もう15年前になるのか、ミレニアムシリーズの第1作「ゴジラ2000ミレニアム」が公開されたのは。あのとき生まれた赤ちゃんはもう高校生になるのだ。月日が経つのは早い。早すぎる。

 エメリッヒ監督版「GODZILLA」のすごいところは、ゴジラの巨大さをきちんとスクリーンで見せてくれたことだ。ゴジラという名称に問題があるなら怪獣に置き換えてもいい。セントラルパークの子ゴジラと人間の追いかけっこはもろ「ジュラシック・パーク」のパクリ。あれさえなければ、つまり全編を巨大生物と人間たちの戦いで展開させてくれたら、僕の「GODZILLA」の評価はもっと高かった。ゴジラの冠がなければ十分面白い怪獣映画だと、さんざ吹聴していたのだから。

 ハリウッド映画の特撮(SFX、VFX)映画の伝統として巨大生物(物体)をちゃんと巨大に描くというのがある。「未知との遭遇」「スターウォーズ」あたりから始まったように思う。残念ながら日本映画に欠けている要素だった。平成シリーズではゴジラの巨大さを実感したことがなかった。それがエメリッヒ監督版でもギャレス・エドワーズ監督版でも巨大さは半端なかった。

 特撮仲間のSさんに言わせると、日本映画の特撮は巨大生物(怪獣)の足の描き方がなっていないとのことだった。アニメだときちんと描いているのに。

     ◇

2000/01/12

 「ゴジラ2000ミレニアム」 (日劇東宝)

 平成ゴジラシリーズが次第に尻すぼみになり、映像・ストーリーともに袋小路状態になっって、一旦幕を閉じたのは何年前だったか。
 東宝が版権をアメリカに与えた時、もう二度と日本製のゴジラ映画は製作されないんじゃないか、いや作れないんじゃないかと思った。ハリウッドの巨額な制作費、リアルなSFXで描かれたゴジラを見てしまったら、東宝のミニチュア、ぬいぐるみによる特撮なんて色褪せて見えてしまう。映画、TVで円谷特撮の洗礼を受けている僕ら世代はいいにしても、若い世代は受付けないだろう。

 そうなってもいいと思っていた。ゴジラという財産をただ稼げるからという理由だけで何の計画もなしに場当たり的に量産し続ける会社の姿勢に抵抗があった。ところがゴブリン&エメリッヒコンビによるUSゴジラの評判が散々で、アンチUSゴジラ票を確実に興行収入に反映させようとしたのか、早々にゴジラ復活が決定された。

 そのニュースが発表された時、それほどの期待感はなかった。主要スタッフはほとんど平成ゴジラと同じ、そもそも新しいゴジラ映画が過去のゴジラ映画と何が違うのか、その明確な理由がわからない。発表されたストーリーにも新鮮味は感じられなかった。ただ特技監督が川北紘一から鈴木健二に代って、特撮に関してはある程度テイストが変わるのではないかという思いはあったのだが。

 確かに映像は、特に前半部分(ゴジラの根室上陸、東海村海岸における自衛隊との攻防、深海からのUFO引き上げ)に見るべきものがあった。
 根室のシークエンスはいつか見た夢といった感じで、わくわくした。海中シーンも、いかにもそれっぽくうれしくなる。
 しかし評価できるのはそのくらいだ。肝心のストーリーがなっていない。哀しくなるほど中味がない。何が「リベンジ」なんだ。何が「我々の中にゴジラがいる」なんだ。ここぞという台詞がちっともこちらの心に響いてこない。

 自衛隊とゴジラが攻防を繰り広げている最中に付近をのんきに走る電車。乗客はまるでゴジラ上陸に気づいていないようだ。いまだにこんなシーンを挿入するスタッフの感覚が理解できない。第一東海村の自衛隊のゴジラへの迎撃も、あくまでも自衛隊およびその関係者だけの問題みたいで、日本全国の大ニュースになっている気配がない。

 民間団体ゴジラネットを主催する主人公のゴジラに対する思い入れも彼の言葉とはうらはらに情熱が伝わってこない。クライマックスのゴジラVSオルガなんて、完全に怪獣の戦いだけがくりひろげられて、人間たちのドラマが欠如している。で、その戦いが相変わらずの着ぐるみによる肉弾戦だからちっとも興奮できない。せめて人間側の芝居で盛り上げてほしい。
 欠点ばかりが目について、ゴジラが街を炎で焼き尽くすところでジ・エンドになるや呆然となってしまった。

 シナリオに時間も金もかけていないのがよくわかる。
 映像的には前シリーズを凌駕しているかもしれない。これからも映像で何を見せたいか、どう見せるかって要素はまだまだあると思う。が、何を描くかってことになると完全に行き詰まっている。
 クレジット後に流れた来年公開予定の「ゴジラ2001」の特報にただただ空しい気分でいっぱいになった。

     ◇

2000/12/26

 「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(日劇東宝)

 今年の映画鑑賞はゴジラに始まってゴジラで終わる。
 本当はこんなに早く観るつもりはなかった。前作「ゴジラ2000ミレニアム」に失望して、本作の製作発表があってもまったく食指は動かなかった。
 怪獣のプロレスごっこに興味がないところに、今度は対戦怪獣に「空の大怪獣ラドン」のメガヌロンをもってきた。またまた懐かし怪獣。トンボの怪獣である。昆虫怪獣の幼虫が群れで登場し、やがて一匹の巨大な成虫が現われる。これって「ガメラ2 レギオン襲来」の焼き直しではないか(焼き直しだってガメラを凌駕していればいいんだけど)。
 ストーリーを知って愕然とした。無敵なゴジラを人工的に作ったブラックホールに吸い込ませて消滅させてしまうという。理数系でない僕ですらもう少し信じられる嘘をついてよ、と言いたくなる内容だ。

 前作の一番の問題は脚本の出来が悪かったという点につきる。
 ゴジラが復活し毎年お正月映画として平成のゴジラ映画が公開されていたときは、怪獣映画、特撮映画はゴジラしかなかったわけだからストーリーがイマイチでもある程度観客を納得させられたかもしれない。
 しかし、ガメラ、ウルトラマン、あるいはそれ以外にも特撮を〈売り〉にした映画(もちろんTV作品を含めて)が続々公開されている中にあって、ドラマ自体もそれなりにしっかりしていないと映画自体が色褪せたものになってしまう。
 にもかかわらず前作はUSゴジラの後、満を持して公開されたというのに肝心のドラマがまったくなっていなかった。
 脚本の柏原寛司は「ゴジラvsスペースゴジラ」を担当した人で、これで僕は平成ゴジラを見切ったのだった。こと怪獣映画というジャンル(SFといってもいい)に限定すればストーリーがちっとも面白くないシナリオを書くという印象が強い。
 ただ「vsスペースゴジラ」の主人公たちのキャラクターはそれまでに比べてよく<立って>いたし、そこを評価されたのか、その年の年間シナリオベストテンにランキングにされている。

 前作は(手垢のついた表現だけれど)人間がちっとも描けていなかった。ゴジラが登場して街を破壊し、敵怪獣と戦わせればいいのだろうといわんばかりの安易な考えでストーリーが構成され、新鮮味が少しも感じられなかった。
 「ガメラ3」に対抗するかのように、ゴジラが燃え上がる街に立ち咆哮するラストに暗澹たる気持ちになった。かつて憧れの俳優がスクリーンで無残な姿をさらしている感慨に陥ったのだ。
 明らかに脚本が致命傷なのに、今回も同じ人(三村渉との共作)を起用するプロデューサーの考えが理解できなかった。

 そんなわけで、ロードショー終了間際に覗けばいいかなくらいの気持ちだった。
 監督が大好きな市川監督の下で助監督をしていた手塚昌明の劇場デビュー作なので個人的に応援したかったし、今回はウルトラマンシリーズみたいな科学の最先端をゆく特捜チームが登場するので僕好みの〈人間がいかにしてゴジラと闘うか〉が描かれるかもしれない、つまりサブタイトルの〈G消滅作戦〉に多少の期待はできるのではないかと。
 驚いたことに公開前から評判がすこぶるいい。サイトでは「ガメラ 大怪獣空中戦」に優るとも劣らないなどと書き込むファンもいて早々に劇場に足を運んだ。

 映画は監督のものである、監督が交替しただけでこうも映画が面白くなるものなのか、と本当は書きたいところだ。
 確かに前作、その前の平成シリーズの後期に比べたら数段上の出来といえるかもしれない。
 そう思いつつも観終わってからすがすがしい気分になれない。何かが心にもやをかけているようで快哉を叫べないのだ。
 オープニング、ゴジラの度重なる日本への上陸、都市破壊を伝える懐かしのニュース映画から映画の世界観(大阪に遷都され、リニアモーターカーが走るもう一つの日本の姿)をナレーションで紹介し、大阪での自衛隊とゴジラの攻防に続く展開は久しぶりにわくわくものだった。
 ところがこの後、特捜チーム〈Gグラズバー〉が登場するや、そのユニフォームのダサさ加減に一気に興ざめしてしまった。デザインが昭和30、40年代といった風でお世辞にも「かっこいい」と呼べるものではない。平成ウルトラのGUTSやXIGといったチームのレザーのしゃれたユニフォームなんて参考にしないのだろうか。
 誇る兵器も〈グリフォン〉という特殊ジェット機のみでメカニックの魅力を展開さえてくれない。Gフォースとの違いがよくわからなかった。
 だいたいこの〈Gグラスバー〉、活躍するのは女隊長(田中美里)のみで残りは愚図な男ばかりというのだから始末におえない。ラストの伊武雅刀の嘆きがわかるというものだ。

 それにしてもゴジラ映画に登場するキャラクターって、どうして薄っぺらい奴ばかりなのだろう。ストーリーを進行させるコマでしかない存在だから映画が終わるとまるで印象に残らない。
 そういう中で女隊長は久しぶりに秀逸なキャラクターを感じさせてくれるが、相手役の若い科学者との対立、葛藤、共感がイマイチこちらの胸に響いてこないのがつらい。戦いが終わってヘルメットをぬぐと長い髪が風にたなびくショットは「vsメカゴジラ」で小高恵美がすでにやっている。あのときの方がぐっときた僕としては二番煎じでしかない。
 お台場におけるゴジラとメガギラスの戦いは「モスラ対ゴジラ」を最新技術で描いたようなかなりの興奮度。背景に実写を多用し、怪獣の動き、特にメガギラスが新鮮だ。が、その興奮もふいに昔ながらのミニチュアセットの中の着ぐるみ然としたショットが挿入されて一気に萎えてしまう。中途半端なカメラワークによるゴジラのアップを見るたびに大スターの前で「アップいただきます」とへりくだる監督、カメラマンの姿を想像してしまう。
 この怪獣バトル中、ビルの屋上に緊急着陸した〈Gグラスバー〉の連中は何の行動も起こさない。怪獣同士の戦いの中に人間側の悪戦苦闘があればドラマ的高揚度は倍加するはずなのに……。

 実際問題、シリーズが長く続いているゴジラのストーリー作りはとてもむずかしいと思う。とりわけ人間の敵として存在しているコジラが敵と闘うのだから容易ではない。おまけに平成ゴジラは神のごとく強い存在でどうしようもない。基本的な設定はほとんどでつくしてしまった。特撮が売りだから他のシリーズのような「待ってました!」のマンネリは許されない。
 ないないづくしの中で観客を納得させる映画を作るその苦労は計り知れない。
 しかし、それでも新しいものに挑戦するのであれば、せめて過去の伝統や栄光をかなぐり捨てるくらいの勇気を持ってほしい。
 いい加減54年版「ゴジラ」の呪縛から逃れたらどうだ。いくら映画世界をリセットしても原点にいつも「ゴジラ」があっては何かとやりにくかろう。
 伊福部昭の音楽からも開放したい。僕だってどんなにゴジラに伊福部音楽が合致しているかは理解している。しかし今回、お台場に上陸する際に流れた伊福部音楽があまりにぴったりくるから、それまで説得力をもって聞こえていた大島ミチルのそれが貧弱なものなってしまった。
 ゴジラが強すぎるというのもうんざりだ。エンディングロール後に観客サービスでやっぱりゴジラは生きていたというエピソードが付け加えられているが、これも「vsキングキドラ」でやっている。全編にわたってもう少し生物らしさを描いた方がいいと思うのだが。
 内容はもちろんだが、年1回の公開システムも見直すべきじゃないだろうか。今のままではかつてのクレージー映画になってしまう恐れがある。内容は二の次、興行成績のみで毎年製作され続け、ある時、不入りという事態に直面したとたんシリーズがストップしてしまうということだ。
 まったく新しい解釈、設定で現代日本を襲う巨大怪獣ゴジラの恐怖を映画の中の登場人物ととも、特にその巨大さに驚愕したいと切に願う。
 あるいは今後もシリーズが続くのなら特撮の王道(といって東宝特撮って時代にワンテンポ遅れている感じがしてしょうがないのだが)ではなく、ウルトラシリーズの実相寺作品みたいな変化球、異色作があったっていい。

     ◇
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転載:「劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」
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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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