4日に開催されたシネりんスペシャル、春日太一氏トークショーの質疑応答で、ある方が黒澤明監督の「影武者」がまるで期待はずれだったのだが、春日さんはどう思われるか、という質問をした。
 質問者が「影武者」否定派だとすれば、春日さんは肯定派。それも主役は仲代さんに交代してよかったと言う。
 僕はといえば、「影武者」肯定派で、仲代起用否定派といえる。
 打ち上げの席に、当の質問者、Sさんがいたので、しばし「影武者」談義となった次第。

 もともと、長い間封印していた映画なのだ。そこらへんのことはかつて夕景工房に長いレビューを書いている。

          * * *

2008/05/15

 「影武者」(DVD)

 黒澤明監督が久しぶりに時代劇「乱」を撮るというニュースを聞いたのはいつだったのだろう。予備校時代だったか、それとも大学に入ってからか。このニュースにとても興奮したことを憶えている。
 「リア王」の物語を日本の戦国時代に移し変えた「乱」は製作費の問題で棚上げとなった。その代替というか、前哨戦で、勝新太郎主演で「影武者」を撮ることが正式発表された。武田信玄とその影武者に扮する男の二役が勝新太郎。黒澤監督と勝新太郎という意外な組み合わせにこれまた興奮した。1979年のことだ。

 「影武者」は勝新太郎以外のキャストを一般公募するという大胆な試みがなされた。それもプロアマ問わず。同時に一部スタッフも公募したように思う。確か朝日新聞にでかかでかと公募の広告が掲載されたのをこの目で見ている。
 スタッフ公募にちょっと心を動かされた。いや、スタッフでなくてもキャストに応募して運よく何かの端役につけたら、黒澤組の撮影現場に参加できる。もうそれだけでも感激だ。なんて思ったものの、応募する勇気なんてこれっぽっちもなかった。だいたい、大学では8㎜映画制作のサークルに入部、その活動に熱中していたのだから。

 オーディションの結果、ショーケンが準主役で出演することを知って期待は倍増した。何しろ、ショーケンは昔から黒澤監督を尊敬していたから、その入れ込み様は半端ではなかった。ほかにも山崎努、室田日出男といったTV映画「祭ばやしが聞こえる」の出演者が揃っていて完成を心待ちにしていた。
 ショッキングなニュースは撮影開始後すぐに流れた。勝新太郎が降板したというのだ。
 勝新が自分の演技チェックのために撮影時にビデオカメラをまわしたいと言い出し、黒澤監督に却下されたことが発端らしい。
 「影武者」の製作が決定してから、黒澤監督は絵コンテを盛んに描いていた。その一部がメディアで紹介されたりしていたが、勝新をイメージした武田信玄と影武者の男がたくさん描かれていた。つまり〈勝新ありき〉で企画された映画から、つまらないことであっけなく肝腎の主役がいなくなってしまったのだ。代役は往年の黒澤組の役者、仲代達矢になったが、あまりにイメージが違いすぎる。期待は半減した。

 翌80年、映画は完成し、海外のメディアも多数招待したプレミアロードショーが開催された。このとき映画を観た小林信彦がキネマ旬報でショーケンを酷評した。曰く何を言っているのか台詞がよく聞こえないので英語字幕で確認する始末、とか何とか。
 これで観る気が失せた。カンヌ映画祭でグランプリを受賞しようが関係ない。実際、国内の批評はあまり芳しいものではなかった。以後、28年間、まったく無視してきた。「乱」以降は最終作の「まあだだよ」以外、すべて劇場で観ているというのに。

 しかし、黒澤監督と勝新の衝突は、たとえビデオカメラ云々がなくても、避けられなかったものだったのだ。「ショーケン」や「天気待ち」を読むとよくわかる。最初に黒澤監督が勝新主演で企画したところに間違いがあったのだと。
 そもそも、この映画は若山富三郎と勝新太郎がよく似ているというところから発想されたものらしい。黒澤監督には若山に武田信玄、勝新に影武者を演じさせる案があって、野上照代は直にそのアイディアを聞いている。若山富三郎が体調不良を理由に断ってきたので、勝新の二役でいくことになったのだとか。体調不良というが、弟の性格をよく知っている若山富三郎が、後に起こるであろう騒動を予想してオファーを蹴ったというのが本当のところなのではないか。問題が起これば解決に奔走しなければならなくのは自分なのだから。
 と、納得しつつ、それでもやはりこの映画の主役、影武者役は勝新太郎だと思う。そうとしか思えない台詞、しぐさなのだ。

          *

 「影武者」は、佐藤勝も降板している。早坂文雄亡き後、「どん底」から「赤ひげ」までの黒澤映画黄金時代の音楽を担当した作曲家だ。
 個人的には昭和ゴジラシリーズ後期の音楽で名前を覚えた。「ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘」「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」「ゴジラ対メカゴジラ」。当時は怪獣映画=伊福部昭主義だったので、あまりいい印象を持っていなかった。今となっては恥ずかしい限り。
 「天気待ち」を読むと、佐藤勝の降板は苦渋の決断だったことがわかる。自らの意思で降板したとはいえ、以来ずっと「黒澤学校の中途退学」と忸怩たる気持ちがあったと。黒澤組のスタッフが集結した「雨あがる」の音楽をオファーされたときはことのほか喜んだそうだ。「影武者」降板から18年。「これで黒澤学校に復学できた」と知人への手紙に綴っていたとある。
 佐藤勝の降板を知った黒澤監督は後任に武満徹をあたったが、スケジュールの問題か、本人の推薦によって、池辺晋一郎が担当することになる。武満徹は「乱」に起用されるのだが(当初からの予定だったのかもしれない)、やはり降板騒動が起きている。

 なぜ黒澤監督と作曲家の間で軋轢が生じるのか。
 黒澤監督が映画に使用する音楽について完璧なイメージを持っていることが要因だ。監督として当然のことなのだが、黒澤監督の場合は、度がすぎて、時によって音楽家のプライドなんて顧みなくなってしまうからだ。
 常日頃、クラシックを聴いている黒澤監督は、映画に最適な音楽を選び出し、ラッシュで流して打ち合わせする。言葉で伝えるよりこの方がイメージが伝わることは確か。磁気テープが開発されてからは、音楽に合わせてラッシュを編集するようになり、音楽入りの試写になったというほどだ。
 「赤ひげ」のときに、あるシーンに流れる曲として、佐藤勝にハイドン(「驚愕」第二楽章)を聞かせた。
「いいだろ、ドンピシャだろ。佐藤もこれくらいの、書いてよ」
「だったら、このままハイドンをお使いになったらいかがですか」
 このとき、佐藤勝の笑顔はこわばっていたと「天気待ち」に書かれている。無論、黒澤監督に邪気はない。
「でもさあ、お客はこのハイドンに、それぞれ違ったイメージを持ってるだろう。それは邪魔するよね。だからさ、ハイドンよりいいのを書いてよ」
 こうして、佐藤勝はオリジナルを作曲するのだが、出来上がった曲を聴いた黒澤監督の感想は「なんだ、ハイドンとそっくりじゃねえか」。
 
 「影武者」では、最初の音楽付きラッシュ試写でぶつかった。今回は考えにギャップがありすぎた。「降りる」という佐藤勝を説得するために会いに行った野上照代は逆に説得されてしまう。
「(中略)あまりに有名な、いわゆる名曲に似ていて、しかもそれよりも優れたものを、なんて考えられますか」
 そりゃそうだろう。

 「乱」のダビング時にも、重低音を聞かせるため、勝手にテープのスピードを落とし、武満徹が怒って帰ってしまう事態が起きた。
 勝新太郎が自分の演技チェックのためのビデオ収録を黒澤監督は許さなかった。監督である俺を信用しろということだと思うが、ではなぜ、音楽について武満徹を信用しないのか。

 黒澤監督が同じ仕打ちを最高責任者であるプロデューサーにされたらどんな反応を示すだろうか。
 シナリオはもちろろんのこと、詳細な撮影プラン、絵コンテもすべて出来上がっている。おまけに参考資料で 映画史上傑作とされる映画を試写室で見せられて、こう言われるのだ。
「こういう映画を撮ってくれ。イメージはこのまま。しかし、この映画より素晴らしいものを」

          *

 さて、何かと負のイメージがついていた「影武者」初のDVD鑑賞だが、これがなかなか面白かった。一週間のレンタルだから毎日のように観ていて、観るたびに面白くなっていく。同時に影武者を勝新太郎が演じていればという思いも強くなっていくのだが。

 ストーリーの核は、武田家、武田家臣内の「隠し砦の三悪人」ではないか。つまり、影武者の正体が見破られそうになる危機また危機をいかに乗り越えるかというところが見ものなのだ。
 遺言によって信玄の死は3年間伏せておかなければならない。重臣たちは、信玄そっくりの男(処刑寸前だった盗人)を信玄に仕立てるのだが、この事実を知っているのは一部の関係者のみ。よって、屋敷内部で偽者であることが露呈しそうになるのだが、男の機知(アドリブ)と偶然で切り抜けるのだ。それぞれのエピソードがユーモアたっぷりに描かれ、愉快であり爽快でもある。
 側室二人にバレそうになったときの、男と信廉(山崎努)のやりとりなんて声だして笑った。孫の竹丸との交流模様が微笑ましい(竹丸がかわいい!)。

 竹丸に「なぜおじじはお山と呼ばれるのか」と訊かれ、そばにいた近習(根津甚八)に「風林火山」の説明を受けるくだりも、孫よりも熱心に耳を傾け、「うん、なるほど。そういうことじゃ、わかったか竹丸」。もうにやけてしまう。
 これがヒントになって、その後の評定(家臣の会議)の席上、本来なら最後に「一同大儀であった」というだけでよかったのに、勝頼(萩原健一)から発せられた、想定外の申し立て〈戦さを仕掛けるべきか否か、御屋形さまの指図を仰ぎたい〉に対して「動くな。山は動かぬぞ」と回答する展開につながる。信廉に言わせれば「影武者の分際で抜けぬけと裁きおった」。もちろん咄嗟の判断を肯定しつつ、その苦しい心境を理解する。「また磔にかけられた気持ちだろう」
 ただし、こうしたシーンのほか、前半のお宝が入っていると思って大壺をこじあけると中から信玄の遺体がでてきて驚愕するシーン、湖畔で重臣たちに「影武者で働きたい」と懇願するシーン等々、仲代達矢がどんなに人間臭く豪放磊落に演じても、生真面目さが根っこにあって、勝新の演技を模倣している印象を受けてしまう。
 衣装の着こなしを含めた立ち振る舞いは勝新用に考えられたものだ。代役立てて時間がないから勝新プランのまま押し切ったのだろう。勝新が演じていればという思いはこれだ。その思いは黒澤監督自身一番強かったのではないか。絶対口にしなかっただろうが。

 ストーリーのもう一つの核は、重臣たちの、信玄派vs勝頼派の対立構図だ。
 亡き信玄の教えを頑なに守ろうとする信廉、山縣昌景(大滝秀治)、馬場信春(室田日出男)等。しかし、勝頼には面白くない。複雑な出自ゆえ、父の世継ぎは自分の息子になる。それでも後見人として、父亡き後は御屋形様として君臨できるのに、3年間はどこの馬の骨かわからない男を父として敬い仕えなければならないのだ。そんなやり場のない怒りを傅役の跡部大炊助(清水紘治)にぶつける。
 影武者が有効に機能していたときは信玄派の力は大きいが、信玄の死が公になったとたん立場は逆転する。が、晴れて軍の指揮を執ることになった勝頼の功を焦った稚拙な戦法のため長篠の戦いの大敗という悲劇に突入していく皮肉な幕切れ。
 当然準主役の勝頼がクローズアップされる。のだが、ああ、ショーケンに精彩がない。

          *

 ショーケンの演技については、小林信彦以外にも、多くの映画評論家から「何言っているかわからない」と指摘されていた。
 DVDでは音声がクリアになったから「何言っているかわからない」なんてことはなかったが、当時劇場で観れば、聞き取りづらかったかもしれないと思えるのは確か。

 だいたい発声が他の役者と違うのだ。大滝秀治、山崎努、清水紘治と比べればその差がわかる。喉だけでわめいているような気がする。腹から声を出していないというか。きちんとした俳優修行をしていないのだから、当然といえば当然か。演技的に重臣の中で一人浮いている。
 ただし、何度か観ているうちに、だからこそ勝頼のキャラクターをより浮彫りにしていると思えてきた。
 勝頼は信玄の実子だ。いくつかの合戦で功績をあげている。にもかかわらず、老臣たちからひよっこ扱いされ、相手にされていない。なんとか一泡吹かせたい。現状への不満と焦燥を抱えている悩める青年なのだ。
 ショーケンは、若いときに、それまでにない斬新な瑞々しい演技で人気絶頂となった。ある種の自信とプライドを持って、憧れの黒澤作品に臨んだことだろう。ところがこれまでの現場と勝手が違う。だから余計いきり立って演技が空回りする……。勝頼とショーケンの焦燥が重なって見える。というと贔屓の引き倒しにとられてしまうか。

 役者では、大滝秀治と山崎努が出色である。大滝秀治の声と山崎努の目。特に山崎努だ。目で、影武者に対して徐々に変化していく心情を代弁していた。「影武者」の低音部に流れるテーマは、この信廉の心情だろう。
 キャスティングの妙もいたるところで感じる。信長(隆大介)、家康(油井昌由樹)。間者役の3人。隆大介の信長なんてベストではないか。そういえば、「さすがは信玄、死してなお、3年の間、よくぞこの信長を謀った!」のショットがTVスポットで流れ、サークル内でよく真似したものだ。春の合宿を思い出す。蘭丸の、信長を見る目も気になって仕方ない。
 竹丸役の子役は油井昌由樹の息子。親子揃ってズブの素人にもかかわらずいい味をだしている。
 根津甚八は最初の登場シーンでは本人だとは気づかなかった。まるで少年のような初々しさ。雨の中の影武者との別れが印象的だ。
 藤原釜足や志村喬の姿にはちょっとした感慨が。

 信玄を狙撃した兵に、家康自ら実地検証するシーンで、黒澤監督の真骨頂を見せられた気がする。戦国時代の鉄砲の使い方を具体的に兵に説明させる。どのように弾をつめ、狙いを定めて撃つのか。その一部始終が描かれていてゾクゾクした。多くの人は長すぎると切って捨てるだろうが。
 個のディティール描写を群にしたのが高天神城の戦いにおける風・林・火各騎馬隊の動きである。独断で高天神城を攻めた勝頼を、後方で信玄が見守ることで、敵に脅威を与える作戦。ここでも、敵の攻撃に対して武田軍がどう動くのか、指示系統を含めた騎馬隊や歩兵の動きを克明に描いてくれる。下手なアクションより、こういう描写の方が興奮する。個人的な資質といわれればそれまでだけど。
 長篠に出兵する勝頼に反対を唱えるも、却下されて、後に従う重臣たち3人が槍をかざして「御屋形様のもとでまた会おう」と誓うショット。勝頼を少しも信用していないんだと驚くとともに、その侍魂が胸にくるものがあった。
 そんなわけだから、公開時にさんざ酷評されたラストの合戦はおまけでしかなかった。

 馬の疾走、蹄の音、砂埃、手綱さばき。風にはためく旗。黒澤映画ではお馴染みだが、やはり興奮する。〈色〉の楽しみもあった。
 なぜ劇場で観なかったのか。せめて名画座あたりで押さえておくべきだった。今さら後悔しても遅すぎるか。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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