないかと思ったことが一つ。

 二つ目は主演が草彅剛だったこと。旧作で藤岡弘が演じた〈わだつみ〉操艇者・小野寺役と聞いて気持ちが萎えた。いや、決して草彅剛を誹謗するわけではない。SMAPの中でも俳優として着実に力をつけているし、キムタクなんかより主演作品は残る気がする。しかし、藤岡弘と比較するとあまりに線が細すぎる。だいたいこの手の映画に向いている俳優ではないと思うのだ。いしだあゆみが演じた恋人役の玲子役の柴咲コウにはちょっとくるものがあったけれど。

 公開されて、まず聞こえてきた感想はかなり反応がよいものだった。その後は否定的なものばかり。その過程でリメイク版は原作と違ったラストが用意されていること、冒頭から日本の沈没が既定事実になっていること、実は日本は沈没しないこと、といった情報が伝わってきた。

 これはいったいどいうことだろう? まあ、日本が完全に沈没しないというのは、逆にリアリティがあっていいのでは、なんてわりとのん気に、今風の迫力あるヴィジュアルが楽しめればいいやくらいの気持ちでリニューアルしてニューシネマ東宝から有楽座と名称を変更した劇場に足を運んだわけだけれど。

 ストーリーは大幅な改変が施されている。
 40年後日本が海底に沈むというアメリカの研究発表に異を唱えるのが田所博士(豊川悦司)。彼自身の調査によれば1年後には異変が起きるのである。
 旧作では全編において日本国民の海外避難に全力を注ぎ活躍する山本首相(石坂浩二)が映画が始まってすぐにあっけなく事故死、後を引き継ぐのが管理危機担当の鷹森大臣(大地真央)だ。田所とは元夫婦という間柄。
 田所の研究に協力する小野寺の役柄はそのままだが、玲子はハイパーレスキュー隊員という設定で、ふたりは大地震で両親を失った少女(福田麻由子)を通じて知り合う。玲子は阪神大震災で両親を亡くしている。

 驚愕したのは後半。遅々として進まない国民の海外避難に業を煮やした鷹森が田所に助けを求めると、日本を救う方法が一つだけあると。それが日本海溝のプレートを爆破で寸断して沈没を止めさせるというもの。
 大臣の奮闘努力の末、世界各国の協力をあおぎ、あっというまに日本海溝に爆破システムを設置する。あとは海溝から突き出たノズルに爆弾を投下させればいい。ここで〈わだつみ〉が活躍することになる。田所に心酔する、小野寺の同僚・結城(及川光博)が挑戦するが失敗して命を落とす。それまでイギリスへの移住を切望していた小野寺だったが、玲子の助言等もあって心変わりし旧式の〈わだつみ〉に乗り込む。旧式は本来海溝の深さまで潜れないのだが、小野寺のふんばりで持ちこたえ爆弾の投下に成功。完全なる沈没の危機から救う。小野寺の自己犠牲によって日本は最悪の状況から脱するのであった。

 樋口監督の潜水艦への思い入れは相当なものがある。小松左京の原作を使って、潜水艇が活躍する英雄譚に仕上げてしまったのだから。
 「ガメラⅢ 邪神〈イリス〉覚醒」の海底探索シーンの素晴らしいところはビデオ映像の活用にあった。普通なら擬似海底にミニチュアの潜水艇を吊って撮影するところだが、潜水艇のビデオカメラから撮られた画像がモニターに映しだされる、そんな映像で構成されていたところが斬新で非常にリアリティを感じた。今回も同じ手法を応用して臨場感を増している。そこらへんのテクニックは天晴れだ。

 そのほか火山の爆発、都市の崩壊、地割れ(道路を自動車が走って行き、地割れに飲み込まれるカットは最高ではないか!)等々、VFXはもちろん、その他のシークエンスでもカメラワークは文句ない。常に堂々としていて的確だ。
 しかし、前作「ローレライ」がそうだったように、惹きつけられるのは映像だけ。肝心のドラマがちっとも盛り上がらない。

 小松左京の「日本沈没」が原作と謳いながら、原作の〈核〉の部分をないがしろにしている。百歩譲って、それもよしとしよう。しかし、新たに創られたドラマは、その展開、人物造形、描写、感情の発露等々、すべてにおいて薄っぺらい。シナリオをそれほど重要視していない印象を受ける。評価できるのは、旧作ではまったく無視された、未曾有の大惨事に巻き込まれる庶民(玲子の伯母家族)の視点を導入したこと。

 噂に聞いていたレスキュー隊員らしからぬ玲子のヘアスタイル(何とストレートにすると髪の長さが背中まであった)、交通が遮断されている(と思われる)日本で、何の説明もなしに各地に現れる小野寺の行動経路、実際にこの目で見てやはりおかしい。ほかにもいろいろと指摘したい箇所はある。
 何より情けなかったのが、クライマックスに突入する直前の小野寺と玲子の別れ、抱擁シーンだ。死を決意して潜水艇に乗り込もうと、ヘリで現地に飛び立とうとする小野寺のところにバイクを飛ばしてきた玲子が駆け寄る。主題歌が大げさに鳴り出したかと思ったら、ふたりの動きがスローモーションとなって、しっかりと抱き締め合う……。

 唖然! 呆然! 椅子からすべり落ちそうになった。まるで出来の悪い韓流ドラマじゃないか。
 日本を沈没から救う方法も、素人が考えても眉唾もので、仮に可能だとしても、そんなことしたら地球の構造に異変をきたすのではないかと思えてならない。柳田理科雄がすぐにでも著作のネタに取り入れそうな気がする。
 映画なんだからと大ぼらを許したとしても、あまりに短期間でセットされてしまうのが嘘っぽい。映画の大きな嘘は小さな真実の積み重ねで成り立つものだろう。だいたい、自己犠牲によって危機を回避させる、そこに感動を呼ばせる作劇は「宇宙戦艦ヤマト」の頃から大嫌いだった。

 愛する者を守るために敵と戦う(困難に立ち向かう)というテーマは、特撮ヒーロー番組の定番だ。何を今さらという気がしないでもないが、普遍的なテーマであることは間違いない。ならば、どう物語るか、どう描くかが重要で、これまでにない感動、感銘を与えて欲しかった。シナリオや演出がうまければ自然と主人公たちに感情移入してしまうのだろうが。「平成ガメラ」シリーズの金子修介監督の演出力を改めて考えてしまう。
 旧作で山本首相を好演した丹波哲郎が、玲子の祖父役で写真の中にに登場していてニヤニヤしてしまった。

 【蛇足&推測】

 内容はともかく、「ローレライ」「日本沈没」とVFXをメインとした大作映画をヒットさせた樋口監督はヒットメーカーとして、業界内で引く手あまたになるのだろう。両作とも東宝系ということもあって、近い将来ゴジラの復活が発表された際には監督にオファーされること間違いない?

 VFXといえば、ハリウッドばりの映像をものにするのが山崎貴監督。2作目の「リターナー」のあまりの学生自主映画のノリに怒り心頭だったが、3作目「ALWAYS 三丁目の夕日」で数々の映画賞を受賞した。ということは樋口監督も3作目に期待すべきなのだろうか。山崎監督とは逆にオリジナルで勝負したら……。
     △

     ▽
2008/05/16

 「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」(MOVIX川口) 

 舞台は、もう何でもありのもうひとつの戦国時代。かつて夢中になった「仮面の忍者赤影」の世界を彷彿させるパラレルワールド。クラシカルな近未来というべきか。

 小国・アキヅキが隣国・ヤマナに侵攻された。圧倒的な軍勢の前にアキヅキ城は陥落。世継ぎの雪姫が連れ去られた。ヤマナの侍大将・タカヤマキョーブの策略による。アキヅキが隠し持っている莫大な軍資金の在処を聞き出すため、軍資金がアキヅキの同盟国・ハヤカワに渡ることを恐れてのことだ。
 金堀り師のタケゾーとシンパチは、穴掘りの腕を買われてロクロータという野伏せりに雇われる。喉を傷めてしゃべれることができない小柄な弟をつれていた。ヤマナの難攻不落の要塞に忍び込み、拉致されている雪姫を救出するという。軍資金を山分けできると聞いてタケゾーたちは協力するのだが、要塞に忍び込むことも苦労の連続。その過程で、当初反目しあっていた弟と友情を深めていく。危機また危機を乗り越え、ついに雪姫が監禁されているところまでたどり着く。すべてはタカヤマキョーブの罠だった。捕らえた姫が偽者であること、ロクロータの弟が真の雪姫であることを当初から知っていたのだ。そして、また、過去に自分に恥辱を味あわせた(アキヅキの侍大将)ロクロータへの復讐のために。
 絶対絶命!
 が、雪姫の正体を知ったタケゾーの活躍はここから始まるのだ。実はタケゾーには本人も知らない不思議な力を持っていた……。

 というのは、僕の妄想だけど、「THE LAST PRINCESS」をメインタイトルにするなら、こんなマンガチックな冒険活劇映画が考えられるなと思った。時代考証なんてほとんど無視。それこそ「スター・ウォーズ」を下敷きにしたような。
 傑作時代劇のリメイクではなく、リボーン(REBORN/再生)を謳うなら、そのくらいの大胆さがなければ。
 だいたい、長澤まさみの男装姿をもっと見せてくれ! それでこそリボーン、もとい、リボンの騎士ではないか!

 つまらない冗談はともかく。
 冒頭で萎えてしまった。秋月、山名、早川の三国の位置と関係について、ナレーションが地図と文字を使って懇切丁寧に説明してくれるのだ。
 オリジナルにはナレーションも字幕もない。開巻すぐに衝撃的なショットがあって、なだれ込むようにアクションへ続く。この間、何の状況説明もない。登場人物の台詞で想像するだけだ。
 やがて百姓二人が秋月の隠し砦で金を見つけて、持ち主である真壁六郎太につかまってしまう。殺されてはかなわないと、山名の兵に捕まらずに秋月から早川への脱出するアイディアを六郎太に披露する。小枝を使って地面に三国の領地を書いて紋章を記しながら口頭で説明するのだが、これで三国の位置関係から敵対状況、脱出方法が(観客に)わかる仕組みになっている。初めて「隠し砦の三悪人」を(ビデオで)観たとき、なんて巧い展開なんだと思ったものである。

 それをこのリボーン版では、冒頭で重々しく解説する。だったら、劇中の説明シーンがないのかというと、これまたしっかりある。スタッフはこのシーンだけでは観客にわかりづらいと判断したのだろうか。観客はどんどん想像力をなくし、そんな客を相手にスタッフはお手軽、安易な作品を作る……。

 前半はオリジナルのストーリーを基に構成されているのだが、リボーンを気取って、旧作の、ピンチを切り抜けるエピソードに新しい解釈、展開をもってくる。これが、思わず膝を打つような、得心できる内容なら拍手喝采だが、ことごとく逆だから情けない。関所の大将がホモだったというのは笑えた。しかし、あっさり長澤まさみ扮する雪姫(この時点では真壁六郎太の弟)が女だということがわからせてしまったのはもったいない。男のふりをした雪姫と、そうとは知らない武蔵(松本潤)や新八(宮川大輔)のドラマがいくらでも作れるのに。

 長澤まさみの男装姿はかなり萌える。にもかかわらず、敵に捕らわれると、普通の着物姿(お姫様)になってしまうのだ。六郎太より先に馬を駆って、敵を追い詰める離れ技を見せるほどなのに、着物姿だとなぜか普通の女の子になってしまうのはどういうわけだ。

 長澤まさみ以外も、阿部寛の真壁六郎太、宮川大輔の新八、松本潤の武蔵(髭がなければ……)。
 キャスティングはいいのに、シナリオが全然練られていないのが残念だ。前半は、旧作をいじくっただけ、後半(オリジナル)は小手先で書いただけという印象。この手の映画に必要不可欠な伏線なんてまるでない。危機を知らせる小鳥を武蔵は腰にぶら下げた籠に飼っているが、金堀りの現場から逃亡する途中、新八ともども山の急斜面を転げ落ちるシーンでは、小鳥の安否を気遣う心がない。小鳥はその後全然登場せず、すっかり忘れかけたころに出てきて、「あっ、そういえばいたんだっけ」。もっと活用してくれよ。

 後半、舞台になる山名の砦では、武蔵と雪姫が逃げる際に、突然外部に通じるエレベーターらしき乗り物がでてくる。ご都合主義。映画の基本を忘れている。
 「そんな馬鹿な!」と本当にスクリーンに向かって叫んでしまったのが、大爆発を起こした砦から六郎太(と新八)が馬に乗って颯爽と現れるショット。どこをどうすればお前ら助かるんだ! そりゃ確かにそこだけ切り取れば素晴らしい画なのだが。
 最近この手の展開を「映画だから許される嘘」と勘違いしている輩が多すぎる。大嘘つくなら、その前に小さなリアルを蓄積してくれ。

 樋口監督、やはりヴィジュアルの人なのだ。ドラマが描けない。細部に何のこだわりを見せない。特技監督のときとはえらい違いだ。〈日本のエメリッヒ〉に真実味が帯びてきた。せめて、過去の名作・傑作の冠&ジャニーズ人気に頼るのはやめてくれ。「日本沈没」でもこの映画でも、リメイク(リボーンなら、尚更のこと)に対して根本的な考え違いがあるような気がする。

 ほとんど文句ばかりだが、評価できることがキャスティングや雪姫の男装のほかに二つある。
 一つは、武蔵と新八の歯を汚したこと。オリジナルの太平(千秋実)と又七(藤原釜足)は台詞では「歯糞云々」言っているが二人とも白くてきれいだった。アップになったとき、気にはなったのだが、歯まではメイクできないのだと納得した次第。

 もう一つは、面白いかどうか別にして後半の舞台を敵の(建設中の)砦にしたこと。オリジナルを最初に観たときにタイトルの意味がわからなかった。太平、又七が六郎太と出会う場所が、秋月の隠し砦なのだが、映画のストーリーはこの砦を後にしてからの方がメインなのだ。だから、「スター・ウォーズ」のデススターよろしく、敵の砦で活躍する三悪人を描くことでタイトルの違和感をなくした、と勝手に推測している。まあ、オリジナルにしろ、リメイク、いやリボーンにしろ、なぜ3人が悪人なのだという疑問があるのだが。
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kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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