本日、ブロードウェイミュージカル「ジャージーボーイズ」観劇。映画との違いは……それはまたあとで。
 書き忘れていたが、1日(水)の映画サービスデーは「ラブ&ピース」をTOHOシネマズ新宿で観た。園子温監督の怪獣映画(?)。

          * * *

2015/06/01

 「定本 手塚治虫の世界」(石上三登志/東京創元社)

 大陸書房から上梓された「手塚治虫の時代」を読んでいる。1989年のこと。

 映画評論家・石上三登志が「ローリングストーンズ(日本版)」、「奇想天外」に連載した手塚マンガ評論「手塚治虫の奇妙な世界」は、1冊にまとまって奇想天外社から出版された。書名は連載時と同じ「手塚治虫の奇妙な世界」。ヒゲオヤジが表紙になったこの本はよく書店で見かけたものだ。A5版サイズ、赤と橙の配色ということもあってとても目立った。

 奇想天外社が倒産すると、「手塚治虫の奇妙な世界」は増補改訂され「手塚治虫の時代」と改題のうえ大陸書房から上梓された。SF雑誌「奇想天外」は一時、大陸書房で刊行されていたことがある(このとき掲載された朝松健「三十一人座」の衝撃は忘れられない)。「奇想天外」編集長が大陸書房に移籍したことが要因だろう。その関係で「手塚治虫の時代」出版になったのだと思う。判型は四六版になり表紙は落ち着いたクリーム色、大きな文字(明朝体)「手塚治虫の」と「時代」の間に手塚治虫とアトムのイラスト(by手塚治虫)。この装丁がお気に入りだった。
 その後大陸書房が倒産。たぶんその後だと思うが。書名を「手塚治虫の奇妙な世界」に戻して学陽書房の文庫(学陽文庫)に入った。

 本書は4度めの出版ということになる。書名に定本とつくのだから当然「手塚治虫の奇妙な世界」が続くのかと思いきや、「手塚治虫の世界」である。〈奇妙な〉を省かれてしまったのだが、もしかしたら「手塚治虫の時代」も考慮した折衷案なのかもしれない。しばらくの間、「定本・手塚治虫の時代」だと勘違いしていた。

 この出版の変遷は小林信彦「日本の喜劇人」みたいだ。「日本の喜劇人」「定本・日本の喜劇人」(ともに晶文社)、「日本の喜劇人」(新潮文庫)、「定本・日本の喜劇人」(新潮社 「日本の喜劇人」のほか、そのほかの芸人評伝本を網羅した全2冊の豪華本)の流れを彷彿とさせる。書名が変わっているので、「われわれはなぜ映画館にいるのか」の流れに近いか。「われわれはなぜ映画館にいるのか」(晶文社)→「映画を夢みて」(筑摩書房→ちくま文庫)→「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」(キネマ旬報社)。

 閑話休題。
 実をいうと、石上三登志の文章が苦手だった。26年前「手塚治虫の時代」を読んだとき、その一種独特な石上節に辟易した。その前から雑誌等に掲載される評論などでわかっていたことなのだ。SF映画に造詣が深く興味深い本(「キング・コングは死んだ」「吸血鬼だらけの宇宙船」)も何冊か上梓しているにもかかわらず、すべて立ち読みで済ませてきた。
 今回久しぶりに読み直して、内容の一つひとつに首肯しつつ、手塚治虫、及び手塚マンガ、手塚アニメに対する生半可ではない愛を感じながら、やはり文章には馴染めなかった。〈それはたとえば〉に続く〈たとえば〉の羅列。せめて、これがなくなければ印象はずいぶん違ってくる。リズミカルではあるのだけれど。
 日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」内で放映されたスペシャルアニメに関する言及がうれしい。今は完全に忘れさられているが、最初のころは一番の楽しみだった。

 今回、石上三登志の生年を知って驚いた。1939年(昭和14年)生まれ。藤子不二雄の二人、石森章太郎、赤塚不二夫の世代だったのか。団塊の世代まではいかないものの、もう少し下だと思っていた。何の根拠もないのだが。


2015/06/05

 『「父」手塚治虫の素顔』(手塚眞/あいうえお館)

 「天才の息子 -ベレー帽をとった手塚治虫」の書名でソニーマガジンから出版されたが、手塚治虫の生誕80年の2009年に『「父」手塚治虫の素顔』に改題されて新興版元あいうえお館から再販された。どちらも読んでいて、今回で3回めの読書となる。新潮文庫にもなっている。


2015/06/07

 「手塚治虫 知られざる天才の苦悩」(手塚眞/アスキー新書) KADOKAWA / アスキー・メディアワークス

 再読。本書も手塚治虫生誕80年を記念して上梓されたもの。手塚眞が語ったことをライターが構成したようだ。「『父』……」が息子から見た手塚治虫、本書はクリエーターとして見た天才漫画家といった側面がある。


2015/06/09

 「ひとりブタ 談志と生きた二十五年」(立川生志/河出書房新社)

 初めて著者の高座を観たのは館林の立川流落語会だった。もうすぐ真打というころだ。
 それにしても真打になるまでにこれほどまでの辛苦があったとは(真打昇進後には病気に襲われるし)。少しは耳にしていたけれど、いやはやすごい(ひどい?)。師匠への想いも複雑で、それが文章に如実に現れている。真面目で素直な人なのだろう。
 兄弟弟子に対する思いもストレートだ。某弟弟子とのエピソードはオブラートに包まず、ギャグにも転化せず率直な怒りを表明する。真打昇進がうまくいかない自分へ挨拶しないで真打昇進に挑戦、昇進を決めてしまう二人の弟弟子にもはっきり文句を言う。
 
 こんな面白い本だとは思っていなかった。もっと早く読んでいればよかった、って、「ひとりブタ」という書名から図書館の棚で見かけても手がでなかった。まったく自分の不明を恥じる。
 では、なぜ、今読んだのか?
 今年5月に開催されたの国立演芸場の立川落語会では著者は談四楼一門勢ぞろいの千秋楽に出演した。久しぶりに観た高座が実に良かったもので、そうなると現金なもので、本が気になって仕方ない。
 あのときマクラで今年の落語会には志の輔、談春という立川流の二枚看板が出演していないことに触れていた。「皆さんは何も感じませんか? ……私は大いに不安です」
 大笑いしたのだが、あれは本音だったのかと本書を読んで思う。立川流の兄弟子の中では、志の輔、談春両師匠との交流がある。何かにつけて世話になっているのだ。

 面白い本だったが、不安になったことが一つある。
 歌舞音曲が家元のお眼鏡にかなわず真打昇進ができなかった当時、兄弟子がそれを揶揄する原稿を新聞に書いた。家元からは三橋美智也を歌えといわれているのに、本人はサザンを歌っている、と。歌舞音曲の師匠からその記事を見せられて、著者の怒りが爆発した。なぜ、直接言ってくれないのか! すぐさま抗議の電話をかけると「何か言ってきたら、そのときアドバイスをしようと思っていた」と言い訳してまた怒らせてしまうのだ。
 このエピソードに関して、先の弟弟子とは違い、名前はでてこない。誰だろう?と詮索したくなるのが人情だ。
 立川流は本書く派と言われて久しいが、新聞に書くとなると、対象が限定される。その新聞が夕刊だったら。連載だったら。そう考えるともう一人しかいないのだ。著者の真打昇進披露がさまざまなところで開催され、出演者が明記されるが、当該者の名前は一切出てこない。なんだか背筋に冷たいものが……。


2015/06/11

 『マンガで読む「涙の構造」』(米沢嘉博/NHK出版)

 著者はこんな本も書いていたのか。


2015/06/13

 「手塚治虫 原画の秘密」(手塚プロダクション編/新潮社)

 再読。読むというか、生原稿をうっとりながめていた。

 この項続く




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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