本日の朝日新聞(朝刊)第一面の書籍広告。一つが奥浩平の「青春の墓標」(社会評論社)だった。大学時代、文庫になった「二十歳の原点」を再読、著者の高野悦子が愛読したということで文庫を買って読んでみた。エリート意識に腹が立って仕方なかった。唯一彼女への想い、キスしたい、セックスしたいという願望に共鳴した。
 新刊は、レッド・アーカイブ01と銘打ち、税抜価格2,300円。ちと高い。文庫は絶版になったのだろうな。

          * * *

2015/07/03

 『ブロードウェイミュージカル「ジャージー・ボーイズ」』(東急シアターオーブ)

 クリント・イーストウッド監督作品「ジャージー・ボーイズ」にハマったことはこれまで何度か書いている。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルだが、キャストが演技の最中に歌いだしたり、踊りだしたりする、いかにもなミュージカル風作りになっていないところが夢中になった要因だ(とはいえ、昔と違って、いかにもなミュージカルも嫌いでなくなった)。

 フォー・シーズンズの伝記映画という体裁で、歌&演奏はあくまでもライブハウス、レコーディング、コンサート、TV出演で披露されるという趣向。これが僕の琴線に触れた。人気グループとなって「エド・サリバンショー」に出演したシーンなど、実際のTV映像(当時の)を挿入してリアルな空間を醸し出す。
 だからこそ、エンディングのカーテンコール、4人の歌(「1963年12月(あのすばらしき夜)」)に乗せて、出演者全員が踊るミュージカルシーンに心躍るのだ。一緒にリズムをとりながらなぜか涙があふれてきて仕方なかった。

 それからクライマックス。愛娘を薬物で亡くし失意の毎日を送っていたフランキー・ヴァリが「君の瞳に恋している」でカムバックするシーン。レコーディングスタジオの録音風景からライブハウス(レストラン?)のお披露目ライブにスイッチ、はじめは通常のバンド編成で歌っているのだが、途中でバックのカーテンが開くと、ビッグバンドが加わって音が厚くなり、ホーンセクションのラッパが鳴り響いて聴く者をゾクゾクさせてくれる。
 このふたつの音楽(&ダンス)による歓喜と高揚感に浸りたくて何度も劇場に足を運んだのだ。

 しかし、映画「ジャージー・ボーイズ」は日本では評判を呼んだが、本国アメリカではあまり話題にならなかったらしい。ハリウッド通、ブロードウェイ通に言わせると、舞台をそのままフィルムの世界(デジタル撮影だろうけど)に移しかえただけで、独創性に欠けるとのこと。
 本当にそうなのか?
 プロードウェイの舞台を観て比較すればいいのだが、そんなことできるわけがない。そこへ日本公演のニュース。狂喜乱舞した。生の演奏&歌唱を肌で感じて映画以上に感動がしたい!

 チケット販売初日に予約した。
 一番安い3階席の2列め。 
 舞台に向かっって一番左側の一角。中央の通路側。

 パンテオンには何度か足を運んでいるが、渋谷ヒカリエになってからは初めてだ。
 新橋から銀座線で渋谷へ出て、そのまま屋内を通ってヒカリエへ。雨が降っていたから助かった。エレベーターで11階へ向かう。そこから階段を昇って受付に。チケットをもぎってもらう際、担当が「このまままっすぐ行って突き当りで(エスカレーターで)最上階まで行ってください」。
 3階から舞台や1階席を見下ろすと、かなりの落差がある。高所恐怖症の人はたまらないのではないか。傘を壁に立てかけておくと係員の女性がやってきて、下に落ちる危険性があるため寝かせてくださいと言われた。確かに落ちたら大変なことになるだろう。
 左側は一つおいて欧米人のカップルだ。

 最初、舞台の両脇に設置している電光掲示板に表示される日本語訳に手間取った。訳と舞台を同時に見られない。どちらか一方に集中してしまうのだ。洋画なら何の苦もなく同時に認識しているというのに。慣れなのだろう。
 それから、3階からだと俳優たちの表情がわからない。こちらの視力が悪くなったこともあるか。

 舞台の「ジャージー・ボーイズ」も、いわゆるミュージカルミュージカルしていなかった。4人はライブハウスで、ステージで演奏し、歌うのである。TV局のくだりでは後方のスクリーンに当時の番組が流れ、舞台と連動していた。上演時間は休憩20分を挟んだ2時間半ほど。
 なるほど、映画「ジャージー・ボーイズ」は舞台版をリアルに映像で再現したものだった。
 もちろん、舞台だからセットが自由自在に変化する。机やベンチといったものには、車輪がついているのだろう、あっというまに出入りして、舞台がさまざまな場所になる。キャストが動かすのが基本だが、勝手に動くものもある。あれはどういう原理になっているのか?

 映画との大きな違いは「君の瞳に恋してる」に関するエピソードだ。映画では娘が亡くなってから曲が発表されるのだが、舞台では曲が発表されてからしばらくして娘が死亡したことを伝える電話がある。その後、フランキー・ヴァリが1曲うたうのだが、この曲は映画では流れなかったと思う。印象的な曲である。

 隣のカップルはノリノリで最後は「ブラボー」と叫ぶほど舞台を満喫した様子。僕自身、最後の方は全身でリズムをとってはいたが、カップルに比べれば静かなものだった。外人と日本人の表現の差、と言われればそれまでただけど、期待していたほどのものではなかったので快哉を叫べなかった。
 映画で興奮した2つのシーン(ショット)は、舞台ではそれほどではなかった。それは先に映画を観ているからなんだろうけれど。

 もうひとつはフォー・シーズンズの演奏が本物でなかったことによる。フォー・シーズンズはサポートのドラムを加えていつもステージでは5人で演奏する。フランキー・ヴァリはヴォーカルのみだが、あとの3人はギター、ベース、キーボードおよびコーラス担当。その演奏を聴いていると、ドラムは実際の音だが、ギターやベースは違うような気がした。オペラグラスで弾いてる手元を見ると、口パクならぬ演奏パクではないか。
 たとえば、あるバンドのライブに足を運んだら、演奏しているフリしてしているだけで音は別のところから出ていたらガッカリするだろう。それと同じだ。フォー・シーズンズはバンドなんだから。

 今回のミュージカルで一番グッときたのは、最後の最後、実際に演奏していたバンドがステージに登場して1曲演奏したことだ。何曲か演奏してほしかった。

 なんて、批判的なことを書いているが、会場を後にしたとき、階段でエスカレーターで、「1963年12月(あのすばらしき夜)」を口すさんでいた。十分幸せだった。誰かと一緒だったら、近くの居酒屋で大いに語り合っていただろう。

 サントラを買おう。YouTubeでは我慢できなくなった。映画版の方だけど。




関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
「影武者」
NEW Topics
告知ページ
BC20世紀 賄い料理その2
「花戦さ」&「22年目の告白 ~私が殺人犯です~」
「美しい星」
1分間スピーチ #15 倉木麻衣と宇多田ヒカル
紙ふうせんシークレットライブ 2017 その4
ちょっとひとやすみ その4
紙ふうせんシークレットライブ 2017 その3
紙ふうせんシークレットライブ 2017 その2
「DONT LOOK BACK」
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top